第14話 目ざめた場所は





 意識が浮上する。

 闇に光が差し始めると、そこからは早かった。


 まぶたを開くまでの刹那の時間、意識を失う直前の光景が、切り取った写真のように脳の隙間に流れ込んでくる。


 圧倒的存在感を放つドラゴン。

 磔にされた美少年の悲しげな瞳。

 

 そして、その少年の白い肌を汚す大量の鮮血。

 


  ──あぁ、そうか……



 オレ……鼻血出して気を失ってたのか……

 そうすると儀式はどうなったんだろう……

 レイオットさんは無事かな……


 

「───」


 ん?

 誰か……いる……


「──でっしょ? ホントあり得ないよね! だって、自分でいうのもなんだけどビー玉よ? ビー玉。あ、ビー玉っていうのは、今の私みたいなガラスの珠のことね」

 

 ビー玉……?

 ああ、フェルベールの声か……


 あ、屋根がある……建物の中……か……?

 どこだろ、ここ……日本家屋みたいな造りだな……


「でね、そのビー玉に欲情してんのよ? ホント、どんだけって感じ! もう、丸焼きにしようかと思ったもん。みんなもなんか言ってやってよ~!」


 いったい誰となにを話してるんだ……?


 ああ、起きなきゃ……

 フェルベールにはオレもいろいろと訊きたいことが──


「ま、私が絶世の美女だから仕方がないんだけどね。だから何度も言うけどフェイオ、んと、あなたたちの言うところで龍神だっけ? その龍神の使いなんかじゃないの」


 美女……?

 なんの話だ……?

 

「トモキはガラス玉に欲情するただの変態。職業変態サラリーマン。元、だけどね。あ、サラリーマンっていうのは──」


 ──って!

 ──うぉい! オレのことじゃねぇか!

 あのときか?

 あのときのことか!?


「ちょ、ちょっと待てフェルベール! あれは欲情じゃない! あれはフェルベールの脳内スキャンの力を試しただけで──」


 オレはそのことを弁明しようと、がばりと起きてフェルベールの声の聞こえた方を見ると──


「あ。起きた」


 オレの隣に木箱が。

 そしてその上にちょこんと乗っているビー玉。


 そう。ラムネのビンとセットのあれだ。

 栓としては超役に立ってるけど、飲むときになるとかならず邪魔してくるあれ。

 ちなみに俺はキャップを外してビー玉を取り出してから飲む。最近のはキャップが外れる仕様になっているのだ。


 それはどうでもいいが、そのビー玉がたいそう立派な台座の上に乗っている。

 それもただ乗っているのではなく、台座の上に分厚く大きな座布団が敷いてあり、その中央に、ちょこん、と鎮座ましましていらっしゃるのだ。


「──なんで? なんでそんなとこに?」


 なぜビー玉のくせして崇め奉られてるんだ。


「だって私、神だもん。偉いんだもん。知らなかったの?」


 というか、どうやって移動したのだ。


「え? 神じゃないでしょ? 神の使いパシリでしょ? まあ今は変なのが浮いてるビー玉だけど」


 フェイオさんと心が通い、襲われる心配がなくなったオレは、人のことを変態サラリーマン呼ばわりする、口が悪くて役に立たないビー玉から人権を奪うことにした。

 やはり軽々しくモノに人権を与えるのは良くない。

 丁寧に接するのも気疲れするだけだし。

 孤独のあまり、ビー玉なんかを少しでも相棒と思ってしまったオレがどうかしていた。

 このビー玉からはある程度情報を仕入れられればそれでいい。


「パ、パ、パ、パシリじゃないわよっ! 私だってちゃんとした神なんだからっ! 世界で二番目に偉い神なんだからっ! 記憶が戻ったら望みを叶えてあげるって言ってるじゃない! それとビー玉ビー玉言わないで!」


「自分でも散々ビー玉ビー玉言ってたくせに! そんなに偉いんなら一番目の神にオレが帰れるよう頼んでくれよ! てか、なんでオレのポケットの中から勝手に出てきてんだよ!」


「自分でビー玉言うのはいいの!」


「いいのかよ! ならオレのことは!? オレのこと変態変態言ってたよね!? オレだって自分で変態だって自覚してるけど人に言われるのは腹が立つんですけど! ったく、だからどうやってオレのポケットから、つうかここどこ──」


 吊り上げた目のまま周囲を見渡すと、少し離れた場所に数人の人。


 ──えっ!


