第15話 東京デスゾーンⅦ 地上へ

 その頃、アキラたちは再び襲ってきた奔流から命からがら逃げ延びて、茫然としていた。

「地下水路を進むことはもう無理だな」ワタルの表情は疲れ切っていた。ゼンはそんな二人を見て言った。

「私に案があります。それに賭けてみませんか」ゼンはアキラの目が輝き始めたことを感じ取った。

「どんな案なんだ」ゼンは上を見上げながら言った。

「地上に出ます」「地上にも地下と同じくらい危険な連中が一杯だ」ワタルの声は苦しげだった。

「地上と言っても、地上120階だ」アキラはゼンの案に唖然とした。地上120階というのは、東京で最も高い高層ビル群の一つだった。

「ハイランドタワーのことなのか」ゼンはアキラの問いかけに頷いた。

「そのビルに行ってどうするつもりなんだ」「その案は行ってから話す」「信用しろということか」アキラはゼンの目を見つめ続けていた。ワタルを連れて、この危険な地下世界を進むのは不可能に違いなかった。

「分かった。ハイランドタワーに行く道は分かっているのか」「二回行ったことがある。そこまでの道のりは危険はほとんどない」危険が無い場所なんて、デスゾーンにあることを信じろという方が無理なことにアキラは思えた。ゼンを先頭にワタルをはさんで、アキラは最後尾を進んだ。途中、狭い通気管や垂直に伸びる排気管の梯子を何回も上った。汗と埃だらけになって、巨大な地下タンクが置かれた場所にたどり着いたのは一時間後のことだった。

「ここがハイランドタワーの地下室なのか」ゼンは頷いた。アキラはエアポッドの操縦席からそびえたつタワーを何度も見ていたが、中に入ったことはもちろん一度も無かった。

「なぜここに来たことがあるんだ」「好奇心だよ。生まれたからずっと地下に住んでいると地上がどうなっているのか知りたくなる」「アキラ、この男の言うことを信用しちゃいけない」ずっと沈黙を続けていたワタルが声を上げた。

「ワタル、なぜそう思うんだ」アキラはワタルの返事を待った。「分かるんだ。何か不吉なことが起こる

予感がする」「それでは説明になっていない」「会ったばかりの男を信用できるのか。こんな所に連れてきて、何を企んでいるんだ」ワタルの不安は頂点に達しているようだった。

「ワタル、会ったばかりと言うなら君とだって同じようなものだ」ワタルの表情が険悪なものに変わっていった。

「こんな所で仲間割れはしないでほしい。ここは私の秘密の隠れ家のような場所なんだ。ここに来るルートも偶然見つけたものなんだ」アキラは不安を感じていた。

「ここに来た最後はいつなんだ」「半年くらい前だと思う」高層ビルは上空からの攻撃に弱いため、犯罪者はいないと考えられていたが、敵を見張るにはこれほどよい所はないし、狙撃にはも最適だった。「屋上まではどうやっていく」「エレベーターが動いていなければ歩いていくしかない」

「歩いて屋上まで上がるとなると時間がかかるな。そんな時間の余裕はない」

 その時、モーターが動き出す音とかすかな震動が足から伝わってきた。

「何が起きている」「エレベーターが動いている」ゼンの表情が険しくなった。三人はエレベーターホールの方に向かった。地下1階は以前はドラッグストアやコンビニがあったが、店内は荒れ果てていた。通路にはあちこちにゴミがたまっていた。エレベーターホールは低層階、中層階、高層階別に分かれて、計12基のエレベーターが設置されていた。

 今、動いているのは高層階のエレベーターだった。点灯しているサインはエレベーターが最上階で止まったことを示していた。

「まずいな。最上階に人がいる」「上にいる奴らに気付かれずに屋上に上がることは可能なのか」

「分からない。前に来た時は誰もいなかった」「エレベーターは動いたのか」

「動いた」アキラはゼンがたんに運が良かっただけだと知った。上にいる連中は常駐しているわけではないのかもしれなかった。

「アキラ、どうする」ワタルは、すがるような目でアキラを見ていた。ゼンが何を考えているのかは分からなかった。ここから先に地上のルートを行くのは今まで以上の困難が待ち受けていることは明白だった。ヒカルの救出までに残されている時間も迫っていた。

「鬼が出るか蛇が出るか」アキラはハイランドタワーの頂上を目指すことに心を決めた。

「ワタル、お前は戻ってもいいぞ」「ここまで来たら進むも地獄退くも地獄さ。一緒に行くよ」

「こうなったのは私の責任だ。エレベーターシャフトの中に入って、箱と一緒に上がろう」

「シャフトの中にはどこから入る」「非常階段を使って2階まで行こう。そこでエレベーターが下りてくるのを待とう」「いつ降りてくるか分からないぞ」「幸運を祈ろう」三人は非常階段を上り始めた。

