吉凶禍福

吾妻栄子

吉凶禍福

「喪中ハガキ出したけどギリギリだったから、やっぱり結構来るね」


 かおるはやや伸びてきた額の前髪をうるさげに掻き上げると十数枚ほどのハガキをテーブルの上に選り分け始める。


 正月も三が日は過ぎたものの、古い蛇口を締めた後も暫くチョロチョロと細く水が流れるように年賀ハガキが舞い込んでくる。


「喪中ハガキも結構漏れがあるしね」


 私が話す内にもテーブルの上には薫宛て、私宛て、どうでもいいダイレクトメール的年賀状の三派にハガキが仕分けされていく。


「ヒロキんとこ、二人目生まれたんだ」


 薫の浅黒い、鼻のスッと高い端正な横顔が呟いて写真の刷り込まれたハガキを薫宛ての束に重ねる。


「こいつには喪中ハガキ出してなかったな、そう言えば」


“佐藤弘樹 美幸 弘一 香”


 薫宛てに新たに重ねられたハガキの差出人には女性的に優しい筆跡で四人の名が記されていた。


「これで全部」


 薫の浅黒い、しかし、指は繊細に長い手が最後の一枚を私宛ての束に重ねる。


「ありがとう」


 上擦った声に自分でも苛立つ。


“黒羽光 徳重裕美”


 一番最後のハガキに記された名前も、不器用な筆跡も、見間違えようがない。


 黒羽光くろばねひかる。私が薫に出会うまで最も愛し、将来まで考えた男だ。


*****

 ああ、やっぱり。キッチンから流れてくる温かなベルガモットティーの香りの中、私は薫に気取られないように息を吐いた。


“パートナーのヒロミとハワイで挙式しました。祝福してくれた皆様に感謝します!”


 青そのものの空の下、光は小麦色の肌に映えるクリーム色のタキシード姿で歯を見せない口角だけキュッと上げた笑顔で写真に収まっていた。


 これは彼が写真を撮る時のキメ顔だ。


 ただ、記憶の中の顔よりハガキに刷られた写真の光は顎の辺りが微かに弛んで中年の気配が漂い始めている。


 私と同い年で早生まれだから、彼も来月には三十七歳。


 付き合っていた二十代の頃は艶やかな黒髪に滑らかな小麦色の肌、大きなアーモンド型の目、きりっと引き締まった顎で有名な二枚目俳優に似ていると良く言われていた。


 今はその役者も四十半ばでさすがに頬の弛んだ中年の風貌になってきたが、光にも同種の変化が見える。若い頃の顔が似通っていれば、年を重ねた顔も似やすいのだろう。


 光の隣に写る“ヒロミ”こと裕美さんはまだ二十代前半だろうか。明らかに私たちより若いというか、色白のふっくりした頬や弾けるような笑顔からは幼さすら感じられた。光より頭一つ分小柄で骨の細い体つきといい、昔の私にそっくりだ。


“お前よりもっと若くて可愛い子と結婚したぞ”


 ハガキには書いていないが、光がわざわざこのタイミングで年賀状を寄越したのはそういう暗黙のメッセージを込めてのことだろう。


――結局、お前の中では俺なんか一緒になる相手じゃなかったんだろ。


 赤い目で最後に言い放った光の顔と声が蘇って胸の奥を突き刺す。


*****

「お茶、入ったよ」


 甘いような酸っぱいようなベルガモットの香りがふわりと強まった。


「ああ」


 急いでハガキの束を纏めてテーブルに置くつもりがバラバラにリビングの床に散らばった。


「私が拾うからいいよ」


 言い終える前に薫の長い指がウェディング写真の刷られたハガキを摘み上げる。


「これ、昔、付き合ってた人?」


 浅黒い中高な薫の顔の、しかし、そこだけどこか幼い円らな瞳が寂しく微笑む。


「そう」


 どこか捨て鉢な気持ちで頷いた。隠しても仕方がない。


「背の高い方が昔、付き合ってたカレ」


「イケメンだね、あの人みたい」


 薫が例の俳優の名を挙げる。


「若い時も似てるって良く言われてたよ」


 若い時、と言うと三十六歳の自分たちがいかにもオッサンになったような気がした。

 

