その夜、お咲は言われた通りに駕籠屋が来るのをじっと待っていた。

 

(なにか、手違いでも起こってくんないかな……)


 そんなことを寄る辺なく何度も願ってみたのであったが、期待とは裏腹に、約束通りに駕籠屋が控えめな掛け声を伴い迎えにやって来て、障子越しに声を掛けてきた。

 お咲は仁平に気付かれることのないよう溜息を吐いたあと、「お父っつあん、ちょっと出かけてくるね」と、明るく振る舞い、家をあとにした――。


 駕籠に揺られている間、喜兵衛や番頭の言葉が蘇る。


 〈選りにも選って、あの甚八とはねぇ……〉


  〈十分に気を付けるんだよ〉


   〈……最悪だ〉


「お父っつぁん……」


 出がけの様子も良さそうだった仁平の顔を拠り所として、お咲は、吊り紐を握る手に力を込めた――。


「……ぇ?」


 ゆさりと駕籠が止まり、かさっと垂が上がった。

 お咲が目を遣ると、そこは、茶屋の前だった。


「――さっさと入ぇんな」


 駕籠を降りかけた足が、すっと後ずさったのであったが、冷たく蹴飛ばされるような声に慌てて降りて振り向いてみると、権蔵達の姿が其処にはあった。


「は……はい」


 お咲は権蔵の目力に、押し込まれるようにして中へと入る。すると店の者であろう年配の女が控えていて、腰を低く伏し目がちに「こちらへ」と、一言だけを発して、音も立てずに歩き出す……。

 そしてその様子に、お咲は呆気に取られていたのであったが、はたと我に返り、急いで履き物を脱ぎ揃え上がると、その後を追いかけて二階へと続く階段に足を掛けていって、やがて一番奥の部屋へと辿り着く。


「――ごゆっくり」


 女は、お咲が中へ足を踏み入れると、ぴしゃりと障子を閉めてしまった。


「……」


 その影に頭を下げたお咲は、その後、部屋の中をぐるりと見渡してみた……薄明りのその部屋は、今まで目にしたことのない、艶やかな色合いの装飾が施されていた。


 床の間には、男と女が絡み合う掛け軸。

 むやみやたらに頭の大きい亀の置物。

 淫靡な柄の座布団。

 一式用意された盃。


 そして、隣にも部屋があるのだろう。襖で仕切られてあった。

 お咲は、そっと、そこを開けてみることにした。すると薄明りが、その部屋をひっそりと映し出して、一組の真っ赤な柄の布団が目に飛び込んできた。


(――帰らなきゃ)


 お咲は急いで襖を閉めて、くるりと向きを変えて、障子に手を伸ばした――

 

「おや、何処へ行くつもりだい?」


 お咲が手を掛けるよりも先に、すいと障子が横へとずれた。すると、愛想笑いを浮かべた甚八が、通せんぼするようにして其処に立っていた。


「あの、これは一体……」


 お咲は、しどろもどろになりながら甚八へ尋ねる。


「安心おし。私は、綺麗なものを見ながら酒が呑みたいだけなのだからさ」


 そう言うと、つと甚八は中へと入り、座布団に胡座をかいて座る。

 そして、酌をするよう、お咲に盃を差し向けた。


「……」


 お咲は致し方なく、甚八の隣に座することにした――。


「ん~、今夜の酒は、格別だね!」


 甚八は上機嫌にいう。


「あの、そろそろ……」


「ほれ、お前も飲みなさい」


「いえ……あたし、お酒を頂いたことがありませんので……」


「では今日が初だね。さぁ、ぐいっとやりなさい」


 甚八に盃を持たされ、その中になみなみと注ぎ込まれてしまう。


「……」


(飲み干したら、帰してもらおう)と、お咲は一息に喉の奥へと其れを流し込んだ。


「お~、いい飲みっぷりだ。 さ、もう一杯」

 

 そう言って、甚八は提子ひさげを傾け、また注ぎ込んだ――。


 お咲は断りながらも、結局、甚八に飲まされ続け朦朧となってきてしまっていた。


(そろそろかね)


 お咲の酔い具合を目を細め確かめた甚八は、するりと懐から薬包紙を取り出すと、それを残り少ない酒の中に混ぜて、お咲に進める。

 すると程なくして、お咲の体は右へ左へと大きく揺れ出し、終いには倒れこむようにして突っ伏してしまう。そうして気が付けば、寝息を立て始めていた――。


「おい」


「……へい」


 からりと障子が開いて、権蔵と手下の二人、そしてもう一人、道具箱を脇に抱えた総髪の男が入って来た。


「始めておくんなさい」


 甚八は、その男に向けてそう口にする……と、権蔵達は襖を無造作に開いて、お咲を抱え上げて、隣の布団へと運び込び込むと、小慣れた手付きで着物を脱がしに掛かった。

 男達の目の前で、お咲の細い肩の線や、きめ細かい肌が露わとなっていく。

 そして、総髪の男が一糸纏わぬ娘の身体を隈なく確かめるようにしていき、その柔肌に手を宛がい滑らせていって、道具箱へ手を掛けていった――。


(……?)


 ――頭が、ぼーっとする。


 焦点が……合わない。


(だれ?)


