百合子OP

 訪れた先は、レンタルショップ兼任本屋のチェーンだった。


学校からもほど近いこの店は、うちの学校の生徒の姿も多く見られる場所の一つだった。


少年コミック、青年コミック、少女コミック、小説と下っていく。

いないな、と、出口に向かいかけた時だった。


本コーナーの片隅の角に、その姿を見据えた。

何故そんなところに、と、疑問を覚えつつも、ゆっくりとした足取りでそちらに向かう。


「よっ」

「?

 ――Oh,Coach!

 おはようございマス!」

「おはよう、百合子。

 相変わらずだな」


彼女―― 流暢かつ独特な英語混じりのしゃべり方の 松来 百合子(マツキ ユリコ)。

二年の彼女は、至宝女子の守りの要の一つ―― セカンドの名手だった。


そして、その面倒見の良さから、同学年の二年にも、後輩である一年にも頼りにされている。

ちなみにそのしゃべり方だが、別に、帰国子女であるとか、ハーフやクォーターであるとか、そういう訳ではないらしい。

曰く、幼少期に英会話を習ったせいで、変な風に日本語と英語が混ざってしまった、のだそうだ。


相変わらず、と、言ってはいるが、実のところ、オレは未だに慣れない。

他の部員は割と気にしなくなっているようだったが。


「なにしてるんだ、地図コーナーなんかで。

 旅行にでも出かけるのか?」

「イイエ、ただのresourceデス。

 こうやって、地図や地形を眺めて、想いを馳せるだけで、お手軽travelになるのデスヨー」

「へぇ――……。

 何か、そういうのあったな…… “卓上旅行”っつーんだっけ?」

「Yeah!

 コーチは物知りサンデスネー!」


知ってはいるが、何が楽しいのかは理解できない。

百合子が持っていた本のページを覗き見ると、甲信越地方の島、しかも、飾り気も観光情報もない、ただの交通地図だった。


――これで、どうやって旅行に行った気になるのだろう。


というか、百合子はバイクの免許でも持っているのだろうか……?


「……免許、持ってるのか?」

「Driver’s Licenceデスカ?

 持ってないデス、取りたいですネー」

「――そうか」


……余計にわからなくなった。


どこまで想像で補えるのだろう。

まぁ、いいか、と、無理矢理、自分の中で疑問符を断ち切る。


「えぇーっと…… 少し、時間良いか?

 忙しいんだろうか……?」

「Yes!」


……どっちだ。


時間とってもらっても良い、なのか、忙しい、なのか。

どっちにかかっているんだ……。


「えぇと……?」

「構いませんヨ。

 どこか、落ち着けるPlace、行きマショうカー?」

「そうだな。

 この辺だと――……」


「Burger Shop or Coffee Shop!

 もしくは、ラーメン Shopデスカー?」

「 ラ ー メ ン シ ョ ッ プ は言わねぇんじゃねぇかな……。

 コーヒーショップは、まぁ、言い得て妙だけど――。

 まぁ、コーヒーにしとくか、ラーメン屋やバーガーショップでする話でもないし」


「Yeah!

 そうシマショう!

 ニューヨーカー ドーナッツ 各種、  新  発  売  デスっ!」

「CMかっ」


そんなツッコミを入れながら、何も買わずに本屋を後にする。


自動ドアをくぐってすぐに、ムシムシとした暑さに覆われる。

この直射日光の中、目的地まで数百m歩くのか。


そう思うと、一気に億劫になる。

つい先日まで、この気候の中、皆と汗を流して運動していたのが嘘のようだ。


チラ、と、端に目をやると、百合子がパタパタと掌を“あおいで”いた。

目が合ったその後で、アツイデスネー、と、苦々しく笑って見せた。


「さっさと行くか」


そう頷き合って、早足で歩き出す。


――……。

――……。


「――ふぅっ」


勢いに任せて紙コップを机に叩きつける。

カラコロと、氷のぶつかり合う音が聞こえた。


――やっと、人心地、と行ったところだ。


それは、百合子も同じようだった。


「冷たい Caffe Latte も、案外イケマスねー。

 でも、Ciderには、敵いまセーン」

「お前、いつも飲んでるもんなぁ、○ツ矢のヤツ」

「Yes!

 日本の夏、デスネー」

「間違っちゃいないが、響き的には、正しくもねーな……」


某虫除けの匂いの飲み物を想像して、軽く咽せる。

当人は、軽くクエスチョンマークを浮かべて首を傾げて見せただけだったが。


「By the way…… お話トハ――?」

「あぁ、そうだったな――。

 えぇと、とりあえず、野球部の練習再開と……」


「Yaeh!

