其の六

 佐吉は、鼻歌混じりに太助の縄を刃物で切り解き、それを握らせる。


「う~んと、手前ぇで掻っ捌いたんだから、こう持たせりゃいいんだよなぁ」と、ぶつぶつ独り言を繰り返す。


 すると、家の中が急に寒々として、灯っていた薄灯りが不意に消えた――


「……ああ?」


 いぶかしみながら、佐吉は辺りの様子を窺う……と、いきなり青白い炎が激しく吹き出し周囲を取り囲んだ。


「なんだ、こりゃあ……?」


 その炎には、何処か陰々いんいんたるものがあり、それに妙な暗さを宿しているようでもあり、先ほどよりも暗晦あんかいとなってしまった部屋は、この世との隔絶を物語っているような錯覚すら佐吉に覚えさせる。

 

「……ん?」


 佐吉がその異変に首を傾げていると、何処からともなく童唄が聴こえてきて、その唄の調子に合わせて鞠を突く音も届いてきた――


 ひとぉつ 掴んで 髑髏しゃれこうべ


  ふたぁつ 掴んで 懺悔の日

 

   みぃっつ 掴んで 魂さぁ――


 佐吉は辺りの様子を窺いながら、太助に握らせた刃物を取り上げた……と、つい今しがた視界に入れた筈のお美代の亡骸の頭の方に、童女がひっそりと佇んでいた。


「おいわっぱぁ。どっから入って来たんだぁ?」


 痛ましい骸の腕を踏みつけながら、童女に刃物をちらつかせ問う。


「……」


 けれども童女は、只、じっと佐吉のことを見上げるのみであった。


『なんだぁ、此奴こいつ……』


 童女の瞳が何処までも冷たく、そして、目を合わせていると何処いずこへともなく引き摺り込まれてしまいそうなくらさに、佐吉は冷やりとするものを背筋に覚えて、己を誇示するかのようにして刃物を振り翳してみせた。

 

 ――けれど、童女は、ぴくりともしない。


「なんだよぉ!?」


 余りにも薄気味の悪い童女に、佐吉は、振り翳したままの物をどうすべきか戸惑ってしまった。


 ……今まで一度だって、こんな思いに駆られたことはない。


 ――邪魔なら殺す、目障りなら殺す、暇なら……遊び殺す。


 そうやって来たのだ。

 それが己の日常だった。

 それが佐吉の生き様であった。


 なのに、こんな幼いのを相手に、恐怖すら感じるとは――


「っ!?」


 気付けば、小刻みに手が震えていた。

 そんな自分に気が付き、動揺が体の中を駆け巡る。

 直ぐに殺せと、いつもの佐吉が頭の中で声を張っている。

 けれど知ってしまった脆弱な己が、心の中でわなわなと震えてしまってもいる。


 期せずして、尋常ではないせめぎ合いが、自身の中で始まってしまった――と、


「っ!?」


 そこへ加えて背後に徒ならぬ気配を感じて、佐吉は振り返る。

 すると直ぐ其処には、何時いつの間にやら深編み笠を被った浪人が、音もなく自分のことを見据えていた。


 ――だが、当然、はっきりと見据えているとは、言い難い。


 笠の下の顔の様子や、その眼光が向く先など、判ろう筈もない。

 けれどそれでも、その下から自分のことを【見据えている】ということが、狩られる側となってしまっている佐吉には、はっきりと伝わってきた――


「てめぇ、誰だよぉ!?」


 先程の恐怖から立ち直ることすら出来ないまま、ごくりと生唾を飲み込み震える声を絞り出し問う。


「な、なんなんだよぉ……」


 ――この浪人もまた、童女と同じようだった。

 

 先程から感じていたものの正体。

 それは、この二人からは、まるで精気を感じないということだ。

 特にこの浪人の薄汚れ果て、ぼろぼろの着物から覗く首筋や手や足には、血の気などというものは一切なくて、艶やかな冷たさを纏う童女とは違い、肌は土色に変色している。

『本当に生きているのか?』と、数々の生暖かいところから腐っていくところまでを目にしてきた佐吉にとって、その様子は疑うに十分であった。


「返事しやがれよぉ!」


 己の喉の辺りが干乾び締まっていく苦しさから逃れるようにして、相手の生を確かめる……

 死者など怖くはない。何故ならば動かないからだ。

 生者ならば殺せばいい。難しいことではない。

 だが、いま目にしている此奴らは、一体どっちなのだ?

 

「黙ってんじゃねぇー!」


 答えの出ない疑問に、佐吉は怯えた。


「……」


 無言の威圧が……圧してくる。


こぇじゃねぇかよぉぉっ!」


 童女といい、この浪人といい、己に得も言われぬ恐怖を植え付けてくる此奴こいつらに恐怖と共に憎しみすら覚えて、佐吉は、その憎しみを糧として動いた。

 そして手始めに振り翳したままの刃物を浪人へ向けて、勢いよく振り下すことに決めた――


「っ!」


 ――しかし浪人は、佐吉のその素早い動きに対して難なく後ろへと退き躱してみせる。


「こんのぉぉぉぉっ!」


 佐吉は出鱈目に浪人へ向けて刃物を振り回した。

 けれど浪人の身の熟しは見事なもので、佐吉の振るうその刃先が、まるで見当違いの方へ向けられているようにさえ見えていた――


「く、くそがぁ……」


 佐吉は立ち止まり、肩で息をする。


「……」


 すると浪人は、それを見計らったようにして、腰の得物をするりと抜き放ち中段の構えを整えた。


「ひっ!? 」


 佐吉が見てみると、刀身であろう筈のものは、赤紫色の炎で形作られていた。


「っ!?」


 そこで初めて、佐吉は浪人から精気のような、躍動するものを感じ取ることができた。けれど佐吉にとって、それは、決して喜ばしいものではない。

 佐吉のことを生贄として欲し、宴の始まりに歓びの歓声をあげているかのような躍動。それがまるで、刀身からしてきているようである。

 それによくよく目にしてみると、その刀身は、揺らぐ度に次から次へと人の顔を模したかのような影が無数に現れては消えを繰り返している。

 しかもその影は、一つとして同じものが無い……

 

 ――そうして佐吉は、その揺らめきに恐れ慄いた。


「ちょ、ちょっと待ってくれぇ! 金か? それとも女かぁ? あんたの望むもん何でも用意してやるよぉ……おお、そうだ! この女なんかどうだぁ? 死んじゃいるが、良い締まりしてるぜぇ……?」


 佐吉は片膝を付いて中腰になり、開いてる方の手で、お美代を指し示した……


 ――ぶん!


