第11話 弱いことが人を助けてはいけないという理由にはならない
「と、とにかく治療を──」
「い、いけません! この身は龍神様のもの! 龍神様以外触れてはならないのです! 僕には構わず早く立ち去ってください!」
手足の自由を奪われているレイオットさんが、首だけを持ち上げて叫ぶ。
凝固しかけていた傷口から再び血が流れる。
興奮させてはまずい──オレは顔面蒼白となっているレイオットさんから一歩下がった。
手足を杭で穿たれた美少女、いや美少年──。
相当な理由でもって生贄になっていることは見て取れるが──
オレはどうすればいいんだ……
生贄であるレイオットさんを助けたことにより、オレには想像も及ばないような厄災がこの世界を襲うのかもしれない。
オレがこの場にやってきたことを、この青年は心の底から落胆しているのかもしれない。
おとなしく立ち去るべきか……
だが、なぜこの青年が生贄になったのかを聞かずして、この場を立ち去ることはできなかった。
それは、とにかく困っている人を助けてあげたい、などという殊勝な考えからではないのだろう。
いや、もしも自分に余裕があったのなら、或いはその安易な考えだけで救ってあげていたかもしれない。
オレがこの地の慣習を知っていて、なおかつこの青年に杭を打った人物に対して『なぜ助けたか』を説明することができ、さらには降りかかるだろう厄災に対して有効な手段を持ち合わせていたとするのならば、小説の主人公のように今すぐにでも救い出していたかもしれない。
だが、オレはこの世界のルールを知らない。
レイオットさんを助けたことで、オレもレイオットさんと同じ目に遭う恐れもある。
剣や槍を持った人々に追い回されるかもしれない。
怪我をした猫を助けるのとはわけが違う──そのことは自分でもよくわかっていた。
それならばなぜ……
レイオットさんの訴えに従ってオレはこの場から離れないのか──。
たぶん──自分に起こり得る危険を知っておきたかったからなのかもしれない。
見知らぬ人の危機を通して学習し、自らの行動の選択肢から自分にも起こり得る危険を排除したかったからなのかもしれない。
理由と行動。
行動と恩恵。
無意識の損得勘定。
そんな打算的な自分が心底嫌いだった。
人間そんなにすぐには変われるものじゃない──。
オレがもっともっと強ければ──
身も心も強靭であれば、なにも恐れることなく心のままに助けることができたのに──
あのときもそうしていられたのなら──。
「止血だけでもさせてもらえませんか……このままだと……」
オレは、助けることは叶わなくとも、純粋に放っておくことができず声をかけた。
素人のオレが見ても長くは持たないことが判る。
早く手当てをしないと、手遅れになってしまう。
「せめて止血を……」
今のオレはそう言うのがやっとだった。
「心配してくれるのは嬉しいのですが……これが僕の
レイオットさんはすでに覚悟ができていたのだろう。
その表情はとても悲しげだが、しかしとても凛々しくて、この世のものとは思えないほどに美しい。
男のオレでも今という状況を忘れて魅入ってしまうほどだった。
「さあ、早くここをお立ち去りください。このまま東に進めば徒歩で七日ほどの場所に集落があります。そこでカノという老婆を訪ねるといいでしょう。僕の名を伝えれば便宜を図ってもらえるかもしれません。……フェルベール様の御名をご存じのあなたでしたらきっと……神のご加護が……」
レイオットさんは力が入らないのか、持ち上げていた頭をがくりと落とすと休むように瞳を閉じた。
傾く陽がレイオットさんの長い睫毛を金色に輝かせる。
レイオットさんの呼吸がだんだんと細く弱々しくなっていく。
──ああ。やはりオレはこの人を助けたい。
勝手に回復魔法をかけたら怒らせてしまうだろうか。
ここでレイオットさんを救い出したら災いが起きてしまい、世界を敵に回すことになるのだろうか。
怖い。
正直いってとても怖い。
望まれないことを、してはならないことをしようとしているのではないだろうか。
…………。
「……あの、ひとつだけいいですか? 声は出さずに首を少し動かすだけでいいです」
レイオットさんの首が縦に動く。
「あなたはさっき姿を見せた龍神様というドラゴンに差し出されたわけですか?」
同じく縦に動く。
「儀式というのは、その龍神様が鎮まるように、というのが目的なんですか?」
首の動きは──縦だ。
フェルベールはあの使い魔は無闇矢鱈に人を襲わないと言っていたが──。
フェルベールにいろいろ確認したいが、レイオットさんはフェルベールが起きだす明日までは到底持たないだろう。
回復魔法が他人に効くかわからない。
レイオットさんもそれは望まないかもしれない。
それなら──
フェルベールはオレとパスが繋がっていると言っていた。
そしてそれはフェルベールが未覚醒状態であったとしても。
うまくいくかわからないけど、レイオットさんにわかってもらうためだ。
駄目だったら……レイオットさんには黙って回復魔法をかけて、明日フェルベールが覚醒したときに、フェルベールからレイオットさんに話してもらおう。
怖いけどやってみるか!
