第24話 中国辺境Ⅹ 悪魔の要塞

 ソルジャーとアンが悪魔の要塞に向かって出発したのは、真夜中になってからだった。悪魔が操作する蟻は午前零時になると活動を停止するからだった。

 双子姉妹に教えられた地下通路を進み、ジェイドで一番高い建物の真下に着いた。地下通路の真上は巨大な倉庫になっているはずだった。地下通路につながる鉄扉は無くなっていた。倉庫は階数で言えば3階分に相当する高さがあった。そこには様々な作業車が置かれていた。

 そして、二人が思わず声を上げたのは巨大倉庫の中央に聳え立つ蟻塚だった。二人は蟻塚を刺激しないように非常階段を使って、上り始めた。最上階の24階まで何が待ち受けているか分からなかった。巨大倉庫の上は1階から5階までは、中央部分が吹き抜けになっていた。

 吹き抜けの空間を囲むのはジェイドのすべての施設を監視し、運用する管理センターになっていた。1階の出入口は、すべて閉鎖されていた。もし、無理に突破しようとするとセンサーが作動して、機関銃の砲火を浴びるようになっていた。

ソルジャーは2階にも同じような仕掛けがあるに違いないと思った。階段と廊下に張りめぐらされたセンサーを避けて、最上階までたどり着くことは不可能なことに思えた。それにしてもこの建物の構造は独特だった。1階からなんと20階まで巨大な吹き抜けになっていたからだ。ソルジャーは巨大な吹き抜け空間を暗視装置を使って見上げた。この巨大な空間には侵入者を捉えるような光線は見当たらなかった。ソルジャーは身に着けた銃器を外し始めた。

「何をするつもりなの」「この吹き抜け空間には仕掛けはなさそうだ。この壁を上る」アンは壁を見上げた。「登山の経験はあるの」「ないがやってみる」「私に行かせて」アンが言った。

「私はボルダリングの経験があるの。まかせて」アンはソルジャーの答えを待たずに壁を登り始めた。その動きは実にスムーズで流れるような動きだった。命綱も付けずにあっという間に5階の高

さまでまで登り切った。ソルジャーはアンの動きに見とれていて、警戒すること一瞬忘れていた。

我に返ったソルジャーは周囲の窓に何か変化がないかをスコープで確認した。その時、10階の窓に動きがあった。何か黒い影が動いた。そして、黒光りする銃身が見えた。

 ソルジャーは躊躇せずに銃身に向かって発砲した。窓が割れ、窓枠が吹き飛んだ。吹き抜けの空間を銃撃音が満たした。この瞬間、相手に気付かれずに接近することは不可能になった。ソルジャーはアンが無防備のままなので、近くの窓を銃撃で破壊した。そして、援護するために吹き抜けの空間の中心に進み出た。敵の標的にあえてなることによって、アンを守ろうとした。

 銃身の見えた窓の反対側でも動きがあった。ソルジャーは見えない敵に向けて、グレネードランチャーで榴弾を発射した。爆風で窓ガラスを窓枠が吹き飛び、床に降り注いできた。ソルジャーの左腕に鋭利なガラス片が突き刺さった。激痛に思わず声を上げた。ソルジャーはガラスの破片と同時に落ちてきた黒い小さな物体がゆっくりと近づいて来るのに気が付いた。それは昆虫型のマイクロマシンだった。その数は数十匹だった。その黒い頭の先の鋭い牙が音を立てていた。

 ソルジャーはマイクロマシンに襲われた兵士を何人も見てきた。どんな頑強な兵士も数分後には猛獣に食いちぎられたような無残な姿をさらすことになった。襲われる前に逃げ切るしかなかった。ソルジャーは手榴弾の安全ピンを素早く抜き取り床に転がした。全速力で走りながら、さらに背中越しに手榴弾を投げた。爆発音とともに爆風が背後から襲ってきた。

 マイクロマシンの一匹が肩に食いついてきた。ソルジャーが引きはがす時に、上着の布と肉が一緒になって剥がれた。ソルジャーは非常階段用の鉄扉を開け、急いで閉めた。開閉にかかった時間は数秒だったが黒い昆虫は、右足から這い上がろうとしていた。

 ソルジャーは払いのけると分厚い軍靴で踏み潰した。耳障りな金属音がした。潰れた昆虫の足が無気味に動いていた。ソルジャーは非常階段を全速力で上り始めた。アンは壊れた窓から室内に入った。埃をかぶった机と椅子、書類があちこちに散乱していた。壁がグラグラと揺れていた。突然、壁が崩れ銀色の機械が現れた。その機械には2台の機関砲が積まれていた。アンは機関砲の銃口が自分に向けられるのを見た。

