第23話 中国辺境Ⅸ 地下通路

 砂漠にほぼ垂直に立ち上る黒煙に近づくにつれて、わずかに残っていた希望が消えていった。オスプレイが機首を突っ込む形で墜落していた。機体後部は少し離れた場所にあった。空中で機体が二つに破壊されたようだった。黒焦げになった死体があちこちに転がっていた。ダイアナは嗚咽していた。ハンナはアンに抱きついたままで目を背けていた。

「夜になったら、奴らがやってくる」ハンナはアンの腕の中でつぶやいた。

「アン、ハンナを向こうに連れて行け」ソルジャーは生存者がいないか声をかけながら歩いた。

死体は焼け焦げていて、損傷も酷かった。空中で爆発した可能性が高かった。この惨状では生存者の可能性はなさそうにみえた。ソルジャーは操縦席を覗き込んだ。パイロットの首は奇妙に曲がっていた。副操縦席で死んでいる男はドクターでは無かった。地上に散乱した物から食料と武器を集めた。

「ダイアナ、しっかりしろ」ダイアナは泣きはらした目でソルジャーを見た。

「アンとハンナはどこにいる」ソルジャーとダイアナは戦場と化した砂漠の地平線を見渡した。アンとハンナがいたはずの場所には焼け焦げたオスプレイの機体の破片しかなかった。二人は集めた物資を背負うとその場所に向かって走った。アンとハンナの名前を連呼したが、応答が無かった。

 ダイアナは踏み出した足の先の地面が盛り上がったのを見て、悲鳴を上げた。ダイアナの後ろにいたソルジャーはその声に反応して、銃身を地面に向けた。

「撃たないで」アンの声が地下から聞こえた。盛り上がった地面に見えたのは、地下通路に通じる入り口だった。

「2人とも早く入って」アンにうながされて、梯子を降りた。降りた所から真っ直ぐに通路が伸びていた。通路はハンナが歩くにはちょうどいい高さだったが、大人はかがむ必要があった。

「この通路はどこに通じているんだ」「ジェイドに通じている」「私たちは結局、ジェイドからは逃げ出せないということね」地下通路は明かりがついている場所とついていない場所があった。

 ジェイドへ伸びた地下通路は拡大する施設へのライフラインの役目を果たしていた。本来の規模は今の8倍以上あるはずだった。拡大途中で起きた災厄でジェイドは魔物が住む廃墟と化していた。ハンナは何も言わずに先を急いでいた。少女は本能的に危険を察知する能力を有しているようだった。ハンナを先頭にアン、ダイアナ、最後にソルジャーが続いた。

「ハンナ、この地下通路は安全なの」アンの問いにハンナは唇に指を当てて答えた。耳を澄まして前方の暗闇に目を凝らしていた。ハンナは五感をフルに活動させていた。地下通路は所々で枝分かれしていた。その行き先はプレートに書かれていた。ハンナは最初の枝分かれでは迷いなく進んだが、二番目の枝分かれでは進む方向を逡巡した。右は明かりがついていたが、左は暗闇だった。ハンナはわずかに流れる空気の臭いを嗅いでいた。

 そして、暗闇の方を指差した。ソルジャーが先頭に立ち、自動小銃の先にマグライトをテープで巻きつけた。ハンナはアンとダイアナの間にして進んだ。マグライトの光に浮かび上がるのは、錆びた床だった。そして、白い物が浮かび上がった。それは、無数の白骨だった。水の溜まっている場所もあった。通路の先で何か音がした。

「アン、大変、戻ろう」ハンナはアンの手を取って、もと来た方向に走り出した。ソルジャーとダイアナも続いた。

「何が起きているの」「扉が閉まってしまう」枝分かれの場所に近づくにすれ、ハンナの言葉の意味がアンにも分かった分厚い鉄の扉が降り始めていた。まず、ハンナ、そしてアンが飛び込んだ。少し遅れて、ダイアナ、ソルジャーは扉が完全に降りる直前に滑り込んだ。ハンナの顔は真っ青だった。ハンナの指差す先を全員が見た。閉まった扉に黒い足が2本出ていた。ピクピク動いていた。

「こいつは何だ」ソルジャーは靴で踏みつけた。扉の向こうでは、ガサガサと凄い音が響いていた。

「蟻の大群」ハンナの紫色の唇から漏れ出た言葉だった。

「蟻ですって」ダイアナはソルジャーが踏み潰した足を見ていた。足の一部だったが、それでも15㎝以上はあった。その長さから考えると体長は1m以上はあるはずだった。

「化け物みたいな巨大昆虫がいるんだから巨大な蟻がいても不思議じゃないな」

「とても凶暴な蟻、人を食い尽くす」アンは巨大な蟻の大群に襲われたらひとたまりもないと思った。

「あの白骨は蟻の犠牲なのか」ソルジャーが独り言のように言った。ハンナは小さく頷いた。

「残るルートは大丈夫なのか」ハンナは思案していた。

「ハンナには荷が重すぎる」アンが言った。「このルートを進みましょう」ダイアナが意を決したように言った。

「分かった。先に進もう」ソルジャーが先頭にたった。ルートは途中で何カ所も枝分かれした。ハンナの意見を聞き、3人が多数決で決めた。「ここの生態系は一体どうなっているの」ダイアナが言った。