  オ マ チ ク タ ビ レ 、デスネー!」

「 お ま ち く た び れ は わ か ら ん 。

 休みなんて、たったの四日間なのに……」


「Homeの用事もアリマセンしー…… 四日間では、何をするにも too shortです。

 なので、 オ マ チ ク タ ビ レ 、デース」

「……そうか。

 それなら、まぁ―― 何も言えねぇ、けど」


「 コ ー チ は 何 か 、 Something し て い る の デ ス か ? 」

「うっ――……」


――確かに。


オレも、結局こんな話をチームメイト全員に話して終わりそうだ。

……それなら、いっそ練習中に一人ずつ呼び出して話した方が早いのかもしれない。


――いや、それはそれで、針のムシロだな……。


「――まぁ、確かに、そうかもしれないな。

 高校生活なんて、長いように見えて、短いモンだし…… やりたいことをやってたほうが良いのかもしれない。

 オレも、夏休みの練習と、合宿が終わればお役御免だし――」

「コーチじゃ、なくなるんデスねー……」

「……ま、そうなるな。

 っていっても、いきなり放り出すつもりはないけど」

「……」


オレの言葉を受けて黙り込む。

どこか、憂いを帯びたようなその表情に、ふと、静寂を覚える。


続けて合宿の話を切り出すのも、躊躇われた。

そんなこんなで手元に注意を逸らして、沈黙を続けていた。


すると、気を取り直したように口火を切る。


「But,合宿はあるのデスネー!」

「え、あぁ――…… それも伝えとかなきゃいけないんだよ。

 27日から、4日間。

 学校に朝集合で、場所は雲條高原ってとこだけど…… 知ってるか?」

「Yes!

 隣県のナツの実家デスネ!

 Before、旅行雑誌見ながら、話を聞かせてもらいまシター」

「あぁ、卓上旅行の一環で、か。

 なるほど」


オレ自身、あちらの事はほとんど知らないが、ちょっとした休みや遊びのタイミングのことは百合子や小夏に丸投げしても良いだろうか。


――というか、オレもガイドブックくらいは目を通すべきだろうか。


「どんなところなんだ?

 何かおもしろいものあったか?」

「そうデスネー……。

 まず、ミドリ豊かデスネー」


「あぁ、名前からして高原だし…… 山や川も近くて、ちょっと下れば海もあるんだったな。

 その分、傾斜が厳しいって聞いたけど」

「Yeah、坂は厳しいデスー。

   ま  る  で  長  崎  で  す  ね  !  」

「  長  崎  の  人  怒  る  ぞ  !  ?  」


本当に長崎が坂多いのかはわからないし、勝手な印象なのかもしれない。


「それ以外ニハー…… ちょうど、合宿の頃に、Summer Festが行われマース」

「サマーフェストっていうと―― 夏祭り、か?」


「Yes!

 地域全体の、BigなEventのようデース」

「へぇ~――……」


時間が合えば行ってみたいが…… あくまで部の合宿なので、難しいだろうか。


――あまり、他の部員の耳には入れたくない話だが…… 口止めしたところで、小夏から伝わってしまうだろう。


「特産物らしい特産物はアリマセーンが、山のサチ、海のサチ、川のサチ、

 Meat & Fish & Vegetables なんでも美味しい、らしいデース」

「へぇ~…… じゃあ、食べ物は期待出来そうだなぁ」


「季節が違えば、シシ鍋も出るそうですよ。

 ワタシ、 ラ イ オ ン の 鍋 な ん て 食 べ た こ と ア リ マ セ ン !」

「  獅  子  じ  ゃ  ね  ぇ  か  ら  !  !  

  食 べ た こ と あ る ヤ ツ い ね ー わ !

 シシ肉…… イノシシだよ、猪」


「oh…… 勘違いデース。

 デスガ、Boar肉も食べたことないデスネー」

「ま、そうだな。

 オレも食べたことない気がする。

 猪狩りの季節って言ったら、晩秋あたりかな。

 せっかくだから食べてみたかったなぁ」


「また、別の時に旅行シマースカー?

 今度は、合宿でなくー……」

「えっ……」


それって、つまり……。


一瞬、想像し掛けて口ごもる。


「 コ ー チ と シ ズ ち ゃ ん 先 輩 の 卒 業 旅 行 デ ー ス ! 」

「 卒 業 し な い ヤ ツ ら も 行 く の か ! ? 」

「Yes!

