第16話 中国辺境Ⅴ 新たな敵
2機のオスプレイはマイクロマシンの追撃を振り切って、荒涼とした大地の上を飛び続けていた。
ジェイルと呼ばれる建築物は異様な姿だった。巨大な3本の円柱形の構造物は崩れかけていた。コンクリートと鋼鉄製の構造物が整然と配置されていたが、人気はまったくなかった。滑走路はひび割れ、あちこちに様々な車が放置されていた。オスプレイは空き地に着陸した。アンとダイアナは最後にオスプレイから降りた。震えが止まらないのは吹きすさぶ風のせいだけではなかった。
「偵察隊を組織する。名前を呼ばれた者は前に」ドクターは2機のオスプレイに残留する者と偵察隊とに二分した。オスプレイは乗員4名、乗客32名が最大収容できた。
実際に脱出できたのは、2機合わせて69名だった。偵察隊は12名選抜された。残りはオスプレイの守ることと宿営地を設営することになった。アンとダイアナは別々になった。偵察隊を指揮するのはドクターだった。隊員のすべてに武器が手渡された。宿営地に残った者はオスプレイを中心に円形に電気柵を設置し始めた。センサーで起動する重機関銃が柵の外側に置かれた。
アンはドクターが何を恐れているのか聞きたかった。偵察隊員は押し黙ったまま、ドクターを先頭に整然と並んだ構造物の一つを目指して歩き始めた。偵察隊員は辺りの気配に過剰に反応した。
物陰に動く気配を感じて、ライフル銃を発射した。老朽化した構造物が風で動いただけだった。
「むやみに発砲するな」ドクターは二人の隊員を先に行かせた。二人がとりついたのは半球形の構造物だった。窓は一つも無く、中の様子はまったく分からなかった。入り口は頑丈な鋼鉄製だった。
入り口の横にあるボックスを開けると中にはテンキーがあった。ドクターは手慣れた様子で、電子装置を作動させると表示された10ケタの数字を入力していった。鋼鉄製のドアがゆっくりと開き始めた。電源は確保されているようだったが、中は真っ暗だった。重武装した偵察隊員4名がライトを点灯させて中に入った。先頭の偵察隊員は臭いと熱気を感じた。地底から響いてくるような震動が足元から上がってきた。最後に入った隊員が壁に手を当てるとコンクリート製なのにぬるぬるとしていた。何かが動いている音がした。
音がした方にライトを向けたが、でこぼこした気味の悪い壁や天井が浮かび上がるだけだった。
「何かいる」一番高い場所からは、粘りを帯びた液体が滴り落ちてきた。恐怖にかられた隊員の一人が天井に向かって、無差別に発砲した。銃弾はコンクリートの天井一杯に覆われた粘着物質に吸い込まれ、鈍い音だけが室内に響いた。その時、最後尾にいた隊員の姿が悲鳴と同時に忽然と消えた。残りの3名の隊員は一斉に悲鳴が聞こえた方向に振り返った。入り口から差し込んでいた明かりが消えた。鋼鉄製の扉が閉じられたのだった。
「閉じ込められた」「ドクター、ドアが閉まった。開けてくれ」ドクターは無線機から聞こえる隊員の悲痛な声に答えようとはしなかった。
「ドクター、ドアをすぐに開けて」「だめだ。ここにいるみんなを危険にさらすことになる」
「開けてくれ」ドアの向こうで銃撃を続いていた。「ドクター、見殺しにするつもりなの」悲鳴が耳をついた。アンはドクターを押しのけると電子装置のキーを押し始めた。アンは一度見た光景を写真のように記憶できる能力を持っていたので、10ケタの数字を覚えることは容易だった。悲鳴は途絶えていた。鋼鉄製のドアがすっと開くと煙に包まれた隊員が飛び出してきた。
「水をくれ」アンは焼けただれた服を剥ぎ取った。別の隊員が水筒から火傷でただれた口に水を含ませた。アンは煙が噴き出してくる開け放たれたドアの闇に眼を凝らしていた。
「早く出てきて」アンがドアに向かって、声を張り上げた時、ドクターはドアを閉めようとしていた。
「何をするの。まだ生きている隊員がいる」アンは暗闇の向こうから呻く声を確かに聞いていた。
「全員を危険にさらしていいのか」ドアは再び閉じられた。重傷の隊員を担架に乗せると全員が宿営地に戻った。69名の隊員は66名に減っていた。ジェイドと呼ばれる放棄された原子力発電所にはドクターの想像を超えた事態が進行していた。
会議は紛糾していた。食料と水、そして燃料を求めてあてもなく旅を続けるか、ジェイドの探索を続けるかの二者択一だった。ダイアナはジェイドを離れることを主張した。アンは仲間を救うためにもジェイドに残るべきだと主張した。
「200キロ以内に燃料を確保できる場所は無い」ドクターは議論を終わらせるように言った。
「燃料を確保しなければどこにも行けないというわけね」ダイアナが嘆息した。ドクターはジェイドの構造物の配置図の一点を示した。ここに燃料がある。そして、ここに食料と水がある。その場所はあの半球形の構造物の先にあった。
