第3話 過去と現在

昔何度かきたことがあったが、夜のネカフェというのは静かな様で、キーボードのタイピングの音だったり何かを食べたり飲んだりしている音、咳払いの音なんかが割と頻繁に聞こえる。

あの電気も何もかもが止められた部屋で過ごすのと違って、ここは静かではあるがある程度の生活感が漂っている。

そうした環境で、僕は昔のことを思い出していた。


あの頃僕は、携帯ショップの副店長をやっていた。

副店長なんて言っても人が足りなければ窓口で対応もするし、一般スタッフの代わりにクレーム対応をしたりとうまみはほとんどない仕事だ。

しかし熱のある対応を、と当時の僕は自らに課していたこともあってか、今からでは考えられないほどに、僕は情熱的だった。


これはゆかりも他の仲間も認めていた。

しかしそれをよしとしない人が一人、あの店にはいたのだ。

上司に恵まれない会社、というのはいくらでもあると思うし、もちろん僕だけが被害者ではないと思っていたから、僕は僕だと考えて当時は頑張っていたものだが……もちろん限界はある。


人間として生まれて、感情もあれば思考だってする。

それが当たり前だし、だけど仕事中だけはそんなことはおくびにも出さず頑張っていたつもりだったが、決定打が下されたのは半年くらい前だったか。

早い話、僕は上司……店長からハメられた。


僕の立場を逆手に取られ、本来僕が追わなくても良い責務までを負わされ、ミスの大半をなすりつけられた。

そしてそのミスの原因となった客。

その客から店長に直々にクレームが入り、僕は寝耳に水の状態でその報せを受けた。


僕の記憶の中では、そのお客は笑顔で納得して帰っていたし、特に問題になる様な対応をした覚えもなかった。

ところが、店長が言うには僕にもう対応をしてほしくない、という様なことを言われた、という。

休み明けに気分一新して頑張ろうと思った矢先、何かが僕の中で折れた気がした。


そして気づけば僕は、店を飛び出してしまっていた。


つまらないことを、思い出してしまったものだ。

もう半年、されど半年というものなのか、僕の中にはすっかりとトラウマとして息づいてしまっている。

きっとゆかりの来訪が、僕に忘れるなと言っているのだ。


彼女に黙っていたのは、彼女に話した通り話そうと思った矢先に携帯が止まったからだ。

しかし、彼女に心配をかけたくなかった、というのも事実。

今日の様に、僕がああなったことを知ったら彼女は飛んできてくれただろう。


しかし僕らは元夫婦であって今は他人。

そんな僕が迷惑をかけてしまうことが、彼女の為にならないことはよくわかっているつもりだった。

あくまでつもりだったから、今日ゆかりはあんなにも怒っていたんだろうと思うが。


ゆかりから受け取った金を個室のテーブルの上に広げて、残額を確認する。

贅沢さえしなければ、まだ何日かはもつだけの金額が残っている。

使えばなくなる。


少なくとも二か月前までは、こんなんじゃなかった。

あの時の僕に会うことができるのであれば、僕は殴ってでもあの時の僕を止めていたかもしれない。

それほどに愚かで、間抜けなお金の使い方をした。


店を飛び出して数日、僕は正式に店へ退職願を出して、僅かだが退職金も出た。

貯金もある程度はしていたし、仕事が見つかるまでのつなぎとして生きる分くらいはどうにでもなるはずだった。


僕は孤児だ。

そして、施設育ちで引き取り手もなかった僕は、高校卒業と同時に施設を出ることを余儀なくされて、大学なんてとてもじゃないが考える余裕がなかった。

なので、学歴も当然高卒。


今の世の中で大学に行っていないというのは、それだけで落伍者扱いされる事実だ。

ソースは僕の就職活動。

職業安定所……今はハローワークと言うのだったか。


そこでも暇さえあれば仕事を探し、もちろんネットでも仕事を探す日々だった。

始めの一か月くらいは、見つからなくても仕方ないか、くらいに思えたものだったが次第に焦る気持ちは出てくる。

しかしその焦りに反して結果はついてこなくて、僕は両手の指でも追い付かないほどの面接に落ちた。


途方に暮れていたある日、あいつはやってきた。


「久しぶりだな、中村」


僕が辞めた店の一個前の配属先だった店で同僚だった、石川だ。

