第32話 1-29 面会

 朝の目覚めは、やはり高級なベッドと布団だと快適だ。

 わらのベッドとは違い、もう少し布団から出たく無いと言う気持ちが強く、本当は二度寝がしたかった。

 しかし、二度寝して寝過ごす訳にはいかないのだ。

 そう思い、俺はベッドから出て下着姿のまま寝室内の洗面所へと向かう。

 水道は無いが、水はかめに満たされているので、顔を洗ってさっぱりとする。

 備え付けの歯磨き用と思われる小さなブラシで歯を磨くのだが、当然ながら歯磨き粉なんてものはねぇ。

 塩も貴重らしく置いて無いから、仕方なく歯ブラシを水で濡らして歯を磨く。


 服を着込んでから寝室を出ると、既にレイとポチットは椅子に座って居たよ。

 レイは、俺の姿を見ると、プイっと顔を背けてしまう。

 ポチットは、俺の姿を見るなり、「お、おはようございます。ご主人さま」と元気な挨拶をしてきた。


「ああ、おはよう。……レイもおはよう」

「……おはようございます」


 どうやら、レイは未だ昨晩の風呂場の出来事を怒っているみたいだ。

 昨晩、故意にした事じゃ無いんだからって、さんざん謝ったのに、未だお冠とはな。

 まあ、俺が悪いのは事実なんだから、良いけどさ……。


「さあ、朝飯が運ばれてきたら、さっさと食って、迎えが来るのをロビーで待とう」

「……はい」

「は、はい。ご主人さま」


 既に、宿を出る用意は出来ている様で、忘れ物のチェックを再度してから、俺達は朝食が運ばれて来るのを無言で待った。

 いや、俺としては会話をしたかったのだが、レイが応じてくれなかったんだ。

 此奴、チョロいくせに、根に持つタイプだったのかよ。

 俺は、レイに構わずポチットと話をして食事が運ばれて来るのを待った。

 程なくして、メイドがワゴンを押して部屋へとやって来る。


 朝食は、パンと卵焼きにソーセージ、そしてお茶とジュースだった。

 パンは焼きたてで柔らかくて美味いし、ソーセージも香辛料が足らないだけで、そこそこの味だ。

 俺としては、紅茶ではなくコーヒーが欲しかった所だが贅沢は言わないよ。

 屋台には、インスタント・コーヒーが積んであるので、何時でも飲めるしな。

 レイも、黙々と朝食を食べ、ポチットも嬉しそうに「お、美味しいです」と食べている。


 朝食を済ませ、俺達は部屋を後にして一階のロビーへと階段を降る。

 ロビーには、幾つものソファーが設置されていたので、そこへ座り迎えの来るのを待つ事にした。

 昨夜のチェックインの時間には、誰もロビーには居なかったが、今朝は数人の宿泊客らしき人々も見える。

 皆、金持ちそうな服装をしていて、裕福な商人か貴族の様にも見えるが、素性はわからねぇけどな。

 唯一、ハッキリとわかる事と言えば、如何にもと言う派手な格好をした若い女を同伴している事だ。

 どうやら、この高級宿は、高級な連れ込み宿でもあったらしい。


 まあ、他人の事なので、俺には何も言えねぇが……。

 そんなロビーの情景を眺めていると、玄関の扉が開かれて俺の見知った顔の男が入って来た。

 おいおい、朝っぱらから狼男の登場かよ。

 強面の狼人族、レパードは俺達の姿を見つけると、そのまま俺達の元へとやって来た。


「キー……様。管理者様の所まで案内する。一緒に来い……来て下さい」

「ああ、あんたが案内してくれるのか。判った、案内してくれ。それと、俺達だけの時には、様を着けなくて良いからよ」

「そうか……助かる。では、行こう」

「ああ、案内してくれ。悪りぃな」

「これも仕事だ。気にするな」


 俺達は、ソファーから立ち上がって、レパードの後に続いて宿の外へと向かった。

 昨夜は暗がりで、良く見えなかったのだけど、この宿の前庭は、まるで林の様な樹木や、道の両脇には花壇の様な形で整備されている。

 この時期では、まだ花は咲いて居ない様だが、本当に良く整備された公園の様だよ。

そして、道は大きなカーブを描いており、ニヤタ通りの入り口からは宿が直接見えない様にもなっている。

 まあ、上流階級御用達の連れ込み宿としても使われているのだから、良く考えられていると言うべきか。


 夕べは、暗くてよく見えなかったけど、レパードの後ろ姿は、その巨体と共に立派な狼の尻尾が見事だった。

 尻尾と言えば、ポチットの尻尾も風呂に入って石鹸でレイが洗ったので、それまでとは見違える様に綺麗になっていた。

 尻尾だけでは無く髪の毛も、薄汚れて手入れなど全くされて居なかったのだが、それが本来の色と艶を取り戻して、さらさらの美しい小麦色になっている。

