第28話 新世界Ⅲ

 アキラはゆっくりと上昇を続けた。頭上に明るく輝く海面は手が届くほどの近さに見えたが、それは時間とともに遠ざかっていくような錯覚に陥るほど長い時間が経過した。呼吸は苦しくなかったが、意識が遠くなり感覚が麻痺するような症状が現れ始めていた。

「アキラ、目を覚まして」ユウコがアキラの耳元で囁いていた。ユウコの隣にはアンがいた。

「ここはどこだ」アキラは朦朧とする意識をはっきりさせようと頭を振った。

「どうやら地下要塞にもどったみたい」「やはりこの世界は作られたものだった」「誰が何の目的でこんなことをしているの」地下要塞の通路からいきなり広いドームの中に移動していた。

 ドームの天井は乳白色の淡い光を放っていた。「疑問に答えてあげよう」声のする方向に目を向けると壁からヒカルがまるで浮かび上がるように出現した。それはまるで投影されたシルエットのようだった。「君たちはこの世界が現実の世界でないことに気が付いた。これ以上、この実験を続けても意味がなくなった」「実験とは一体何だ」「それを説明する前に君たちに見せるものがある」ドームの壁面に映像が映し出された。それは21世紀初頭の東京の空からの映像だった。

「古い東京の空中写真だわ」「荒廃する前の東京だ」「そのとおりだが、何かおかしくないか」アキラとユウコは目を凝らした。スカイツリーの形がおかしいことに気が付いた。一番上の部分がなくなっていた。東京タワーは展望台がなくなり、溶けたようにひしゃげていた。高層ビルも窓ガラスが割れていたり、壁が崩壊しているものがほとんどだった。世田谷や杉並の住宅地は屋根に穴があいていたり、黒焦げになった住宅の残骸があちこちにあった。

「これも仮想現実なのか」「これは現実だよ」「一体どういうことなの」「その疑問は我々も同じだ」

「君たちは一体誰なんだ」「まだ分からないのか」「我々はこの地球から11光年離れた惑星からやってきた」「まさかRoss128b から来たのか」「君たちがそう呼んでいた惑星だ。我々も生命を探索していた。そして、この地球にやって来た。ところが都市はすべて荒廃していた。人類はこの地球上から姿を消していた」「嘘だ。なぜなら私たちがいる」「説明が必要のようだ。我々は人類が滅びた原因を徹底的に調べた。あらゆる文書、電子的データ、映像記録、音声記録、しかし、原因は分からなかった。核戦争、伝染病、アンドロイドの反乱、マイクロマシンの暴走、異星人の侵略など、考えうるあらゆる可能性を検討したがどれも違った」「私たちが存在している説明になっていない」「話はまだ終わっていない」

「人類が滅亡した原因を解明することは我々にとっても意義深いものだった」「自分たちにも降りかかるかもしれないと考えたわけか」「そのとおりだ」その時、アキラは自分の存在の理由に気が付いた。「まさか、私たちを作り出したのか」

「やっと分かったようだな。人類は滅亡したが、我々は冷凍保存されていた遺体を発見した。それがヒカルだ。ヒカルのDNAから我々は人類を蘇らせた。そして、人類が生存していた時代に合わせるためにアンドロイドやマイクロマシンも作り出した。そして、様々な状況を仮想空間の中でシミュレーションしてみた。今回の実験は32回目だった」

「それで一体何が分かったの」ユウコは彼らの言葉を信じたくなかった。

「残念ながらいまだに確実な原因が分かっていない。人類というのは想像以上に理解不能な存在だ」「実験のために人間を犠牲にしてきたのか」「アンドロイドも殺された」アンは怒りで震えていた。

「人類は絶滅したんだ。それを忘れてもらっては困る」「そんなことが言い訳になるか」

「犠牲のおかげで分かってきたこともある」「それは一体何なの」「絶滅の原因が複合的なものということだ」「シミュレーションの結果、生き残った者はどうなった」アキラの質問に沈黙が続いた。アキラもユウコ、そしてアンもその答えをすでに知っていた。

