『お前の気持ちが少し分かった』 6/7




 《ボティス》の口から世間話を引き出しているとやがてタオルを被ったアサカ達が風呂場から出て来た。気付けばもう三十分経っていたらしい。途中でアサカの嬉しそうな叫び声が聞こえて来た通り、どうやら二人は落ち着いて話が出来たようで、どちらも子供の様な良い笑顔をしていた。


 それから入れ替わりに《ボティス》と《サキュバス》が風呂へ行って、こちらも三十分ほどで出て来た。そこでちょうど正午になり、一同は味醂座家のダイニングへと集まって頼朝の作った昼食を囲んだ。


「休日だからもっと長く居てくれるんだと思ったんだが、そうかぁ、ひづりちゃんもお仕事始めちゃったんだね」


 十三時が近づき《ボティス》たちが帰る頃になると、午前中眠そうにしていた頼朝も段々寂しくなって来たらしく、アサカと並んで官舎ひづりたちの帰宅を惜しがった。


「お昼、とっても美味しかったです。また頂戴しに来ますよ。アサカも髪、ありがとうね」


 幼稚園の頃から帰り際になると大体こうした顔になる味醂座父娘に、官舎ひづりはにっこりと笑いながらそんな事を言った。


 アサカと官舎ひづりにとって今日の散歩はいつも以上にとても有意義な時間になったようだった。




『では《ボティス》、最後に確認だ。《願望召喚》を行っている《天界》の主犯格の特定に成功したら、お前はすぐ俺に《交信》で合図をしてくれ。味醂座家と《和菓子屋たぬきつね》程度の距離なら、会話は難しくても犯人の名前くらいは伝えられるだろう。それを以って俺はこの現状を《冥王様》へと伝える。そしてお前がある程度奴らの無力化に成功したなら、改めて俺を《転移魔術》でその場へ連れ出してくれ。約束通り《霊門の枷》を発動し、奴らをまとめて《冥界》へと投獄する』




 俺と《ボティス》にとってもそれは同じだった。俺の《魔性》が勝手に切り離され《人間界》に呼び出されるようになって数十年。これまでの事、これからの事についてこれほど多くの情報交換が叶ったのは今日が初めてだった。しかも窮地にある《ボティス》の役に立てたとなれば、これほど喜ばしい事はない。




『よろしく頼む。わしも今後時期を見てひづりと話し、《天界》から護るという名目でアサカの周辺を見守る手筈を整える。アサカの無事はひづりの精神衛生にも関わるからの、安心せよ、手は抜かん』




 朝方に味醂座家へ来た時の格好に着替えすっかり帰る仕度を済ませた《ボティス》は相変わらず得意げな顔でひづりと《サキュバス》の間に立ってふんぞり返っていた。


 アサカ達の会話はもうじき終わるだろう。そして官舎ひづりも《ボティス》も帰って、次に俺と《ボティス》がこうして会えるのは恐らく彼女がこの一件の主犯格を捕らえた時となる。


 それがいつになるのか、今はまだきっと誰も知らないのだ。




『……《ボティス》。例の件、俺の方から一つ条件を足しても良いか』




 気付けば俺は衝動のままそう口にしていた。


 《ボティス》はアインの中に居る俺を見て微かに目を細めた。




『このタイミングでか。ずいぶん強かではないか』




 俺は思わず眼を逸らした。あぁやってしまった、と思った。別れ際の今になって条件を足すなんて卑怯だ。分かっている。


 だが今言わなくては二度とその機会は無いのだと思うともう引っ込みがつかなかった。




『すまない。重要な事だから、どうしてもお前には頷いて貰わないと困るんだ』




 すると《ボティス》は一拍置いて、それから小さく溜め息を零した。




『よい。時間も無い。言うてみよ』




『来月も、アインの散歩に付き合ってくれないか。お前との会話は心地が良いんだ。これきりというのはあんまりだ』




 食い気味に、そして早口に俺は伝えた。


 《ボティス》の身の上を考えるならこんな要求をするべきではないと分かっている。しかし遠い遠い時間と土地の果てに再会した知己との会話がこんなにも愛おしくまた底もなく欲してしまうものだと思っていなかった俺はこの溢れ出る感情を制御する術を知らなかった。




 《ボティス》は官舎ひづりたちに向けた表情を変えないまま、俺への《交信》で大笑いした。それはもう、隣の《サキュバス》にうっかり聞こえてしまうんじゃないかという大声だった。




『ふはははは!! 此度の同伴はたぬこの湯治を理由に連れなってもらったのじゃぞ。月に一度しか無いひづりとアサカの二人きりの時間を、今後もこのわしに邪魔し続けよと言うか! ふはははは!! そんな事をすればわしがこやつらに恨まれてしまうではないか!!』




 俺は肩を竦めた。彼女の言う通りだ。今俺が言ったのは、アサカと官舎ひづりの二人きりの時間に今後も割って入ってくれないか、と言ったも同然だったからだ。それにそもそも《天界》に《俺》の存在を知られないためには《ボティス》との接触もこれを最後にするくらいの気持ちでいなければならないのだ。


 懐かしい知己と再会出来た喜びのあまりつい口をついて出たとは言え、実に身勝手で衝動に任せた発言だったと反省した。


 しかし、俺が『すまない、忘れてくれ』と言おうとしたところで、《ボティス》は俄に手の甲で官舎ひづりの腰を軽く叩いた。


「おい、ひづり」


「なんですか天井花さん」


 《契約者》の顔を見上げ、《ボティス》はフッと笑った。


「此度のお主らとの散歩、わしは大いに気に入った。やはり月に一度くらいは体を動かす日を決めておきたい。たぬこもアインの世話は愉快な様じゃ。故に、来月からはこの散歩の日を月二回とし、うちの一回は今日の様にわしとたぬこにも参加させよ」


 《ボティス》のその提案に官舎ひづりとアサカは目を丸くした。


「え、ど、どうしたんですかいきなり?」


「ならぬか? 《火庫》とリコももう十分仕事に慣れたであろうし、そろそろお主の土日の出勤を減らすのも良い頃合であろう、と考えておったのじゃが」


 戸惑いながらも官舎ひづりは口元に手を当てて考え込み、それからちらりとアサカと頼朝の方を見た。


「それは……まぁ……出勤日の事は大丈夫かもしれませんけど……。でも、アサカの家の方にも都合があるでしょうし……」


 するとアサカは、びん、と俄に背筋を伸ばしてそれから一歩前に踏み出した。


「だ、大丈夫です! 私は全然大丈夫だよ!! アインもきっと喜ぶよ!!」


 興奮気味のアサカに《ボティス》は頷いて見せた。


「では決まりじゃな」


 そして《ボティス》は一瞬だけその笑みをこちらにも向けた。




『今日お主とは《霊門の枷》についてだけ話を取り付けられれば良いと思うておった。それを……お主が勝手に喋った事ではあるが、《願望召喚》についての情報と考察まで貰うてしもうた。これはその代じゃ。お主の徳じゃ。享受せよ』




 そう言い残すと《ボティス》は官舎ひづりや《サキュバス》と共に味醂座父娘に別れを告げ、踵を返し、長い白髪を揺らしながら帰って行った。




『ありがとう、《ボティス》……』




 そう伝えた《交信》に彼女は返事をせず、やがて会話可能な範囲を外れた。


 三千年前に先代の《ボティス》と話をしていた時の《ソロモン王》もこんな気持ちだったのだろうか、と俺は想像した。


 中庭で浴びる明るい午後の太陽の光がいつもよりずっと心地良い気がした。











  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る