第8話 東京 デスゾーンⅡ 侵入
アキラとユウコ、そしてケンは今までの制服からデスゾーンで怪しまれないようにいかにも犯罪者のような薄汚れた服に着替えた。与えられた武器も前時代的な拳銃とナイフだった。
「こんな武器だけで要塞のような所にいるヒカルという少年を助け出せると本当に思っているのか」ケンは誰に言うともなく呟いた。アキラもユウコも言葉には出さなかったが、同じ思いだった。デスゾーンの案内役として、同行することになったのは年端もいかないようなあどけない顔をした少年だった。顔も髪も何ヶ月も洗っていないように薄汚れていた。少年の名前はワタルと言った。
四人が歩いている場所は新宿と呼ばれていた場所だった。昼間だというのに人気はまばらだった。浮浪者が食べ物を求めて彷徨っていた。道路には焼け爛れた車が数多く放置されていた。空からはひときわ目立つ2棟の高層ビルも外壁が剥がれ、多くの窓ガラスが割れていた。最上階には設置されたアンテナは朽ち果てた古木に生えたキノコのように見えた。
「東京都庁と呼ばれていた建物だ」ワタルが初めて発した言葉だった。無口な少年だった。
「こんな風に歩いていたら上空から発見されるんじゃないか」ワタルはアキラの問いかけに振り返ることなく答えた。
「あまり話しかけるな。怪しまれる。浮浪者のように彷徨っているのが一番安全なんだ」
「分かった。地下はどうなんだ」「地下鉄構内は最悪だ。生きて出られないと思った方がいい。日が暮れたら、地上も地下もまさにデスゾーンになる。だから先を急ごう」四人は離れ離れにならないようにお互いの位置を確認しながら歩いた。四谷辺りで西に日が傾き始めた。ワタルは古びた建物を指差した。今日の寝る場所らしかった。ここはかっては上智大学のキャンパスの中の建物の一つだった。赤いレンガの壁面は蔦で覆われ、以前の色が分からなかった。近くにある鉄筋校舎は人気が無く荒れ果てていた。ワタルは勝手を知っているらしく、ドアの鍵を開けると中に入った。
西日が曇ったガラスを通して、室内を照らしていたが、教室の机も椅子も埃を被っていた。ワタルは何も触らないように指示すると大理石の階段を上っていった。4階に達すると廊下を進み、突き当たりの隣の部屋に入った。大きなソファがある応接室と壁面全体が書棚になっている部屋が続いていた。
「この部屋は教授のものだな」「ソファがあるので、寝られるわね」「俺は床で寝るよ」
「最初は自分が見張る。ケン、ユウコの順番だ」ワタルは3つあるソファの一つですでに寝息を立てていた。ワタルという少年の胆力には驚くばかりだった。火を使わないですむビスケットを口に運び、水筒の水を飲んだ。校舎の窓から見えるのは月明かりだけで、どこにも人の気配が感じられる明かりは無かった。最初の1時間は何の気配も無かった。2時間が過ぎた頃、緊張と疲れから眠気が襲い始めていた。ケンと交代するまで後1時間だった。寝ないように屈伸運動を始めた。
その時、何か音がしたような気がした。屈伸運動を止め、耳を澄ました。擦るようなわずかな音が下の方から聞こえた。窓から下を見たが、何も見えなかった。驚いたことにワタルは目を覚ましていた。ケンとユウコは寝息を立てていた。ワタルの危険を察知する本能は研ぎ澄まされていた。
「何か聞こえる」ワタルは唇に指を当てた。そして、這うようにして、アキラに近づいてきた。擦るような音は途切れたかと思うと時間を空けて聞こえてきた。徐々に下から上に移動していた。アキラの緊張感は否応無く高まっていった。ホルスターから拳銃を取り出した。
何かを探しているのか。不気味な音は少しずつ近づいて来ていた。ワタルは床に伏せて、じっと闇の先を五感をフル回転させて見つめていた。アキラも同じように床に顔をすりつけるようにして、廊下の先を見つめていた。小さな光る点が2つ見えた。光点は赤く、瞬いた。シュという音がした。アキラがその正体に気付く前にワタルが素早く行動を起こしていた。沈黙が続いた後にドサという音が聞こえた。赤い光点が次第に光を失っていって消えた。
「見に行こう」ワタルが音のした方に歩き始めた。アキラも後に続いた。音のした所にあったのは、黒い毛に被われた犬だった。犬といっても体長は1.5m以上あり、だらりと垂れた舌からは鋭い牙がのぞいていた。首の下に吹き矢が刺さっていた。シュという音は吹き矢の発射音だった。ワタルは手に持っていたジョイント式の筒をたたみ始めた。
「凄い腕前だ。吹き矢に毒を塗ってあるのか」「ああ。夜になると危険な動物が出没するからな。野生化した犬は危険だがこいつは1頭だけだからな」
