06:空虚に宿った「何か」


 2人で手を繋いで歩く、そこに特別な感情は無い……お互いと繋がっているように見えて、実際は心の底からのモノではないのだから。


 …………


 どうやら私の主……スーリは、これまでの行動や言動からこの繋がりが心からのモノであることを切に願っているようだ。でも私には何故そう願うのかが理解できない。命令者の指示に従うことが「マヤの兵士」の役目なのだけど、下山して以降彼女から一切の命令が来ない。


 今度の命令者は変わっている……指示を下すことを拒み、全て自分に押し付けようとする。実際にスーリの表情が普通ではないのは分かる。眉間にしわを寄せ、冷や汗をかいている……


 ……?


 スーリが私の手を強く握っている。跡が付きそうなほど握っていて痛みを感じる。今のスーリの精神状態が深刻であることが分かった。


「…………」


 私は握り返すことが有効だと考え、同じように握り返した。一瞬だけスーリが反応したが、表情の変化はない……むしろそれを隠す素振りを見せるようになった。


 …………何故?

 何故スーリはそのような顔をするのだろうか。何故命令をしてくれないのだろうか……今の私にはそれに応えることしかできないのに。



「あ、見えてきましたよ」


 スーリはそう告げて指を差した。指差した方向には小さな村が見えている。そこに向かうというのだろうか。

 ……貴方がそれを望むなら。私がそう頷くとスーリは振り向いて微笑んだ。


「じゃあ、入りましょうか」


 スーリの声に従い、私たちは名も無き村へと前進した。



 スーリは村の住人と話をしているようだ。ここに待つように命じられた私はスーリが戻ってくるのを待つだけだった。

 数分経ち、ようやくスーリは私の元へ戻ってきた。


「どうやらマヤの手はこの村に及んでいないようです。ここならゆっくり休めますね」


 スーリはそんなことを呟いて一呼吸を置いた。先ほどまで深刻な表情だったスーリだが、少しずつ精神状態が回復したように見えた……


 …………?


 ……今、何かが動いた気がした。でも……それが何なのか私には分からない。今の私に分かるのは……スーリが私の手を握っている感触と手と一緒に身体を引っ張られる感覚だけだ。

 しばらく村の中を歩いているとスーリの声が聞こえた。どうやら彼女の視線の先には、冷たい空気を放つ店のようなモノがあった。


「アイスクリームの店ですね……」


 アイスクリーム……ああ、冷たい食べ物のことか。なるほど、冷たい空気とはそういうことか。


「あの……お腹空いてるでしょう?アイス食べませんか?」


 スーリは笑みを投げかけながら私の腕を引っ張っている。


「…………?」


 お腹……空いているのだろうか?私は、自分の状態のことを考えたことが無い。私に許されるのは、命令に従うことだけ。だから空腹であろうがなかろうが、スーリがアイスとやらを食べたいなら……

 スーリに引っ張られ、2人で店の前に立った。


「いらっしゃいませ!どちらになさいますか?」

「えっと……どうしましょうか……」



 笑顔で出迎える店員らしき人を目の前にスーリはどれにしようか迷っている。私はスーリの見ているモノを同じように見る。


 冷たい空気を放つ箱の中には様々な色をしたモノが詰まっている。その多くは器具で掬われたように欠けている。透明な蓋には味の名前であろうモノが紙に書かれて貼られている。バニラ、チョコレート、いちご、チョコチップ……

 しかし私には関係が無いし、選ぶ権利など存在しない。スーリが選んだモノを食べることになるだろう……

 そんなことを考えていると、何かの名前が目に入った。


『チョコミント』


 …………え?

 また、何かが動いた気がした。先ほどよりも、私の中で強い振動が走った。この振動は瞬く間に全身に伝わって頭の中によぎる。過去の記録にはない、なかったはずの何かが……


ドクンッ


ドクンッ


 ……鼓動が速くなっている。私は思わず胸を押さえた。

 身体が……熱い。何か……不思議な感覚が湧き上がる。これをなんと言えば良いのだろう。どう表現すれば良いのだろう。


…………


………………


……………………


(……欲しい)


「じゃあ、バニラにします。シャルルは…………?」

「…………」


 スーリの声が聞こえた気がした。

 …………でも、何で?どうしても目から離せない、声も流れていく。見えない、これしか見えない…………でも、欲しい……食べたい!