「明日、探索を開始する。今晩はゆっくり休養してほしい」ドクターはそう言いながら見張りをたてることを忘れなかった。宿営地はオスプレイを中心にして、その周りに二重に有刺鉄線を張り巡らせた。有刺鉄線の間にはセンサーで起動する重機関銃が設置された。見張りは赤外線カメラの画面を監視していた。アンとダイアナはペアで見張りについていた。
「ドクターは、何を恐れているの」ダイアナはしばらく考えてから言った。
「ドクターは私たちが知らないことを知っている。私はここには邪悪な雰囲気を感じる。そう感じた時には必ず何か悪いことが起きている」アンは暗闇に眼を凝らしていた。廃墟の原子炉なのに鳴動のようなかすかな震動と耳障りな音が不規則な間隔で続いていた。
その時、何かが画面に現れた。センサーが反応して、重機関銃が火を噴いた。ダイアナが曳光弾の描く方向にライトを向けた。そこにあったのは火傷を負った偵察隊員の姿だった。
「射撃を止めて」アンの悲痛な叫びもむなしく、隊員の体は四散した。射撃が止んだ。地面に伏せて難を逃れた隊員がよろよろと立ちあがった。
「ほら。やっぱり生きていたんだわ」隊員の足取りはおかしかった。数歩歩いたと思うとよろけ、また歩き出したと思うと石に躓いて倒れた。アンは有刺鉄線のすぐそばに倒れている隊員を助けるために立ち上がった。ダイアナがアンを引き留めた。
「行っちゃだめ。あれを見て」倒れた隊員の背中から鰭のような物が突出した。鰭の後に鋭い歯を持った蛇の頭のような物が現れた。今まで、色々な醜悪な怪物を見てきたアンも見たことがないほど醜い姿だった。開いた口には鋭い歯がびっしりと生えていて、涎のような液体が滴り落ちていた。
停止していた重機関銃が再びうなり始めた。銃弾が怪物の体を貫き、肉片をあちこちにばらまいた。驚いたおことにばらばらになった肉片が動いていた。
「火炎放射器を使え」ドクターの命令で一斉に火炎放射器から放射された炎が地面をなめるように掃いた。肉片が焦げる臭いが辺りを覆った。ダイアナはあることに気が付いて、愕然とした。
「アン、大変」ダイアナはアンの手を引くと、野戦病院に急いだ。ドクターも二人に続いていた。近づくにつれて、悲鳴が聞こえてきた。
「間に合わなかった」野戦病院のテントはあちこちが破れていた。テントからは血だらけになった隊員が悲鳴を上げながら必死に逃げ出そうとしていた。アンとダイアナは銃を構えていつでも応戦できるようにして進んだ。テントの中は夥しい鮮血とバラバラになった手足が散乱していた。
ダイアナは足元に転がっていた切断された頭部に躓いてよろけた。4台あるベッドの一つで治療を受けていた偵察隊員が横立っていた。その肉体は腹部が大きく裂けて、内臓はすべてベッド脇と床に落ちていた。見えるのは白い背骨だけだった。
「どこに行ったの」恐怖に青ざめてベッドの下に隠れていた若い女性隊員が破れたテントの先を指差した。アンとダイアナは闇の先を見た。テントの外で機関銃の発射音が聞こえた。張り巡らされた有刺鉄線のあちこちで激しく火花が散った。
アンとダイアナはテントの外に出ると火花が散る方向に向かって同時に発砲した。見張りの隊員がライトを向けた。光の先にあったのは、先ほど見た怪物と同じ姿だった。最初の有刺鉄線は強引に引き破った。次の有刺鉄線を飛び越えようとした時、センサーに反応した重機関銃が火を噴いた。銃弾は怪物の胴体をバラバラに引き裂いた。地上に散らばった肉片は命を持っているように動いていた。
「すべて燃やせ」ドクターが半狂乱のように叫んだ。火炎放射器を持った隊員二人が一斉に火炎を地上に這わせた。炎を逃れようと肉片が凄まじいスピードで逃走を始めた。アンとダイアナはその光景に唖然とした。一体この場所で何が起きているのか。
「ドクター、何か知っているなら説明して」ダイアナはドクターに詰め寄った。
「ここでは、想像も出来ない恐ろしいことが起きている」
「どういう意味なの」ドクターは言葉を選んでいるようだった。
「進化の進み方が異常に速くなっている。遺伝子の変化が数千倍、いや数万倍のスケールで起きているんだ。あの怪物もその変化の一形態に違いない」
「話が分からない。最初から説明して」ドクターは遠くを見つめるような目をしていた。
「この辺境の地に原子力発電所ともう一つ施設が建設された。それがあの建物だ」ドクターが指差す方向にいくつも建物があった。
「不毛の大地でも食料生産を可能にするための研究所だった。最新の遺伝子操作のスペシャリストが集められた。植物の遺伝子操作だけではなく、あらゆる遺伝子が組み込まれた。その後で事故が起きた。隣接する原子力発電所の放射能漏れが、遺伝子の暴走を引き起こした」