「君たちはよくやったよ。人類絶滅の答えは33回目のシミュレーションで明らかになると我々は信じている。君たちにその答えを伝えることが出来なくて残念だ」「アキラ、ユウコ、私の言うことをよく聞いて。埋め込まれている装置を破壊する。少し痛みがあるかもしれないけど我慢して」そう言うとアンは両手でアキラの両耳を塞いだ。一瞬、目の前が真っ暗になる衝撃が走った。視界が戻るにつれて、ドームの中ではなく地下要塞の通路にいることが分かった。アンはユウコにも同じことをした。「何をしたの」「仮想空間を創り出す装置を電子パルスで破壊した」「アン、君のはどうやって取り出せばいいんだ」「自分でやる」アンは右耳に自分の人差し指を差し込んでいった。耳から血が溢れ出た。アンは痛みに声を上げながら、さらに指を差し入れて、血まみれになった小さな電子装置を取り出した。アンはその装置を忌々しそうに握り潰した。

「まずいぞ」アキラは通路の両方から何か重い物体が近づいて来るのが床の振動から分かった。

現れたのは、戦車と言ってもいい重武装のロボットだった。胴体の両脇には機関砲が装備されていた。直撃を受けたら跡形もなく粉砕される。アキラはロボットの胴体の下にペンシル型の手榴弾を投げ込んだ。ペンシル型は小さくても破壊力は馬鹿にできなかった。ロボットの右足が吹っ飛んで横倒しになった。転倒しながら発射された銃弾は壁に大きな穴を開けた。さらに向かい合っていたロボットの胴体にも命中した。仲間のはずのロボットから攻撃を受けたロボットは転倒しているロボットを敵と判断して、2丁の機関砲の全弾を撃ち込んで完全に破壊した。

「こっちだ」アキラはユウコとアンに一番近いドアを指さした。飛び込んだ部屋は大きな実験室だった。計測機器や顕微鏡、実験器具が整然と並んでいた。実験室に続く部屋の壁は巨大なディスプレイになっていた。映し出されていたのは監視カメラの映像だった。

 分割された画面には監視カメラの映像とその場所が一目で分かるように地下要塞の立体マップに印が付いていた。「ここを見て。ヒカルが歩いている」ヒカルの前後を歩いているのは、奇妙なほどに灰色の肌の人間だった。「もしかしたら、ゼンやケンはまだ生きているのでは」「なぜそう思うんだ」「わざわざ作り出した人間を簡単に殺していたら、実験を32回も出来ないと思うの」

「確かに一理あるな。ヒカルの後を追えば確かめられる。行こう」3人は地下要塞の中心部に向かった。地下要塞は犯罪者の巣窟などではなかった。

 Ross128bからやって来た知的生命体の実験場だった。「彼らの後を追えば、生き残った人間に会えるはずだわ」アキラは仲間を助け出した後のことは考えていなかった。今は先のことを考えるよりも行動の時だった。追ってくるロボットもマイクロマシンも無かった。いくつものドアを通り抜け、階段を上り下りして、マップに示されていた中心部に確実に近づいているはずだった。

 監視カメラで見た管制室のドアにたどり着いた時、突然床が大きく揺れ始めた。「また仮想現実が始まったのか」「そんなはずはないわ」「それじゃあ、地震なの」アキラは揺れが地震とは違うと思った。「これは地震の揺れじゃない。この要塞そのものが動いている」

 地上では地割れとともに地下要塞の中心部が上昇を始めていた。地下要塞は外縁部を切り離して、中心部を飛行体として地上から離脱しようとしていた。地下通路のあらゆる場所で隔離扉が閉まり始めていた。「奴らを逃がしたら、二度とつかまえられない」「どこから切り離さているの」

「分からない。とにかく中心部だ」3人が全速力で走るすぐ後ろで隔離扉が閉まった。数十メートル先の扉も上から閉まり始めていた。その扉には見たこともない文字が書かれていた。扉の向こうが飛行体に間違いなかった。アキラとユウコは半分閉じかけた扉の下をくぐり抜けた。アンは閉まる寸前に足からのスライディングしながら、間一髪すり抜けた。

 その時、飛行体が外縁部から完全に切り離されて、浮き上がったことが重力の変化から分かった。「浮き上がったぞ」「これはまさに空飛ぶ円盤じゃない」「奴らを探そう」「探さなくてもあっちから来たみたい」アキラとユウコはアンが指さす方向を振り返ってみた。ヒカルと連れ立って2人の男女が近づいてきた。男女の身長はほぼ同じだった。細身の体にぴったりとしたフライトスーツをまとっていた。抜けるような白い肌、華奢と言ってもいい体格だった。ヒカルは無表情だった。

