第4話 別れた妻とのランデブー

 生活福祉課という名を、僕は以前耳にしたことがあった。

 それは確か、お客でお得なプランを勧めた時の話だったと思う。


『生活保護で生活しているから、あまり高い料金だと払えなくなってしまう』


 確かこんな様なことを言っていた気がする。

 そしてその人の口から、生活福祉課がどうのと言うのを聞いた。


「今朝電話した杉崎ですけど……」


 ゆかりが先だって受付に話しかけて、僕たちは椅子に座って待つ様に言われた。

 なるほど、ゆかりなりに考えた僕への救済手段というわけだ。

 しかし、あの店に勤めていた頃からこんなところでお世話になるなんてこと、頭にもなかった。


 だからかゆかりの行動力と発想には感心させられてしまう。


「お待たせしました、杉崎さん。今回のご相談は杉崎さんではないんですよね?」


 係の人と思われる小柄な女性が、ゆかりに話しかけた後、僕を見た。

 身長は低めでゆかりといい勝負かもしれない。

 ゆかりよりもやや年上に見える。


「ええ、元夫の中村界人です。保護申請をしたいのは、私ではなく彼です」

「了解いたしましたっと……では、こちらへどうぞ」


 その女性に促されるままに、僕とゆかりは別室に案内される。

 一応のプライバシーを慮ってか、申し訳程度の仕切りと扉がある小部屋。

 長机とパイプ椅子が四脚置いてある。


「私が今回担当させていただく、大坪と申します。この度は保護の希望を出されているということですが……杉崎さんは元、奥さんなんですね?」

「そうなります。一応たまに様子を見に行ったりはしてたんですけど……昨日見に行ったら死にかけていたので」

「…………」


 次々される質問に、ゆかりが代わりに答えてくれる。

 僕がいる意味あるのか、なんて考えてしまうが実際に手続きをするのは僕なのだから、いなくては話にならないだろう。

 

「そうなるとですね、非常に申し上げにくいのですが……」


 大坪と名乗った担当の女性が苦い顔をする。

 なるほど、ゆかりは元妻ではあるが法律上の他人だ。


「ああ、そうですよね。じゃあ私、外で待ってるから。ちゃんと手続きしてきなさいよ」


 そう言ってゆかりは部屋の外に出た。

 そして残された僕と大坪とで保護に至るまでの経緯だったり、直近での生活状況の説明をする。


「えっと……こんな言い方も何だと思うんですが、よく生きていらっしゃいましたね」

「ええ、先ほどの……杉崎にも言われました。彼女がこなかったら死んでいたかもしれません」

「…………」

 

 どうしたものか、この空気。

 想像もしていなかったであろう僕の状況を聞いて、すっかりと大坪は引いてしまっている様だった。

 直近三か月の収入であるとか、預金通帳を見せてくれだとか、色々と言われたがそのどれもが彼女を驚愕させた。


「そうなると、ライフラインなんかはすぐにでも復旧させたいところですね。というかしなければまともな生活も難しいでしょうから」

「まぁ、そうしてもらえるのであれば助かりますけど……そんなすぐに復旧できるものですか?」

「実はですね、保護自体は申請頂いてから早くても数週間かかります。なので、すぐにお金が必要ということになりますと、別でお金を貸し付ける機関をご利用いただくことになるんですよ」


 お金を貸し付ける機関、と聞いて僕の頭に浮かんだのは闇金だった。

 もちろんちゃんとした役所だし、そんなものを紹介してくるわけはないのだが、どうも借りるということに対して僕は良いイメージを持っていない。

 しかし金そのものはなければ困るので、僕はそのお言葉に甘えることにした。


「じゃあ、その機関の利用もお願いしたいんですけど」

「わかりました、じゃあ書類関係まとめて用意しますので……少々お待ちいただけますか?」


 そう言って大坪は部屋を出る。

 部屋の外で椅子に座るゆかりが見えて、一瞬目が合う。

 どんな顔をしたら良いのかわからなかったので、とりあえず直視していたらゆかりはスマホを取り出して何やらネットサーフィンを始めた様だった。


「お待たせしました。そういえば一つ伺っておく必要があるのですが」

「何でしょう?」

「どうしてそんなにお金なくなったんですか?」

「…………」


 その話題きたか、と正直思った。

 間抜けすぎる話だし、正直人に話すのは気が引ける。

 第一信用してもらえたとしても、自分のアホさ加減を晒す結果になるだけでいいことはない、なんて思ってしまっていたのだ。


「……それ、中村さん一つも悪くなくないですか?」


 それでも必要なことだから、と意を決して話したところ、大坪は明らかな怒りを露わにした。

 役人がこういうところで私情挟んでもいいのか?などと考えてしまうが、共感してもらえたこと自体は少し嬉しかった。


「えっと……まぁ、正直僕にも落ち度はありましたから。仮にもうお金が戻ってこないんだとしても、それは僕の自己責任ですし。それに、今回のことで助けてくれた人もいるし、僕はまだ生きていていいんだなって」