 1階のフロアのエレベーターの前にいたのはマシンガンを構えた二人の男だった。二人とも防弾チョッキを着込んでいて、チョッキにはいくつも手榴弾がぶらさがっていた。エレベーターの前には

砂袋が積まれていた。

「あんな男たちはいなかった」ゼンは誰に言うでもなくつぶやいた。「あの二人は見張りだ。最上階にいる人物に会いに来る者がいればいいが」三人は3階まで上がり、エレベーターホールの前で最上階に停止しているエレベーターが動き出すのを見張ることにした。それが何時間後のことなのか、何日後になるかは神のみぞ知るだった。

「歩いて最上階まで行った方がいいんじゃないか」ワタルの問いかけにアキラも自問自答していた。

「最上階の見張りは厳重に違いない。非常階段を気付かれずに屋上まで上がれるとは思えない」

 三人はエレベーターが動き始めたらすぐに行動を開始できるように交代で見張りを続けた。2時間が経ち、何も起こらなかった。3時間が経ち、4時間後1階のフロアで動きがあった。1階の動きを見張っていたワタルが急いで戻ってきた。ワタルは息を切らせながら言った。

「大変だ。ケンとユウコがつかまった」アキラはワタルの説明を聞く前に立ち上がって、1階のフロアを見渡せる場所に動き始めていた。

「ケンは君たちの仲間なのか」「途中ではぐれた。まさかここで二人と出会うとは」「二人を救わなければ。急ごう」三人は3階からエレベーターシャフトの中に入った。ケンとユウコを乗せた箱が動き出したのとほぼ同時だった。箱はどこにも停止することなく、上へ上へと上り続けた。ケンとユウコは後ろ手に縛られていた。見張りは二人だった。

 アキラは箱の上で耳を澄ましていたが、見張りと二人の間には会話は無かった。最上階に何人の人間がいるかは分からなかったが、見張りが厳重になるのは間違いなかった。アキラはゼンと目配せした。思いは同じだった。ワタルはしきりに首を振っていた。最上階に到着するまでに決着をつけなければならない。躊躇している時間は無かった。アキラは箱の天井のパネルを外すと一気に下に飛び降りた。ゼンも続いた。虚を突かれた見張りは銃を向ける暇が無かった。

 強烈なパンチで見張りの一人は昏倒した。もう一人の見張りはゼンと揉み合いになったが、加勢に入ったアキラの後頭部への打撃によって意識を失った。突然の出現に一番驚いたのはケンとユウコだった。質問に答える前にエレベーターから脱出するのが先だった。エレベーターを最上階から5階下に停止させた。昏倒している見張り二人を残して、5人は非常階段に走った。

 途中階で停止したエレベーターを不審に思った最上階の連中が下りてくるに違いなかった。それより前に屋上に到達しなければならない。見張りがエレベーターを使うか、非常階段を使うかは誰にもわからなかった。

 115階で停止したまま動かないエレベーターに見張りが気が付いたのは3分を過ぎた頃だった。

「おかしいぞ。お前たち見てこい」3人の見張りが別のエレベーターで下りて行った。その時にはアキラたちは119階に達していた。足音を立てないように120階から屋上への階段をゆっくりと上った。運がいいことに非常階段には見張りがいなかった。運がいつまで続くかは誰にも分からなかった。アキラは別のエレベーターを20階で停止するように下降させていた。

見張りがアキラたちにきがつくのにどのくらいの猶予があるのか。50階で停止したエレベーターに誰もいないことが分かれば、下ではなく、上に向かったと気がつく可能性が高かった。

屋上に出るドアには鍵がかかっていた。ワタルは特殊の技術の持主で鍵をピン1本で開けてしまった。5人が屋上に出たとき、ゼンは意外なことを言った。

「まずい。日が暮れる」「何が起きるんだ」「得体の知れない物が襲ってくる」下の階で動きがあった。「急ごう」5人は3組のパラグライダーを装着した。タンデムが2組あったのが幸運だった。ケンとワタル、アキラとゼン、ユウコは単独だった。

屋上のドアをマシンガンで破壊する音が聞こえた。一刻の猶予も無かった。まず、ユウコが飛び降りた。次にケンとワタル、そして、最後にアキラとゼンだった。アキラが飛び降りた時、見張りが屋上になだれ込んできた。日没の日の光のおかけで、マシンガンの銃弾は的を外れた。日が急に暮れ始めて、ゼンの言った意味が分かり始めていた。着地点が急激に視界から消え始めたからだった。