その店で僕と石川はそれなりに仲が良く、僕の転属が決まっても彼はちょくちょく連絡を寄越してきていた。

当時の僕はすっかり人間不信になっていたはずだったが、あの敵意や邪気のない笑顔に懐かしさを覚えてしまい、石川を自宅の部屋へ招き入れた。


彼は僕が店を辞めたことも誰かから聞いて知っていた。

この時、何で僕は微塵も疑わずに彼を信じてしまったのか。

後悔しても仕方ないことだとわかっているが、それでも思い出してしまうものは仕方ない。


「俺は、お前の助けになりたいんだ」


こんな言葉に引っかかるなんて、本当にどうかしていたとしか思えない。

今なら普通に顔を見ただけで帰れ、と言える自信がある。

もちろんその時になってみなければわからないことだが。


そんな言葉にあっさりと引っかかった僕は、石川の言う儲け話に乗ることにして、手付金として貯金のおよそ八割に当たる、二百万もの金を渡してしまった。

彼は割と念入りで、近い内に朗報を持ってこられるはずだ、と言って帰って行った。

そしてそんな石川の言葉を鵜呑みにして、僕はこれで仕事探しから解放されるなんて、甘いことを考えていたのだ。


しかし、その日から二週間が経っても石川からの連絡はなく、さすがの僕も不信感を持っていた。

石川の携帯や、彼が勤めていた店にも連絡を入れたが、携帯は番号が使われていないとのことで、店は一か月以上も前に辞めていたらしく、彼との連絡手段はなくなった。

その瞬間、やっと僕は自分が騙されたのだということを理解した。


とてつもなく高い授業料を払って学んだこと。

それは、人間なんてロクなもんじゃない、ということだ。

だからと言って、ゆかりへの慰謝料や養育費の支払いを止めるという考えはなく、残っていた金で払い続けた。


そのせいで、ゆかりは気づかなかったのだろうと思う。

しかし、昨日思い立って店を訪ねられてしまった。

僕は死に底なうことになったが、まだ死ぬには早い、と神様とかが言っているのかもしれない、とそれを受け入れることにした。


ゆかりへの支払いを優先した結果、ライフラインは全滅することになってしまったが余計な借りを作らなくて済んだ、ということだけは満足だった。

もちろんそこからは言うまでもなく地獄みたいな生活だったし、決してあの頃に戻りたいなんて思えるものではなかったけど……。


明日はゆかりが十時に迎えに来る手筈になっていたし、九時過ぎにはここを出ないといけないか。

そんなことを考えながら、割と座り心地のいい個室のリクライニングを倒して、僕は眠りについた。



「よく眠れた?」

「ああ、おかげ様で」


翌日、ゆかりは案の定九時半過ぎに現れた。

時間に細かいのは昔からで、僕もそれはわかっているし何より僕も時間にはうるさい。

だから、こういう時は助かる。


「早速だけど出発するから。乗って」


ゆかりに促されるまま、僕は車に乗りこむ。

後部座席のドアを開けようとしたら、助手席を手でポンポンとされて、無言で助手席に座る様促された。


「ほら、これ食べていいから。どうせ朝食べてないでしょ?」


何とも根回しよく、コンビニで買ったであろうおにぎりとお茶が手渡される。

遠慮なく頂いて、それを見たゆかりが車を走らせる。

もちろん薬なんか入ってはいなかった。


「今日は月曜だから混んでると思う。ちゃんと私が言ったもの、持ってきた?」

「ああ、それは問題ないけど……こんなもの持って、何処行くんだ?」

「行けばわかるわ。そんなに遠くないところだし」


ゆかりの発言通り、十分も走らないうちに目的地と言われた建物が見えてきた。

あれは、市役所?

印鑑が必要……まさかとは思うけど、こんな僕みたいなのと、再婚、とか……。


いや、それはないだろう。

あり得ない。

というかそうだったとしたら、僕は車を降りて全力ダッシュで逃げると思う。


というかそんな素振りは微塵も見せなかったし、違うだろうということにしてゆかりの後をついて歩く。


「こっちよ、何してんの」

「あ、ああ……」


僕がゆかりに連れてこられたのは、生活福祉課というところだった。

昔何処かで聞いた覚えがある。

ここは確か――。

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