07:心の壁はあまりにも厚すぎる


 わたしの隣でシャルルがチョコミントアイスを一口食べた。


…………


 彼女はずっとそのアイスを凝視していた。下の方を見ると胸を押さえつけているのが見えて、もしかしたらと思って選んだわけだけど……どうやら正解だったようだ。その味は彼女に大きな変化をもたらした――


 やっと言葉を話し、自分の意思を伝えてくれたのだ。わたしはずっと、この時を待っていた。同時に希望の光が見えた気がした。表情に変化はないものの、アイスの量が減っていくにつれ何かに気付いたような様子になった。

 わたしが話しかけようとしたとき、ふとシャルルと目が合った。


…………


 顔が熱くなる。身体の僅かな熱に反応しているのか、手に持ったバニラアイスが溶け始めた。

 な、何を感じているんだわたしは!わたしはただ単純に彼女を「あの女」から解放したいだけで、別に特別な気持ちとかそんな……確かに良い声だったけど。

 どうにか気持ちを抑えて、わたしは顔色を窺いながら問いかける。


「シャルル、どう……でした?美味しかったですか?」


 シャルルは小さく首をかしげ、そして口を開いて答えた。


「分からない」


 ……ですよね。忘れていた。彼女には感情……ないんだった……わたしは愚問を投げかけた自分に対し呆れのため息をついた。

 しかしその横でまた言葉が続けて聞こえた。


「だけど……何かが頭の中で浮かび上がる。あと、何かが湧きあがるような……」

「何かが……?」

「どうやら私は……この味を食べたことがあるみたい。何度も……何度も……」


 わたしは「それ」が何なのかを察した。彼女はまだ理解できていない、いや理解するための手段を失っている。まるで生まれたての赤ん坊のようだ。

 こうして行動を共にしている以上、わたしはやらなければならないと思った――これは賭けだと、わたし自身は思っているけど……


「『懐かしい』ってことですか?」


…………


……………………


 シャルルは何かに気付いたのか、先ほどよりも瞬きの回数が多くなった。もしかして……


「……多分それだと思う。でもいつ、どこで食べたモノだったのかは思い出せない……」


どこで食べたんだろう……シャルルの独り言が、少しだけ聞こえた。その隣でわたし自身も自分のことのように推測した。

 少なくともあの女に拉致された後の話ではなさそうですね……でも、懐かしいと感じているってことは彼女の心の中にまだ記憶が残っているのかもしれない。

 もし彼女自身が思い出したいと願うのなら、どうにか引き出してあげたい……わたしはそう思った――


「でも、喜んでくれたなら良かったです。もし口に合わなかったらどうしようかと思っちゃいましたよ」


 わたしはアハハと苦笑いをした。そんなわたしに対し、シャルルは変わらぬ表情で、しかし思いつめたように話し始めた。


「スーリ……私は……この色とあの6文字を見た時、なんと言うんだろう……不思議な感覚がした。記憶にないのに記憶が蘇っていくような……」

「ええ」

「ねぇスーリ、これが……『懐かしい』なのかな」

「……そうですね」

「やっぱり……」


 彼女の小さな声が聞こえた。その顔は心なしか悲しそうな表情が見えた。正直わたしも……心の中で同じ言葉を口にしていた。彼女の中にはまだ……――


「シャルル……もし何かあったら、助けてほしいなら、遠慮せず言ってください」


 気付いたらわたしは……空になった容器を傍に置いて、彼女の方へ向いて声を掛けていた。目の前の彼女は口を開けたままわたしを見つめるだけだ……これは絶対に戸惑っているに違いない。


「どうして」

「言ってくれなきゃ、助けたくても助けられませんから」

「…………」

「何もできずあなたが壊れるのをただ見ているだけなのが、一番嫌なんです」


…………


 いや、わたし……何を言っているんだ。まだ会って間もない相手なのに、知っているかのような言い方をした……相手はまだ「マヤの兵士」なんだぞ!混乱させたり誤解を与えたりしたらどうするんだ!

 ……心の中で軽率な自分を責めていた。そんなわたしは……シャルルにはどう映っているのだろう?


 当の彼女は胸に手を当てて考え事をしているように見える。手に持っている容器は既に空っぽだ……何か違和感があるのだろうか?