「あれは」ゼンが声を震わせた。地平線に小さな黒い点が見えた。

点は一つではないことはすぐに分かった。先頭を行くユウコは危険を察知したのか、高度を下げ始めていた。一直線に進んでくる点はその形を次第に明らかにし始めていた。

それは、どんな鳥とも似ていなかった。尖った嘴には鋭い歯が生えていた。一番似ているのは翼竜だった。

その大きさは飛行機並みだった。ケンの操縦するパラグライダーが最初に狙われた。タンデムではワタルが前になるので、翼竜はワタルに向かってきた。ケンは攻撃を直前でかわした。後方で操縦するケンは両手を使うので武器は使えなかった。

アキラはゼンに武器を使うように言った。ケンもワタルに拳銃を渡した。

「ゼン、右から来ているぞ」別の翼竜が迫って来ていた。接近するにしたがい、巨大な嘴、鋭い爪に圧倒された。あの爪で一撃されたらひとたまりもなかった。ゼンは翼竜の頭を狙って、銃を発射した。銃弾は頭ではなく、羽をかすめた。間一髪で翼竜の攻撃を避けられたが、ワタルの方は運が悪かった。ケンは二羽の翼竜に同時に襲われたので、片方を避けるのが精一杯だった。ワタルは銃を連射したが、鋭い一撃を胸に受けてしまった。アキラにもワタルの悲鳴が聞こえた。避けた胸から血が滴り落ちた。「ワタル、しっかりしろ。あの化け物がまた襲ってくるぞ」ワタルの返事は弱弱しかった。ケンは一刻も早く目的地に着地しなければと思った。

 アキラは翼竜の注意を自分の方に向けるべく声を上げた。「ゼン、左から来るぞ」急旋回しながら、高度を下げて相手をかわそうとしたが、運悪く足の爪がパラグライダーの右側の布を大きく引き裂いた。安定を失った機体は急速に高度を下げていった。皇居の堀が間近に迫ってきた。堀に落下したら絶望だった。浮力を急激に失ったので、上昇するのは不可能だった。ゼンは追ってくる翼竜に向かって発砲した。その銃弾が頭に命中した。翼竜は悲鳴のような声を上げて、逃げ去った。

 夜の闇が迫っていた。アキラは堀に不思議な物を見た。リング状の物体がその上部だけを見せて、斜めに突き刺さっていた。「落ちるぞ」アキラは必死に高度を上げようとしていた。堀をわずかに超えた所でパラグライダーは着地した。宵闇が迫っていた。翼竜はいつの間にかどこかに去っていた。ユウコやケン、そして一番の心配はワタルのことだった。装具を外すとアキラとゼンはケンとワタルの着地したと思われる場所に急いだ。皇居内は天皇が去った後は荒れ放題になっていた。

「どこに降りたと思う」辺りは明かりもなく、鬱蒼とした森が広がっていた。ゼンが指差す方向に白い物が見えた。それは、木に引っかかったパラグライダーだった。

 そして、太い木の根元にケンとワタルがいた。ワタルの胸は真っ赤な血に染まっていた。翼竜の嘴にえぐられた傷から流れ出た血だった。ケンはパラグライダーの布を裂いて、包帯にしていた。

「傷はどうだ」アキラの問いにケンは暗い表情のままだった。ケンの視線の先はワタルの額の上だった。アキラとゼンはその時、初めてワタルの頭蓋骨を見た。翼竜はワタルの胸だけではなく、頭にも致命的な傷を負わせていた。

「こんな所で死にたくない。置いていかないでくれ」ゼンがアキラの肩に手を乗せた。緊張が手から伝わってきた。闇から姿を現したのはユウコだった。額から血が流れ、顔は青ざめていた。

「大丈夫か」ケンの問いをさえぎるようにユウコが声をひそめるように言った。

「静かに。誰かに見張られている」「危ない」ゼンがユウコを引き倒した。アキラとケンも同時に地面に伏せた。幹にガッガッという音が響いた。アキラは音のした場所に弓矢が刺さっているのを見た。

 ワタルががっくりと頭を垂れていた。その首を一本の矢が貫通していた。「狙われている。体を低くして、動け」4人は近くの木の陰に隠れた。ゼンはメガネをかけた。近くにいるアキラにも同じ形のメガネを渡した。このメガネには暗視機能が付いていた。アキラは前方の木々をじっと見つめた。

