0.夜が終わる (『世界の終わり頃』より)
その日もぼく達は世界から避難していた。
何度も世界が終わるようになったのはずっと昔のことで、最近の研究だと世界の始まりと終わりは同時にできたんじゃないか、なんて言われてるらしい。
ぼくには難しいことはわからないけれど、物心ついた頃から世界の終わりには家族で原稿用紙の裏に避難していたし、逃げ遅れると大変なことになるんだよ、と教えられて育った。
事実、世界が終わった後いつもの通り学校に通うと、クラスメイトや先生、居るべき人が居なくなっている、なんてこともたまにある。ホームルームに形だけの黙祷をして、何事もなかったように、そんな人なんて最初から居なかったように授業が始まる。
いまどき原稿用紙の裏に避難してるのなんてお前の家だけだぜ、なんて馬鹿にされたこともあった。そいつは二ヶ月前に世界の終わりに巻き込まれて消えた。昔はみんな原稿用紙の裏だったんだよ、と反論もしたし、それでもやっぱり「うちはなんでパソコンじゃないの」と親に尋ねたこともあった。親はあらかじめ予測していた、というように「うちは昔からこうなんだよ」と言って、もうそろそろ聞き飽きたかもしれないけどごめんね、と付け加えてから「よそはよそ、うちはうち」というありがちな台詞で終わらせてしまった。
父さん曰く、「世界の外には物語を終わらせる人が居て、紙やデータやさまざまなものに終わりを刻みつけてしまうから、私たちはその裏に隠れなければいけない」のだそうだ。
ぼく達は物語なんだって。
それは小学校で習うような誰でも知っている常識で、疑う人は居ない。ぼく達の世界は簡単に終わる。そして何事もなかったかのように始まる。誰かが終わらせて、始めて、書き換えて、継いでいく。
ぼくらは誰かの都合で生かされていて、生きることが許されていて、それはきみかもしれないし、別の、ほんとうに誰も知らないような人かもしれない。とにかく。
これはぼく達物語の、ささやかな、ほんとうにささやかな抵抗の記録。きみが読み終えた本の裏側で、その影に張り付くように、奥付のインクを滲ませないように、液晶をそっと滑るように逃げていく、たったそれだけの、話。
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