 目の前の薫は三十歳だが、まだ「美少年」という雰囲気だ。


「女の子にも人気があったけど、彼は男しか好きになれないんだ」


 隣でお揃いのクリーム色タキシードを着て笑う裕美さんも光と同じように男性しか愛せない男性なのか。それとも、私のように男性も女性も愛せる男性なのか。


 どのみち、光は彼をパートナーに選び、彼もまた光をパートナーに決めたのだ。


 私が薫を妻に選び、薫が私を夫に決めたように。


「私たちの写真も送ったの?」


 ハガキを元の束に戻してテーブルの隅に置くと、薫は何事も無かった風に長い脚を折り曲げてソファに腰掛け、ベルガモットティーに口を着けた。


 光と薫は性別こそ異なるが、すらりとした長身、肌の浅黒い端正な風貌、 ベルガモットやレモンなど柑橘系の味や香りを好む等、似通った面が多い。


「いや、送ってないよ」


 しかし、去年の暮れに亡くなった父親は二人に対して天と地ほど違った。


――私は息子を同性愛者に育てたつもりはありません。失礼ですが、お引き取り下さい。


 就職してすぐ、「学生時代から付き合っていて将来も考えている相手」として光を実家に連れて行った時の言葉だ。


 それから三年、実家には寄り付かず、光と同棲した。


 別れを告げて出ていったのは光の方だが、先に疲弊して重荷を感じていたのは自分の方だったと今では良く分かる。


――良さそうなお嬢さんじゃないか。


 三十も過ぎた息子が連れてきた二十五歳の商社OLに父親は満面の笑顔だった。


 自分としては光との傷が癒えた後に新たに好きになった薫が性別としては女性だったという程度の認識だが、父親の中では「道を外れた息子が正しい道に戻ってくれた」と捉えたのだろう。


「光とはずっと連絡取ってなかった」


 二年前に独立してこの自宅をオフィスと兼用し、ホームページにはオフィスの所在地としてこちらの住所を載せている。


 光もその辺りで目星を付けて送って来たのだろうし、あるいは私が正月明けのオフィスで自分からの年賀状を目にするような場面を想定していたのかもしれない。


「向こうは今のこっちのことはきっと何も知らない」


 ソファの薫に寄り添うように私は腰掛ける。


「そろそろ性別が分かるかな」


 細身だが黒セーターの下腹部は微かに膨らんできているように感じる。壊れやすい卵の殻を撫でるようなつもりでその辺りを擦る。


「次の検診で分かるかも」


 薫も柔らかな笑顔で自分の腹を撫でつつ、しかし、やはり寂しさを含んだ声で呟いた。


「女の子なら、貴方に似るといいな」


「何で?」


 私は若い頃からイケメンとか美形とか言われる容姿ではない。むしろ、男としては貧弱、貧相な部類だろう。


「分かるでしょ、私、こんなにおっきいんだもの」


 薫は身長一七八センチ。日本人女性としてはかなり大柄な部類だし、学生時代は街を歩けばモデルのスカウトが次々寄ってきたそうだ。


「今日、家族写真の年賀状寄越した後輩、中学の頃、ちょっと好きだったんだけど、向こうは一六〇もないし、私はその時点で一七〇超えてたし、とても言えなかったよ」


「そうか」


 私は薫の方が自分より背が高くても気にしない。


 だが、世間には気にする人間が少なくないというか、世間そのものに「女性は男性より背が低く保護感情をそそられる体型であるべきだ」という感覚が根強いことは知っている。


「この子にはもっと生きやすい環境を用意してやらないとね」


 今の社会で生きやすい子を望むより、生まれてくる子に少しでも望ましい社会に変えたい。


 リビングのレースカーテンから射し込む新春の短い午後の陽光が卵色を帯びてくる。


 程よい温かさに落ち着いたベルガモットティーに口を着けると、甘酸っぱい香気が口の中に広がった。(了)

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吉凶禍福 吾妻栄子 @gaoqiao412

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