第7話 人か、はたまた……



 三日間この森を彷徨ってみて、いくつかわかったことがある。

 すべてオレの今後を左右する重大なことだ。

 オレ自信、最初はこの考えに懐疑的なところもあったが、今ではすべてが真実だと受け止めている。


 わかったことの一つめは、この森に生き物がまったくいないということだ。

 そのため、たんぱく源となる食料を確保することができない。

 

 昔、野生のにわとりを捕まえるときに使用していた罠を仕掛けて、あわよくばキジやカモを捕まて──などと目論んでいたのだが、当てが外れてしまった。


 昆虫、鳥、小動物から体躯の大きな動物に至るまで、日本ならどこの森でも必ずといっていいほど目にする生き物がこの森にはいない。

 生き物そのものを見かけない、というだけではない。

 まず動物の足跡がなく、木で爪を研いだ跡もなければフンも落ちていない。

 小川には、魚も泳いでいない。

 土を掘り返しても、葉っぱを裏返しても虫一匹見つからなかった。


 にわとりぐらいの大きさの鳥であれば今でも捌けるから、今夜は鳥の丸焼きだ──なんて、涎が垂れるのを我慢しつつ、目を皿のようにして生き物を探したのだが、スズメ一羽見つけることはできなかった。

 

 異世界の森は予想と反してまったくもって静かな森だった。


 おかげで夜寝るときに、蚊や虻に悩まされることがなかったという利点はあったが。


 しかしそれとは反対に森全体は生気で漲っているのだ。

 実家の裏山しか知らないオレでも『生きた森』ということを肌で感じた。


 ちなみに時折聞こえてくるフクロウのような鳴き声は、地中から聞こえてくる音だった。

 動物がいないことよりもそっちの方がかなり不気味だが、今のところ害はないので気にしないことにしている。

 


 ──というわけで、現在のところキノコしか口にしていない。

 銀のキノコはこの森の特産なのか、あちこちで生えていた。

 味は特別美味くはないが、それしか食べるものがないので、発見したら有難くいただくことにしている。

 お手軽な携帯食としても有能で、今もスーツのポケットに五本ほど入っている。

 このキノコは傘の部分が手のひらほどに大きく、胸ポケットにしまうとハンカチーフで着飾っているように見えてしまうのが非常にシュールだ。

 銀色に光っているので、とてもシャレている。

 ドレスコードがある店にいく機会があったらぜひとも採用してみよう。 


 量は採れるのだが、これを一日に十本、二十本食べたところで腹は満たされない。

 今日も朝から午前中だけで十本は食べているが、空腹感は拭えない。

 早くこの森を抜けないことには、夢で見たキノコ人間になるか、栄養失調で倒れるかのどちらかだろう。



 なぜこの森に生き物がまったくいないのか──についても、暇なのでいくつか理由を考えてみた。


 一が、この森は世界の果てで、生命力の高いドラゴンしか棲むことができない生息限界エリア説。

 二が、生物の分布境界線説。この森はドラゴンの土地。

 三が、ドラゴンが全部食い尽くすか焼き尽くしてしてしまった説。

 四が、オレの膨大な魔力によって生物が怯えて隠れている説。

 五が、それのドラゴン版。ドラゴンの膨大な魔力のため弱者が棲みつけない説。


 勝手にいろいろ考えてはみたが、一か二が正解だろう。

 矛盾点を上げればキリがないので、どれも不正解かもしれないが。

 



 わかったことの二つめは、オレの回復魔法には副作用があるということだ。


 足がつったときとか、木の枝で顔を切ったときとか、鳥の丸焼きを想定して火を起こそうと頑張って手のマメがつぶれたときとか、三日間で何回も魔法を使った。

 するとしばらくして必ず鼻血が出るのだ。

 一度試しに鼻血を止めようと回復魔法を使ったのだが、効果がないばかりか、余計に鼻血が流れてしまった。

 なんだか身体の大事ななにかが蝕まれていっているようで怖いので、なるべく最低限の使用に留めることにした。

 なにかと重宝する魔法だが、いざというときにとっておかないと大変なことになる。

 

 これについては、やはりちゃんとした詠唱が必要なのでは──とか、効率よく魔力を練り上げる方法があるのでは──とか、この世界の魔法は命を代償に使用しているんだ──とか、いろいと考えたが、やはり人と会って魔法の仕組みを教わるまではわからない。




 三つめは──


(これは重要というか、オレにとってはありがたいことだが……)


