其の三

「ごちそう様。今日も美味しかったよ」


 気持ちを新たに、お店の中をはきはきと動き回るお絹に、宗太が満足そうに皿を手渡す。


『?』


 いつものように手が触れたのだが、今日は少し様子が違った。

 皿の下で宗太が探し物をするかのように手を動かして、お絹の指の間に何かをするりと挟み込ませたのだ。


「また来るよ」


 呆けたような顔のお絹を他所に、宗太は笑顔を絶やさず店を後にする。


『……』


 お絹は居ても立ってもいられず、彦六と加代が不思議そうにしている横をすり抜けて、一度、奥へそそくさと引っ込んだ。


『文……』


 小さく折り畳まれた和紙が、お絹の人差し指と中指の間に挟まれていた。

 そこには、〈本日、亥の刻 日本橋〉と書かれてあった。

 お絹は、このとき初めて読み書きを習っていて本当に良かったと実感した。

 そして、『遅刻しないようにしなくちゃ』と、行く事を躊躇ったりするような考えは更々なくて、お絹は、只それだけを肝に銘じていた――。


「……」


 今夜は更待ふけまち月が綺麗な夜だった。

 まるで顔だけを控えめに半分だけ出して、こちらを覗き見ているかのような、そんな姿だ。


「……」


 彦六と加代が寝静まったのを確認して、お絹はそっと抜け出す――


 通りへ出ると、何処からともなく「火の用心!」という威勢のいい掛け声と共に拍子木の甲高い音が響き渡ってきた。

 日本橋までは急ぎ足で向かえば、ほど刻を要さず辿り着くことが出来る。


「――ひゃ!?」


 お絹が『宗太さんと会える胸の高鳴りと、あの甲高い音と、どちらの方が高いかしら?』と、そんな他愛もない事でほっこりとしながら最初の角を曲がってみると、鞠を手にする童女とぶつかりそうになってしまった。


「ごめんね」


 そう言って、お絹は微笑み、また小走りに動きす。


『……やだ。今、何刻なんどきよ』


 お絹がこんな時刻に童女がぽつねんと佇んでいることに違和感を覚えて、つと立ち止まり振り返ってみる――と、


「?」


 さきほどまで其処にいたはずの童女の姿は、もうなくなっていた。


『お仕置きで立たされていたのかしら?』


 気にはなったが、絶対に遅れてはならない大切な事情を抱えているお絹は、先を急ぐ事にした。


 そして、そんなお絹の軽い足取りを、童女は煌々とする月を背に、屋根瓦の上から見下ろしていた――。

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