『縛りあげる物』



「わぁ~! 二人ともとっても可愛いわ!」


 翌日の放課後、《和菓子屋たぬきつね》の休憩室にはメイド服に身を包んだ夜不寝リコと《火庫》の姿があった。


「えへ、ほんとですかぁ~? ありがとうございます~!」


 一応恥ずかしい、という体で応じながら、夜不寝リコはその秋葉原の路上に居そうな布面積の少ないメイド服のフリルをひらひらと揺らしながら可愛らしくポーズなどとって見せた。


「動きづらくはありません。サイズも、わっちにぴったりのようです」


 その隣で《火庫》は控えめに手を広げたり腰を捻ったりして、こちらは一転してパンプスに届く程のロングスカートに、長袖が手首まですっぽりと覆う、クラシカルなメイド服を身に着けていた。


 それぞれ着用者の人柄にかっちりと合ったその対照的な二つのメイド服は言わずもがな店主の吉備ちよこが用意した物で、そして可愛らしい格好の《火庫》を前にしながらひづりが低めのテンションで居るのは、他でもなく二人が明日からこの格好で《和菓子屋たぬきつね》のフロアを従業員として歩き回るからだった。


「初めて見た時から《火庫》ちゃんは絶対英国式のメイドさん似合うだろうな、って思ってて~! いつか着せたいな~って思ってたの! こんなに早く願いが叶うなんて思ってなかったから、とっても嬉しいわ~!」


 ちよこは誰よりでかい声ではしゃぎながら、念願だったというそのメイド服の《火庫》を背後からぎゅうと抱きしめ、リボンのついた白いカチューシャに顎をうずめた。


 七月の就労時からひづりが一貫して綾里高の制服にエプロンと三角巾という出で立ちで居るように、《和菓子屋たぬきつね》の従業員は必ずしも和服でなくてはいけないという事はなかったのだが、しかしそれは別に従業員に制服選択の自由がある訳ではなくて、天井花イナリが今なお和服に子供用のメイドエプロンという装いを強要されている様に、単に店内に於いて全ての衣装決定権は経営者である吉備ちよこが所有しているというだけの事であって、夜不寝リコにあてがわれた様な如何にも一部の層に媚びた衣装が従業員の制服に採用されようと、着用する本人達が不満を言わないのであれば、同じただの従業員であるひづりには口出しする権利など無かった。それに天井花イナリと和鼓たぬこ両名の《契約者》として《和菓子屋たぬきつね》で働くと決意し、最早軽々に店を辞める訳にもいかなくなった立場上、下手な事を言えばこちらまでメイド服の着用を強要されかねないので、比較的良識人であるサトオが止めない程度の制服チョイスであれば、ひづりはもうただ墓石の様に黙っているしかなかった。


「どう……でしょう、リコさん。わっち、似合ってるでしょうか……?」


「うん、《火庫》、よく似合ってるよ。春兄さんも間違いなく可愛いって言うよ」


 ちよこに引っ付かれたまま感想を窺う様にちらりと見上げてきた《火庫》に、夜不寝リコはお姉さんらしい……いや、関係としては叔母なのだったか、ともかくにんまりと柔らかな笑みを返した。学校ではあまり見かけない種類の表情だった。


「そう……そう、ですか……。ふふ……」


 《火庫》は俄に正面を向いて顔を赤くして、それから胸元で両手の指を絡ませながら小さく笑った。このあと凍原坂が迎えに来るのがどうしようもなく楽しみだ、という幸せそうな顔だった。


「そうだわ、写真撮らなくっちゃ! ああん、昨日使ったデジカメそのまま置いておけばよかった! ごめんなさいね、二人ともちょっとだけ待っててね~!」


 そう言ってちよこは急いで草履を脱ぐと吉備夫婦の私物がしまいこんである二階へと駆けて行った。


 ちよこの姿がぎいぎいと音の鳴る階段の奥へ消えるなり、夜不寝リコはそばの柱に寄りかかって腕を組み、それから意図的にひづりとは反対の方角へ視線を投げた。《火庫》はまだ想像に耽っているらしく、赤くしたままの顔でどこを見るでもなくぼーっとしていた。