 アンは一番近くの窓から飛び出した。凄まじい爆音とともに窓枠と壁のコンクリートが粉々になって飛び散った。窓の外側にわずかな出っ張りがあり、アンは震えながら身を潜めていた。コンクリート製の壁が銃撃でよって、激しく崩されていった。アンは狭い出っ張りの上を這いながら進んだ。ソルジャーは5階まで上がった時に激しい銃撃音を聞いた。アンを何としても救いに行かなければ気が焦った。その時、上の階から何かが大きな音を立てながら、落ちてきた。

 ソルジャーは落ちてくる物の正体を見定めようとした。それは銀色の球体だった。その球体はソルジャーと正対する位置まで来ると停止した。静かに空中に浮き上がりながら、側面から鋭い刃が複数出てきた。ソルジャーは球体に向けて、榴弾を発射した。榴弾は球体に当たった後に方向を変えて、壁で爆発した。壁に開いた大穴から夜明け前の空が見えた。球体は刃を回転させながらソルジャーの脇をすり抜けていった。刃の一部を失い、空中姿勢が微妙に変化したため、直撃が避けられたのだった。もし、体の正面に来ていれば、胴体は真っ二つになったに違いなかった。

 球体は失敗をすぐに学んだ。球体を90度傾けて、刃を垂直方向に変えたのだった。ソルジャーは球体が傾きを変えるときに青いレーザー光を床、壁、天井に発するのを見た。球体には目の役割を果たすセンサーがあった。ソルジャーは青いレーザーを発する光学ガラスに向けて、銃撃を加えた。そのうちの一発が光学ガラスを粉々に破壊した。球体は姿勢制御が不能になって、墜落した。上の方で凄まじい破壊音が聞こえてきた。ソルジャーは先を急いだ。8階から9階に上がる階段は破壊されていた。仕方なく8階のフロアに入ったところで、あの球体の再び現れた。

 球体は刃を出す前に2つに分離した。そして、されに2つに分離して、4つの球体になった。4つの球体はそれぞれの距離を広げつつあった。球体は連携して、ソルジャーを取り囲むつもりだった。そうなれば万事休すだった。ソルジャーは咄嗟に特殊閃光弾を壁に向かって投げた。凄まじい爆発音と閃光と煙が辺りを覆った。球体はセンサーの目と耳を失って、空中を当てもなく漂うしかなかった。ソルジャーは球体が迷っている間にフロアを先に進み、エレベーターを見つけた。

 危険を承知でエレベーターに乗り込み、10階のボタンを押した。ドアが閉まり、エレベーターは音を立てながら上がり始めた。アンはわずかな出っ張りを匍匐前進のように進んでいた。機関砲は壁を容赦なく破壊していた。その威力は凄まじく、壁のあった場所は跡形も無かった。アンは10mほど進んだところで恐怖に震えた。出っ張りが途切れていた。

 出っ張りは途中で途切れ、その間には3mぐらいの空間が広がっていた。機関砲の砲撃がすぐ後ろまで迫っていた。機関砲は弾薬を装填するわずかな間があった。その間をアンは待った。その時が来た瞬間、アンは立ち上がり途切れた先にある出っ張りに向かって飛んだ。思った以上に遠かった。届かないと思った。出っ張りの先端から5㎝くらいを指先がかすめた。

 激しい砲撃が後方で聞こえた。砲弾がさく裂する爆発音は今までとは違う方向だった。機関砲はエレベーターの上昇音に気付いて、標的を変えていた。エレベーターの扉が開いた瞬間、機関砲2門同時に火を噴いた。エレベーターの箱は一瞬で破壊され、奈落の底に落ちていった。激突した衝撃音とともに煙と埃が舞い上がった。

 機関砲は標的が消滅したので、砲撃を再開しようと、元の位置に砲塔を回転させた。その時、背後で金属に何かが貼り付くような音にセンサーが反応した。センサーはその四角い青い物体が赤く光るのを感知した。機関砲を積んだ戦車は、強力なプラスチック爆弾の威力で四散した。ソルジャーは窓の跡形も無くなった空間から、吹き抜けを見下ろした。アンは途切れた出っ張りを掴み損ねて、1階下の出っ張りにぶら下がっていた。

「遅いわよ」ソルジャーは身を乗り出し、アンを引き上げた。「よく耐えたな。次から次に敵が現れる」

「ぐずぐずしてられない。先を急ぎましょう」アンはこれだけ危険な目にあっても怯まなかった。ソルジャーは屈強な兵士だが、アンも誰にも負けないぐらい勇敢な戦士だった。

「エレベーターは破壊された。階段は危険だ」アンはフロアの反対側を見ていた。

「フロアの先に別の非常階段がある。そっちを試してみる」このビルの頂上までまだ半分も来ていなかった。「どんな選択をしても危険極まりないな。試してみるか」ソルジャーはサブマシンガンをアンに手渡した。フロアの反対側の非常階段はソルジャーの使った階段よりははるかに簡素な作りだった。外階段に申し訳程度の壁が張られているような構造だった。