 うぅ、どうして……どうして自分で伝えられないんだ!ううううう……


「チョコミント、ですよね……じゃあこれを!」

「かしこまりました!」


 スーリの決定が下った。私の目の前で店員はアイスを掬い容器に入れる。「おまたせしました」という声と、銀貨が置かれる音……私の耳にはそんな2つだけが聞こえた。

 それから間もなくして、スーリの声が聞こえた。


「はい、これが欲しかったんですよね」


 声に振り向くと、スーリが受け取った2つの内の1つ……チョコミントのアイスが入った容器を差し出した。


 …………え?


 私の手が止まった。でもすぐに我に返って受け取った。


「あそこで食べましょう」


 スーリに引っ張られ、ちょうど向かい側にあるベンチに座る。座っていいよという手振りが見えたので、失礼しますと軽く会釈をして隣に座らせてもらった。

 私は美味しそうにバニラアイスを食べるスーリを眺めながら、心の中でそう問いかけた――


 ……ねぇ、スーリ。どうして、私の欲しいモノが分かったの?いや、これが……私が欲しいと願った味なのか。

 スーリはふと私の方へと向いて、話しかけてきた。


「あの、どうしました?もしかして……」


 スーリが見つめてくるので、私は首を横に振った。嫌いじゃないし、そもそも何が好きで何が嫌いなのか私には分からない……。


「わたし、何が欲しいのかあなたに訊こうと思ったんですよ。そしたら何も言わずチョコミントを眺めてたので……」


 眺めてた、それだけで……そんな私の疑問に答えるかのように、スーリは優しそうな表情で話し始めた――


「それを見て、思わずかつての自分を見ている感覚でしたよ。多分あなたは気付いていないかもしれませんが、わたしには分かるんですよ」


 これは……「欲しい」という感情の表れだということが――


 欲しい?感情の表れ?


 …………


 私は……どうしても受け入れられない。私たち「マヤの兵士」には……感情が無いはず、記憶も……マヤ様と出会って以降しかない、はず……

 私は首を横に振ったが、スーリも同じように首を横に振る。


「たとえ記憶が無くなっても味の好みや好きな物はずっと心に残っている」


 …………え?


「わたしも昔はそうでした。欲しかったモノがあったけど、断られるのが怖くて言えなくてずっと眺めていて……そうしたら師匠が『もしかして欲しい?』と言って買ってくれたんです」


 そしてスーリは私に向けてこう言った。


「本当に欲しかったから、嬉しかったんです。わたしの気持ちを分かってくれたんだ……って」


…………


 欲しかったのか、私は……――もし私が本当にこの味のアイスが欲しかったのならば、スーリは私の心を読み取って選んでくれたことになる……

 私のために、選んでくれた……だとしたら、嬉しい――私の中の「声」が、そんなことを言っているのが聞こえた。同時に胸に温かい何かが芽生えたような気がした。


 伝えたい……伝えたい……!


 この言葉を、この……私の中で生まれた何かを……!そんな不思議な感覚に突き動かされ、私は口を動かした。


あ……


あ……り……


ありが……


 気付いたら小さな声で呟いていた。しかしスーリは、私にしか聞こえないはずの声を聴き逃さなかった。スーリは身体をくっつけて食い下がろうとしていた。


「……え?よく聞こえなかったのですが……」


 …………え、聞こえてたの?


 ……スーリが眉間にしわを寄せて私を見つめる。もう一度言ってほしいのだと察した私はスーリの方へ向いて口を動かした。


「――ありがとう、スーリ」


 私ははっきりとした声で、そう答えた――初めて口にした言葉だった。なのに何故、これを知っていたんだろう。でもこの言葉を伝えることに意味があるんだ。

 何故ならスーリはその言葉を聞いた途端、まるで太陽のような表情を見せたのだから。


「どういたしまして、シャルル」


 スーリのこの顔を見ると胸に温かい何かがずっと残る。この「何か」を何と呼べばいいのかは分からないけど……嫌なモノではないのは確実に認識できた。

 気付けば手にしていたチョコミントアイスがちょうど溶け始めていた頃だった。

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