小夏OP

 さて、どこに行けば部員と会えるのやら。


そんな風に考えながら、とりあえず、学校の近く―― スーパーやら本屋やらのある辺りを適当に散策していた。


ふと、住宅街のへと続く道に、見知った顔を見つけた。

これは行幸だ、と、すぐに駆け寄る。


「おはよう」

「あっ、コーチ―― おはようっ!ございますっ!」


跳ねるようにお辞儀をして、大きな瞳がオレを真正面に見据える。

それだけで、彼女の人となりが伺い知れるような一連の動作だ。


「今年は、やっぱり、実家には帰らなかったのか?」

「うん~、だって、みんなで、合宿、ですもんっ」

「そうか」


一年の彼女―― 至宝学園女子の中でももっとも背が低く、子どもっぽい。

だが、頑張り屋でファイト溢れるプレイスタイルで、一塁を健気に守ってくれている。


そんな、夏海 小夏(ナツミ コナツ) は、親元を離れて、学生寮に一人暮らしだ。

普段なら、お盆と正月くらいは帰っているのだろうが、今年は、試合日程上、それも難しかったのだろう。


――そして、彼女の実家は、夏海旅館という、そこそこ老舗の旅館をしていた。

緑が多く、海・山・川・高原とどこのレジャーにも対応できる立地に立ち、その割に観光開発の進んでいない穴場的な土地にある。


その上、旅館として、すぐ近くに運動場や野球場も保有していて、何ならそれとは別に、市民競技場も格安で借り受けられるという。

さらには疲労回復に良いとされる温泉付きなのだから、ピーク時には野球部のみならず、多くの部活の合宿場として賑わうはずだ。


うちも、ご両親から誘いを受けている。

やや心苦しかったのだが、場所も近いし、あまりにも条件が魅力的だった。

しかも、夏休みも直に終わりというタイミングで、予約客もさほど多くないらしい。


そんなこともあり、結局は、“最後の合宿”の場にすでに決定している。

そういった意味で、“みんなで合宿だから帰省は良い”、ということなのだろう。


「それは――?

 買い物か?」

「うん、そーだよー。

 今日の晩ご飯だよー」


「へぇ~――…… 大変だな、自分で作るのか」

「ぜぇ~んぜんっ、へっちゃらですぅ~!

 炊事は、板前の修業。

 家事は、仲居の修行。

 ――ですからっ」

「ははぁ――」


彼女はやっぱり家を継ぐのかな、と合点して、スーパーの買い物袋をのぞき込む。

10cmくらいのなんだかわからない黒い魚と、ネギや人参などの端切れが収納されているのが見えた。


「じゃあ、急いでるか?

 ちょっと、話があったんだけど――」

「ん?何ですぅ?

 ちょっとくらいなら、大丈夫~」

「――そうか?

 魚、悪くならないか?」

「お刺身用じゃないですから、へーきですよぉ~」


――そうなのか。


いったい、どんな料理に使われるのか、皆目見当もつかん。

だが、調理する本人が良いと言っているのだから大丈夫なのだろう。

そう合点して、まずは用件を切り出す。


「えーと、その、合宿の話と―― やっぱ、話、聞いてるか?」

「ん?はい」


「えーと、8月27日 8時出発予定で、10時到着予定。

 行き先は雲條高原の夏海屋旅館、朝夕の食事付きで二泊三日。

 代表者は高山先生で、男性二人の1部屋、女性十名の2部屋で伺ってます」


「――突然、営業っぽくなったな……」

「お仕事ですからぁ~」

「まぁ、その通り。

 するまでもなかったけど、その話が一つと――…… 後、学校での練習再開が……」


パパッと、決まっている事項を伝えきる。

さすがに、大事である合宿の項を除けば、それ以外のことは大した手間もかからなかった。


――と、なると、他には。


「――で、だ」

「うん?」

「えーっと、なんていうか……」

「?

