參
明くる日。
主人である、
「……お前の事情は分かったよ。お父っつぁんの具合がそんなじゃあ、薬代が必要なのも仕方なかったね」と、そういって喜兵衛は懐手をしたまま同情の色を見せ、庭先の青桐の葉が揺れるのを目に収める。
「ただ――」
喜兵衛は、平伏するお咲の髷に視線を落としながら言葉を続けた。
「お店に迷惑が掛かっては困る。次、もしもこのようなことがあったら、お前に暇を出さなきゃならない。それだけは覚えておきなさい」
お咲は、畳に顔を擦り付け消え入りそうな声で「……はい」と、返事をした。
「それにしても相手が悪い。選りにも選って、あの内田屋甚八とはねぇ……」
喜兵衛がぽつりと口にし、思わずその呟きにお咲は顔を上げる。
「とにかく、もう二度とこの様なことがないように。それからお前さん、十分に気を付けるんだよ」
喜兵衛は付け加え、お咲が何か言葉にしようとしたのを遮り、話を終わらせた。
「――番頭さん。そんなに悪い人なんですか?」
お店へと戻る長い廊下で、お咲は前を歩く番頭に思い切って聞いてみることにした。
「……最悪だ。ご主人様は、お前の働きぶりはご存じだ。場合によっては、肩代わりしてやるつもりでいたと思うよ。だけど、それも無理だろうね」
「何処かに売り飛ばされたり……しませんよね?」
「それぐらいなら、まだ増しな方だよ」
「……」
お咲はそれ以上、番頭に何かを聞くことが恐ろしくなって言葉を
けれど交わした証文の内容では、吉原などへ売り飛ばすことがないことが約定として書かれていたことをきっちりと思い出すことで、少しばかり安堵しようとしたのだが、想像もつかないことほど恐ろしいものはなく、目にしたことのない、魑魅魍魎の類を頭の中で考えてみて、一人震え上がってしまった。
それにしても――
お咲は大変なところと関わってしまったようだと、今更ながらに後悔する。
けれども他の高利貸しは皆一様にして、払いが滞った場合は有無も言わさず売り飛ばすというのが条件だった。だから人当りのよさそうな内田屋の主人、甚八にお願いをしたのだ。
内田屋は照降町にある、酒蔵である。
先代の甚吉の頃から金貸しをしていたそうであったが、その頃は同業の好で都合してやっていただけなのだそうだ。
けれど二代目である甚八になってからというもの、酒造そっち除けで高利貸しに励んでいるという話しではあったのだが、目立つほどの悪い噂を耳にしたこともなく、お咲が更に用立てて欲しいと泣きを入れたときにも、直ぐに
(けど、どうしよう……)
なんとかしなければ、暇を出されてしまい兼ねない。
そんな不安を抱きながら今日一日を過ごし、ずいぶんと日足が伸びてきたとはいえ、お店を出る頃には薄暗さが増してしまった江戸の町中を、お咲は仁平の待つ我が家へと向けて、気が付けば小走りに足を運んでいた。
「……」
そしてそんな後ろ姿を、童女は鮮やかな紅色の鞠を抱えて、じっと見つめる――。
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