『怪しい男の怪しい話』





 あの女が人助けなどするものか。詐欺か。うそだろう、詐欺師より詐欺師してるこの姉が詐欺師に捕まったのか。などなど頭の中に割と汚めの言葉が錯綜していたが、ひづりはやがて我に返るとおもむろにその凍原坂と名乗った男へ言葉を返した。


「ええ、はい、私が官舎ひづりです。母がご迷惑を。姉がご迷惑を。で、ご用件はなんでしょうか。もし詐欺やいかがわしい商売の勧誘等を考えているのでしたら今すぐお帰り願います」


「もう! ひづりったら何言ってるの! 失礼でしょ凍原坂さんに!!」


「いや、だから誰なんだよ。あの母さんが人助けなんてするわけないだろ。何だ、母さんに金を貸してたとかそういうんで来た輩だろう」


「だから違うんだってば! 本当に、母さんとは《悪魔》のことで昔ちょっとあった人なのー!」


 ちよこは何やら懸命に説明してくる。だが気色が悪い。吉備ちよこは今、この凍原坂という男に対し、懐いているようなフリをしている。そういう人柄を演じて、凍原坂から何かを得ようとしている。それがひづりには透けて見えていた。


 しかし《悪魔》と言われたら、ひづりも飲み込まざるを得ない現実はあった。何せ実際にその母が召喚したという《悪魔》と、ひづりはこの和菓子屋でもう一週間以上一緒に仕事をしているのだから。


 《悪魔》が実在する事を知っているし、何なら同僚だし、そしてそんな血縁者の知人だという中年男性が《悪魔》を二人も連れて来た。


 母が人助けをした、という部分があまりに信じられなさ過ぎるせいで半分以上懐疑的だったが、ひづりはとりあえず軽く、本当に軽くだけ握手をして離した。


 凍原坂は寂しそうな顔をしていたが、知った事ではない。母がらみで事が起こるだけでも今までさんざん面倒が多かったのに、今度は姉まで関わっているとなれば、油断などする訳がなかった。


 飛び掛って殺そうとした天井花さんの判断が一体何から来たものなのかは量りかねるが、あの瞬間、彼女にはそうするだけの理由があったのだ。店で彼女があの剣を出したのはひづりが働き始めた初日、あの緑の上着の口の悪い中年女を追い払った時以来だった。


 母より姉より、ひづりは天井花イナリという先輩従業員の行動の方をこそ信じていた。








 凍原坂春路。四十三歳。独身。都内の大学でもう十年ほど助教授をしながら数学の研究にも勤しんでいる。連れている二人の少女の名前は《フラウ》と《火庫かこ》。


 勤める大学はかつてひづりの母も卒業した所で、たまたま帰国していた母が当時、内容は知らないが用事だとかでかつての学び舎に寄ったところ、とある問題を抱えていた彼とたまたま知り合い、その際に彼女が助け舟を出してくれたという。


 嘘くさい。ひづりの感想はやはりそれだった。一応今日彼が店に来るという事は事前にちよこと連絡が交わされていたというが、しかしそのちよこがひづりや天井花イナリにそれを伝え忘れていた、という部分も、また怪しいのである。サボり続けるのが仕事のような姉とは言え、来客の事を天井花イナリにすら伝え忘れるなどあるだろうか。


「万里子さんとはそれ以来会えていなくて、連絡も取っていませんでしたし、共通の友人なども居なかったので……亡くなられたと知ったのは、大学で万里子さんと親しかった方からごく最近、たまたま聞いてなのです……」


 彼は葬儀に参列出来なかった事を悔い、それゆえにせめて謝罪と、当時助けてもらった事への感謝の気持ちを伝えに今日、《和菓子屋たぬきつね》へ来たらしかった。


 ひづりは彼の一挙一動を観察していた。そして何より語る言葉。相続だとか、経済的な話を始めたら決定だ、と見ていた。


 この店は私が守る。姉夫婦のことはまぁ良いとしても、天井花さんと和鼓さんの居場所であるこの和菓子屋だけはどんな手段を使ってでも守る、とひづりは心に決めていた。


 だから油断はしない。安易に同調もしない。情報を見て聞いて、正解を見極める。


 しかし。


 そんな固い決意を抱くひづりの心を唯一揺るがすものが、その睨みつけている凍原坂春路のすぐ足元に二つもあり、正直言ってそれがかなり、実にかなりの強敵だった。


「ふんっ……ふすー……」


「すー……すー……」


 畳部屋の真ん中を区切るように置かれている、漆塗りで横長の、足の短い木の机。それを挟んでちよことひづり、そして凍原坂たちが居たのだが……。


 寝ている。寝ている。寝て、いる……。ひづりの視線はまたちらり、とそちらに移ってしまう。


 畳部屋に入ってから数分した頃だった。次第に《フラウ》と《火庫》の様子がおかしくなった。見るからに眠そうで、ふらふらと体を揺らしたり、眼を閉じたまま倒れそうになっていた。それを見た凍原坂はにわかに「失礼」と言って足を崩し、自身の胡坐を掻いたその両足の太ももに、それぞれ左右に座っていた彼女達の頭を乗せて枕にしてやったのだ。するともうそれきりだった。《フラウ》と《火庫》はぐっすりと、それはもうぐっすりと、まるで飼い主のベッドで眠る猫のように安心しきった様子で凍原坂の膝を枕に眠り始めて、まるで起きないのであった。


 凍原坂の話は続いていたが、その間も低い漆塗りの机の端から見切れている二人の、その、まるで猫の様な二人の少女の寝顔はあまりに可愛らしく、特に猫好きなひづりには少々、いやかなり酷な光景だった。


 撫でて、撫でてみてもいいですか……。と、口からそんな願望が漏れてしまいそうになる。その母との話を一旦中断して、いや本当にちょっとでいいので、そのでっかい猫ちゃんたち、触ってもいいですか、とお願いしたい。店を守るという固い決意こそ辛うじて崩れずにいたが、しかしひづりの理性はもう中々に危ないところにまで来ていた。


 するとひづりがあまりに二人をちらちらと見るので、逆に凍原坂の方が気づいてしまったようで、表情を崩して照れくさそうに語った。


「気になりますよね。二人とも、こうしてよく昼寝をするんです。所も構わず、申し訳ありません」


 ひづりは我に返ってしゃんと背筋を伸ばした。


「いえ。それより、その、《妖怪》についての話、続けてください」


 警戒心警戒心。ひづりはまっすぐに凍原坂を見返して続きを促した。


 そう、机の上を行き交う会話の内容は今、まさにその『官舎万里子が彼の命を救った件』について、始まっていた。




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