「群れているのもいるのか」「30頭以上引き連れている恐ろしい奴がいる。そいつと遭遇したら逃げるしかない。とてつもなく危険な相手だ」「見たことがあるのか」「誰も見た者はいない。狙われた獲物は必ず仕留められているからだ」デスゾーンの凶悪な犯罪者たちからも恐れられているその犬はデビルと呼ばれていた。デビルの体長は2mを超えると言う噂だった。
「武器を持っている犯罪者が犬を殺せないのか」「デビルは狩りに関しては、人間以上の知恵がある。昼間は行動しない。真夜中、一番油断している頃に音も無く襲い掛かってくる。襲撃方法も状況に合わせて変えている。明日以降はデビルの狩場に入る」
昼間は凶悪な犯罪者、夜間は牙を向く犬とこの場所はまさにデスゾーンだった。アキラはケンと見張りを交代した時にデビルの話はしなかった。アキラはこの先のことを考えほとんど眠れなかった。「顔色が悪いぞ」ケンはアキラの顔を覗き込み、笑いながら言った。
「こんな時にからかうものじゃないわ」アキラは出発前にワタルに待ち構える危険について説明を求めた。
「ここから皇居までは直線距離で2kmしかありません。皇居に入る橋はどこも厳重に警備されています。昼間はとても無理です。夜になるとデビルが襲ってきます。犯罪者たちも夜になると皇居の外には出ないのはデビルを恐れているからです」
「地下はどうなんだ」「地下鉄は地上よりも危険です。危険な野生動物の巣窟になっていますから」 ワタルがデビルの説明をした。ユウコとケンは顔を見合わせた。
「ここから先は何があるか分かりません」「覚悟を決めて進むしかないわけか」4人はアキラ、ワタル、ユウコ、ケンの順番で歩き始めた。表通りも裏通りも人の気配が無かった。放置された車はガラスが割られ、金目になる物はすべて略奪されていた。コンビニ店には空っぽの棚があるだけだった。
「待ちな」突然、異様な格好をした連中に取り囲まれた。露になった肌には、所狭しと刺青があった。
「ここを黙って通り過ぎるつもりか」鼻ピアスをした男がアキラを睨みつけていた。
「そのつもりだ」アキラが取り囲んだ10人を超える連中を見回しながら言った。
「いい度胸しているな。持っているものをすべて置いていけ。それからその姉ちゃんもな」頬に傷のある大男がリーダーらしく、手に大きなチェーンを持っていた。
「怪我をしたくなかったら、黙って通すことだな」鼻ピアスの男が怒りに燃えて吠えた。
「やっちまえ」アキラは突進してきた鼻ピアスの男の鼻柱に強烈なストレートを見舞った。
「うあ」グシャという鼻の骨が折れる音とともに鼻ピアスの男が悲鳴を上げて仰向けに倒れた。大男はケンにチェーンを振るった。ケンはわずかのところで一撃を避けたが、次の攻撃を左腕に受けた。激痛が走ったが、渾身の力を込めた蹴りが大男の右側頭部をとらえた。大男はその場に昏倒した。
ユウコはワタルを守りながら、合気道3段の腕前であっという間に2人の男を投げ飛ばしていた。残った男たちは恐れをなして、仲間を残したまま逃げ去った。ケンはユウコが左腕を触った瞬間に声を上げた。「骨は折れてはいないようだけど、後でかなり腫れると思うわ」
「この連中は雑魚だ。先に進むほど手強い連中になる」「先を急ごう」
4人は新宿通りから麹町4丁目で南に向きを変えた。荒れ果てたビルのどこかで見張られているような気配をひしひしと感じた。アキラの足元でビシという音がした。「隠れろ」4人は近くのビルに逃げ込んだ。「どこから撃ってきたんだ」「向かいのあのビルだ」そのビルは以前はホテルだった。
「迂回しよう」アキラを制止するようにワタルが手を引っ張った。「まずいことになった」
「今度は何だ」ケンがワタルに詰め寄った。「スコーピオンの縄張りに入り込んでしまったようだ」
「スコーピオンとは何なの」「南に方向を変えたのも縄張りを避けるためだったのに」
「縄張りを広げていたというわけか」ワタルがうなずいた。
「どんな連中なんだ」「スコーピオンには射撃の名人がたくさんいる。さっきのは、警告だ」
「縄張りから出ればいいんじゃないか」「警告は追い出すためじゃない。皆殺しにするという合図なんだ。ずっと見張られていたんだ。多分、この周りのビルのあちこちに狙撃者がいる。出たら狙い撃ちにされる」ワタルが初めて、恐怖の表情を浮かべた。
「完全に進退窮まったというわけか」
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