どうでもよいこと
山の麓に行くことが多い。
なぜかと言われれば「通院しているから」としか言えない。前々から書いていた山の麓の病院だ。おかげで空気はいいし、人は少ない。ぽつりと隣接した薬局があり、バス停がある。
そんな辺鄙な場所にある病院のくせに通院者が多い。
予約しても指定時間よりも一時間以上は待たされるし、診察時間は三十分で終わる。薬は増えたり減ったり忙しく、朝飲め、昼飲め、夜寝る前に、と口が乾くことない。
一番煩わしく思うのは通院患者どもで、精神的なことを含めて老人が多い。病棟もある。
ほんの少し前に認知症の老人が怒号を上げながら病棟に連れていかれた場面に出くわした。その老人は自分を認めたくないらしく、一生懸命、抵抗していた。
「おれをおこらせたらこわいぞ」と何度も何度も言いながら複数の看護師に囲まれていた。親族だろう女性はイケヤの大きな袋を三つ、紐が肉に食い込む程の荷物を持ちながら神妙な顔つきで後ろから歩いて行った。
私は、少しだけおかしかった。
静々と歩く女は、もっと晴れやかな顔か笑顔でいればいいのだ。
今まで散々、認知症の男に振り回され、やっとのこと入院させることができたのだから。それこそ、たまの世に『介護疲れで心中か』より幾分いい出来事なのである。
おかしかったが、ああ、と思うところもあった。
安心しても不安が先にくる。
「脱走した」「帰りたいと言って」「お預かりできない」
そうだそうだ、ああいう『認知症であることを認める恐怖で怒り狂う老人、忘れたことを忘れて恐怖にかられ恐慌する老人』は、どこの養護施設でも厄なのだ。
まあ、大丈夫ですよ。ああいうタイプは一度、施設に入ってしまえば家があることも、家族がいたことも、ぜぇんぶ忘れて、こちらの今迄の苦労なぞ知らず、死ぬまでボンヤリと分からないけれど数秒前のことも忘れ、放心した状態になりますので。会話は可能ですが。
「貴女のことも忘れますよ」苦労の無駄でしたね。
言い切れる自信はあるけれど、これから手続きをし、衣服を病室に置いている間も男の怒号は彼女を蝕み、なぜか罪悪感を植え付けられ、彼女はしくしくと泣き出す。
これは綺麗な親子愛だ、と世間様が褒めたたえ、いるかもしれない親族が「がんばったねえ」と励ましたとて、あの神妙な顔つきは心を患っているだろうな、と推測できた。
あんな重そうな荷物を持つ男もおらず、たった一人で老人を連れてきた彼女は終わったら首を吊るか、後悔して夜な夜な泣き続けるか。
他人の自分としては美味しい不幸な味に舌鼓する。
先のことなぞ分からないし、女の顔など忘れた。
だが希望の姿を想像することはない。彼女の神妙な、今にでも死んでしまおうとする顔が「不幸が美味しい、不幸が美味しい」と私を躍らすのだから。
それにしても今日も待ち時間が長い。だが携帯電話のアプリゲームをするには美味しい時間ではあるので、表示される文章を見ながら楽しく時間を潰すのだ。
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