第10話 東京 デスゾーンⅢ 死闘

 「このビルから一歩も出られないということか」アキラの問いにワタルは無言でうなずいた。

「この辺りには地下鉄が通っているんじゃないの」ユウコは腕時計型の情報端末から壁に地図を投射した。「確かに昔、有楽町線という地下鉄が走っていたが、この場所からは麹町駅にも永田町駅にも200m以上の距離がある。そこまで無事に行ける可能性は皆無に近いぞ」ケンが指で地図をなぞった。「駅まで行かなくても地下鉄構内に入る方法があるんじゃないか」

「歩道にある排気口ならすぐ近くにある」「狙撃の格好の標的になってしまうからだめだ」

 アキラは地下構造物の図面を情報端末に呼び出し、詳細に見始めた。「ここにただ留まっていると奴らは攻めてくるじゃないか」ケンは窓から外の様子をうかがいながら言った。

「ケン、窓から離れるんだ。狙撃されるぞ」ケンがアキラの注意で窓から離れた瞬間、ビッという音がして、窓ガラスに穴が開いた。

「スコーピオンは出てくるのを待っているんだ。獲物を1人ずつ狩ることを楽しんでいるんだ」沈黙がその場の雰囲気を物語っていた。ユウコが重い口を開いた。

「何か手があるはずよ。たとえばこいつを使うとか」ユウコは筒状の物を取り出した。

「発煙弾で何が出来るんだ。狙撃手は一人じゃないんだ。蜂の巣にされるぞ」

「発煙弾を別方向にいくつも投げれば敵を撹乱させられるじゃないの」

200mも先じゃ煙幕が持たない」

「その作戦使えるかもしれない」今まで黙っていたアキラの突然の発言に皆が驚いた.。

「この図面を見てくれ。今いるのはこのビルだ。そして、2つ先のビルの地下に地下鉄に通じる通路がある」アキラの示した場所に見落としてしまいそうな小さな文字で非難通路と書かれていた。

「なぜ、このビルに通路があるんだ」「海外で発生した地下鉄火災事故を教訓に避難経路を複数整備することになった。この通路は多分その時のものだろう。駅によっては民間のビルに設置するしかなかったのだと思う」ユウコとケンは壁に投影された図面を凝視していた。

「このビルには出口が東西に2つある。隣のビルも東西に2つだ。1回目はうまくいっても2回目は集中射撃されるぞ」ワタルの指摘は的を得ていたので皆黙り込んだ。

「二手に分かれましょう」「それしかないな。どう分ける」「アキラとワタル、私とケンでどう」

「いや、本丸を目指すには人手が必要だ。アキラとワタルとユウコは一緒に行け。僕が相手を引き付ける」「4人全員が本丸に行くんだ。ケンも一緒だ」「アキラ、ケンの言うとおりだ。誰かが犠牲にならなければいけない」ワタルが表情を変えずに言った。

「分かった。最初に西側の出口に発煙弾を投げて相手の注意を引こう。次に東側の出口に発煙弾を投げよう。ケンはどちらを選ぶ」「決まっているだろう。正面の東側だ」

「死ぬなよ」「俺の心配をするより、ヒカルを何としても助け出せよ」「分かった」アキラとケンはお互いに目で合図した。

 スコーピオンはアキラの逃げ込んだビルを四方から見下ろせるビルの最上階に狙撃手を配置していた。「何か動きはある」「P1何もありません」「P2こちらもありません」配置されている狙撃手から無線連絡が返ってきた。軍用無線機で命令を下しているのは美しい若い女だった。狙撃手は彼女のことを影でアイスドールと呼んでいた。その名のとおり、美しい顔の下には冷酷非情な顔が隠されていた。アイスドールの残忍な性格は彼女の悲惨な環境が生んだものに違いなかった。

