僕がヒーローになるまで

譚月遊生季

僕がヒーローになるまで

 世界を救うヒーローになるんだと、小学生の時に決意した。

 馬鹿げた夢だと、中学の頃にはわかってはいた。

 ……それでも、僕にとっては大切な誓いだ。


 今だって諦めてはいない。ただ、道半ばなだけ。

 ……なんて考えつつ、僕はごく普通の、なんてことない大学生活を送っている。


「ねぇ秀雄、今週映画行かない?」


 そこそこかわいい彼女がいる。顔立ちは平凡でも、仕草や笑顔に愛嬌があって明るい子だ。

 付き合ってもう4年くらいになるが、未だに大した喧嘩もなく仲良くしている。


「秀雄~、単位どうなってる? え?卒業は余裕? ……さすがだな……」


 ありきたりで平凡で普通な親友がいる。少しチャラついた雰囲気は否めないけれど、気さくに話しかけてくれる大親友だ。ちなみに幼馴染み。


 駅から10分程度の場所にバス・トイレ別のアパートを借り、アルバイトでの収入も上々。学業も充実しているし、健康面は……ちょっとだけ、不安なくらい。このご時世、恵まれすぎているくらいの人生だと思う。


 ニュースでは、今日も凄惨な事件が報道され、政治に関する問題や懸念も尽きることがない。SNSを見ると、暗い話題がひっきりなしに流れてくる。

 幸い、僕の住む空野台そらのだいの治安はそこまで悪くはないけれど、それでもケンカやいじめなどの噂は聞こえてくる。

 世界を救うヒーローになりたい……と思った以上、直視しないわけにはいかない。いつかは、誰も悲しまず誰も苦しむことのない世界にしたい。……何度、そう願ったことだろう。


 具体的な手段は何一つ思いつかないけれど、いつかは、きっと……と、やる気だけが燻っていた。



 コンビニに募金箱があると躊躇わず募金した。道端で困っている人がいたらすぐに手を貸した。委員会や、ボランティアにも積極的に参加した。……でも、それだけでは、到底ヒーローにはなれない。まだまだ全然足りないし、規模も小さすぎる。

 だけど、どんな転機があればヒーローになれるだろう。どんな力があれば、この世界を救えるだろう。


 突然超能力が使えるようになる?

 巨悪を暴いて、警察の信頼を得る?

 それとも、神様にお祈りして天啓を得る?


 ……どれもこれも、漫画やアニメのようで非現実的だ。僕の人生において絶対に有り得ないアイデアだらけが浮かんでいく。

 大学で社会学や現代福祉などの講義を懸命に受けても、世界を救うヒーロー……という概念すら、よく分からなくなっていくだけだった。




「秀雄って、真面目だよね」


 恋人……麻美の口癖はいつしか、会った時に必ず飛び出す決まり文句になっていた。

 今日も、呆れたように、ため息混じりにコーヒーをかき混ぜている。


「もう少し楽しく生きてもいいんじゃない?」


 伏せられた瞳、沈みがちな声。

 ……悲しませていることは、よくわかった。

 そんなに、疲れた顔をしていたのだろうか。


「そりゃあ、秀雄はたくさんの人に慕われて、たくさんの人の力になってるよ? ……でも……」


 ためらいがちに、彼女は「心配だよ」と告げた。

 大丈夫だよ、と伝える。……僕がやりたいことは、簡単なことじゃない。気持ちは嬉しいけど、そればかりは譲れない。

 映画を観ている途中、思わず眠ってしまった。……退屈だったわけじゃないのに、突然電源が切れた感覚だった。


「秀雄って、スゲーよな。……俺にはとてもできねぇや」


 親友……英司も、よくそう語るようになった。講義で会うたび、ぼくのことをすごいと言い、それに比べて自分は……と表情を曇らせる。

 ……どうして、泣きそうな声なのか分からなかった。

 参加中のイベントサークルでトラブルがあり、運営が上手くいっていない……というのは小耳に挟んでいたけれど、尋ねるタイミングを逃していた。




 その日は、突然訪れた。

 通っている大学で、火災が起きたのだ。出火したのはサークル用の部屋が集まっている建物で、火の手が上がったのは夕方。遅い時間の講義が終わった頃には、キャンパスは野次馬でごった返し、騒然としていた。消防隊はまだ到着していない。


「秀雄!? 危ないよ!行っちゃダメ!!」


 逃げ遅れた人がいる、と聞いて、いてもたってもいられなかった。

 僕は、ヒーローになりたいんだ。それなら、人命救助くらいできなくてどうするんだ。


「秀雄ッッッ」


 麻美が制止するのも振り切って、炎の中に飛び込んだ。……熱気と異臭に耐え、先に進む。


「……ッ」


 黒ぐろと立ちこめる煙の中、自然と、通ったことのある道を進んでいた。

 廊下に金髪の青年が倒れている。

 英司だ。英司が、炎の中でぐったりしている。……打撲と擦り傷だらけの英司は、駆け寄った僕を見て、力なく笑った。


「何してんだよ秀雄。……ヒーローになるんだろ? こんなとこで、こんなバカのために死ぬつもりかよ……」


 英司の足は変な方向に折れ曲がり、とても立ち上がれそうにない。


「ああ……クソ。やっぱ逆らうんじゃなかったなぁ……。火遊びなんてやめろって……正義感なんか出しちまってさ……逆上されてこの有り様……。やっぱり、秀雄はすごかったんだなぁ……」


 ぼろぼろと涙を落としながら、英司はピアスのついた唇を震わせ、笑った。


「とっとと逃げろよ。こんなの助けたってヒーローになんかなれねぇぞ」


 親友すら助けられないのに、

 世界を救えるわけがない。

 ……親友の苦しみにすら気づかなかったのに、

 世界を救う、なんて……


 必死に、肩を貸して立たせた。

 英司は痛みに呻いたが、何とかついて来ようとする。

 助けたい。絶対に、助けたい。……けれど、現実問題、僕にそこまでの力はなかった。とうとう動けなくなり、その場にへたり込む。


 熱と煙の中、意識に霞がかかっていく。……懐かしい記憶が、ぼんやりと浮かび上がっていく。




 ──おい!なんか言ってみろよ!