 この星だか大陸だかは、地球と同じように太陽と月がある、ということだ。

 名称は違うかもしれないが、太陽のようなモノ、月のようなモノ、それぞれが交互に空に昇る。


 太陽のときは明るく暖かく、月のときは暗く、寒いとまではいかないが、やや涼しい。

 日本でいう春のような気候だ。

 もしかしたら四季なるものも、この世界にはあるのかもしれない。




 そしてわかったことの四つめは──


 オレが完全なまでに遭難してしまっている、ということだ。

 三日も歩けば森から出られる、なんて安易に考えていたオレがどうかしていた。


 三日歩き続けても、目に入る景色はなにも変わらないのだ。

 木々が閑散としてくるわけでもなく、木の種類が変わってくるわけでもなく、ましてや道らしきものを発見するわけでもなく──。


 もうこの景色は飽きた!

 景色が変わらないのなら、オレが変えてやる!


 と、今、このあたりで一番大きな木によじ登っている最中なのだった。


 高いところから見下ろせば、なにか見つかるかもしれない。

 それが人工的な建物だったりしたら最高だ。


 もっとはやくこうしてれば良かった──。


 最初はそう思っていた。


 だが、登り始めてすぐにその気持ちはなくなった。

 木登りがものすごい怖いものだと気づいてしまったのだ。


 子供のころは平気で登っていたのに、大人になるとどうしても恐怖が勝ってしまう。

 高所恐怖症というわけではないのだが、別の方法を探せばよかったと、激しく後悔した。


 だが、もうすでに結構な高さまで登ってしまっている。

 最悪落ちたとしても、すぐに回復魔法を使えば死ぬことはない──と、自分に鞭打って登ることにしたのだった。




 あと少し……


 うんせ、うんせ、と、絶対に下を見ないようにしてよじ登る。

 そして、どうにか足場のしっかりした太い枝までたどり着くと、そろーりそろーりと立ち上がり──


「おお! すっげぇ!!」


 広がる光景にオレは思わず声をあげた。


 大きな木を選んで正解だった。

 この木からだと視界を遮るものがないので景色が一望できる。


「こんなに広かったのか!」


 三日歩こうが、森から出られないのも頷ける。

 見渡すかぎり森が広がっているのだ。

 山も谷もない。

 真っ平らな緑。

 まるで木々が創り出す海のようだ。


「これが異世界の森か……」


 広さに感動する半面、


「でもこれじゃあと十日は森の中じゃないのか……」


 それがオレの寿命を縮めていることに意気消沈する。


 十日で出られるかどうかも微妙だよな……

 まだキノコ生活は続くのか……


 そうなると


「あのとき西に進んだ方が良かったのかな……」


 最初の選択肢さえ疑い始めてしまう。


 なんかないのかな……


 この三日間の努力を無駄にしないためにも、なにか目標となるものがないか目を凝らして探す。

 木々の切れ目、ちょっとした岩山、人工的ななにか──。

 どんなものでもいいから見つけたい──と、ここから見える範囲すべてをくまなく見渡した。


 なにもないか……


 だが、どれだけ注視してもオレが期待するようなものを見つけることはできなかった。


 今から方向を変えるのも悪手だよな……

 頑張ってこのまま東に進み続けるか……


 目標物を探すのを諦めて下に降りようとしたとき、


 ん?

 あれは……煙か……?


 とても細いが、空に向かって立ち昇るひと筋の煙を視界の端に捉えた。

 もう一度よく確認する。


 確かに煙だ。


 今さっき見たときはなかった。

 ということは、まさに今、火を焚いたということだ。


 間違いない!

 煙を見つけた!

 やったぞ!

 あそこに誰かいるんだ──っと、あぶねっ!


 バランスを崩しながら大喜びしたのもつかの間──


 い、いや、待て。

 落ち着け。

 もしかしたらゴブリンの集落といったことも考えられるぞ……。


 テンションが一気に下がり、血の気が引いていく。


 ゴブリン──。


 異世界にはつきものだ。

 しかも今は冒険の序盤。

 テンプレではゴブリンが出てくるタイミングだ。

 

 オレの想像の中のゴブリンは、武器や防具を使うし、無論、火も使う。

 集団で行動するので、囲まれてしまえばオレなんかひとたまりもないだろう。



 だが唯一見つけた希望の光だ。

 人間の可能性のあるあれを見逃すのも精神的にきつい。


 どうするか……


 オレは煙の出ている場所と方向を頭に叩き込むと、下に降りながら答えを出すことにした。




 ◆




 たしかこのへんだったよな……


 あのあとオレは、結局煙の場所へ向かうことに決めたのだった。

 おそらくこの世界の神様がオレにチャンスをくれたのだろうと、勝手な解釈をして。 


 そして慎重に歩くこと一時間ほど。

 木の上で記憶した場所付近まで来ていた。


 

 こういうときのために回復魔術を控えてきたんだし、今はこいつもある。


 大丈夫だ、オレならできる!