 ゼンは折り畳み式の弓をあっという間に組み立てると弓矢を樹上に放った。悲鳴とともに地面に落下する大きな音がした。アキラは胸に矢が突き刺さった男が仰向けに倒れているのを見た。ゼンは次々に矢を放った。アキラは暗視メガネを着用していたが、敵の姿をとらえるのは難しかった。

 敵はゼンの放つ矢の精度に恐れをなしたのか、音も立てずに姿を消していった。「ゼン、奴らは何者なんだ」「この森を支配している連中だ。詳しいことは分からない」「ワタルは死んだ」ユウコがポツリと言った。「どこか、安全な場所はないのか」ケンは姿の見えない敵に言い知れぬ恐れをいだいていた。

「案内役のワタルがいなくてどうやって行くんだ」ケンの問いにアキラは答えを持っていなかった。

「ついて来てくれ」ゼンはそう言うと走り出した。3人はゼンの後を追った。直線的に走るのではなく、ジグザクに木と木の間を走り抜けていった。アキラは頭上に巨大な影を見た。それは、あの翼竜が翼をたたんで、逆さ吊りになった姿だった。翼竜の目は閉じており、寝ているようだった。

 一体、この場所はどうなっているんだとアキラは思った。森を抜けた所は芝生に覆われた円形の広場になっていた。中心に近づくにつれて、空気の流れを感じた。よく見ると芝生は中心部が30センチぐらい高くなっていた。その隙間から空気の流れが起きているのだった。

「これは地下施設の換気口だ」「ここから中に入れるのか」「分からないが、やってみるしかない」

「私が入る」ユウコはこの隙間に楽に入れるのは自分しかいないと思った。命綱を付けると体を横にして、真っ暗な換気口に入った。ゴーグルをしていないと目を開けていられないほどの激しい空気の流れだった。

 ペン型のライトで回りを照らしてみた。風を起こしているのは巨大な羽根だった。羽根は地上から10mぐらい下にあった。回転数は早く、周囲の壁から数十センチしか離れていないので、その隙間を通り抜けることは不可能に見えた。ユウコは引き上げる合図として、命綱を2度引いた。反応が無かった。もう一度命綱を2度引いたが同じだった。嫌な予感がした。その時、突然命綱が緩んだ。

 ユウコは無意識に体を反応させていたが、落下を止められなかった。背中に鋭い痛みを感じたが、わずかな隙間を抜けて、換気口を抜けたことが分かった。巨大な換気口をどこまでも落下していくのか。そう思った時、落下が突然止まった。息が止まるような衝撃で一瞬気を失った。

 地上では、新たな敵が出現していた。それは、突然地面から湧き出るように現れた。不意を突かれたケンは太ももを噛まれて、悲鳴を上げた。それは、見たこともない生き物だった。体は針のような茶色の毛に覆われていた。鋭い歯が開いた口にずらりと並んでいた。

 ケンを襲った怪物に最初に反撃したのは、ゼンだった。振り下ろした剣は、鎧のような固い皮膚に跳ね返されたが、怪物は驚いてケンから離れた。ひるんだところをアキラは頭に向かって発砲した。うかつだったのは、木の幹に結わえてあった命綱がもう一頭現れた怪物に食いちぎられたことだった。アキラはユウコの悲鳴を聞いた。

 アキラは新たに地面から湧き出した怪物に突進すると、その後頭部にありったけの銃弾を撃ち込んだ。至近距離からの攻撃は効果があったことは、その鋼のように硬い皮膚から鮮血が流れ出したことで分かった。怪物はその鋭い手足の爪を使って、あっという間に地下に逃げて行った。

 アキラは換気口の隙間に上半身を潜り込ませるとユウコの名前を呼んだ。あの回転する風車に激突すれば命は無かった。運よくすり抜けたとしても数十メートル以上落下すれば即死は免れなかった。絶望的な気持ちでユウコの名前を呼んでいて、ちょうと6回目の呼びかけに答えるような呻きが耳をとらえた。

「ユウコ、無事なのか」「気を失っていたみたい」「どこにいるんだ」「羽根の下にある踊り場のような所」「もしかしたら、近くに点検口があるんじゃないか」「ちょっと待って」ほんの数分がとても長く感じた。「あった」「下に続いているのか」「螺旋階段がある」ユウコからの応答はそこで止まった。

 ユウコの身に何が起こったのか。じりじりするような時間が流れた。アキラもケンもゼンも背後から突然現れたユウコに驚愕した。額に擦り傷、背中は回転する羽根で切り裂かれた服の下に白い肌が見えていた。わずかに血が滲んでいた。埃だらけの顔だったが、奇跡的に軽傷だった。

「林の中に点検用の入り口がある。そこから地下にずっと階段が続いている」

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