 ──何も言えねぇのかよ!

 ──変なの。ニンゲンの言葉わかんないの?


 幼い頃、僕はいじめられていた。


 ──やめろよ! 秀雄が喋れねぇのわかってんだろ!?


 生まれつき、僕は声を出すことができなかった。いじめる相手としては、格好の的だっただろう。

 英司はそれを面倒に思うこともなく接してくれて、唯一無二の親友になった。筆談も当たり前にやってくれたし、高校で麻美にアプローチする時も勇気をくれた。


 英司は能力も、趣味も、性格もあらゆる意味でありきたりで、平凡で、普通の少年で……だからこそ、ありがたかった。……僕を世界の一員にしてくれたのは、英司だった。


 ……そうだ。あの時、英司が僕のヒーローになったんだ。


 ぱっと、ぼやけた視界にランプの光が灯る。消防員の人が必死に何事か話しているけど、何を言っているのか分からない。

 喉が焼けそうだ。息ができない。……声は……元から、出ない……

 ……そのまま、意識が途絶えていく。


 ──秀雄はきっと、たくさんの人に慕われるようになるわ。……優しい子だもの。声なんか出せなくたって、きっと……


 ふと、母さんの独り言を思い出して……そこで気を失った。




 気が付けば、病院のベッドにいた。

 隣で英司が、泣きそうな顔で笑っていた。

 英司より重症だったらしい。3日以上も眠りこけていて、入院も長期間になる、と……。

 腕の火傷がびりっと痛んで、生きているんだと実感した。


「単位、取っててよかったじゃん」


 英司はふざけた調子で言うけれど、やがて肩を震わせ、堪えきれなかった涙を決壊させた。

 しばらくして麻美が病室に飛び込んできて、目が合った瞬間こっぴどく叱られた。わんわん泣く麻美に、「良かったぁあ」と抱きつかれたのが照れくさかった。


「秀雄、お前は俺のヒーローだよ」


 ……ひとつ、目標を達成した気持ちになった。




 しばらくして、僕は中規模くらいの企業に就職した。英司は飲食店のアルバイトから、そのまま正社員になった。麻美は地方のテレビ局に勤務するようになって、僕の日課……ニュース番組チェックのチャンネルが変わった。……結婚も、仕事が落ち着いたら考えよう、と話している。


 そして、僕達3人には、別の仕事もできた。


「じゃじゃーん! 友達が新しいの作ってくれました!」

「おっ、まさか道具係の!? あのコかわいいよなぁ……」

「残念ながら彼氏持ちでーす。あ、ちなみにいつものことながら著作権は大丈夫。なんたって私のオリジナルデザインだから!」


 新調した衣装を見せびらかしながら、麻美は心底楽しそうに笑った。

 ずいずいと僕の胸に押し付けて、「うーん、いいね!」と誇らしげにする。


「あ、そうそう。今度、取材に行くってプロデューサーさんが言ってた」

「おおー!テレビに映ったら、もっと色々できるかもな。……本当に、本物のヒーローになれちまったりして」


 手元のメモ帳にサラサラと、言葉を書く。

 早書きで汚いかもしれないけれど、英司ならいつも読み取ってくれる。


『きっと、もう本物のヒーローだよ』


 世界を救うには、程遠いけれど、

 身の回りの笑顔は増えた。


 空野台ウィング。いわゆるご当地ヒーロー。……よりも、まだ小規模かもしれない。僕が衣装を着て、英司が無線で声を届けてくれる。

 それを麻美がYouTubeで配信するのが、僕達のヒーロー活動だ。まだ細々ではあるけれど、活動の場面は徐々に広がっている。


 休日になると、僕は青いヘルメットを被り、青いスーツを着て、白いスカーフをなびかせる。ポリ袋を片手に、トングでひょいひょいと空き缶や吸い殻を拾っていく。後で麻美が分別してくれて、一部は英司が知人のリサイクルショップに持っていくのだとか。


「これが環境保護の第一歩だッ! エコロジービーム!」


 英司の時々スベるアドリブに合わせて、麻美のカメラにポーズを決める。

 世界を救うなんて簡単にはできないけれど、周りから少しずつでも変えられたら、そして、それが誰かの力になれば、そこからまた「誰かのための」ヒーローが生まれていく。

 そうやってヒーローがたくさん増えていけば、この世界はもっと優しく、温かいものになるはずだ。

 今の僕は、そう信じている。……信じられる。


「ヘイ!そこの若者! 広がって歩くと自転車にぶつかっちまうぜ? 骨折は痛いぞ! つうよりツーだ! せめて2列になりなさい!」


 ……英司の寒いギャグに苦笑しながら、渋々2列になった若者に敬礼。「そうだ、偉いぞ」と、さりげなく褒めるのが、なんとも英司らしい。


 心強い仲間と共に、空野台ウィングは今日も行く。

 ママチャリとゴミ袋と、トングを武器にして、エコロジービームや親切エナジーで世界を救いに向かうのだ。

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