 職場でメイド服を着て突っ立っている昨日いきなり同僚になったたいして仲の良くないクラスメイトと、母の知人の娘。そんな二人を前にひづりはぽつんと独り取り残されて居心地の悪さについ肩を竦めたが、しかしそうしたところでふと夜不寝リコに話しておかねばならなかった事があったのを思い出し、顔を上げた。


 他でもない、アサカたちに秘密にしておかなくてはいけない、その件についてだ。


「夜不寝さん。天井花さんが《悪魔》だって事や、このお店の事……学校の皆には秘密にしてて欲しいんだ」


 二階からがちゃがちゃと荷物をひっくり返す音がまばらに落ちてくる中、ひづりは夜不寝リコに申し出た。


 夜不寝リコはやや眼を細めてひづりを振り返った。


「……今日ずっとウチの方見てたのは、その話がしたかったから?」


 見透かした様な態度にひづりは驚いてつい目を丸くした。


「わかってたの……?」


 ひづりは今日、彼女と学校でこの話をするつもりだった。それも出来ればホームルーム前や、無理ならそのあとくらいに。


 しかし職場が同じになると言ったって、それで急に各々の学校での生活リズムがぴたりと合う訳がなかった。夜不寝リコは常に傍らに友人が居るような生徒であったし、今日は学校でひづりに声を掛けては来なかった。お互い店へ顔を出さなくてはいけないので放課後の電車も同一方向でありながらしかし彼女はひづりとは別の車両に乗っていたようだったし、店で会った時もちよこや天井花イナリの手前であろう形ばかりの挨拶をして来ただけだったので、ひづりが夜不寝リコとこうしてちゃんと口を利いたのは実に昨日ぶりであり、彼女と《和菓子屋たぬきつね》に関する話が出来るタイミングも、結局店に到着して休憩室に鞄を下ろすなりちよこが二着のメイド服を持って来た今の今まで見出せなかったのだ。


「そりゃ気づくでしょ。……《悪魔》が見えるとか、《妖怪》が見えるとか、そんな話、どれだけ仲良くったってしないし……学校でも秘密にしてんだろうなって、それくらい分かるよ」


 特に難しいことでもない、という風に、夜不寝リコは自身の手に並んでいるつやめいた爪など眺めながら言った。


 そこでひづりは、そうか、夜不寝さんは子供の頃から《妖怪が見えていた》から、こちらがそういう秘密にしたがっている気持ちなんかも自然と分かってしまうのか、と腑に落ちた。


「春兄さんや《火庫》のために首突っ込む形になったけど、別に官舎さんには興味ないし。いいよ。味醂座さんとかに感づかれない様にはする。これからもウチは学校で官舎さんに話しかけないし、官舎さんもそれでいいでしょ。……その代わり、ウチの家の事も、学校では黙っててよ」


 淡々とそう続けるなり、夜不寝リコはまたそっぽを向いて唇を一文字に結んでしまった。


 話せばいくらか揉めたりするのだろうか……と勝手に想像していた自身に恥じ入りつつ、ひづりは夜不寝リコに頭を下げた。


「分かった、ありがとう、私も気をつける──」


 と、そのとき丁度階段がまた慌しくぎいぎいと鳴って、ちよこが休憩室に戻って来た。


「……じゃあ、そういうことで」


 柱から素早く体を離して先ほどと同じ媚びの効いた立ち方に戻ると、夜不寝リコは潜めた声音でひづりとの会話を締めくくった。


「お待たせー! じゃあ撮るわよ! はい、ぴーすぴーす!!」


 ちよこはひづりの隣へ戻ってくるなり足を開いて腰を落とし、新たに《和菓子屋たぬきつね》に加わったメイド服従業員二人を……片方はまだ仕事に出てすらいないが、パシャリパシャリと撮り始めた。《火庫》は言われるがままピースサインをして、夜不寝リコは一回カメラのシャッター音が鳴る度に雑誌モデルのようにポーズを変えてみせた。


