第17話 絶望の壁



「さあさ、トモキ。ぐいっといってくだせぇ! しっかし龍神様とお知り合いなんてぶったまげましたなぁ!」

「次はおいらに注がせてくだせぇ! 龍神様だけじゃなく、フェルベール様とも交信できるなんてすっげぇお人だで」

「レイオットも、まさか龍神様の背に乗って帰ってくるとは思いもせんかったで! カッコよかったなぁ! おらも一度でいいから乗ってみてぇなぁ」

「馬鹿言ってんじゃねえ! おめぇは何様だ! バチがあたるで!」

「レイオットにあんなでっけぇ運命さだめがあったなんてなぁ! んっとに驚いたで! しっかしよく生きてけぇって来た!」

「今日は飲むでぇ! 酔っぱらって穴に落ちて下さ行かねえように気ぃ付けろよ!」

「ほぉら、トモキ! 男衆の言うことなんてほっといて、あたいらの料理も食べてくんさいな! こんなものしかないけど、心をこめて作ったんね! レイオットが戻ってきたのもお兄さんのおかげ、ほんにありがとう!」



 楽しい。

 めちゃくちゃ楽しい。

 誰だよ。他所者を受け入れない土地柄なんて言ったのは。

 みんなすっげぇ良い人じゃん。


「こちらこそ、こんなにしていただいてありがとうございます!」


 結局魔法のことも、ルミのことも聞くことはできなかったが、それは夜にまたレイオットさんから聞けばいい。

 なにせ今夜はレイオットさんの家に泊めてもらえることになったのだ。

 カノさんにそう言われてビクッとなってたレイオットさんが少しだけ気になったがまあいいだろう。

 ふふふ。オレは決して男好きではないが、レイオットさんの寝顔が拝めるかもしれないのだ。


 早く夜になれ。


「さあ、ぐいっと!」

「さあ! 冷めないうちにどうぞ!」


 オレは今、至福の時を過ごしている。


 長老のカノさんが宴席を用意してくれたのだ。

 村人全員を集めての大宴会。

 オレを歓迎して、という建前らしいが、本音はレイオットさんが帰ってきたからだろう。

 みんなレイオットさんが戻ってきたことに歓喜している。


 まあ本音だろうと建前だろうとどちらでもいい。

 どっちにしたところで結果楽しいことに違いはないんだから。


 もうこの瞬間だけで異世界で苦労してきたことが報われる。

 この数日、銀色キノコしか食べてなかったということもあって、感激のあまり涙を流しているくらいだ。

 温かい食事、大勢で食べる食事。

 食事ってこんなに感動する行為だったのか。


 うん、きっとそうだ。

 今までのオレが間違っていた。

 食事は作業なんかじゃない、食事こそ神聖な儀式だ。

 オレはこれから食事をするたびに今日のことを思い出し、そして感謝しよう。

 温かい食事が腹いっぱい食べられるのはあたりまえじゃないんだ、と。


 『様』なんて付けずに気軽に話しかけてほしいと願い出たことがよかったのか。

 オレの周りには村人がわんさか集まってきている。


 オレは酒などまったく飲めないのだが、この空気を壊したくなくて、杯を盛大に呷った。


「いける口ですなぁ! ささ、どうぞどうぞ!」

「だから次はおいらだってぇの!」


 楽しい。

 楽しいんだけど──


「このお酒美味しいですねっ! なんていうお酒なんですか?」


「……」


 ひそひそ

 ひそひそ


「この煮物美味しい! これなんていう食べ物なんですか!」


「……」


 ひそひそ

 ひそひそ


 オレが声を発するごとに、部屋の中が、しん、と静まり返る。


 日本から出たことがなかったオレは、言葉の壁の高さというものをここで初めて思い知らされたのだった。


 だからほんの少し疎外感を覚えてしまう。

 まるで転校生になった気分だ。

 オレは転校生になったことないけど、ルミはこんな感情を抱いていたのかもしれない。


「このお酒はバールといってこの村に伝わる特別な製造方法で造られています。原料はマテトなのですが、それもこの村の特産なのです。この煮物もマテトなのですが、気に入っていただけたようでなによりです」


「ありがとう……レイオットさん……」


 言葉が通じず戸惑うオレに、隣に座るレイオットさんが説明してくれる。


「言葉は僕が訳すからトモキさんは心配しないでください」


 やばい。

 オレ、レイオットさん無しで生きていける気がしないや。

 ビー玉とチェンジできないか、神様に相談してみよう。




 ◆




 オレが極楽を味わっているのはもはや隠す余地もないだろうが、隣にいるレイオットさんも、先ほどよりも表情が若干明るくなっているような気がする。


 それは喜ばしいことなのだが、しかし、ふとした瞬間にレイオットさんの笑顔が曇るときがある。

 オレはそれを見逃さなかった。


「レイオットさん? どこか具合でも悪いんですか? 時折険しい表情をしてますけど」

 

 オレは思い切ってそのことに触れてみた。

 回復魔法で治せるのだったらそれとなく手当てをしてあげたい。

 