 オレは右手に握った槍と、左手に持つ盾を見ながら自分に言い聞かせた。

 槍といっても枝の先を削っただけのものだし、盾といっても何枚もの木の皮を蔓で縛り付けただけのものだが。

 ロールプレイングゲームの勇者が始まりの街で使う初期装備よりお粗末だ。

 あっちは最低でも数ゴールドで売れるが、これは売れない。


 だが、そんな武器とも呼べない貧相な槍でも、手にしているだけで安心感が段違いだ。

 勝てる気はまったくしないが、この槍を投げつけて、相手がひるんだすきに逃げだす──くらいはできそうだ。

 カッコ悪いけど、今のオレはそれで精一杯だ。


 こんなとき、魔法使いの仲間がいてくれたら……


 早く仲間が欲しい。

 平和な日本で育ったオレに戦闘は向いていないのだ。


 その土地の悪者はその土地の人に退治してもらうに限る。


 そんなことを考えながらも、オレは慎重に歩を重ねる。


 そして──


 煙だ!


 その場所を発見した。

 反射的に身を伏せる。


 そのまま一分ほど動かずにじっとしていた。


 よし。

 煙の場所に動きはないようだ。


 匍匐前進で少し近寄り、息を殺して先の様子を窺う。

 気配に変化がなければ、また匍匐前進で少し近寄り、息を殺す。


 それを十回ほど繰り返し、三十分ほどかけて煙の場所のすぐそばまでたどり着いた。


 いきなり矢が飛んでくるかもしれないので念のため、盾を顔の前に構える。

 木の皮でできているのでカモフラージュはばっちりだ。

 その盾から顔を半分だけ出してそーっと覗くと──


 ひ、人じゃないか!


 草木の隙間から見えたのは、木でできた簡素な台座と、その上で横たわる人間の姿だった。


 なんだ?

 寝てるのか?

 

 その人物の足元にはかがり火が焚かれている。

 そこから細い煙が静かに立ち昇っている。

 どうやらオレが見たのはその煙だったようだ。


 横たわる人物はまったく動かない。

 ここからでは男か女かもわからない。


 なんでこんな場所で寝てるんだ……?


 本当に人間か……?


 もしかしたら化け物が人間のふりをして、オレみたいな人間が近寄ってくるのをいまかいまかと待っているのかもしれない。

 うさぎもどきのように、あの人間も大口を開けてオレのことを食おうとしているのかもしれない。


 オレはうつ伏せで盾を構えたまま、台座の上の人間が動く様子がないか窺った。

 



 いっこうに動く気配がないぞ……?


 一時間はそうしていただろうか。

 

 オレは耐え忍ぶことには慣れている。

 待ち合わせも五時間までは余裕で待っていられる性格だ。

 上司の説教も日付をまたごうが聞いていられる。


 だから一時間などどうということはないのだが──空腹だったことを失念していた。

 こんなことならキノコを食っておけばよかった。


 『──ぐうううう』


 オレの腹の虫がこのタイミングで盛大に合唱を始めたのだ。


 ま、まじかよ!


 『──ぐうううう』


 慌てて腹を地面に押し付けるが、


 『──ぐうううう』


 腹の虫はここぞとばかりに鳴き叫びやがる。


 くそ!

 この腹のやろう!

 いい加減にしろってンだよ!


 ば、ばれたか!?

 ばれてないか!?


 どうだかわからないが、台の上の人物が動く様子はない。


 くそ!

 こっちの居場所を探っているのか!?


 こうなったら知らんぷりを決め込むだけだ。

 ここで下手に動いては相手に場所を悟られる。


 あと十時間こうしていれば向こうも正体を現すだろう。


 持久戦に持ち込む気満々で胸ポケットのキノコを口に運ぼうとしたとき──


「……誰かいるの?」


 オルゴールボールを転がしたような透明感のある声が、澄みきった空気を伝わってオレの耳に届いてきた。



 その声はとても儚く、オレが聞いたことのあるどの声よりも美しかった。

 

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