第11話 『温泉旅行は皆で』





「たぬこ。どうにか落ち着いてきたようじゃの? うむ、立派であるぞ。さすがはわしのたぬこよ。引き続きそうして袖に掴まっておれ。どれ、もう半分は過ぎたようじゃ。耐えるのも、もうじきのことぞ?」


 袖、というよりほぼ腕に抱きつくようにしている和鼓たぬこの頭を、よしよし、と撫で、天井花イナリはまた優しく彼女をあやしていた。確かに新幹線に乗り込んだ瞬間より、幾分か和鼓たぬこの心の落ち着きは取り戻されているようだった。


 視線を上げ、ひづりは窓を見る。今は彼方に山々の連なる田園風景が流れており、そこにまばらな民家が並び、沿うように走る曲がりくねった道路が樹木に隠れたり現れたりを繰り返しながら続いていた。


 ひづり、天井花イナリ、和鼓たぬこ、吉備ちよこ、吉備サトオ、凍原坂春路、《フラウ》、《火庫》、花札千登勢。総勢九名を乗せた新幹線は定刻通り目的地である岩国市へと向かっていた。結構な距離の、それもひづりとしてはこれほど大勢での旅は初めてである。


 今回この旅行を最初に提案したのは、意外にも花札千登勢だった。








 《和菓子屋たぬきつね》の店内で花札千登勢が出し抜けに『ひづりを養子に貰う』と言って《ヒガンバナ》を出すも敗走し、そしてひづりと和解したあの日から三日後の事だった。天気は晴れで、《和菓子屋たぬきつね》はいつも通りの営業日。じきに昼の休憩時間に入ろうというところで、彼女は店に現れた。


「千登勢さん! いらっしゃい! 来てくれたんですね! 足、もう良いんですか?」


 天井花イナリに通され、呼ばれて出てきたひづりに笑顔で出迎えられると彼女は一瞬とても嬉しそうな顔をしたが、すぐにまた緊張の色を取り戻した。先日の店内でのことがあってだろう、少々落ち着かない様子で姿勢を正し、そのあと出て来たちよこに丁寧なおじぎをした。


「今日は、先日のお詫びにと思いまして……これを……」


 通された畳部屋で彼女は申し訳なさそうにしつつ、一枚のチケット袋を机の上にそっと置いた。向かいに座るちよことひづりは顔を見合わせたあと、その中を検めて、驚いた。


 それは十人分の宿泊旅行のチケットだった。それも観光地中心にある上等な宿の高級部屋の宿泊費と、行き帰りの旅費も全て込みのものであった。


「知人から貰った物なのですが、よろしかったら、吉備家と官舎家の皆さんで、ご友人もお誘い併せになって、どうぞお使いになってくださいませんか」


 千登勢はそうちよこに真摯な表情で言った後、またひづりと視線を合わせてにわかに優しい顔をした。


「まぁまぁ。ありがとうございます。ええ、うちの店であれほどの騒ぎを起こしてくれたんですものね。本当にもう、大変な迷惑でしたわ。ただ、ありがたく頂戴しますけど、これくらいで許されるなんて思わないでく」


 そそくさとチケットを袖の下に隠しながら言ったちよこの頭を引っぱたき「姉さんはちょっと黙ってて」とチケットを奪い返すと、ひづりはそれを再びテーブルの上に丁寧に戻して千登勢に訊ねた。


「とても嬉しいですけど、良いんですか? ご友人から頂いたものなんでしょう? やはり千登勢さんがご家族やご友人と行かれるべきでは?」


 すると千登勢はまだ緊張で肩を少々強張らせつつも、柔らかい笑顔で答えた。


「いいえ、いいえ。良いんですの。お詫びとしてももちろんそうなのですが……わたくし、やっぱりひづりちゃんにはご家族やお友達と、楽しい時間をたくさん過ごして欲しいんですの。わたくしに出来るのはきっとこういったことばかりですから……どうか、受け取って欲しいんですの」