 多い方が楽しいデスヨー」

「 い や 、 そ れ 、 も う 、 卒 業 旅 行 っ て 言 わ な い か ら 」


降って沸いた甘い想像は、具体的になる前に、彼女自らの手でかき消される。


――ま、そうだろうな。


そもそも、それを願って、そう謀ったのは、オレの方なのだから。

“そう”認識されていないのは、当然のことだ。


……ただ、今現在、“真逆の謀”があるから、もの悲しく感じるだけ、だ。

小さく、頭を掻いてみる。


「おハナシはThe endデスカー?

 ワザワザ訪ね回るくらいデスカラ、他にもアリマスカー?」

「あ、あぁ……。

 お察しの通り、他にもある」

「Ja。

 お聞きシマショウー」

「―― な ん で ド イ ツ 語 に な っ た 」


突然の分かりにくいボケに、耳聡くツッコミを返しておく。

彼女は、「元は同じものデスから」などと、意にも介さなかったが。


「はぁ――……」、と、どちらの意味かの溜め息を深く吐いて、彼女を見据える。


彼女―― 松来百合子は二年生だ。

だが、几帳面で、面倒見の良い性格で、年下とは思えないこともままある。


オレの知る限りでは、校内の男子からも人気が高く、その容姿から、ハーフと間違えられることも多い。

……しゃべり方のせいもあるだろうが。


おそらく、女子野球部としての関係がなければ、いっさい関わることもない、いわば高嶺の花、だっただろう。


「?

 ドウカシマシタカー?」

「いや…… ちょっとヘンな話というか、バカな話というか。

 言いにくい話があるんだ」


「Oh……  懺  悔  デ ス カ ! ? 」

「 ち っ が っ う っ わ っ ! ! 」

「Yaeh…… Priestにならなくて良いですかー?」

「Priestessじゃなくてか……。

 いや、どっちでも良いわ。

  な ら な く て 良 い か ら 」


はぁ―― うちの部員は何故こうも思考がぶっ飛んでいるのか。


自らの歯切れの悪さを棚に上げて、そう心でぼやいてみる。


――さっさと本題を切り出そう。


そう、決意する。


「えぇーっと、な……。

 この間、璃音と―― 部長と、話したんだ」

「Captainと、デスカー?

 ナンの話デショウー?」

「えーと…… “ 恋 と か し て み ろ ” って」


「――……」

「――……」


――……。


謎の沈黙。

彼女は、というと、頬に人差し指を当て、小首を傾げて見せた。


「U-m――…… ソレハー……」

「ん?」


「 部 長 が 、 コ ー チ に 言 っ た の デ ス ? 

  そ れ と も 、 コ ー チ が 部 長 に ? 」

「 あ っ 、 そ こ か ら ! ? 」


そうかー、そこからかー……。


言われてみれば、実際、年下の女の子にこんなことを諭されるのも情けない気がする。

――とはいえ、自分が璃音にそんな台詞を吐く場面が見いだせない。


「いや、オレが、璃音に言われたんだけど――……」

「Yeah……。

  恋 、 す る の デ ス か ? 」

「うぐっ……」


百合子の直球で素直すぎる問いに、オレは即答できずに口ごもる。


……そりゃ、そうだ。


“する”と璃音には約束したものの、あくまで受け身な姿勢のままだ。

どういうヴィジョンがあるわけでもない。

結局、自分が何をしたいのかもわからないままだ。


「――……?

 どうかされマシタカー?」

「いや…… えっと――……。

 あんまり、自分でもよくわかってなくて、なー……」


「?

 何を、デスカー?」

「その…… 恋愛する、ってこと」


「?

 誰かを好きにナレバ良いのデハー?

 後は、Action only、デッ、ショウ?」


……いやまぁ、理屈だけならそうなんだけども。

そんな簡単になれれば、苦労はしていないって。


「――  コ  ー  チ  、  Pure  boy  デ  ス  カ  ?  」

「  そ  の  言  い  方  や  め  て  く  だ  さ  い  !」


ホントに、ホントに!