 その中でも一番近くにいたお婆さんと目が合ったオレは、驚いて身を縮こまらせてしまった。


 ね、念願の異世界人……

 なのにこんなお見苦しいところを見せてしまうとは……


 お婆さんはお婆さんで、ぽかんと口を開き、あっけにとられたような顔でオレのことを見ている。


「ほらトモキ。鳩豆みたいな顔してないで助けてくれた人になんか言うことないの?」


 え!

 この人たちがオレのことを!?

 

 そ、それは大変だ!


 オレは布団から出て勢いよく正座をすると、床に額を擦りつける勢いで頭を下げた。


「す、すみません! このたびはご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございませんでした! ちょっと疲れていたというか、鉄分不足だったというか、本当にありがとうございました! 介抱までしていただいて、このお礼は必ずお返しします! ──あ、申し遅れました! オ、オレはイチノセトモキと言います!」


 するとオレの後頭部に向かって


「ホントよ~。もう、だらしないったらない。トモキはなにもできないんだから肉体労働で返しなさいよ? 社会人として常識だからね? わかった?」


 フェルベールが嫌味を吐く。


 わかってるよ……

 わかってるけどなんでいちいちビー玉に──


『ん? なぁに? 全部聞こえてるんだから』


 ……。


「あと、ちゃんとフェイオにもありがとうしなさいよ? トモキ乗せてここまで飛んできてくれたんだから」


「──え! フェイオさんが? ここまで?」


 オレはフェルベールが言ったことに驚き、下げていた頭を上げてビー玉を見た。


「そうよ。トモキとレイオット乗せてきたんだから。──へへん。私の使い魔、できる子でしょ? んんん? でもどうしてフェイオがさん付けで私が呼び捨てなの……?」


 やはりオレの聞き間違いではなかった。

 オレをここまで運んできたのはフェイオさんだったようだ。


 フェイオさんが運んでくれたとは……ちょっと感激だな……

 あ。

 レイオットさんもってことは──


「じゃあ、レイオットさんは無事……」


 顔をビー玉から前に向けたオレは、改めて部屋の中にいる人物に目をやった。


 オレの正面、五メートルほど離れた場所に白髪の老婆。

 さっきオレと目が合った人だ。

 その右斜め後ろに作務衣を着た筋肉質の男。


 まさかこの筋肉男が実は女性──なんて世界じゃないよな……。

 

 そして老婆の左斜め後ろに──


「あ! レイオットさん! 無事だったんですね!」


 筋肉男と同じ作務衣姿に着替えたレイオットさんを見つけることができた。


 んん。やっぱりどう見ても女の人に見えるんだけど……。


 パッと見た感じでは具合も悪くなさそうだ。

 肌の色が白いのは……もとからだろう。


 よかった……

 

 オレと目が合うと、レイオットさんは少しだけ笑顔を浮かべてくれた──ような気がした。


 元気そうなレイオットさんの姿を見たオレは、


 『やっぱりレイオットさんを助けたことは間違いじゃなかった!』


 自分のとった行動が最高に誇らしく思えた。


 今回レイオットさんを助けたのはあくまでも成り行きだった。とはいえ、助けることを決めたのはオレだ。

 重大な局面で自分が選択した行動に後悔しなかったことは珍しい。

 今までのオレは後悔の連続だったのだ。


 これは新しいオレの人生の幕が開けたのかもしれない!

 新天地で過去のオレと決別できるかもしれない!


 助けて助けられて──。


 うん。なんだか良いことがありそうだっ!


 清々しい気持ちに酔いしれていたとき、ふと、隣のビー玉から優しく微笑みかけられたような気がして──


 ……。


 なんとも照れくさかったオレはビー玉を手に取ると、


「ちょ、ちょっと!? まだ眠くない──」


 鼻をかんだ後の紙屑のように、無造作にポケットに突っ込んだ。



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