「ボス、こちらから攻撃しますか」P5しびれを切らして言った。

「そんなことをしても面白くない。1人1人始末しながら、相手を恐怖に陥れていくのが私の流儀よ」

「ボス、ビルの西側から黄色い煙が上がっています」アイスドールは道路上に発煙弾が投げ込まれた瞬間を双眼鏡で確認していた。さらに東側からは赤い煙が上がり始めていた。

「馬鹿な奴ら、発煙弾を使って逃げるつもりだ。P1からP3は西側、P4からP6は東側、煙の下を狙って射撃を開始しろ。煙が晴れた後に足を撃たれて、動けなくなった奴を順番に仕留めていく」アイスドールは邪悪な喜びに浸っていた。狙撃手たちは獲物を追い出すように煙幕の下のほうを狙って射撃を始めた。その光景を眺めていたアイスドールの顔が次第に険しくなっていった。

 直接被弾しなくても兆弾で傷を負った人間は激痛と恐怖で声を上げるものだ。しかし、何も聞こえてこない。熟練した狙撃手は標的がたとえみえなくても手ごたえを感じるものだ。誰からも命中したという報告が無かった。おかしい何かがおかしかった。アキラはユウコが見つけた共同構を進んでいた。ここにはライフラインの電力、通信ケーブルなどが設置されていた。

「いずれ、奴らに感づかれる。急げ」共同構内はかび臭く、荒れ果てていた。発煙弾の持続時間は約30分だから、十分な時間はあるがその前に気づかれるとアキラは確信していた。

 アイスドールはロケットランチャーに焼夷榴弾を装着すると黄色の煙に向かって発射した。焼夷榴弾は着弾すると可燃物と破片を周囲に撒き散らす。近くに人間がいれば炎に包まれ、鋭利な破片に肉体はズタズタにされる。アイスドールはすぐに焼夷榴弾を装填すると赤色の煙に向かって発射した。一瞬、爆風で発煙弾の煙が吹き払われたが、そこには逃げ惑う人間の姿は無かった。

「奴らはビルにはいない。P3とP6はビルを捜索しなさい」あのビルから脱出するルートがどこかにあるに違いなかった。アキラは大きな爆発音を聞いた。その衝撃は銃撃によるものではないことは明らかだった。

「気づかれたようだ。先に行ってくれ」共同構は目的のビルまで行けるはずだった。ほぼ直線の共同構に追手が迫ってくれば、格好の標的になることは間違いなかった。

「アキラ、俺が残る」ケンが言った。「志願するなら俺の番だ」「チームを率いるのはお前の方がいい。俺が残って、時間を稼ぐ。大丈夫だ。犬死はしない。必ず追いつく。行ってくれ」ケンの決意は固かった。「分かった。待ってるぞ」アキラは別れる前に予備の弾倉を手渡した。

 ケンは共同構の通路に置いてあった雑多な箱や袋を一箇所に集めて、退避壕にした。しかし、堅固な物ではないので、銃弾から身を守るのが精一杯だった。アキラたちと別れて、5分もしないうちに真っ暗な共同構の先に光点が2つチラチラするのが見えた。スコーピオンの連中ならば狙撃用のライフルを持っているはずだった。遠くからでは勝負にならない。相手を引き付けるまで攻撃は出来ない。急造の退避壕の一部に開けた穴から光点の動きをケンは凝視していた。

 光点までの距離は約50mだった。確実に仕留められる距離まで敵を引き付けるつもりだった。ゆらめく光点が突然視界から消えて、辺りは真っ暗な世界に変わった。敵は格好の目印になる危険を犯す前に、暗視装置に切り替えたようだった。一瞬で危機的状況に陥った。ケンは目の替わりに耳に集中した。目と鼻の先でガリガリというガラスが擦れ合う音が聞こえた瞬間、ケンは特殊閃光弾を投げた。ケンはかたく目を閉じて、両耳を両手で覆った。

 真っ暗なトンネルが閃光と音で満たされた。至近距離で悲鳴が上がった。凄まじい光と音で視覚と聴覚が失われた敵は暗視装置とライフルをかなぐり捨てていた。ケンはこのチャンスを逃さなかった。目の前にいるはずの敵に向かって、銃弾を叩き込んだ。手ごたえが確かにあった。ドサッという音がした。すぐに反撃が始まった。近くに放置された箱や崩れたコンクリート片を積み上げただけの遮蔽物に激しい銃撃が加えられた。ケンは弾倉を入れ替えると反撃を開始した。相手がひるんでいる一瞬の隙をケンは狙っていた。

