第17話 中国辺境Ⅵ 巨大な敵
ダイアナのチームは狭い路地を走り抜けると突き当りにある食料保管庫にたどり着いた。ここに来るまでに変わったことはなかった。保管庫の頑丈なドアの鍵を破壊するためにプラスチック爆薬がセットされた。爆風を避けるためにチームが後退した時、耳障りな音が後方から聞こえてきた。
シュンシュンという金属が擦れ合うような音だった。隊員たちが見たのは百足と蠍が合体したような見たことも無い巨大昆虫だった。狭い路地を塞ぐような巨体が迫ってきた。
ダイアナは行き止まりの路地に誘い込まれたことに気が付いた。「早くドアを壊して、あいつをくい止めないと全滅よ」隊員たちは一斉に攻撃を始めた。驚いたことに巨大昆虫は銃弾を跳ね返す鋼鉄のような外皮を持っていた。最後方にいた隊員はロケットランチャーで巨大昆虫の頭を狙って発射したが、無数にある足を2本噴き飛ばしただけだった。
ロケット弾を再装填する間もなく隊員は怪物の鋭い歯で頭を食いちぎられた。「目を狙え」その声に隊員は真っ黒な目に向けて、機関銃の一斉射撃を始めた。目の部分は体表よりも弱いため、巨大昆虫は片方の目を潰されて、動きを止め後退を始めた。その時、ドアの鍵が爆薬で破壊された。
「退避、退避」ダイアナは援護射撃を続けながら、隊員に大声で言った。巨大昆虫は1匹だけではなかった。後退する怪物を乗り越えるようにして、新たな怪物が迫ってきた。ダイアナは手榴弾を2個同時に投げた。その間にも隊員の一人が怪物の餌食になった。上腕部を食いちぎられた隊員が怪物の下敷きになり断末魔の声を上げた。
ドアに最後に飛び込んだダイアナは手榴弾の爆風で床に倒れこんだ。生き残った隊員7名はドアの内側に手当たりしだいに近くにある物を積み上げた。保管庫は間口に比べると奥行が異常に長く50m以上はあった。通路が3つあり、通路を挟んで、天井に届くぐらいの高さの棚が4つあった。
真ん中の通路の左右の棚にはほとんど物が無かった。ダイアナは食料探しよりも今にもドアを破って、怪物が襲って来ないかと心配だった。怪物が入って来た時に威力が最大になるように指向性の地雷を仕掛けた。ダイアナはドクターを呼び出した。
「ドクター、避難ルートを教えて」「食料は見つかったのか」「ここの状況が分かっているの。このままでは全滅よ」ダイアナの声は絶叫に近かった。
「分かった。その建物の右奥にドアがある。そこから次の建物を右に行った所で待っている」
「こっちよ。急いで」その時、ドアが怪物によって破られた。同時に指向性地雷が起動した。ドアは吹き飛び、周りの壁には大きな穴が開いた。爆発の衝撃で怪物の足が何本か失われたが、致命傷を与えるまでには至らなかった。
体の一部を失った痛みは怪物の怒りを助長するだけだった。壁を引きちぎりながら突進してきた怪物は逃げ遅れた隊員の体を無残にも八つ裂きにした。火炎放射器で反撃を試みた隊員は蠍の尾で串刺しにされた。隊員は完全にパニック状態に陥った。ある者は武器を捨てて、絶叫を上げながら必死に走った。ダイアナは何とか怪物の進撃を止めようと持っていた手榴弾を床に転がした。
怪物は壊れた壁から次から次に侵入してきた。食料棚を押し倒しながら間近に迫ってきた。
おなじ頃、アンとソルジャーの班も窮地に陥っていた。ロケット弾の直撃を受けた敵は致命傷を負ったが、別の敵が背後に迫っていた。完全に挟み撃ちの罠にはまっていた。現れたのは蟷螂の頭と足に胴体が鍬形虫が合体としたような怪物だった。不意をつかれた隊員が背中を切り裂かれた。前足はよく磨かれたナイフのような切れ味だった。