 するとレイオットさんは俯きがちに口を開いた。


「……本当だったら僕、死んでいたはずなのです。それなのに、こんなに場所にいていいのかなと思ってしまうのです。運命さだめを受け入れず……」


運命さだめ……?」


「はい。僕の運命さだめは龍神様の怒りを鎮めること……こうして命がるあることを幸運と思ってよいのか……いや、思うべきなのに、明日からどう生きていけばいいのか不安を感じる僕がいるのです……」


 レイオットさんを助けたことは長老には怒られなかったけど、本人が気にするとは。

 浮かない表情の原因はこれだったのか。

 しかし深刻な悩みであることはオレにもわかる。

 やったぜラッキー! などとはいかないのが儀式を重んじる人の胸の裡なのだろう。


 こりゃ回復魔法でも治せないよな……


 運命さだめ、か……

 運命、ね……


「レイオットさん。二十五年間、のほほんと生きてきたオレにはピンとこないけど、自己を犠牲にする運命さだめってさ、もし、もしもだよ? レイオットさんがこの世界にひとりきりになってしまったとして、それでもその運命さだめに従って生きていくことができる?」


「……どういう意味……ですか?」


「大切ななにかを護りたいから決められた運命さだめに従うわけであって、護りたいなにかがなくなってしまったとき、運命さだめに従う意味ってあるのかなってこと」


「それは……僕の場合、村の人々を救うために龍神様に身を捧げるのですから、村の人が全員いなくなってしまったら僕の存在する意味自体が……あ!」


「そう。つまり、運命さだめっていかにも自分が抱えているかのように見せかけて、本当は相手があって始めて成り立つ感情に過ぎないんじゃないかな。要するに、相手がそれを望まなくなり、その必要がなくなったら放棄しても構わないってこと。放棄する、というより解放される、と言うべきかな」


 あれ?

 オレ、酔っぱらってるのかな。

 なんかすっごい喋ってない?


運命さだめから解放……」


 ま、楽しいからいっか。


「そう。運命に逆らうんじゃない。むしろ逆。レイオットさんは運命を自分の手で変えてみせたんだ。生きて龍神の背に乗って帰ってきたことによって。本来運命を全うすべきだった相手はほら、みんなレイオットさんが戻ってきて喜んでる。みんなレイオットさんのことが心配だったんだよ」


 村の人がいる方へ目を向けると、オレとレイオットさんの会話を固唾をのんで聞き入っている顔が並んでいる。


 ん~顔が妬けるように熱いな。

 こりゃ本格的に酔っぱらったか?


「みんな……」


 レイオットさんが絞り出すような声で呟いた。


 村の人たちは、オレの言葉は解らなくとも、レイオットさんの発言だけで会話の内容を理解したのだろう。 


「……トモキ殿の言うとおりじゃ。おまえは運命さだめから解放されたのじゃ。龍神様から赦されたのじゃ──」


 オレの反対側に座って話に耳を傾けていたカノさんが、レイオットさんに慈愛のこもった視線を向ける。


「──レイオットよ。これからは自由に生きよ。この先なにがあろうとも、それをおまえに背負わせるようなことだけはせん」


「カノ様……僕……」


 カノさんからの温かい視線と言葉を受けたレイオットさんが静かに涙を流した。


運命さだめから解放されたんなら生まれ変わったと思って新しい人生を楽しめばいいじゃん! ほら、みんなのところに行ってきたら?」


 正直自分でもなにを言っているのかわからない。

 酔い止めに回復魔法をかけたいところだが、また鼻血を出したら余計に迷惑をかけてしまうし、楽しい夜が終わってしまう。


 ま、こんな気分もたまにはいっか。


 心なしか晴れやかになった笑顔を浮かべて村の人の輪に入っていくレイオットさんを見て、酔っぱらうのも悪くない、とオレは杯を空にした。


 調子に乗っていろいろと語ったような気がするが、それらは自分にも言い聞かせていたのかもしれない。

 

 運命さだめは相手があって初めて成立する?

 なら、相手が見えないときには……

 

 なんにしてもあのときレイオットさんを助けたことは正解だ。


 オレもこれからは自分で運命を切り開いていかなければならないのだろう。

 相手が何者であったとしても。


「……トモキ殿。感謝申し上げる」


 カノさんが頭を下げる。


 オレはそのお返しに、カノさんの杯にバールを注いだ。



 こんな毎日ならこっちの世界もいいもんだな……


 

 しかし楽しい時間はいつまでも続かない。

 それはオレが一番よく知っている。

 オレはその運命さだめとともに生きてきた。


 オレが幸福を感じているときに必ずはやってくる。


 はいつだってオレを裏切らない。


 そしてはこれからも……


 


 その予想通り──


「カ、カノ様っ! 大変ですっ! て、帝国の軍が村にっ! その中には、きゅ、宮廷魔法師の姿もっ!」


 男が持ってきた報せにより、和やかだった場の空気は一変した。


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