「あー良い! とっても良いわよ~二人とも! リコちゃんちょっとスカート持ち上げてみよっか! そう! その角度いいわよ~!」


 離れてその様子を眺めつつ、もしかしてこの今撮ってる写真を法外な値段でお客さんに売ったりしないよな……? とひづりは割と現実にありえそうな店の行く末を案じた。


「……でもぉ、やっぱりちょっと恥ずかしいですね、この格好で働くって……。あ、いえ、別に嫌とかじゃないんですけどぉ……。ほら、ウチの服、なんかちょっと合わなくて……腰周りとかもなんか、ワンサイズ上っていうかぁ……」


 一旦撮影した映像データの確認に入ったちよこの傍ら、夜不寝リコは改めて胸中に羞恥心を認めたのか、その大きく開いた胸元の生地をつまんだり、丈の短いスカートを少し上にずらして見せたりした。確かに、まるで着せ替え人形の様にぴたりと合っている《火庫》と違って、夜不寝リコの方は一回りほど寸が余って見えた。


「あぁ、リコちゃんのはそれしょうがないの、ひづり用に買ったやつだから~」


「は?」


 ひづりと夜不寝リコはほぼ同時にちよこを振り返った。彼女はデジタルカメラの画面を見ていたが、二人の視線が鋭く自分に刺さっているのに気づくとおもむろに顔を上げ、にっこりと笑った。


「だから、最初ひづり用に買ったんだけど、やっぱり女子高生っていうブランドを最大限に活かすなら学生服にエプロンと三角巾かなぁ~! って思って、ずっと箪笥にしまってたの! うふ、でも安心してリコちゃん! もう昨日採寸したやつで注文してあるから、明日にはリコちゃんのサイズぴったりのが届くわ!! 今日の撮影はひとまず《火庫》ちゃんのが届いた、その記念って事で!!」


 夜不寝リコは聞いているのか聞いていないのか無言でうつむいて、それからもう一度自身のわき腹の辺りで少々余っている生地を摘んで引っ張ると、ひづりを振り返って一瞬にやりと得意げな顔をした。……なんだよ。


 何の意図があってか出し抜けにひづりと夜不寝リコの間に火と油を放り込んだちよこは、しかし悪びれるでもなくまたカメラを顔にくっつけてメイド服二人の撮影に戻った。


「おい、いつまでやっておるのか」


 するとフロアに繋がる暖簾をくぐって天井花イナリが不機嫌そうな顔を覗かせた。あ、と気づいてひづりは腕時計を見た。ひづりと夜不寝リコが店に着いてから既に三十分ほども経っていた。本来なら今日店へ到着するなりすぐ夜不寝リコの研修が始まる予定だったのだが、ちよこの「届いたメイド服を火庫ちゃんにあてがいたいの~」という頼みを聞いて天井花イナリは今の今まで繁忙時間を過ぎた《和菓子屋たぬきつね》の店番をしてくれていたのだった。


「ちよこ、もう気が済んだであろう。《火庫》、店番を代われ。リコはもう出られるか。明日から店へ出るのであろう、覚える事は多いぞ」


 天井花イナリは傍らに《火庫》を呼びつけるなりその風貌をざっと頭の先から爪先まで確認して、それから夜不寝リコに声を投げた。夜不寝リコは糸を通したビーズのようにいきなり背筋を伸ばして「はい!」と強張った返事をした。


「ああ~残念……。でも明日リコちゃんのメイド服も届くし、そのときまた撮ればいっか」


 メイド服の《火庫》と夜不寝リコがフロアに出て行くと、ひづりと二人残された休憩室でちよこはぶつぶつ言いながらまたデジカメの画面を見下ろした。


「……姉さん、あのメイド服って、値段結構するんじゃないの?」


 この際、実姉が自分に着させようとメイド服を購入していた、という少々応える話は置いておいて、ひづりはひとまず夜不寝リコと《火庫》が着させられていたぱっと見でも決して安い作りではないと分かるメイド服二着について問い詰めた。従業員に着させる高額な衣装を私的な理由で購入しつつ、その代金を凍原坂に請求する、くらいのことなら、この姉は普通にやるからだ。


