第9話 中国 辺境Ⅲ

 医務室を出たアンを待っていたのはあの赤い目をしたロボットだった。

「こちらです」耳障りな機械音だった。アンが案内された部屋はベットと机と椅子だけの無機質な部屋だった。リーはどこにいるのだろうかと思っているとドアをノックする音がした。顔を紅潮させたリーが立っていた。

「アン、凄い施設だよ」リーは修理工場の設備について、熱く説明した。アンはカキザワからこの施設の本当の目的を知っていたので、困惑しながら聞いていた。この部屋も監視されているのに違いなかった。

「リー、カキザワが健診をしたいと言っていたわ」「僕はどこも悪い所はないよ。SUVを自分で修理したいと話したらOKが出たんだ」「リー、長旅だったのよ。頼むから言うことを聞いて」

「分かったよ。君がそんなに言うなら受けることにするよ」突然、館内放送が始まった。

「食事の時間です。集合してください」ずらっと並んだ部屋から湧き出るように人が出て来た。その光景はアンには囚人のように見えたが、リーに話すことは出来なかった。

 カキザキを認めたアンはリーが健診を受けることを伝えた。カキザキは頷くとアンに小さな紙片を握らせた。「今晩決行する。明日までは待てない」アンはベットのそばにある時計を見ていた。施設は物音一つ聞こえないほど静かだった。真夜中の午前1時になった時、アンは突然痛みを訴え始めた。「どうしました」天井のスピーカーから声が聞こえた。「お腹が痛い」「分かりました。スタッフを呼びます」「大丈夫、一人で医務室に行けます」「それでは、医務室に連絡を入れます」

 アンが医務室のドアをノックする前にドアは開いた。カキザワはアンを招き入れると処置台を遮るようにカーテンを引いた。そして、壁の上方にある換気口を指差した。アンは紙片に書かれていた行動をすべて記憶していた。アンはカキザキに渡されたバックパックを背負って、換気口の中に入った。LEDライトで前方を照らしながら、迷路のような通風孔内を進んだ。

 急にライトを照らされて、アンは悲鳴を上げそうになったが、そこにいたのはリーだった。リーはアンよりも先に進んで、待機していたのだった。「驚かせてごめん」アンは目で合図をすると先に行くように指示した。目的の場所は急角度の通風孔を降りた所にあった。

「アン、ここがマイクロマシンの工場らしい」そこはだだっ広い空間だった。見渡す限り製造ラインが並んでいた。ラインには無数の未完成のマイクロマシンが置かれていた。二人は換気口からゆっくりと工場の中に降り立った。リーはアンのバックパックの中からカキザキの手製の爆弾をラインの支柱にマグネットでセットした。アンとリーは手分けして、ラインに等間隔で爆弾をセットした。リーは建築物の構造の知識から工場の中心にある太い柱に目をつけた。

「アン、この柱を吹き飛ばせばこの構造物は崩壊する。ありったけの爆弾をこの柱にくくりつけよう」

「逃げ出す時間はあるの」「最初に工場のあのドアを吹き飛ばす。火災警報が鳴り出して、消火活動が始まる。混乱に紛れて、修理工場まで行けば俺たちのSUVが待っている」

「修理中じゃなかったの」「俺が直した。完全じゃないが、動くことは保障する」逃走経路はカキザキの書き記した図面が頭の中にあった。

「これを持っていてくれ」リーはアンに起爆スイッチを渡した。「使い方が分からないわ」「簡単だ。横の安全装置を外して、赤いボタンを押すだけだ。ただし、ボタンは坑道から完全に出た所で押すのを忘れるな。山ごと押し潰されることになるから」リーは工場のドアをプラスチック爆弾で吹き飛ばした。途端に耳をつんざくような火災警報が鳴り響きだした。同時に天井のスプリンクラーから滝のように水が噴き出し始めた。二人は硝煙が残る通路に出ると修理工場を目指して全力で走った。

 施設内は逃げまどうアンドロイドと警備のロボットが交錯する混乱状態に陥った。消火活動のために施設内のドアは開錠されていた。二人は誰にも制止させずに修理工場に入ることが出来た。

 途中ですれ違った赤い目のロボットは振りかって、二人の行方を追っていた。修理工場にはSUVの他に雪上車や重機が何台も置かれていた。リーは外の世界につながる坑道の大きな扉を開けようとしていた。その時、今まで見たことがない大きなロボットが現れた。その鋼鉄製の太くて頑丈な両手にキャノン砲が握られていた。

「アン、エンジンをかけろ」リーが大声で叫んだ。SUVのエンジンキーを回した。ブルンと震えるような音の後で、エンジンが回り始める野太い音が聞こえた。キャノン砲がSUVの近くにあった雪上車を吹き飛ばした。アンはアクセルを思い切り踏み込んだ。工具箱やら部品を蹴散らしながらリーが待つ坑道に突き進んだ。キャノン砲が重機を粉砕した。リーは坑道の入口で突進して来たSUVにしがみついた。大型ロボットは走りながらキャノン砲を連射した。その一発が坑道の扉を直撃した。扉は四散して、その一部が天井に突き刺さった。坑道は真っ直ぐに外の世界につながっていた。SUVは巧みにカムフラージュされた坑道の出口から外に躍り出た。

 アンは助手席のドアにしがみついているリーを見た。アクセルを緩めて、ブレーキを踏もうとした時、リーはドアから手を離した。「さようなら。アン」アンはサイドミラーで転がり落ちていくリーを目で追った。アンはSUVを急停止させた。地面に仰向けに倒れているリーに駆け寄ろうとした瞬間、爆発音とともにリーの体はバラバラに引き裂かれた。リーの体には自爆用のマイクロマシンがすでに埋め込まれていたのだ。アンにあえて知らせず、散っていったリーの心情を思いやるとアンの胸は張り裂けそうだった。その時、アンの近くキャノン砲弾が炸裂した。アンは爆風で吹き飛ばされた。

 身に付けていた服はボロボロになり、体中に切り傷があった。坑道から1体のロボットが姿を現した。アンはリーから渡された起爆装置の赤いボタンを押した。凄まじい爆発が起こるはずだった。1秒、2秒と過ぎたが何も起こらなかった。アンは何度も赤いボタンを押した。何も起こらない。大きなロボットがキャノン砲を構え、アンに向かって照準を定めようとしていた。SUVに乗り込んで逃げる時間は無かった。もうダメだと思った時、凄まじい爆発音と地面が波打つような激しい震動が襲ってきた。巨大な山体の中腹が割れて、頂上部が支えを失って麓に向かって崩れ落ちた。坑道もロボットも一瞬で崩落する岩と土砂に飲み込まれていった。アンは鮮血に染まった大地に点々と散らばったリーの肉片を拾い集めた。嗚咽が止まらなかった。

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