『発覚』          3/5



「本当にごめんなさいね官舎さん。お店、日曜でお忙しいでしょうに、さっきはお騒がせしてしまって」


 注文を受けた三人分の和菓子を持っていくと夜不寝一恵は改めてひづりにそう謝った。


「いえいえ、本当に気になさらないで下さい。……正直なところ、うちの店、今はもう静かな和菓子屋って感じじゃないですし……ははは……」


 改装以降もちよこによって洋風の家具や備品が少しずつ追加されていった結果、《和菓子屋たぬきつね》はもうかつての古風な和菓子屋としての姿をほぼほぼ失っており、そんなどこからどう見てもすっかりメイド喫茶の有様となった店内にひづりは諦めの視線を伸ばしながら自虐気味に笑って見せた。


「へぇ、噂通りかなり美味しいな。ここってお酒出るのかい?」


 豆大福をかじりながら渡瀬が期待に満ちた顔をひづりに向けた。


「いえ、お酒は……」


「出る訳ないだろ。ひづりさんを困らせるんじゃないよ。っていうかお前なんだ、今から飲む気なのか? まだ十二時だぞ?」


 言いかけたひづりに凍原坂が言葉を被せ、渡瀬を叱った。渡瀬は口に豆大福を含んだまま唇を尖らせて「いいだろ別に俺がいつ飲んだってよおー」と拗ねた。一恵が二人の様子を見てふふふと笑った。


「じゃあ私も和菓子、いただきますね。……まぁ、美味しい。やっぱり《和菓子屋たぬきつね》さんの和菓子、とっても美味しいわ。誘ってくれてありがとう渡瀬さん。私一人だと絶対リコに来るなって言われていたもの」


 一恵はつぶあん生クリームどら焼きを美味しそうに食べながら、ちらっ、と向こうで客の相手をしている夜不寝リコに視線をやった。夜不寝リコも今日の渡瀬と一恵の来店予定を知らされていなかったらしく先ほどは目を丸くして驚いており、そして気まずさからか以降全然こちらのテーブルの方へは来ようとしなかった。


「ごくん。良いんですよ一恵さん。人の繋がり、《輪》というのは大事ですからね。凍原坂はここ数年俺に連絡をくれませんでしたが、俺は《輪》を大事にしますからね」


 あてつける様に凍原坂の顔をじっと見ながら渡瀬は言った。凍原坂は面倒くさそうに視線を逸らした。


「まぁそうなんですか? 凍原坂さん、渡瀬さんみたいな良いお友達は大事になさった方がいいですよ?」


「大事にしていますよ、それなりに……」


 義妹の養母さん、という立場の人だからか、凍原坂は一恵にあまり強く出られない様子だった。改めて何だか妙な組み合わせの三人だな、とひづりは内心ちょっと可笑しく思った。


「それで……リコはあれからどうですか? ちゃんとやっていますか?」


 三人仲良く食べててくれそうだし他のお客さんのテーブルの様子でも見に行こうかな、とひづりが店内を見渡すと、狙ってだろうか、一恵が引き止める様に訊ねた。ひづりは横に向けかけたローファーの爪先を凍原坂たちのテーブルの方に戻した。


「ええ、よくしてくれていますよ。仕事ももうすっかり覚えてくれて、昨日も私と仕事を代わってくれたりして」


「そうなんですか? でももし怠けていたりしたら、遠慮なく叱ってやってくださいね!」


 前回夜不寝リコと揃って店へ来た時と違い今日は店主のちよこが居ないからだろう、凍原坂と渡瀬のいがみ合いが落ち着いてからというもの、一恵はやけにひづりに話しかけて来ていた。これもそのそうした他愛の無い雑談だろうと思い、ひづりは「《火庫》さんが居ますから、きっとそういう事は無いとは思いますけどね。でも、はい、もし今後そういう必要があればそうします。はは」と適当に返した。


「でも本当に良かったわ。リコがこちらのお店でちゃんと働けているみたいで……。前の職場はすぐに辞めてしまったから、心配だったんですよ。官舎さん、あの子に良くしてくださって、本当にありがとう」


 もしかしてこのまま話し相手として拘束されるんだろうか、とひづりがやや億劫に思い始めていると、一恵は俄にかしこまってお礼を言った。ひづりは慌てて姿勢を正した。


「あ、いえ、私はそんな、特別な事は何も……」


 しかし、ちょっとしたお礼だろう、と思いきや、一恵はそのまま真面目な様子で続けた。


「謙遜なさらないで。あの子意地っ張りだから、学校のお友達とちゃんと話が出来てるのか、とか、全然私達に話してくれなくて……。《和菓子屋たぬきつね》さんがあの子を雇って下さったこと、本当に有り難いと思っているんです。このままリコが来月の……いえ、もう今月ですね、転校の事も考え直してこっちに残ってくれたら、私達としてはもう願ってもないことなんですけれど……」