「確かに常識では考えられない」「これだけ巨大な昆虫が多数生息するためには食料が必要だわ」

「それなのにここには植物もまともに生えていない」「食料が植物とは限らない」「共食いしているということなの」「不思議なことばかりだ」「夜になる。早く安全な所を探さないと」

 いくつも分岐点を過ぎ、ハンナはようやく見覚えのある場所にたどり着いたようだった。初めて安堵の表情を浮かべた。「この上は安全」4人は梯子を上り、ハッチのような蓋を開けた。そこは鋼鉄製の箱のような空間だった。

「ハンナ、ここは安全なの」アンの問いにハンナは頷いた。ソルジャーとダイアナは箱の周囲を調べた。出入口は入って来た床の部分と壁の2カ所だった。どちらも潜水艦のような頑丈な扉だった。

「この部屋は一体何なの」「おそらく、放射能漏れの事故が起きた時の避難所じゃないのかな」

壁際の棚には保存食と水の入ったタンクが綺麗に並べられていた。

「ここには両親と来たことがあるの」ハンナがポツリと言った。

「腹が減った。腹ごしらえしよう。次の行動はそれからだ」棚から保存食を取り出し、思い思いに食べ始めた。食欲が満たされると急に眠気が襲ってきた。

「俺が見張っているから3人は寝てくれ」ソルジャーは、ハッチの近くの壁にもたれかかった。静かだった。命からがらの逃亡の疲れと満腹になったせいで、3人はすぐに眠りに落ちた。寝息が聞こえてきた。ソルジャーはジェイドで起きていることを考えていた。アンやダイアナが言うとおり、ここで起きていることは、生物学の常識を超えていた。といってもこの世界がすでに異常だったが。

 食物連鎖の頂点にいるのは、あの巨大昆虫なのか。それとも寄生生物なのか。捕食されるのは人間なのか。しかし、ここには生態を維持できるほどの人間はいなかった。捕食される生物は蟻なのか。個体数は相当なものだった。ではその蟻はどうやって個体数を維持しているのか。科学者ではないソルジャーには見当もつかなかった。

 ソルジャーはいつの間にか眠っていた。疲れが限界にきていた。うとうとしていた時間はほんの5分間ぐらいだった。目が覚めたのは、ハッチの向こう側から聞こえてきた物音のせいだった。物音はハッチを叩く音だった。一気に戦慄が走った。ハッチに耳を当てた。叩く音は規則性があった。

 いつの間にかハンナも近くに来ていて、耳を澄ましていた。ソルジャーはアンとダイアナを起こした。「何が起きているの」「外に誰かがいる」「ハンナ、何をしているの」ハンナがハッチを開けようとしていた。

「開けても大丈夫」アンはハンナを信じて頷いた。ハッチが開けられた時、ハンナ以外は皆あっという声を上げた。そこに鏡があるのと思うほどハンナにそっくりの少女が立っていた。それが鏡に映る像でないことは着ている服が違うことで明らかだった。

「クローン人間なの」ダイアナが言った。ソルジャーはアンドロイドかもしれないと思った。アンにとっては、ハンナがクローン人間でもアンドロイドでも関係なかった。

「私たちは双子なの」「初めまして。私は姉のエミリー」エミリーがわずかに頭を下げた。

「ハンナがここにいることがどうして分かったの」「私たちは生まれつき心を通じ合わせることが出来たの。あなたたちがテレパシーと呼んでいるものね」「それなのになぜ分かれていたの」

「ここにはいろんな敵がいる。ハンナとは逃げ回っている時に別れ別れになった」

「ここには他に人間はいるの」エミリーとハンナが顔を見合わせた。「人間ではなく、神がいる」その言葉に三人は耳を疑った。

「あなたたちが言う神とは何なの」エミリーがその問いに答えた。「創造主のこと」

「創造主が何を作ったの」「巨大昆虫、寄生生物、その他ここに生息するすべての生き物」

「あんな化け物を作り出したなら、それは神ではなくて、悪魔と呼ぶべきじゃない」

「そうかもしれない。ただ、神と呼ぶように私たちは強制されていた」ハンナが答えた。

「ここにはあなたたち以外に生き残っている人たちはいるの」

「分からないけど、多分、みんな変えられてしまった」ハンナは涙を流していた。

「神、いや悪魔はどこにいるの」アンはハンナの肩を抱いていた。エミリーも一緒に泣いていた。

「悪魔が住んでいるのはジェイドの中の一番高い場所にいる。そこですべてをコントロールしている」巨大昆虫も寄生生物も蟻の大群も操っている奴がいること知って、ソルジャーは怒りの炎を燃やしていた。

「そいつのいる場所を教えてくれ」エミリーは悪魔が住む場所の見取り図を描き始めた。

「ソルジャー、まさか一人で行くわけじゃないわよね」アンが言った。

「そのつもりだ。アンとダイアナはこの子達を守ってくれ」「一人では行かせられない」アンとダイアナが同時に言った。「私が一緒に行く」アンが立ち上がった。

「この子達は私が守る」ダイアナはそう言うと自分の持っていた弾薬の一部をアンに渡した。

「その場所の真下までは地下のトンネルで行けるけれど、建物の中に侵入を試みた者は誰も戻ってこなかった」ハンナがエミリーの顔を見ながらポツリと言った。「あいつは自分の作り出した怪物で自分を守っている」

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