本当に人を襲わないというフェルベールを信じるからな!
よし。
「ゴホン」
オレは咳払いをひとつすると、レイオットさんに背を向けた。
次に魔法陣が出現した場所に向かって、両手のひらを突き出す。
そして──おもむろに詠唱を開始した。
「──我はいにしえの使徒フェルベールと血と魂を分かつ者、トモキなり!」
嘘ではない。
フェルベールがそう言ってた。
魂は盛ったけど。
「ここにフェルベールとの契約に従い汝を召喚する!」
オレじゃなくてフェルベールが呼んだってことにすれば怒られないだろ。
最悪『ビー玉かち割るぞ』って脅せばいい。
「──出でよ! 我が使い魔フェイオッ!」
…………。
……………………。
──予想に反して魔法陣が浮かび上がることはなかった。
まあそうか。
来ないよな。
逆にこんなんで来られても焦るし。
仕方ない。
ここで夜を明かして明日フェルベールに説いてもらおうか。
なんとも気まずい空気の中、苦笑いを浮かべながら振り返ると──レイオットさんは細めた目でオレを見ていた。
「はは、今のはなんというか、その……見なかったことにしてください」
「む、無論です……やはりあなた様は……」
「ええと……はい。ただの凡人です」
レイオットさんはそんなオレのことを見続けている。
とても気恥かしい。
仕方ない。レイオットさんには黙って少しだけ回復魔法を──
ん?
レイオットさん、どこ見てるんだ?
オレを見ていると思っていたレイオットさんが見ていたのはオレではなく、オレの後方──
え……
首筋にゾクリと悪寒が走り、オレは慌てて後ろを振り返った。
すると──
「あわ、あわわわ!」
いた。
ヤツが。
大きな夕陽をバックにして。
両翼を広げてこっちに向かって滑空してきているあいつが。
「あわわわ!」
空の支配者はあっという間に眼前まで迫り来ると、ブワリ──土埃を舞わせながらオレの目の前に降り立った。
「あわ、あわああわあああ!」
やば!
ほ、本当に来た!
どどどどどうしよう!
オ、オレか!?
オレが呼んだのか!?
それとも……レイオットさんを喰いにきたのか!?
ドラゴンは羽を広げた姿勢のまま、オレのことをじっと見ている。
あまりに距離が近くて、ドラゴンの縦長の瞳にオレの顔が写り込む勢いだ。
何度見ても恐怖で足がすくむ。
王者の風格に、呼吸も忘れてフリーズする。
──ハッ!
このままじゃいけない!
と、とにかくなにか言わないと!
黙ったままでは問答無用で妬かれてしまう!
「あ、あ、あ、フェ、フェイオさん、お、お疲れ様です!」
どうにか勇気を振り絞って出した言葉は、なんとも間抜けな挨拶だった。
かーっ!
なんだってこんなアホなこと!
上司じゃねえんだぞ!
しかし目上の人(?)に対する言葉なんてほかに思いつかなかったんだから仕方ない。
するとドラゴンが口を開きかけたので、
「ち、ちなみにオレとフェルはやんごとない間柄だからオレのこと妬かない方がいいですよ! あ、後でフェルに怒られても知らないですから!」
目に入らぬか、とばかりに指で摘まんだビー玉を前に突き出す。
最低だろ? 脅しなんて。
すると、ドラゴンはオレの言うことを理解しているのかいないのか、目をぱちぱちと瞬いた後、翼をたたみ、その場でくつろぐような姿勢をとった。
お……やっぱりオレの言うことがわかるのか……?
オレの中の設定では、ドラゴンは知能が非常に高い生き物だ。
むしろ人間よりも数倍賢い。
そうすると、人語を理解したとしても何ら不思議ではない。
というか、話が通じないのならハナから呼ばない方がいい。
オレが恐る恐るドラゴンと向き合っていると、ドラゴンは地べたに寝そべりだす。
フンと鼻から息を吹き出すと、顔も地面にくっつけてしまった。
まるで大きな猫のように見える。
最強のドラゴンだというのに、そんな仕草を見ると少しだけ可愛く思えてしまうのが不思議だ。
これは大丈夫なやつか……?
ひょっとしてこの世界でのオレの職業はドラゴンテイマーなのか?
攻撃してくる気配がないことに、オレは思い切ってドラゴンに話しかけてみることにした。
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