漆
お咲が無念の死を遂げた数日後。
茶屋の二階にある座敷の一部屋から、酒の回った男達の話し声が洩れ聞こえるてくる……
「あの女郎、父っつぁんの首絞めた後に自分も首括って死ぬたぁ、笑っちまいやすぜ」
権蔵が、如何にも小馬鹿にしたように膝を叩いて甚八にいう。
「私としては、そのお咲の彫物も見てみたかったもんだがねえ」
甚八は、下賎な笑いを浮かべながら酒を煽ると、「またお願いしますよ」と言って、彫師に酒を進めた。
「承知」
「旦那、それにしてもいいんですかい? 沼田様に内緒で可愛いがっちまって」
「大丈夫だ。あの方は亭主のいる女にしか興味がないからね」
そう言って、甚八は小馬鹿にしたような笑いを口の端に浮かべる。
『俺ぁ、あんたの趣味もよく分からねえんだけどな』と、権蔵は心の中で独り
そんな下衆な会話に花を咲かせていると、暑さが日を追うごとに増しているこの時期に、三人が三人共に寒さを覚えて目を揃えて開けたいる格子窓の方に目を遣ってみると、部屋の明かりが、すうっと……消えていった。
「権蔵、明かりを灯すように伝えてきなさい」
「へい」と答えて権蔵は立ち上がり、障子を開けようとした……その時、
「!?」
畳から、激しく青白い炎が吹き出し、三人をあっと言う間に取り囲んだ。
「な!? なんだい、これは……」
甚八が眉間に
「様子が、おかしいですぜ……」
権蔵が
「誰か、 誰かおらぬか!」
彫師が脂汗を滴らせながら店の者を呼ぶが、その呼び掛けに応じる者は、誰一人としていなかった。
「……」
そして誰ともなく生唾を飲み込み、事態の異様さに浮足立ち腰を上げてみると――
ぽん、ぽん、ぽーん……と、鞠を突く音が響き渡ってきた。
「!?」
甚八が
「旦那!」
権蔵が、炎越しに、ぼんやりと映る童の影を指差した。
その影が、ぽん、ぽん、ぽーん…と、鞠を突いている……
そして、
ひとぉつ 掴んで
ふたぁつ 掴んで 懺悔の日
みぃっつ 掴んで 魂さぁ
童のその声は、まるで心の臓を鷲掴みにして縮み上がらせるような響きがあった。
「なんなんだよ!?」
権蔵が懐から短刀を取り出し身構えた。
「権、権蔵!」
甚八が必死に顎で権蔵の足元を指し示し、その方へ権蔵が目線を落としてみると、其処には、鞠を抱えた童女が、こちらを見上げて佇んでいた。
「な、なんだ
童女は、答える。
「恨み辛みの、隙間から…」
と、童女は、ぽつりと答えた。
「!?」
甚八達は、その余りの冷たく無表情な童女に、只々、背筋を凍りつかせる――
「むっ!?」
彫師が後ろに感じた禍々しいものに振り返らずにはおられずその身を返してみると、其処には、深編み笠を被った浪人の姿が音も無くあった。
「誰だ!?」
彫師は驚き仰け反りつつ後退り、問う。すると浪人は其れに答えるかのようにして腰に差している刀に手を掛けていった……
「!?」
彫師が見てみると、浪人が抜いたその刀には、きらりと光るはずの白刃はなく、代わりに其れを模したような紅紫色の炎が、ゆらゆらと揺らめいていた。
「な、何をする気だ!?」
彫師がその異様な刀の切先が己の方へ向けられたことに戦慄を覚え声をかけたが、刹那、浪人は胸元目掛けて横一閃に薙ぎ払う――
「……っ!? うがっ!」
切られた直後には何も感じなかった彫師であったが、一呼吸あると魂を
「ひっ!?」
甚八は引き攣ったような声を上げて、わなわなと震え出す。
「ちくしょうめ!」
権蔵が勝ち目無しとみて障子の方へと後退り、壁のような炎の方へその身を近づけていく。そうして熱さ覚悟で障子を開き出て行こうと後ろ手に障子を探してみると、その炎から熱さを感じることはなかった……が、
「 !? うわーーっ!」
その青白い炎は、まるで自我があるかのようにして権蔵の左腕に纏わりつき、やっとのことで引っ張りだした権蔵の其の腕には、喰い千切られたような痛みが残る。
「ひぇーーっ!?」
直後、ぼた、ぼたっと、腕の肉が止め処なく畳へと落ちていき、その肉塊は炎に包まれながら、ぼうっ! と激しく燃えたかと思えば瞬時に溶けて煙と共に何も無くなっていってしまった。
「な、な、なんなんだよーーっ!?」
権蔵は真っ蒼になりながら叫び続け、その腕に絡みつく僅かな炎を懸命に振り払って消そうとしたが、振り払えば振り払うほど、ぼたぼたと肉が剥がれ落ち、骨が露わとなっていく。
「ご、権蔵……」
腰を抜かした甚八が、か細い声で危機を伝える。
「ひーー!? くるな! ……こないでくれよぉ!」
権蔵が遅れてその声に反応してみると、其処には、浪人が自身に向けてゆっくりと近づいてきているのが判った。
権蔵は血の失せた顔で左の袖口を浪人へと向けて、ぱたぱたと振り
そして浪人は、それに呼応するかのようにして、ゆっくりと構え、権蔵の心の臓目掛けて縦一線に刀を振るった――
「……っ!? ぐげっ――」
権蔵も彫師と同様、自身の胸を掻き
「ひゃ!?」
この様子を口元を押えながら見ていた甚八は、『逃げなければ!』と、小便を漏らしていることにも気づかないまま、生まれたての仔馬のようにして震えながら必死で立ち上がる。
そしてそんな甚八の方へ、浪人は向き直り、歩を進めた。
「な、何が望みだ!? 何でも欲しい物をいっておくれ! だから、どうか私の命だけは! 」
甚八は止め処なく流れでるものに構うこともなく、顎をがくがくとさせながら、上からは涙を流し深編み笠の中を覗き見るようにして懇願した。が――、
「欲しいのは、魂…」
「は……?」
甚八は、不意にした幼子の声に間の抜けた調子で下を向くと、童女が、つぶらな瞳でこちらを見上げていた。
「!? ひぃぃぃぃっ !」
甚八は恐れ慄き逃げ場を求める。けれど壁のような青白い炎が行く手をきっちりと阻んでいる。権蔵のようにはなりたくない。けれどあやかしのようなこの浪人に殺されるのも嫌だ。
「や、やめてくれ! 後生だから!」
浪人に懇願する甚八へ向けて、童女が告げる――
「逝く
表情ひとつ変えない童女は、最期を告げた。
「やめて、く――」
そのあと、断末魔と共に、三人の苦しみ
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