「囲まれたら終わりだ」ソルジャーの判断は早かった。「アン、退避だ」ソルジャーは班員に退避を命じた。ソルジャーは、ロケット弾を装填すると蟷螂の頭に向けて、発射した。驚いたことに怪物はその強靭な後ろ足で跳躍するとソルジャーの頭上を超えていった。ロケット弾は建物の壁を破壊しただけだった。怪物はソルジャーの後方にいた隊員の頭を一瞬のうちに食いちぎった。
ソルジャーの行動は早かった。アンの手を引くとロケット弾が開けた壁の穴に向かって走り出した。
奴らは凶暴な巨大昆虫で共同で狩りをする知能も持ち合わせていた。背後で銃声と悲鳴が聞こえた。二人が壁の穴に飛び込んだ時、蟷螂の前足が穴から伸びてきて、アンの背中に触れた。アンは思わず悲鳴を上げた。前足に生えた無数の棘はナイフのように鋭利だった。
ソルジャーは持っていたサバイバルナイフで前足を切りつけた。一瞬、怪物がひるんだ隙に二人は建物の奥に避難した。アンの服は背中の部分が切られて、白い肌には赤く血が滲んでいた。
「ドクター、聞こえているか」雑音が混じった。「ああ、聞こえる。そちらの状況はどうだ」
「巨大な昆虫に襲われて、隊員はバラバラだ。このままでは全滅する。上空から避難ルートを教えてくれ」しばらくの沈黙の後、ドクターの応答があった。
「食料班も巨大昆虫に襲われて、退避している。私はそち向かうので、待機しているオスプレイに救助に向かわせる」「救助ポイントを指示してくれ」「安全な場所を確認する」
「ここには安全な場所なんてない」ソルジャーはマイクに向かって怒鳴った。アンはダイアナのことが心配だった。
「聞こえるか。聞こえていればS7の建物の西側の駐車場に集合してくれ。オスプレイが救助に来る」
「了解」という応答があったのは2人だけだった。
「囲まれる前に脱出する。全力で走るぞ」ソルジャーは、そう言うとアンの手を引いて、走り出した。
広い建物の中央部分まで進んだ時に頭上からヘリの爆音が降るように聞こえてきた。ある程度の高度を保たないと怪物の餌食になる可能性がある。建物の屋根のあちこちに穴が開いた。凄まじい銃撃が始まった。
「味方を殺す気が」ソルジャーの怒りが爆発した。そして、屋根の上を何かが飛び跳ねた。その衝撃で屋根が大きく変形した。次の瞬間、床が地響きとともに上下に激しく揺れた。二人は両足を救われたような恰好で前のめりに倒れた。熱い空気が押し寄せてきた。凄まじい爆発音で聴覚が失われた。屋根の一部が吹き飛び、そこから黒煙と真っ赤な炎が見えた。
「一体、何が起きているの」「燃料庫が爆発した」ソルジャーとアンは立ち上がると黒煙が流れてくる方向と逆方向に走った。二度目の大爆発が起きた。地面が大きく上下したと思った瞬間、建物が音を立てて崩れ始めた。ソルジャーとアンはあと少しで出口のサインが見える所まで来ていた。
アンは倒壊した瓦礫の中にいた。辺りは暗く、息が苦しかった。体の上に覆いかぶさっている物を押しのけようとした時、呻き声がした。アンの体の上に覆いかぶさっていたのはソルジャーだった。ソルジャーは自分を犠牲にして、アンを守ろうとしたのだった。
「大丈夫なの」「君こそ、大丈夫なのか」ソルジャーの声はか細く、今にも消え入りそうだった。
「瓦礫をどけるから待ってくれ」ソルジャーはそう言うと最後の力を振り絞るようにして、起き上がった。アンはその姿を見て、胸をつかれた。顔面は血だらけだった。ソルジャーはよろけて、その場に座り込んだ。
「アン、先に行ってくれ」「一緒に行きましょう。私の肩につかまって」ソルジャーは首を横に振った。
「どうやら、背骨をやられたみたいだ。一緒には行けない」「分かった。必ず助けに来る」アンは自分の自動小銃と弾薬をソルジャーに手渡した。
「早く行くんだ」アンの目には涙が溢れていた。自分の命と引き換えにアンを救ってくれたリー、そして、今またソルジャーが同じことをしようとしていた。