いやな汗が出てきた。


「That is to say…… レンアイをしようとスル、努力をスル―― ソウイウコトデスカー?」

「そう、そういうことだよ!」


「Oh,Yeah……  今 ま で 何 を や っ て こ ら れ た の デ ス か ? 」

「 全 力 で 懐 を え ぐ る 変 化 球 も や め て ! ? 」


何故、概要を説明するだけでこんな状況になっているのだろう。

百合子の戯れの威力が強すぎてヤバい。


「ジョーダンはさておきー……」

「?」

「ソレデハー、特定の誰かとレンアイをする、という、訳でもナクー?」


「そうだよ。

 あくまで、コーチとしてだけ、至宝女子を見てるのをやめる、っていうのが元々の目論見でもあるし」

「fーm……。

 私も、その内の一人で?」


「――悪いけど、そうなるな。

 誰も、特別視するつもりはないから…… 多少気分は悪いかもしれないけど……」

「No!」


突然、一点に達した瞬間に、そういうと、彼女は大きく両人差し指をクロスさせた。

訝しがりながらそのバッテンを見つめるオレに、二度、指の腹で爪を研ぐような仕草をして見せた。


「――ソレ自体は、光栄なコトデスヨー?」

「えっ…… そ、そうか?」


思わぬ百合子の反応に、声が上擦る。

そんな風に言われるとは思わなかった。


「ムシロ、 ワ タ シ だ け が 枠 外 な 方 が気分はBadデース!」

「  そ  り  ゃ  そ  う  だ  」


――仰るとおりだ。


自分だけ対象外だと言われれば、どんなに好きでない異性に言われたとしても気分はBadだろう。


「Then…… ワタシは、何をスベキでしょう?」

「すべき?」

「Yeah。

 ワザワザ、話をしに来ているというコトハー、何か、協力が必要なのデショウー?」


「……あぁ。

 そうだな、じゃあ――……」

「 メ イ ド 服 で も 着 マ ス カ ? 」

「  な  ん  で  !  ?  」


突拍子もない提案に、声が上擦る。


本人は、「りょーちゃんに借りたゲームではソウデシタ」等と悪びれない様子だったが。

……いったい、どんなゲームを布教しているというのか。


「いや、そういうのは良いから……。

 えぇと、じゃあ――……」

「何デショウ?

 何なりとオッシャッテみてクダサーイ。

  叶 え ら れ る と は 限 り ま せ ん ガ ー 」


「 叶 え て く れ る と あ り が た い ん だ が 。

 そんな無茶は言わないからさ……。

 えぇと、呼び方を変えてもらおうかと思って」

「呼び方、デスカ?」


「……そう。

 今度の合宿が終わったら、もう、オレは事実上は至宝女子のコーチ・監督じゃなくなるんだ。

 だから、それも含めて―― それ以外のことも含めて、皆には呼び方を変えてもらおうと思ってる」

「U-m……。

 コーチ、や、監督、以外、ってコトデスヨネー?」


「あぁ」

「fm…… ごしゅ――……」

「 ヲ タ ク 系 の 呼 び 方 は も う 良 い か ら な !

  そ れ は さ っ き や っ た だ ろ ! 」

「……アイヤー、コーチ、エスパーデスカー?」

「何で中国語になった」


「……普通で良いから!

 名字でも、名前でも、敬称でも――」

「名字、名前、敬称……」

「――ちなみに、前波慶治―― な」


「Oh!

  ど う し て 考 え て い る コ ト が わ か っ た デ ス カ ! ? 」

「  さ  ぁ  、  何  で  か  な  !」


ため息混じりに苦笑を落とすと、彼女は、やはりエスパーか、等と呟いていた。

一応、確認のつもりで言ったんだけどな―― なんだか悲しいよ。


「じゃあ…… 前波センパイ、とかデスカー?」

「ん、そうだな」


「 普 通 す ぎ て 面 白 く な い デ ス カ ? 」

「 い や 、 別 に 面 白 さ は 求 め て な い か ら ! 」


「fmm…… 前波センパイ、前波センパイ――……」

「……?

 ――なんだ?」

「Yaeh…… ドコとなく、不思議なカンジがシマシテー。

 前波センパイ、前波センパイ――」


譫言のように繰り返す百合子を横目に、薄まりに薄まったコーヒーをすする。

彼女の言う“不思議さ”と同じものかはわからない奇妙な感覚を、ゆっくりと噛みしめる。


何が変わるのかはわからない――…… ただ、確実に何かは変わる。

取り留めのない提案を快く応じてくれた彼女の横顔に、そんな始まりの予感だけを、遠く、感じていた……。


ぼんやりと見つめていた視線がぶつかると、彼女は、端正な顔つきを崩して、奇妙に笑んで見せた――……。


――……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る