 それから彼女は同意を求める様に凍原坂に「ねえ?」と言った。


「かっ、一恵さん、その話は……っ!!」


 凍原坂は突然顔を青くして焦った様子で首を小さく横に振った。


「え?」


 一恵は目を丸くした。しん、とテーブルの空気が静かになった。


「……は?」


 ひづりは思わず耳を疑った。


「今、転校……って言ったんですか? 夜不寝さんが? 転校……? それも今月……?」


 完全に初耳だった。ひづりは一恵にそう聞き返し、それから凍原坂を見た。彼はひづりの視線から逃げるようにうつむいて、「しまった……」という顔をしていた。


「あ、あら……? やだ、官舎さんには秘密なんでしたっけ……? ごめんなさい、リコに怒られてしまうわ。聞かなかった事にしてください」


 一恵は取り繕う様に陽気な態度を見せたが、しかし話の内容が内容なだけにひづりはそのまま問い詰めた。


「いや、いや、夜不寝さん、本当に転校するんですか? それにこっちに残ったらって……引っ越すってことですか? 何ですか、それ……凍原坂さんは知ってたんですか? 《火庫》さんも……《フラウ》さんも……?」


「……母さん、官舎さんに何言ってんの……?」


 するといつの間に近くに来ていたのか夜不寝リコがすぐ隣のテーブルの脇に立って険しい表情で一恵を見つめていた。それからつかつかと詰め寄って来てひづりを押し退け、一恵に向かって大声を上げた。


「言わないでって言ったじゃん!! 何で言ったの!? 信じらんない!!」


 そのまま夜不寝リコは両手で強くテーブルを叩いた。衝撃で食器が騒がしく音を立て、渡瀬が水の入ったグラスを口に当てたまま硬直した。


「ご、ごめん、ごめんってば。うっかり言っちゃったのよ。それに、だって、ちよこさんの方にはもう通したお話だったじゃない? だから、妹の官舎さんの方もそろそろ知ってるんじゃないかなって思って……」


 一恵が零したその一言でひづりは更に信じられない気持ちになった。


「夜不寝さんが転校すること、姉さんも知ってたんですか?」


 知らなかったのは私だけ……? じゃあ、天井花さんは? 和鼓さんは? ひづりはぐるぐると頭の中でこれまでの記憶を掘り返した。


 いや、その前に、その前にである。ひづりは最優先の考えを頭の真ん中に持って来て、それから隣の同級生の横顔をちゃんと見て訊ねた。


「夜不寝さん、本当に転校するの……?」


 確かめるべくひづりが問うと夜不寝リコはうっとうしそうに横目でこちらへ視線を寄越したがしかし否定の言葉は口にしなかった。


「そう……そうなんだ……。ど、どこ? 関東から出るの? ここから遠いなら……ここの仕事とかは、どうするの……?」


 急な事だったばかりにひづりは上手くまとまった質問が出来なかった。


 夜不寝リコはうつむいて黙り込んだまま答えなかった。


「どうして黙ってるの? っていうか……どうして転校すること、私には黙ってたの?」


 夜不寝リコが《和菓子屋たぬきつね》で働き始めたのは《火庫》や凍原坂の身を案じての事だった。《火庫》がちゃんと従業員としてまっとうな権利を与えられた状態で働いているのか、《和菓子屋たぬきつね》と凍原坂は何か不健全な間柄にあるのではないか、といった不安を自身の眼で見て確かめようとした、それがそもそもの理由のはずだった。


 もうじき、夜不寝リコが《和菓子屋たぬきつね》で働き始めてから二週間になる。《火庫》が抱えていた問題はとても良い形でまとまり、凍原坂の体調不良も《滋養付与型治癒魔術》によって少しずつだが改善が見られていた。全部が全部己の成果だと自惚れてはいないが、それでもひづりは下手を打ってはいないはずだとこの二週間の己の行動を自分なりに評価していた。夜不寝リコが当初抱いていたであろうその懸念を少しは取り払う事に成功していっているんじゃないか、と、そんな風にも思っていた。


 だから、今月で以って彼女が綾里高を転校してしまうというのなら、同僚としてあの悪党店主の許で二週間を過ごしたのだ、軽く触れる程度でも教えてくれてよかったんじゃないか、と思えた。


 だが、ちょっといじけた様に言ったひづりに、夜不寝リコは俄に目をかっと大きく見開いて振り返りひづりの胸倉をぐいと掴んで怒鳴った。


「あんたの、せいだろうが……!!」


 それは今まで彼女が見せたどんな敵対的な眼差しより迫力があって、ひづりは思わず喉が詰まりすぐに返事が出来なかった。


「……わ……私の、せい…………?」


 すると夜不寝リコはハッと我に返った様に瞬きをして、自分達に集まってしまっているフロア中の視線に気まずそうにし、それからゆっくりとひづりのブラウスから手を離した。


 店内の空気を上手く繕える自信はなかったがそれでも「ちゃんと後で話をしよう」くらいは言わなくては、とひづりは胸元を直しながら夜不寝リコに声を掛けようとした。


 その時だった。






 ──ガチャンッ! パリンッ!






 静まり返った店内に食器の割れる甲高い音が響いた。


「え……えっ? え!?」


「うわっ!?」


 俄に店内がざわめき、続けて何だ何だと客らが席を隔てる格子から顔を覗かせて音の出所を見やった。


「《火庫》!?」


 凍原坂が悲鳴に近い声を上げながら爆発するように立ち上がった。ひづりもその視線の先を見て血の気が失せた。


 通路の突き当たり。従業員室へ続く暖簾のすぐ手前の所で《火庫》が割れた食器の破片に囲まれて横たわっていた。









  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る