 お咲は目の前の総髪の男に、そう言った気がした。

 けれども上手く呂律が回った気がしない。

 すると男が振り返り、何やら誰かに伝えているようだった。


(権蔵……)


 近づく権蔵の存在に居場所が思い当たらないでいると、頭を持ち上げられて、水と一緒に何かを流し込まれた。


 すると、また、意識が遠退いていった――。


「ん……」


 どれくらいのときが流れたのであろう。

 外は暗いようだった。


「痛っ!」


 身体じゅうに感じる痺れと、ひりひりとする熱さに驚いた。


(あたし……そうだ。お酒を頂いたんだわ)


 そうして酒というものが、こんなにも全身に痛みを感じるものなのかと、お咲は初めて体に取り入れたものに驚く。またその痛みは、まるで火の粉でも被ったようなもので、顔に強く其れを感じていた。


「おー、お咲。目が覚めたかい?」

 

 其処には、たいそう機嫌のいい甚八の姿があった。


「……ぇ?」


 よく見ると、甚八との距離がおかしい。

 さっきまで、自分は、あそこに居たはず。

 なのに、今はどうだろう。

 少なくとも、畳ふたっつ分くらいは離れている。


「?」


 今更ながらに気が付けば、自分の体には、布団が掛けられてあった。

 それは、さっき見た卑猥なものだ。

 そしてその中に、包まわれている……。


「お咲、まる三日も眠りこけた後の気分は、どうだい?」


「!」

  

 甚八は、くいっと酒を煽った。


「それにしても、お前はいい女だねぇ。いや、実にうっとりしたよ」


 恍惚とした表情で、甚八は言う。


「――!」


 お咲は布団をぎゅっと体に引き寄せ、知りたくもない事の経緯を否が応にも想像してしまう……すると、ひとりでに涙が次から次へと溢れ出てきてしまった。


「おいおい、泣くもんじゃないよ。あたしは、お前に指一本ふれてやいないんだからね」


「……え?」


 お咲は、何がなんだか分からなくなってしまった。この状況は、どう考えてもそういうことだろう。だが、どういう訳か、甚八の言葉には説得力がある。

 全く理解が及ばない……すると甚八が、言葉を続けた。


「だから、もっとお前の体を、よく見せておくれよ。正体あるお前も拝んでおきたいんだよ」


(――この人の目の中には、鬼が棲んでる)


 お咲には、そう映った。


「……」


 恐ろしさの余り体を震わせながらも、お咲は自身に何が起こったのかを確かめる為、やがてゆっくりと、布団の中の体を覗き見てみることにした――。


 束の間、


 そして――、


「ぎゃーーーーっ!」


 お咲は半狂乱となる!

 自分の胸、腹、腕、腿に、彫物がしてあるじゃないか!


 胸には男と女が絡みあった絵が。


  腹には観音様が、

 

   腕には錫杖や刀が……、

 

    腿には風神・雷神が――。


 甚八がいるのも忘れて、お咲は飛び起き、背、尻も首をひん曲げてその目に映す。


「おお! 美しいねぇ……。背から尻にかけての地獄絵図なんかは、この世の物とは思えないねえ」


 甚八は、呆けたような顔つきで其れを眺めている。


「ど、どういうことで……ございますか……」


 お咲は遅れてやってきた感情を表すように、涙、鼻水を垂れ流しながら甚八に問う。


「いやね。いつまで経ってもお前が借りた物を返してくれないからさ、体で返してもらうことにしたんだよ」


「だ、だからって……」


 お咲は、自分が素っ裸だということにも気が回らないほどに、甚八の所業が理解できないでいた。


「仕方ないんだよ、お咲。返せないならさっさと他の方法を考えるのが一番だ。それにしても、そんな泣き顔もまた乙なもんだねえ。どれ、自分でも、とくと拝んでみるといい」


 そう言って、甚八は、お咲へ柄鏡を投げて寄越した。

 お咲は恐る恐る其れを拾い上げて、自身の顔を映してみた……


「あ″ーーーーっ!」


 更なる絶叫が響き渡る。

 そこに映っていたものは、役者さながらの隈取くまどりをした自身の顔だった。


「そんな、そんな……」


 お咲は慌てて手の平や甲を使って其れを落とそうとする。

 けれどその化粧は、一向に落ちる様子をみせない。


「無駄だよ。なにせ彫物なんだからさ」


 甚八は鼻で笑いながら立ち上がり、「これが、お前の為なんだよ」と、口元を引き攣らせながらいう。そして、「そうそう、利息のぶんは、先生と権蔵達に払ってやっておくれ。いいもん見せてくれてありがとうよ。また近々、拝ませてもらうよ」と、そう言って出て行く。

 直後、太い足音をさせながら権蔵達がやってきて、お咲を貪る為、着物を脱ぎ散らかしながら近づいてきた。


「ぃ……いや……」


 その儚い声は、呆気なく踏み躙られる。そしてその後、お咲は、身も心も失っていった――。


 そしてその頃、格子から見える道端では、夜陰に紛れているのか、将又、夜陰を紛らせているのか、あの童女が同じ調子で鞠を突いていた――。

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