 益々、昔飼っていた犬のポチにそっくりだな。

 飼っていた犬のポチも、野良犬だったので最初は薄汚かったけど、身体をシャンプーで洗ってやったら、見違える様に綺麗な犬になったんだよ。


 そんな事を考えながら、レパードの後に続いてニヤタ通りを東へと歩いて行く。

 昨夜は夜遅くまで人通りが絶え無かった通りも、流石に朝が早いと人影も少なかった。

 何処の世界でも、歓楽街の朝は似た様な情景で、ゴミの回収やら昼から営業する食堂の仕込み作業などが見て取れる。

 このニヤタの歓楽街も、夕方からが本当の商いの時間なのだろう。

 正に、俺がラーメン屋台を営業するには相応しい場所だ。


 暫くニヤタ通りを歩いて行くと、昨夜飲んだ店、"新世界"が見えて来た。

 流石に朝早いので、誰も店の前には居らず、昨夜の喧騒けんそうが嘘の様だ。

 すると、前を歩いていたレパードが、その"新世界"と通りを挟んだ反対側の方へ歩いて行く。

 昨夜は気がつかなかったけど、"新世界"の反対側は、狭い道になっていたのだな。

 狭いと言っても、路地と言う程は細くねぇけど。

 馬車一台は、十分に通れそうな幅はあるよ。


 レパードは、その細い道へと歩いて行くので、俺達もその後を追う。

 細道をどんどんと北へ向かって歩いて行くと、その目の前に大きな鉄の格子扉が見えて来た。

 どうやら、この扉の中に管理者は居るらしい。

 格子扉の向こうは、此処も林の様に樹木が見えていて、屋敷の姿は全く見えなかった。

 レパードは、腰に下げていた鍵で鉄製の格子扉を開き、中へと入って俺達が入るのを待っている。

 俺達も後へ続いて中へ入って行くと、レパードは鉄製の格子扉を閉めてから鍵を掛ける。

 中々、厳重で流石に管理者が居る場所だし、用心棒のレパードも慣れたものだ。


 扉の中は、まるで林道の様な風景だが、道がゆったりとカーブしていて、そのカーブを曲がりきると、正面に途轍もなく大きな屋敷が見えてきた。

 それは、先ほどまで居た高級宿よりも更に立派な豪邸で、屋敷の前には噴水が設置された大きな池まで見えるよ。

 円形の池の周りを、ぐるりと道が一周していて、馬車がその道を回れば、そのまま向きを変えられる様な構造だ。

 まるで、昔見た映画に出て来た貴族の屋敷の様だな。


 俺も、キョロキョロと周りを見ながらレパードの後を追っているけど、レイやポチットも同じように周囲を見ていた。

 超豪華な、お屋敷の玄関口まで行くとレパードは大きな玄関の扉をノックして「キー様をお連れしました」と言う。

 すると、直ぐに扉が開かれ、中から背が高く白髪の男が出てきて「ご苦労さま」と言う。

 この白髪の爺さんが、俺達の会いたかった管理者なのだろうか。

 しかし、どう見ても服装が執事風に見えるし、こんな超豪華な屋敷の主が自ら玄関先で出迎える訳は無いよな。


「キー様、ようこそおいで下さいました。私めは当家の執事長を務めさせて頂いております、ティーアールと申します。以後、お見知りおきを願います」

「お、俺は、いや私は、コータ・キーです。朝早くから、失礼します」

「はい、伺っております。主様がお待ちでございますので、ささ、中へどうぞ」

「で、では失礼します」


 何だか、ポチットの様な喋り方になってしまったけど、本当に緊張するよ。

 そもそも、敬語なんて派遣社員時代に、仕方なく使っていた以来だからな。

 俺は、執事長のティーアールの後に続いて、豪華な屋敷の中へと入って行く。

 俺の後には、すでにキョロキョロからオドオドに挙動が変わっているレイとポチットが付いてきて、二人の後から狼人のレパードが付いてくる。

 玄関から屋敷の中へ入ると、そこは広々とした吹き抜けの空間で、前方には広い階段が見えた。

 ティーアールが、その広々とした玄関フロアを進んで行き、左側の部屋へと俺達を案内してくれ

、部屋の扉を開いてから室内へと案内して言った。


「此方の部屋で、少しお待ち下さいませ。唯今、主様へキー様がいらっしゃった旨をお伝えして参ります。お飲み物を用意させますので、椅子に椅子にお掛けになってお待ち下さいませ」

「は、はい。有り難うございます」


 さあ、やっと歓楽街の管理者との面会だ。

 俺は、緊張して鼓動が早くなる心臓へ手を当ててから、大きく深呼吸をするのだった。






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