「ぇ……?」


 直後、風ごと打っ手切るようにして、佐吉のその指差した手が手首の処からぼとんと血に染まる布団の上へと落ちた。


「う!? うわぁぁぁっ!」


 切り口から勢いよく血飛沫が舞い上がり、壁や天井に血化粧を施す。


「ひーーっ!?」


 佐吉は慌ててお美代の口から手拭いを取り出し、傷口を必死になって押さえつけ止血を試みるが、手拭いはあっという間に真っ赤に染まっていき、ぼたぼたと止め処なく血が滴り落ちてしまう。


「な、なんてことしやがるんだぁ! お前ぇ、頭おかしいんじゃねぇかぁ!?」


 佐吉は震える。


「……」


 浪人はその様子を意に介することなく得物を片手に持ち替え、体に巻きつけるようにすると、佐吉と同じようにして片膝を付き、そしてそこから低く横へと薙ぎ払った――


「へっ!?」


 佐吉の立ててあった方の膝から下が、ぼとりと畳に落ちた。


「あ……ぁ……」


 佐吉は唖然としながらよろける。


「お、お前ぇ……俺を殺す気かぁぁぁぁぁっ!?」


 血相を変えて、佐吉は二本の足で力強く立ち上がろうとした……けれどもある積もりの脚は、既に己とたもとを分かってしまっているが為に、どんという音を伴い無様にも倒れ込んでしまった。


 倒れ際、お美代の膝頭が左目を捉え、したたか打ち付ける。


「殺してやるぅ!」


 佐吉は目をすがめながらも浪人へ応戦の意志を示し向かい、這いつくばりながら懸命に刃物を振るった。

 けれども既に立ち上がる浪人にそれが命中する筈もなく、ただ虚しく低い処を彷徨うだけで、畳や布団に己の血をこれでもかと吸わせながら、飛び散る其れが太助やお美代へ、へばり付くように降り掛かっている。


「はぁ、はあ、はぁ――」


 佐吉の顔色が見る見るうちに変わっていき、そして呼吸が浅くなったころ、浪人は刀を逆手に持ち替えて、その揺らめく刃先を佐吉へと向けた。


「ひぃぃぃぃっ!?」


 佐吉は己の無力さを思い知り、逃げなければと懸命に向きを変えて、残る部位を駆使して必死で這いずる。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 ほんの僅かな距離を蒼い顔で力の限り這い進み、そうして畳をぬめるほどに赤く染めあげた頃、こつんと、頭の天辺が冷たい何かに触れた。


「?」


 見れば、それは、童女の足だった。

 佐吉は恐る恐るそのまま、脚、腰、胸と、順に反り返り見上げてみた……

 

「ぁ……ぁ……」

 

 其処には、地獄の入り口のような昏い瞳が、己を見下ろしていた。

 佐吉は、その瞳から目を逸らすことも出来ず、また、溢れ出る涙すらもそのままに震撼する。


 そうして、


「逝く刻が来たよ…」


 童女は、一切の感情を示さぬまま、佐吉にそう告げた。


「――っ!」


 次の瞬間、赤紫色の炎の刀身が、その刻を心待ちにしていたかのように激しくぼおと燃え上がり、浪人は、それに応えるようにして、佐吉の背中へ向けて、豪快にそれを突き落としていった――


「――ぶっ!?」


 佐吉は束の間を経て、途方もない苦しみに襲われる。

 突かれたような感覚は無かった。

 けれども、そこから体の中を熱い何かがむさぼえぐるような感覚があって、そして、


 胸や喉を掻き毟る……、

 

  剥がれてしまうほどに、あちこちに爪を立てる……、

  

   苦しみから逃れるために、激しく頭を打ち付ける――


 そうしてのた打ち回りながらも先の無い手を伸ばして、佐吉は必死になって童女へ救いを求めた。


「た、助けぇ……」


「……」


 童女は、凛とした様子で鞠をいだき、佐吉を見下ろすことで其れに応えるのみであった――


 未明。

 脱獄があったという報せが石出の元へ遅ればせながらも届き、何が何でも探し出せとの下知が極秘裏に全ての牢役人へと飛び、最小限の人数の牢番だけを残して二人一組となって探索事に当たる手筈となった。

 そして、もう其処には居ないだろうという判断から、太助の家へ一組だけを向かわせていた。


「な、なんだ……これは……」


 それを見た役人達は、その凄惨な状況に凍り付く。


 血生臭い部屋の中、仏が三体、部屋中を染めあげ好き勝手な方を向いて死んでいたのだ。


 女は、この世の地獄を見た様に。


 脱獄囚は、壮絶な恨みの念を露わに。


 岡っ引きは、阿鼻叫喚と共に。


 中でも岡っ引きのその死様しにざまは、若輩者の方が、気を失ってしまうほどに悲惨なもので、円熟味を増す一方の役人も、暫くの間、声を出すこともままならず色を無くしていた―――。

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