「君たちは実にあきらめの悪い連中だ」「研究対象としては、とても面白いわ」異星人は男女の区別がつきにくかった。「ヒカルに何をした」「ヒカルは不治の病にかかっていて、冷凍保存されていた。治療法が分かる前に人類が絶滅したために放置されていた。私たちはヒカルを蘇らせ、完全な健康体にした。そして、その遺伝子を使って、人類を復活させた」

「人間を実験台にしただけじゃないか」「人間が絶滅する過程は他の生命体が絶滅する過程とは違う。その不思議を解明したいと考えるのは君たちの言うところの悪なのか」

「恐竜が滅んだように隕石の衝突とかじゃなかったのか」「巨大隕石の衝突、未知のウィルスによるパンデミック、その他いろいろなことを調べたが証拠が見つからなかった。一瞬の出来事でなければ記録が残っているはずだ。だが、いくら探してもどこにも記録は無かった。こんな不思議なことはないじゃないか」「それで自分たちの好奇心を満たすために実験を始めたというのか」

「その原因を探ることは人類にとっても有意義だとは思わないのか」

「実験台にされた人間が何人死んだと思っているんだ。君たちのやったことは到底許せない」

「じゃあ、何をするというのだ」「君たちのたくらみを阻止する」「そうかい。やれるのならやってみろ」異星人は人間がやるように指を立てた。ヒカルが飛びかかろうとしたが、突然目の前から彼らが消えた。そして、目の前にあの見たことがない文字が現れた。急速に上昇するエレベーターの箱を吊り下げる鉄製のロープが突然切れたように無重力状態になった。異星人が乗った飛行体はアキラたちを置き去りにして消えていった。切り離されたリング状の物体は皇居のお堀に落下した。

 3人は衝撃で気を失った。冷たい感触にまず目を覚ましたのはユウコだった。侵入してきた水が頬に触れていた。ユウコはアキラとアンの名前を呼んだ。アキラは水中に沈んでいた。アンは床に倒れていた。その顔は血に染まっていた。ユウコはアキラを水中から引き上げて、人工呼吸を試みた。心臓は止まっていなかった。水を吐き出すと同時にアキラは意識を取り戻した。

「急いで。ここから出ましょう」ユウコとアキラは意識を失っているアンを抱き起し、落下したときにできた外壁の穴から脱出した。堀の水は冷たく、濁っていた。

 対岸まで泳ぎ着き、アンを引き上げた時にはユウコもアキラも息も絶え絶えになっていた。一部だけ水面に顔を出したリング状の物体は鈍く光っていた。その光景には既視感があった。アキラは記憶をたどっていた。そして、思い出した。パラグライダーを使って、空から侵入する時に一瞬見たリング状の物体だった。それは今目の前にある物と同じようにお堀にわずかに上部を出して、沈んでいた。いったい何が起きているんだ。今まで起きたことはすでに起きたことの繰り返しなのか。

「アキラ、どうしたの。顔が真っ青だわ」「君は気が付いていないのか。このリング状の物体はここに来た時からここにあったんだ」「何を言っているの。私たちは上空から切り離されて、お堀に落とされたのよ。現にあそこから脱出してきたじゃないの」「確かに落下の衝撃を感じたし、怪我もしている。しかし、確かにこの目でリング状の物体をパラグライダーから見たんだ」アンがうめき声を上げながら意識を取り戻した。額からの血は固まって止まっていた。

「そんな不思議なことはないわ」「考えてみてくれ。今まで不思議なこと、おかしなことの連続だったことを」「どうしたらそんなことが起きるの」ユウコはアンの傷の具合を調べていた。アキラは納得のいく答えを考え続けていた。混とんとして、思考は乱れに乱れていた。

「アンには休息できる場所が必要だわ。どこか安全な場所に移動しましょう」「デスゾーンに安全な場所なんてない」アキラはそう言った後で本当にそうなのかと思い直していた。今まで見たことがすべて真実とは限らない。人類が絶滅したというなら、デスゾーンは最初から存在しないのでは。次々に疑問が湧き上がった。答えはどこにあるのか。

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