「最初に起こったのは、植物が人間を襲った」アンもダイアナも耳を疑った。
「食虫植物は聞いたことあるけど。人間を襲う植物なんているの」
「苔の一種だ。それが突然変異を起こした。皮膚に取り付くと、人間を栄養にして爆発的に繁殖する。しかし、さっき見たものは別のものだと思う。新たな変化が起きている」ドクターの目には恐怖が宿っていた。アンはドクターが恐れていることの本当の意味をこの時はまだ理解していなかった。
「あの化け物が苔だと言うの」ダイアナがドクターを問い詰めるように言った。
「いや。あれは前に見た物とは違う。まったく別物だ」ドクターの声は震えていた。
「ここは危険よ。すぐに移動しましょう」ダイアナはドクターに迫った。
「食料も燃料も補給しなければ砂漠で皆死ぬことになる。移動するのはそれからだ」
「あの化け物以外にも何が襲って来るか、分からないのよ。どうやって防ぐの」
「確かにここは危険だ。朝になったらオスプレイの一機は安全な所に避難させる。もう一機はジェイドの上空でホバリングしながら待機する。完全武装した隊員10名ずつ、2つのチームは食料と燃料を確保する」アンとダイアナは、ドクターの作戦に従うしかないと思った。
夜明け前に準備は終わっていた。志願と選抜された隊員には仮眠が許された。アンとダイアナは志願したが、チームは別々になった。アンは燃料を探すチーム、ダイアナは食料を探すチームだった。オスプレイ2機が晴れあがった青空に向かって離陸した。
「天候が崩れる前に戻って来い」ドクターはチームに指示するために20名の隊員と宿営地に残った。ドクターは晴れあがった空の向こうから嵐が来ることを知っていた。
燃料貯蔵庫は3か所あるはずだった。眼鏡型ディスプレイにはその位置が青い光点で示されていた。隊員は前後左右に注意を払わなければならなかった。最初の光点には、広い道路から一回り狭い道路を進まなければならなかった。
次の光点は100mほど先だが、広い道路に面していた。どちらを選択するか、チームリーダーの判断にまかされた。アンのチームリーダーはソルジャーと呼ばれていた。ソルジャーは40代半ばの勇敢な男だった。常に戦いの最前線に身を置き、仲間を鼓舞していた。ソルジャーは本名ではなかった。ロシア生まれの元軍人ということをダイアナから聞いていたが、それ以上のことは誰も知らなかった。
自分のことを語らない謎の男だった。いつもは身ぎれいにしていたが、戦いの連続で日焼けした肌には髭が生え始めていた。ソルジャーは先頭を代わって、アンに併走するような位置についた。
「君はここに来て、まだ間が無いが本当に勇敢な女性だな」「あなたこそ勇敢だわ」
「こんな所じゃなくて、もっと平和な場所で会えていればな」「それって、ナンパのつもり」アンが笑いながら言うとソルジャーは白い歯を見せて笑った。その時、先頭の隊員に変化があった。
両足が太ももの部分が一瞬で切断された。足の部分が直立した状態で、支えを失った上半身だけが前のめりに倒れていった。悲鳴と苦悶に満ちた声は、マシンガンの発射音にかき消された。
「障害物に身を隠せ」ソルジャーはアンの手を引いて、近くの建物の陰に隠れた。2番目の隊員は胸の辺りを切断されていた。
「何か見えたか」「いえ。何も見えなかった」残った8名の隊員は道路の両脇に建ち並ぶ建物の陰に隠れていた。ブンという異様な音とともに道路の反対側の建物に隠れていた隊員に飛んできた物体が命中した。腹を直撃された隊員は壁に磔状態になった。
「2棟先の左側の建物の陰に敵がいる」ドクターの甲高い声がイヤフォンから響いた。その時、再びあのブンという音が近づいてきた。
「伏せろ」アンとソルジャーは顔が地面に埋もれるぐらい地べたに伏せた。頑丈なコンクリートの壁が崩れるぐらいの衝撃があった。アンが埃だらけの顔を上げると地面から30㎝ぐらいのところに緑色の物体が突き刺さっていた。
ソルジャーはロケット弾を撃ち出す準備を始めた。「ドクター、敵は飛び道具を持っている。近づかない方が安全だ。敵の座標が分かれば教えてくれ」ドクターを乗せたオスプレイは敵が隠れている場所の座標データを教えるとその場を離れた。
ロケット弾は空中に撃ち出されると自動的にロケットモーターに点火して、指示された座標に向かって落下する。そして、目標の5m上空で爆発するようになっていた。乾いた音とともに撃ち出されたロケット弾は放物線を描いて、急降下、凄まじい爆発音とともに大きな火炎と煙が上がるのが見えた。あの嫌なブンという音はもう聞こえなかった。壁に突き刺さった緑の物体は巨大な手裏剣のような形をしていたが、その素材は鋼材ではなく、生体のように見えた。
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