「必ず戻ってくるから」アンはソルジャーの手を強く握った。ソルジャーの握り返す力はか弱かった。
瓦礫の山を必死に乗り越え、砂埃と黒煙で視界が悪い中を救出地点に指定された駐車場を目指して走った。頭上を黒煙と火の粉が舞うのが見えた。怪物は炎を嫌って、移動したようだった。あちこちに遺棄された車が放置された駐車場にたどり着いた時、そこにはオスプレイの姿も班員の姿も無かった。一瞬、場所を間違えたと思ったが、それは杞憂だった。
「救援はまだ来ていないかの」背後で声がした。煤で真っ黒な顔をした2人の班員が立っていた。
「他の隊員は」「みんなあの怪物にやられた。ソルジャーはどうした」「倒壊した建物の中にいる。助けに行くので手伝って」2人は顔を見合わせた。
「あそこに戻るは自殺行為だ」「ソルジャーを見捨てるつもり」「ああ、あれを見ろ」恐怖にかられた隊員の指差す方向に目をやると驚愕の光景が飛び込んできた。オスプレイにあの巨大昆虫が飛びかかろうとしていたのだった。胴体にある羽根を広げ、あの蟷螂の強靭な前足が機体を掴もうとしていた。最初の攻撃では、オスプレイの巨大なプロペラに前足がもぎ取られしまった。
いったん、離れた後、怪物は機体の後部に回り込み2枚の垂直尾翼の内の1枚を掴んだ。オスプレイは怪物の重量によって、バランスを崩して、機体後方から滑り落ちるように地面に激突した。衝撃で発生した火花が燃料に引火して、オスプレイは大爆発した。
「さあ。もう助けは来ない。ソルジャーの所に戻りましょう」意気消沈した2人の隊員はアンに従うしかなかった。燃料庫の炎上とオスプレイの墜落による衝撃によって、辺りは熱波と黒煙で視界がきかなかった。呼吸も苦しかった。アンと隊員が倒壊した建物に近づくと一層刺激臭が強くなった。
「このまま進むと一酸化炭素中毒で全員死ぬぞ」隊員の一人がアンの腕を掴んで言った。アンはソルジャーの救出を断念せざるを得なかった。前からも後ろからも黒煙と猛火が襲ってきた。
唯一残された道も煙が漂い始めていた。アンは前を走る2人の隊員を必死に追った。突然2人の姿が視界から消えた。壁を突き破って現れたのは、新たな巨大昆虫だった。百足と蠍の合体した怪物に2人はあっという間に2本の巨大なはさみで体を切断されてしまった。自動小銃の銃弾を怪物の頭に向けて撃ち込んだが、まったくひるむ様子は無かった。
猛火と怪物に行く手を塞がれて、アンは進退極まった。無数の足がキャタピラのように動いていた。自動小銃の引き金を引いたが、銃弾は尽きていた。蠍の巨大なはさみが目の前に迫ってきた。
その時、豪雨のように生暖かい液体が降ってきた。目の前に迫っていた怪物が地べたに横たわっていた。頭とはさみが吹き飛ばされていた。
「アン、こっち」建物の壁に開いた穴から、ダイアナが手招きしていた。「ダイアナ」アンはダイアナに抱きついていた。「みんなはどうしたの」「散り散りになってしまった」「ドクターはどこにいるの」
「救出地点には近づけなかった」「こっちはあの怪物に撃墜されてしまった」ダイアナは言葉を失った。オスプレイには苦楽を共にした大勢の仲間が乗っていた。それが一瞬で失われたのだから。
「元の場所に戻ろう」アンはドクターが無事なことに一縷の望みをかけた。
「先に進もう」ダイアナは思いがけないことを言った。
「ドクターが無事かどうかは分からない。この先の管理棟の屋上にヘリポートがある。ヘリポートには格納庫がある」「格納庫があればヘリもある」「そのとおり」「ダイアナ、あなたヘリの操縦が出来るの」ダイアナはちょっと考えて答えた。
「10回以上操縦したことがある」「10回って。普通、操縦時間10時間とか言うんじゃないの。まさか」