 おもむろにチケット袋を手に取ると彼女は今度はそれを直接ひづりに差し出して来た。


 逡巡した。千登勢さんがそうまで言うならやはり受け取ってあげたいと思う。もちろん、姉がではなく、自分がちゃんと、彼女のその気持ちに応えてあげたい。


 けれど、それなら……。


 ひづりはにわかに立ち上がった。それから畳部屋の中心にある机を迂回すると、千登勢の隣に座り込んだ。


 急なことに思わずかチケット袋を胸の前に引っ込めて千登勢は眼を丸くしていたが、ひづりは構わずそんな彼女の隣に正座をすると、言った。


「その旅行、私は誰を誘っても良いんですね?」


 訊ねると、千登勢は我に返ったか、きちんと隣のひづりに向かい合う形に座り直して、三度、それを差し出して来た。


「はい。どなたでも、ひづりさんが一緒に行きたい皆さんで!」


「じゃあ千登勢さんにも一緒に来てもらいますね」


 差し出されていたチケットを両手で丁寧に、かつ素早く受け取り、ひづりはそう言い切った。


「……え」


 チケット袋を失った手を宙に浮かせたまま、千登勢は声を漏らした。


「誰を誘っても良いって言いました。ご家族で、とも言いました。千登勢さんは叔母なので、家族でしょう。前言撤回はさせませんよ」


 したり顔でひづりはちょっと意地悪く言ってみせた。


「ちょっ、ちょっと待ってひづり! お姉ちゃん反対だよ!? チケットは貰おう!! うん!! でもその人を連れて行く必要はないよ! 叔母は親戚であって家族では――」


「うるさい。姉さんの意見は聞いてない。それに何? 店に迷惑が掛かった? 掛かってないでしょ、あのとき休憩時間だったんだから。物も壊れてないし、《ヒガンバナ》さんは《認識阻害魔術》で普通の人には見えてないから問題にもなってない。……っていうかあの時、食器洗いサボってたよね……? 約束が違うんじゃないかな? へええ、姉さんがこの間の続きがしたいって言うんだったら良いよ。姉さんが顔に包帯巻いて入院してる間、みんなで仲良く温泉旅行、行ってくるからさ。――どうなの?」


 ひづりの言葉の圧は凄まじく、ちよこはやがて縮こまって黙り、うつむいた。


「ひ、ひづりちゃん? お姉さんとは、仲良くしなくては駄目ですのよ……?」


「大事にしてます。これが最大限の仲良しです。やかましく吼えまわる駄犬のしつけを怠るのは愛情ではありません」


 視線を千登勢に戻し、ひづりははっきりと返した。


「では、このチケットはありがたく、《私》が、頂きます。問題はないですか」


 言うと、千登勢は少々気後れした様子ではあったが「は、はい」と嬉しそうに笑顔を浮かべた。


 そう。あなたはそういう笑顔がとてもお似合いなんですよ、千登勢さん。ひづりは自身の胸が温かくなっていくのを感じながら、叔母からの初めての贈り物を両手で大事に包むようにした。


「…………と、言いましたけど、ご都合って大丈夫でした?」


 ひづりは千登勢の都合を聞いていなかった。先に決めてしまおうとするのは、悪い癖だと自覚していた。


 が。


「はい! 親戚の葬式があろうと父が死のうと行きますわ!!」


 姪のひづりちゃんに誘われたなら行かない訳がありませんわ!! というその千登勢の気迫に逆にひづりは押されてしまった。


「わ、わかりました。……ふふ、良かったです。では、千登勢さんもご一緒で」


 その後、凍原坂春路にも連絡を入れた。日にちを言うと可能との事だったが、彼もまたずいぶんと遠慮がちな態度で「いいんですか? 私などより、お友達を誘った方が……」などと言って来たが、ひづりは彼に母の事を教えて貰った恩返しをしたいと思っていたので、向こうが無理でないなら絶対に誘おうと思っていた。だから『じゃあ、以前言っていた恩返しを私にしてください。男手が少ないので、荷物持ちとして来てください。あと《フラウ》ちゃん撫でさせてください』と冗談めかして言うと、彼は電話口の向こうで控えめにも楽しげな声で笑い、そうして以って承諾してくれた。


 しかし残念ながら、千登勢の父、要するにひづりの母方の祖父は来られないそうだった。千登勢が電話をしてくれたのだが、どうにも都合が合わないという。ほとんど話した事がなかったから、これを機に、ともひづりは思っていたが、そう何もかも上手くは行かないらしい。


 また、こちらも残念な事に、父の幸辰も予定が合わなかった。こちらはやかましいくらい電話口の向こうで後悔と悲しみを吐露して来た。……これは今日家に帰ったらだいぶ優しくしてやってなだめすかしてやらなきゃならんな、とひづりは通話を終えたスマートフォンの画面を見つめながら思った。


 結果、官舎ひづり、花札千登勢、天井花イナリ、和鼓たぬこ、吉備ちよこ、吉備サトオ、凍原坂春路、《フラウ》、《火庫》の九名での旅行となった。《ヒガンバナ》も当然千登勢について来るが、普段は《魔方陣》の向こうに隠れているうえ、おそらく実体化して出てくるような事態にもならないであろうし、そもそも実体化しても《認識阻害魔術》で普通の人には知覚出来ないので、頭数として扱わなくて済む。


 ただ十人まで枠があるので一人分もったい無いといえばそうだが、かといってアサカやハナを連れ出す訳にも行くまいとひづりは最初から思っていた。旅先である岩国市は山口県。そんな遠くに嫁入り前の娘だけをよその家庭が旅行に連れて行くというのは……まぁ付き合いの長い味醂座家なら、向こうの両親も信頼してくれているかもしれないが、それでも何かあった場合、責任の取り様がない。アサカは味醂座家の一人娘なのだ。ハナの方は家庭の事情があまり分からないし、かといってハナだけ連れて行ったら絶対にアサカが嫉妬して拗ねる。だから今回は学友は含めないことにひづりは決めていた。


 そういう訳で、《和菓子屋たぬきつね》を中心とした面々の夏休みを前にした七月最後のイベントは、岩国市の温泉旅館を拠点とした観光地巡りに決定したのだった。




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