『地の底よりいでて』 4/5




「また変なこと言ってだまそうとしてる……」


 ひづりは母の言葉に呆れてそう返した。母が外国から帰って来るなり家族を攫って遊びに出かけたりおかしな事を言って騙そうとして来るのは前からだったが、この日は幼稚園の後でアサカと遊ぶ約束をしていたのでひづりはそれがふいになっていつもより少々機嫌が悪かった。


「騙そうとなんてしてないよ~!? ホントホント、嘘なんて吐かないから! ほら、こっち来て!」


 母は遊園地の小さな花壇の前にしゃがみ込んでひづりに手招きをした。父と姉がトイレから戻って来るまで特にやることも無かったため、ひづりは溜め息を吐きつつ母の隣に並んだ。


「それで? なんで花がまほうつかいの先生なの?」


 この頃にはもう母は本当は魔法使いなどというファンタジーな職業の人ではなく、ただの変でわがままな女だと気付いていたが、ひづりは優しかったので話を合わせてあげた。


 母は嬉しそうな顔をして笑い、それから花壇に植えられている青色の紫陽花の花びらにそっと指をくっつけて見せた。


「花って言うとねぇ、つい皆この花びらの部分に意識が行きがちなんだけど、ほんとに大事なのはこの下の緑色をしたこれ、この茎っていう部分なんだ。ここが元気に伸びたり枝分かれして広がってくれないと、花も元気にいっぱい咲く事は出来ないんだよ。ついでに言うとこの葉っぱの部分も──」


 この時、母は本当に珍しく真面目に花という植物についての話をひづりにした。ひづりも、ふんふん、と頷きながら聞き入った。


「お母さん、花のこといっぱい知ってるんだね」


「でしょ? 私の先生だからね~! いっぱい勉強してるんだよ! えらいでしょ!!」


「うん、えらい」


 得意顔の母を適当にあしらい、ひづりは説明を受ける前とは少し見方の変わったその花壇の花々にまた視線を戻した。母は、どうして花が魔法使いの先生なのか、という最初の議題について自分で言い出したくせに忘れてしまったのか結局最後まで何の解説もしなかった。ひづりとしてもそこは元々興味が無かったし面倒くさかったのでもう訊かない事にした。


「ひづりって紫陽花好きなの?」


 色んな角度から葉や茎を眺めていると母が訊ねた。


 ひづりは首を傾げた。


「わからない。でもそうかも。幼稚園にこの青い……あじさい? みたいに可愛い子がいる。何を着ても、何をしてても可愛い」


 アサカは今頃何してるだろう、今日一緒に遊びたかったな、とひづりはそんな事を考えながら答えた。


「わはははは! とんでもない言葉を知ってるな、ひづりは!」


 母は愉快そうに大声で笑った。通り掛かった子供連れの客が不思議そうな顔でこちらを見ていた。


 やがて満足したように、はぁ、と一つ息を吐くと母はまた珍しく真面目そうな顔になってひづりと視線を合わせ、言った。


「ひづりもいつか気が向いた時、どんな花でも良いから、一度大切に育ててみて。それが将来きっとひづりやひづりの大切な人達の役に立つ日が来るから──」












 ……あの時、母は何が言いたかったのだろう。人は見た目ではなく心根が大事なんだよ、なんていう、母親が子に語って聞かせるような、そんな教育的な話だったのだろうか? 親らしい事など何一つして来なかったあの女が? 何故あの時だけ? ……そうだ。そうした違和感を抱いたから、あの時の母の言葉だけがやけに頭に残っていたんだ。


 でも。


 もしかしたら違ったのではないか。母が花を介して、私へ伝えようとしていたことは。


「花……。……花……?」


 矢が弾かれる衝撃音も、痛みも、恐怖も、どこか遠くの出来事の様に思えていた。うつぶせに倒れこんだままひづりの目は血だまりに塗れるそのイモカタバミばかりを見ていた。


 それからふと、前腕で斜めに切断され血を流し続ける短くなった右腕を見た。


「これ……は……?」


 傷口の先、喪失した前腕から指先に掛けて、《紫色の茎》のようなものが淡く光を放っているのが見えた。幻かと思い数回瞬きをしたが消えず、尚も弱く脈打つ様に明滅を繰り返していた。


「ぐっ……」


 右肘を杖のようにして身をよじり、どうにか体の右側を下にした横向きの姿勢をとった。すると左腕にも同じ《紫色の茎》が確認出来た。どちらもまるで腕の先にあった毛細血管だけがそこに残って浮かんでいるような、そんな不思議な状態で光っていた。


「……《魔術血管》……?」


 知識だけあったその単語がひづりの頭の中で俄に目の前の現象と繋がった。


 これがそうなのか。本当に血管そのものだ。さっきまで見えなかったのに、どうして急に見えるようになったんだろう。そんな事を思いながらひづりはぼんやりとその両腕の《茎》を眺めた。


 ……綺麗だ。もっと大きく伸びないのだろうか。


 いっぱい伸びたら、広がったら、今よりずっと綺麗だろうに。


 もう一度右肘をついて体を起こし、座ってみた。振り返ると天井花イナリの背中が見えた。ひづりを戦力外と見做したらしい《主天使》たちの矢は今全て彼女を狙っていて、彼女の体に刺さった矢の数も最後に見た時よりずっと増えていた。凍原坂を《治癒》する《魔方陣》はもう消えかかっていた。


 柱の全てが収束している《檻》の天井を見上げ、ひづりはそこへ向かって両腕を伸ばした。


「はは、は」


 痛みはあったがそうすると不思議な事に体の具合がなんとも良いように感じられ、無意識に腹筋が痙攣し、口から声が漏れ出た。


 体内にめきめきと音を響かせながら《紫色の茎》が伸び始めた。太陽を求める植物の芽の様にまっすぐ、あるいは枝分かれしながら、あっという間に《檻》の中に広がっていった。


「ひづり!?」


 天井花イナリが驚いた声を上げた。彼女にもひづりの《魔術血管》が見えている様子だった。だがどれだけ伸ばしても《紫色の茎》は矢を捌き続ける彼女の《剣》や《檻》の柱にぶつかる事は無く、物理的な干渉を無視してどんどん《檻》の中を満たし続けた。


 やがて先端が《檻》から飛び出すくらい拡張したところで《紫色の茎》は止まった。その淡い光が視界を覆い尽くしていた。


 この後どうすればいいのか、何が起こるのか、ひづりの頭はそれを完璧に理解していた。


 だから行動した。


「──咲いて!」


 育ちきった《紫色の茎》の先端その全てから何百という数の大小異なる《防衛魔方陣術式》が一斉に発動し、ひづり達を閉じ込めた《封聖の鳥篭》の周囲を隙間無く、まるで紫陽花の花弁の様に包み込んだ。








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