 階段も頑丈なものではなく、鉄板がむき出しになっていた。雨漏りのせいか、あちこちが錆びていた。階段を上るごとにギシギシと音がした。これだけ音を立てれば間違いなく気付かれそうだが、13階までは何も起こらなかった。ソルジャーが先を歩き、アンは後方にも注意をはらっていた。何かにおいを感じた。アンは人間の臭覚の100倍以上の能力があった。

「息を止めて」アンはそう言うとソルジャーの腕を引いて、13階の鉄扉を開くと中に飛び込んだ。

その瞬間、ふたりは凄まじい圧力を背中に感じて、10m以上先まで飛ばされた。アンとソルジャーはひしゃげた鉄扉の下敷きになっていた。

 ソルジャーはアンの体を守るように上になっていた。アンは体じゅうに痛みを感じていた。ソルジャーは身動き一つしなかった。アンは必死にソルジャーを揺さぶった。長い時間に感じた。ソルジャーはゆっくりと目を開けた。

「生きていた」「一体、ここはどこだ」「さあ、起きて」兵士の本能が蘇った。すっくと立ち上がるとアンと走り始めた。可燃性ガスに引火したための爆発に違いなかった。衝撃は反対側の階段でも起きた。熱気と爆風が二人に押し寄せてきた。咄嗟にそばにあった机の後ろに身を隠した。髪の毛が焦げる臭いがした。その時、エレベーターシャフトでも大爆発が起きた。その衝撃は凄まじく、机や椅子は爆風で吹き飛ばされ、窓ガラスは粉々に砕け散った。壁が床の一部が崩れ落ちた。建物全体が揺れた。焦げ臭い臭いがした。

「火災が起きた」埃だらけのアンを引き起こしながらソルジャーは急いで退避しようとした。

「だめよ。上に何があるか確かめましょう」「じきにこの建物は炎に包まれるぞ」

「この爆発で敵は無防備になったに違いない。行きましょう」アンはソルジャーの手を振り払うと今にも崩れ落ちそうな階段を上り始めた。ソルジャーはアンの後を追うしかなかった。

 最上階まで駆け上がって見た物は意外なものだった。フロアには仕切りがなく、中央にソファとガラス製のテーブルがあるだけだった。ソファには壊れたロボットが一体横たわっていた。

「誰もいないわ」「逃げたのか」屋上に続く階段がフロアの奥に見えた。二人が階段の方に歩き始めた時、ロボットがゆっくりと動き出した。気配にいち早く気が付いたソルジャーが銃口を向けた。

「撃つんじゃない」ロボットが喋った。その声はロボットから発せられたのではなかった。

「誰が喋っているの」アンはだだっ広いフロアを声の主を探した。目に入ったのはガラス製のテーブルの上に載っている円錐状の小さな物体だった。その物体は透明で高さが5cmにも満たなかったため、最初は気が付かなかった。アンはソルジャーにその物体を指差した。

「ここの支配者はどこに行った」「ここには支配者などいない」物体から声が流れ出した。

「ヘリで逃げ出したのか」「君たちは何も分かっていないな。ここを支配しているのは人間でもロボットでもない。もちろんアンドロイドでもマイクロマシンでもない。人工知能AIがすべてをコントロールしている。予想した結果にならないこともあるが」「AIは人間に危害を与えないはずだ」

「そんなルールはない。AIはすべての生物、無生物の関わりを予想し、実験する。その過程で様々なことが起きる。人間は食物連鎖の頂点にいるわけじゃない」

「君を作ったのは誰だ」「ここにはいない。どうせ君たちはここで死ぬのだから、最後に教えてやろう。すべての鍵は東京にある」アンはロボットの手にスイッチのような物が握られているのを見た。

「ソルジャー、あれを見て」ソルジャーの銃が火を噴く前にロボットがスイッチを押した。

「ロボットがこの建物を完全に倒壊させる爆薬を起動させた。残り時間は1分だ」ソルジャーとアンは屋上に上がる階段を全速力で駆け上がった。

 屋上はヘリポートになっていたが、ヘリのローターは壊れていた。残り時間は40秒しかなかった。建物は先ほどの爆発によって、すでに傾き始めていた。アンは脱出シュートを投げたが、途中でからまって地上まで届かなかった。脱出シュート格納箱の横に古びた1本のロープがあった。

 強度が気になったが、躊躇している時間は無かった。アンはロープの一端を頑丈そうな柵に結ぶとソルジャーに言った。「順番に降りている時間はない。一緒に降りるのよ」アンの言っていることをソルジャーはすぐに理解した。元レンジャーのソルジャーはロープを使って、高い場所から一気に降下するのは得意だったが、同じロープを使って2人で同時に降下するのは初めてだった。

「一か八か、やるしかないな」アンが先にソルジャーが続いた。垂直なはずの壁面はわずかだが傾き始めていた。ロープとの摩擦でアンの指から血が噴き出た。激痛が走ったが、下降スピードを緩めることは出来なかった。地面が急速に近づいていたが、建物の基礎部分が爆薬で破壊された。

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