第二章 静かなる覚醒

第13話 運命(さだめ)を尊ぶ人々



 ──数日前。



龍神りゅうがみ様が……? それはまことか?」


「は、はい! 村の者が龍神様が西の空を飛んでいるお姿を見たと!」


「──ふむ……やはりあのただならぬ"気"は龍神様じゃったか……」


「カ、カノ様! い、いかがいたしますかっ!」


「──いよいよ……その時が来よったか……」


「カ、カノ様!」


「狼狽えんでよい。ここにレイオットを」


「レ、レイオットですか? レイオットなど呼んでなんの役に──」


「いいからわしの言うようにおし」


「──は、はい! すぐに! む、村の者にはなんと!」


「全員一本松の下に集まるよう伝えるんじゃ」


「は、はい!」


 男が出ていくと老婆は自分の座っていた床の板をはがし、床下から一本の巻物を取り出した。

 随分と古いものなのか、かなり色が褪せてしまっている。


「言い伝えはまことであったか……」


 老婆はその巻物を大切そうに床に置くと静かに目を閉じた。





「失礼します──」


 しばらくすると家屋の木戸が開き、中に若い人物が入ってきた。


「──カノ様。レイオットです」


 その若者は金色の長い髪を後ろで一つに結わき、線の細い身体に薄汚い服を着ていた。 

 歳は二十歳といったところか。


「来たかい。レイオット。──そこへお座り」


 老婆──カノは目を閉じたまま、戸口に立つ人物──レイオットに声をかける。

 それは温度を感じる、とても柔らかい声だった。


「はい」


 一方レイオットは、短いが緊張感のこもる声で返事をする。

 レイオットは土間から床に上がると、カノの正面に着座した。

 

「レイオットや。おまえはいくつになったかね」


「三日後で二十歳となります」


「……そうでおったな。レイオットや。人は悲しいほど無力じゃ。武や魔を磨き強がってはおるが、運命さだめに抗うことはできぬ。わしもこの村のおさとして長きに亘り村と村人とを護ってきたが、それでも運命さだめばかりは……どうにもならん」


 そこでいったん言葉を切ると、カノはゆっくりとまぶたを開いた。


「レイオットや。わしが龍護りゅうもりの村の長として天寿を全うするのが運命さだめであるように、おまえにも──」


「龍神様……ですね。カノ様、僕はすでに覚悟ができています。そのためにこの村に来たのですから」


 レイオットはカノの細い目をまっすぐに見据える。


「レイオット……」


「カノ様。僕は感謝しているのです。この運命さだめを神様からいただいたことに。僕の命で多くの人の命が救われるのですから」


 そう言うレイオットの顔と言葉には、もう緊張の色はみえない。


「父親に似たのか……おまえは強いのう。あのときのまま二十歳が訪れなければいいとどれほど願ったか……しかし、おまえの名は延々と語り継がれるじゃろう。龍神様の贄となり、安寧を世にもたらした英雄として」


「英雄などと……剣も魔法も使えない僕にはもったいない称号です。それでカノ様。僕はどうすればよいのでしょうか」


「村の衆が一本松に集まっておる。わしから皆におまえの運命さだめを説明しておくので、その間おまえは支度をしてきなさい。その後直ちに龍神りゅうがみの森へと出立してもらうことになる。儀式はおまえが二十歳を迎える三日後じゃ」


「わかりました。では支度を整え──」


「待つのじゃ。その前に、この巻物の加護を受け取るがよい」


 立ち上がろうとするレイオットをカノが制止する。


「巻物……ですか?」


「そうじゃ。わしは運命さだめに抗うことはできぬが、おまえに我が家に伝わる巻物を授けることはできる。これはわしの家に伝わる古い巻物での。『二千年の眠り破り龍神覚めしとき、贄となる者に授けるべく加護を封印す』という文言とともに先祖代々、脈々と受け継がれてきたものじゃ」


「巻物の加護……」


「つまりはお前のために二千年もの間、大切に保管されてきたものじゃ。わしは無論、ご先祖様もその巻物を紐解いたことはない。したがってどのような加護が授けられるのかは未知じゃが……さあ、レイオットや。今こそその巻物の封を解くがよい」


 レイオットは巻物を手に取ると、紐が千切れないように慎重に解く。

 そして床の上にそっと広げた。


 しばらく巻物を見ていたレイオットだったが、


「……カノ様。僕にはなんと書いてあるのか読めないのですが……」


 顔を上げてカノに助けを求める。


「どれ……」


 カノも巻物に顔を近づけるが、


「む。なんじゃ、この不思議な文字は……」


 カノもレイオットと同じく巻物に書かれている文字を読むことができなかった。


「この魔法陣がなにか関係ありそうですが……」


「うむ……巻物の封を解いただけでは加護は得られぬのか」


 二人は巻物を見ながらうんうんと唸る。


「そうじゃ。大切なことを忘れておった」


 そのとき、なにかを思い出したのか、カノが手で膝をポンと叩いた。


「『贄の血により陣は蠢く』じゃ。その言葉の通りであるならその魔法陣におまえの血を授けるのじゃ」


「──血、ですか。わかりました。やってみます」


 レイオットは懐から小刀を取り出すと、手のひらで刃を握る。

 そしてまったく躊躇うこともなく刃を引くと、ぼたぼたと魔法陣に血を垂らした。

 

「これでどうでしょうか」


 レイオットがカノを見ると同時、巻物が淡く光り始め──


「おお! これは……!」


 それを見たカノが驚嘆の声を漏らす。

 やがて光は一本の線となり、レイオットの額を貫いた。


「レイオット! 無事か!」


「はい。少し驚きましたけど……なんともないようです」


 三日後に命が終わることを覚るレイオットは、ほとんど動じることなく答える。


「どうじゃ。なにか身体に変わったことはあるか?」


「どう……でしょう……ちょっとわかりませんが……」


 レイオットが自分の身体に触れて確認するが、なにも変化がないことに首を傾げる。


「じゃがこれで加護は得られたはずじゃ。その巻物は持っていくがよい」


 レイオットは血で染まった巻物を丁寧に巻き直すと、小刀とともに懐にしまい──


「支度をしてきます」


 深く頭を下げると戸口から出ていった。


 カノはそれを見届けた後、村の衆が待つ一本松へ向かったのだった。

 


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