「当たり前でしょう!何てこと言うんですか!!」


 バン!と机を叩いて大坪が憤慨して、僕も思わず驚いて筆がずれた。

 感受性の高い人なのだろうか、出会った頃のゆかりを連想してしまう。


「……すみません。ちょっとそういうの、許せないもので。中村さん、一応言っておきますが生活保護は、その市民が生活をする権利がある、ということで設けられているものです。もちろん悪用したりする人もいないわけではありませんから、いいイメージがないという人だっているでしょうけど……」

「…………」

「誰にだって、本来生きる権利は平等にあるんです。その騙されたのだって、なければ中村さんはもっと楽に生活できたかもしれないんですから」


 その後大坪は熱くなってすまなかった、と詫びて僕の書いた書類を受け取る。

 一通り漏れや不備がないことを確認して、先ほど言っていたお金を貸し付けてくれる機関を紹介してくれた。

 地図を渡されたので確認すると、場所は僕の行ったことのない場所だったが、ゆかりの車のナビで行けるだろうと言うことで、それを受け取って僕はその部屋を出る。


「まだやり直せる時期のはずですので、腐らず頑張りましょう」


 大坪はそう言って僕にガッツポーズをしてみせる。

 こんな風にいちいち感情移入してたら辛くならないのかな、と思ってしまうが、大坪も何となくいい人なのだろう、と僕の頭の中で片づけることにした。

 一礼してゆかりに声をかけると、ゆかりは顔を上げて僕を見る。


「ああ、終わったのね。どうなった?」

「えっと、保護が降りるまでにはまだ時間かかるから、貸してくれる機関紹介してくれるって」

「なるほど、まぁそうよね。場所はわかっているの?」


 そう言われて地図を渡すと、ゆかりも行ったことがない場所らしく、しかし近くに何何があるから、と呟いて僕に地図を返してきた。


「じゃ、行くわよ。他に用事、ないんでしょ?」

「ああ、大丈夫」


 こう言ってしまうと身も蓋もないのだが、僕は方向音痴だ。

 こうして暮らしている地元ですらおぼつかないこともあって、以前の店に勤めることになった時は前日に用もないのに遅刻をしない様にと通勤の練習なんかもしていたという経緯がある。

 そしてゆかりもそれを知っているので僕に場所の心当たりなどを聞いてくることはしなかった。


 それにしてもゆかりにせよ大坪にせよ、僕みたいなのはほっとけばいいのに。

 何でこうまでして世話を焼こうとするのか。

 大坪はまぁ仕事だからわかるとして、ゆかりに関してはとっくに切れた夫婦関係で、由衣がいなければただの他人だというのに。


「何か考え事?私みたいな美人とドライブできて幸せとか考えてるの?」

「……あー、まぁそんなとこかな」

「嘘ついてもすぐわかるんだからね。あんた、顔に書いてあんだから」

「…………」


 だったら変なこと聞かなきゃいいのに。

 そういえばゆかりだってまだ三十前半なんだし、見た目は綺麗にしてるんだし、男の一人くらいいてもおかしくはないのだが……そういうの、ないんだろうか。

 まぁいたら僕にこんな風な世話を焼いていること自体まずいか。


 多分由衣がまだ幼いとか色々事情があるのだろう。

 そう考えると何となくそういうことを聞くこと自体が憚られて、僕は黙ってその機関への道のりを車内で過ごした。

 社会福祉協議会という大層な名前のついたその施設へは、あと五分もかからない内に到着する様だ。


「どうやらあれかな。駐車場、何処かしら」


 車が一旦停止して、後ろなどに後続車がいないことを確認しながらゆかりが呟くのが聞こえた。

 時刻は十二時少し前。

 一般的には昼食などを考える時間に差し掛かっている。


 僕も辺りを見回して、車が止められそうなスペースはその建物の前にしかないことがわかった。


「客用なのかわからないけど、とりあえずここでいいわよね」


 守衛等がいるわけでもなく、駐車に関しての注意書きもないのでそのまま車を停めさせてもらって、僕とゆかりはその建物の中へ入って行った。

 薄暗くやや陰鬱な雰囲気の漂うその施設の受付からは、年配の女性が出てきて僕らを迎えてくれる。


「中村さんと杉崎さんですね。お待ちしてましたよ。そちらの部屋へどうぞ」


 役所の時よりはややしっかりした造りの部屋へ通されて、僕らは担当者が来るのを待つ。

 ここへきてもまだ、僕はお金を借りるということそのものに抵抗を持っていたが、こうなってはゆかりもそれを許すことはないだろうと考えて僕は諦めることにした。

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