「一体、何が起きているの」怒声に近い声にP6はたじろいだ。「ボス、共同構の中で待ち伏せにあいました。P3は死にました」「P1とP4は持ち場に残り、P2とP5はP6の応援に向かえ」アイスドールは新たな応援を連絡した。奴らの行き先に先回りするつもりだった。

「仲間を殺した連中に必ず罰を与える」「ボス、境界線を越えてしまいますよ」アイスドールは怒りに身を任せていて、境界線のことを忘れていた。「境界線を越える前に奴らを仕留める」

「アキラ、今の音は」ユウコは一瞬の閃光と激しい銃撃戦の音に敏感に反応した。

「先を急ごう。後どのくらいだ」「目的の場所はすぐ近くのはず」アキラはワタルが沈黙を続けているのを訝っていた。追っては確実に迫っていた。LEDライトが照らし出す壁面に目を凝らした。

「あった」ユウコが指し示す先に鉄製の扉があった。頑丈そうな鉄製の扉は古びて錆が出ていた。この扉が最近開けられた形跡が無いことは埃を被ったドアノブで明らかだった。扉は三人がかりで押してもビクともしなかった。

「爆薬で吹き飛ばそう」そう言うとアキラは手際よくプラスチック爆薬を貼り付けると信管をセットした。

「ドアから離れろ」ドアは意外にも内側ではなく、共同構側に飛んだ。その理由はすぐに分かった。扉の向こう側は大量の物資で埋め尽くされていた。

「これでは通れないわ」「ここ以外に地下鉄につながる所はないのか」「200m先にもあるわ」アキラはどうするか迷った。共同構をこのまま進めば前後から挟み撃ちにされる可能性が高かった。敵の人数と武器を考えれば勝ち目は無かった。アキラは腕を引っ張られて、ワタルが脅えた顔をしているのを初めて見た。

「ワタル、どうしたんだ」ワタルは前方を指差していた。アキラとユウコは指差す方向を見たが、何も見えなかった。ワタルの危険を探知する能力はその並外れた五感からもたらされていた。暗闇に見上げるようなシルエットが浮かび上がった。その姿はおぞましかった。身長は2mくらいはある。

顔はフードに覆われていたが、火傷でただれており、目だけが異様な光を放っていた。左手に槍を持っていた。アキラとユウコは相手の攻撃に備えて、銃を向けた。

 男は醜く歪んだ口を開いたがその声は聞き取れなかったが、後に続くように手招きをすると踵を返した。アキラは男に続くべきかをすぐに決断しなければならなかった。

「行こう」アキラはユウコとワタルに言った。「一体、何者なの」ユウコはワタルに聞いた。

「地下で嗤う人と呼ばれている」「どういう意味なの」「知らない。彼らのことを知っている者はいない」ユウコは今まで経験したことのない不安を感じた。

 大男は槍を背中に背負うと大またで歩き始めた。大男は夜目が利くのか明かりが必要ないようだった。共同構を数十m進んだ所で、大男は穴の前で立ち止まった。マンホールの蓋が外され、穴には地下に続くはしごが見えた。明かりに照らされた大男は近くで見れば見るほど異様な姿だった。身に着けている物は衣服と言えるのか。ボロボロに破れ、埃にまみれ、異臭を放っていた。

 アキラは地下で嗤う人が、デスゾーンの中では忌み嫌われ、最下層の人間として差別されている

という噂を聞いたことがあった。前門の虎後門の狼とはこのことだとアキラは思った。三人がはしごを降り始めると大男はずっしりと重いマンホールの蓋を軽々と持ち上げて穴を塞いだ。

「閉じ込められた」ワタルが悲鳴のような声を上げた。「大丈夫だ。先に進もう」アキラは二人を勇気付けるように言ったが、自分を鼓舞するためでもあった。

 はしごの長さは10mくらいだった。底は靴底が濡れる程度の水が溜まっていた。高さが3m以上はあるトンネルが続いていた。驚いたことに照明が所々にあり、足元を照らしていた。わずかだが風の流れを感じた。「ケンはどこにいるのかしら」ユウコの問いにアキラもワタルも答えることは出来なかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る