「それは…………あら?」


 ちよこが顔を上げて振り返ったのと同時に、彼女の着物の帯に挟んであったスマートフォンが、ぴぽん、ぴぽん、とくぐもった音を鳴らした。電話が掛かってきた時の着信音だった。


「…………?」


 しかしちよこはすぐには電話に出ず、スマートフォンを指先でちょんと摘んで帯から半分ほど引っ張り出し、着信画面をひづりからは見えないようこっそりと確認するようにして、それからようやくちゃんと手に取って耳に当てた。


「はい、ちよこです。あ、はぁい、ええ、ええ、大丈夫です大丈夫です、こちらでちゃんと男手は手配してありますから。ええ、では明日よろしくお願いしますね。……え? ええ、それはもう勿論……はい、ではでは~……」


 そして十秒も話さない間にちよこは、ぴっ、と通話終了の操作をしてスマートフォンをまた帯に突っ込み、改めてひづりに微笑んだ。


「それでえーと、何の話だったっけ?」


「今の電話、誰から?」


 訊ねると、ちよこはその笑顔を強めた。


「ええ? 誰からって、何が?」


 ……白々しい。『妹が居る前で掛かって来られたら困る相手からの電話だった』みたいな素振りを露骨にしておいて、分からないフリが通じると思っているわけでもないだろうに。


 ちよこはさも困った様に首を傾げ、眉を八の字にして片手を顎へ当てたが、やがてにわかに何かひらめいたという顔になって、うふふ、と笑った。


「ああっ、今のはメイド服同好会のお友達からだよ~! メイド服はね、今回も格安で仕立ててもらったから、費用はそんなに高額にはならなかったの。うふふ、もしかしてひづりは、お姉ちゃんがあのメイド服の注文費用とかを凍原坂さんにふっかけようと思ってるとか、そんなこと疑ってたのかな!? 残念でした! 今回は全部お姉ちゃんの自腹です~!! 気が済んだかな? お姉ちゃんはこれから食器洗いのお仕事があるんだけどね!」


 そう言ってちよこはもたもた襷掛けをしながら、普段の振る舞いを思えば到底考えられない様なやる気に満ちた労働宣言をその口から飛び出させた。


 絶対に何か企んでいる。この顔は、間違いなく悪い事を考えている時の顔だ。《火庫》や夜不寝リコを《和菓子屋たぬきつね》に抱え込むと言った時と同じような。


 ……しかし。


「分かったよ……邪魔してごめん」


 姉が何かしらの悪だくみをしていると気づきこそすれ、証拠は今のところ何もなく、何をする気かさえ分からない以上、乱暴に先ほどの通話履歴を見せろとも言えず、また張り切って食器洗いの仕事に向かう姉の邪魔をするのも気が引けたので、ひづりはどうにも心残りには思いつつも今回は引き下がる事にした。


 フロアに出ると店内には三人ほど客が居て、《火庫》と夜不寝リコの格好を珍しがっていた。


 せめて姉さんが何をする気でいるのか、分かればいいんだけどな……。背後の休憩室を想い、ひづりは人知れず深いため息を零した。おそらく自分はまたしても姉の後手に回っている。それだけは嫌な確信として胸に痞えている。


 だが姉が夜不寝リコを利用して一体何を始めようとしているのか、それが分からない事には、想像が付かない事には、自分にはきっとあの悪魔より悪魔のような思考をする姉に対して何も出来ない気がする。恐れている最悪の事態へ向かうその流れを、官舎ひづりは変えられない気がする。


「……私は、良い妹かな……」


 誰に問うでもなく、ひづりの口唇からまた独り言が落ちた。












  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る