「…………」


 もちろん分かるわけがない。わたしは「彼女」じゃないから……だから話してほしいとずっと願っている。そうしたら、彼女のことのように一緒に考えてあげられるから。それが「マヤの兵士」を人間に戻す唯一の方法だと、わたしは思っている――


 ……数分経って、やっとその口が開かれた。


「……スーリ、貴方は普通じゃない」

「え?」

「貴方の顔が視界に入る度に、胸が冷たくなっていくのを感じる。留めておくには実に不快で……ズキズキと僅かな振動が響いてくる。多分……痛みだとは思うけど」


 シャルルは胸を手で押さえながら、無表情で淡々と話している。


 「マヤの兵士」でも痛みは感じる、ただ表情に出ないし痛がる様子もまるでない。冷静に、その傷と向き合うだけで……

 でもこの様子から彼女は、その痛みを無視できないように思えた。だからわたしに話したのではないだろうか。こんな言葉をわざわざ残しているのだからこのことも言えば応じてくれるはず……そう考えるのが容易に想像できる。いや、想像してほしいと望んでいたわけで――


「貴方の顔を見ると『何か』が胸の中で広がる。スーリは……この『何か』の正体が何なのか分かるの」


 ……案の定の質問だ。当然この答えを……わたしは気付いていた。だからわたしはすぐに答えた。


「それって……『感情』のことですか?」

「感情……そんなはずはない」


 しかしわたしの自信溢れる解答はシャルルの否定に散った……


「私は『マヤの兵士』……感情を持つことを禁じられている。本来マヤ様のご命令に従うべき私に感情は必要ない……」


 ……嘘だ。必要ないはずがない。

 わたしの中で炎のようなモノがメラメラと燃え上がるのを感じた。次第に身体が熱くなって震え出した――


「そんなの、誰が命じたんですか!」

「…………え」

「あなたもわたしも……あの女、マヤの道具じゃないし、道具である必要がないんですよ!?」


 わたしは心の底から思ったことを叫んだ――シャルルがどういう反応しようが関係なかった。ただ……ここで言わなければきっと――

 そんなわたしを見て、シャルルは開いたままの口を動かした。


「スーリ……も……」

「…………?」

「スーリも元々……私と同じ『マヤの兵士』……」


 シャルルの言葉にわたしは頷いた――でもその直後、何かが心に引っかかった……今の反応は違和感しかない。わたしが「失敗作」であることは先ほど戦ったマヤの配下はとっくに知っていた。だからあの場にいた彼女も知っていてもおかしくないと思ったんだけど……


「……知らなかったんですか?」

「私に聞こえたのは『殺せ』という命令だけだったから……」


 ……なるほど、そういうことですか。仮に説得を試みたとしても、全く通じないだろう。

 あの女の考えてることが全然分からない……でもこういう機会はなかなか無いから、話すとしよう――そう思い、少し語っていった。


「シャルルも察しの通り、わたしもかつては『マヤの兵士』でした。先ほどのあなたと同じようにマヤの命令に従って敵という敵を次々と殺してきました」

「…………」

「ですが……ある時から嫌になったんです。敵を殺すたびに胸がズキズキと痛くなってきて、苦しくて……まるで自分の『心』が周りに助けを求めているような感覚でした」


 でもあの時はどう足掻いてもマヤの命令に逆らうことが出来なかった……今でもこの過去が憎くて仕方がない!思い出すだけでも、辛い……目から涙が流れているのが自分でも分かった。

 でも、目の前にいる彼女は……何も理解できず、ただ首をかしげるだけだ。同じ「マヤの兵士」だったのに、分かり合えない悲しみがわたしの中でどっしりと押し寄せてきた。

 静寂が流れ、やっと口を開いた――


「だからスーリは……マヤ様に抵抗したわけか」

「え……?」

「感情の無い、言いなりだった頃に戻りたくないという意思がそうさせた……そういう認識はできる」

「はい、分かってくれたんですね……」


 わたしは安堵からため息をついた。しかし、そんなわたしへの追い討ちは決して待ってはくれなかった――


「でも私はあなたの痛みを頭でしか理解できない。そして、貴方が拒んだとしても……」

「え?」

「私は『命令者』である貴方に従うだけ。だからスーリ、次の命令を」


 ……残酷だった。わたしが最も聞きたくない言葉がこの耳に入ってきた。というか最初から気付くべきだった。シャルルはあの女に洗脳されて、心を消されてしまっていることに――今の彼女は何を命令されても、何の抵抗もないのだ。


(言葉は通じても話は通じないのか……)


 溜め息をつきたくなる横目で例の彼女はあっけらかんとした様子で次の命令を待っている。


「……もう出ましょう、こんなところ」


 わたしは投げやりにそう「命じた」……本当はしたくなかったけど、今の彼女にはそれしか出来ないから。


「……分かった」


 シャルルはそう答えて、わたしの手を握る。その手に「温かいモノ」などなかった……いいよ、どうせ彼女にはわたしの気持ちが通じるわけがない――苛立ちの気持ちを隠せぬまま、わたしはシャルルと共に村を後にした。

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