「そう、そのまさかよ。ゲームでシュミレーションしただけ」「そんなのじゃ、操縦出来るとは言わない」
「ぐちゃぐちゃ言ってないで行きましょう」アンはダイアナの無謀な案に従うしかなかった。
管理棟は他の建物より一段高いので、進む方向を間違うことはなかった。広い道路は避け、狭い路地を進んだ。黒煙があちこちに上がっていた。燃料庫の爆発が続いていた。すでに銃声は聞こえなくなっていた。隊員は全滅したのだろうか。恐怖心で震えが止まらなかった。管理棟にたどり着き、ドアを閉めた時二人は床にへたり込んだ。管理棟に入ったからといって、安心は出来なかった。この建物の中にどんな物が潜んでいるか分からなかった。
「生き残っている人はいないの」「ドクターは生存者を見たことはないと言っていたわ」
「ドクターは巨大昆虫も見たことがないと言っていたんでしょ。信用できない」
「あの人間に寄生する生物、ジェイルにまともな人間が生き残っているとしたら奇跡だわ」
「一息ついたから先を急ぎましょう」管理棟の1階は静まり返っていた。真っ暗ではなく、非常口の電灯は点灯していた。電気は止まることなく供給されているのだ。二人は辺りに注意を払いながら2階の階段を上った。そこはジェイクのすべての施設を監視する場所だった。
部屋中にモニターがあったが、どれも埃をかぶり、長い間使われていないことは明らかだった。机や椅子が倒れ、部屋は荒れ果てていた。ダイアナが指差す方向に白骨化した死体があった。3階も人の気配はまったくなかった。4階は防火扉が閉められていた。中の様子を確認せずに5階に上がった。この階は原子力発電所の運転を管理する場所だった。
この階の上に整備場と格納庫があるはずだった。5階の防火扉は閉まっていなかった。アンは廊下の先にある部屋から明かりが漏れていた。そして、人影が動くのを見て、声を上げそうになった。
「誰かいる」アンが声を潜めて言った。「ヘリを探すのが先」ダイアナは割れたガラスを踏みしめる音に振り向いて、悲鳴を上げた。いつの間にか、あの人間の姿をした寄生生物が背後に迫っていた。アンは自動小銃で最初の敵を倒したが、寄生生物は次々に現れた。
「伏せろ」明かりの漏れた部屋から現れた人影が大声で命令した。二人は反射的に床に伏せた。
耳をつんざく音が頭上でした瞬間、激しい爆発の衝撃で破壊された天井版が落ちてきた。ロケット弾一発で寄生生物の一群は壊滅した。
「いつまで横になっているつもりだ」その声にアンは聞き覚えがあった。ソルジャーは生きていた。
「階段を破壊して、どうやってヘリポートに行くの」「心配するな。こちら側からもヘリポートに上がる非常階段がある。これを見ろ」ソルジャーの手にはヘリのキーが握られていた。
「どうやってここまで来たの」「あの後、少し休んでいたら体に力が戻ってきたんだ。ここに来たのはヘリポートがあるのを知っていたからさ」地獄に仏とはこのことだった。
「ダイアナの操縦でなくて良かった」ダイアナとアンが大笑する横でソルジャーは首を傾げていた。
「長居は無用、さあ行きましょう」ダイアナ、アン、ソルジャーの順にらせん状の非常階段を上り始めた。ヘリポートのコンクリートはあちこちがひび割れていた。色が褪せていたが、2つのサークルがあった。サークルの先に格納庫があった。格納庫の巨大な鉄製の扉は閉じられていた。
「この中に本当にヘリはあるの」「それを確かめるためにここから入ろう」ソルジャーは扉の横にあるドアを指差した。巨大な扉と同様に赤茶けた錆が浮いていた。ドアには鍵はかかっていなくて、押すと音を立てて開いた。機械油の臭いが漂ってきた。中は真っ暗だった。
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