 どうかした―― んです?」


……アレしかない。

アレしかない、んだが……。

どうやって切り出せばいいか――……。


「その、変な話なんだが……」

「ヘンな?」


「うん、えーっと……。

 ――小夏は、恋ってしたことあるか?」

「ふぇっ!?」


オレの問いに、小動物のように飛び上がらんばかりに身体を震わせる。

……そうだよな、突然過ぎだよな。


自分でもダメだとはわかっているものの、バカバカしいくらいの切り出し方のまずさだ。

そんなオレのバカバカしい問いに、小夏は、真正直に中空に思案を浮かべて見せた。


「えぇ~っと…… 恋、ですかぁ……。

 うぅ~~~~ん――……」

「い、いや、ゴメン。

 思いつかなかったら、思いつかないでいいんだけど……」


「いえ!

 コーチにとってタイセツなコトなんですよね!

 がんばります、がんばりますので!」

「あ、うん……」


――なんか、とても悪い気がしてきた。


しかし、同時に、小夏のような女子の“レンアイカン”と言うものに興味があるのも確かだった。


「うぅ~ん、ハツコイ、ってことですよねぇ~……」

「え?

 そんなに前に戻んの?」


初恋なんて、世間一般的には、“麻疹のようなもの”。

そう言われるとおり、幼児や遅くても小学校中高学年くらいに済ませるものだろうに。


「恥ずかしながらぁ、なつは、ハツコイがわからないのですよ~」

「――わからない?」

「終わったのか、始まったのか…… それも、わかんないんです」

「……??

 どういうことだ?」


「意識したことがない、というか――…… コイゴコロ、っていうのが、わからないんですぅ」

「わからない?

 ――女子なら、少女マンガとかで十二分に学んでるものだとばかり思ってたけど」


眉をひそめて、顔中にクエスチョンマークを浮かべる小夏を、同じような顔で見つめる。

我ながら偏見だとも思うが、事実、こと、恋愛については、小さい頃から英才教育を受けている女子の方が上手だったように思う。


……まぁ、個人差はあるのだろうけど。


「なつも、少女マンガとか、恋愛マンガとか、好きですよ~……。

 けど、どうしても、それが、なつ自身につながらないんです」

「つながらない?」


「はいぃ~……。

 マンガの主人公たちは、美人で、愛されてて、努力してて、友達や男の人を惹き付けてて……。

 どこを取っても私とは違うんだ、って――…… そんな風に思い始めると、別の世界のお話みたいで――……」


――なるほど。


男子が、スポーツマンガを見て、スポーツを始めて現実を思い知るのと同じようなことだろうか。

確かに、空想の世界は、楽しすぎて、美しすぎて―― 遠すぎる。


 ゲ ン ジ ツ は そ う 、 上 手 く は 行 か な い 。


脳髄のどこかが、ピリピリと痛みを発する。


――だが、それを、“ 認 め た く は な い ” 。


「……そんなこと、ないさ。

 いつだって、主人公になるつもりさえあれば―― きっとなれる。

 ――小夏なら、大丈夫だよ」


半ば、自分に言い聞かせるようにして、説き伏せる。

ぽつりぽつりと呟く少女の姿が、まるで鏡に映したように、自分の不安を表して見えたから――……。


オレの掛けた言葉に、一瞬、小夏は視線を地面に落とした。

そして、そのまま90度、空に傾げて見せた。


「……じゃあ」

「ん――?」

「……」


ぼんやりと発せられた言葉に、耳聡く合いの手を入れる。

彼女は、一瞬、躊躇した様子だったが、すぐに、オレのほうに視線をくれた。


「――コーチは、“ な つ み た い な ”女の子でも、恋愛対象として、見てくれるんです?」


見透かすように、見通すように、まっすぐな視線とともに掛けられた言葉。

その、突拍子のなさに、素っ頓狂な声を上げる。


「はっ、いや―― えっ?

 えっと―― “ な つ み た い な ” 、っていうのは、どういう意味……?」

「なつは、アッキャマン先輩みたいに乙女らしくないし、しずちゃん先輩みたいにオトナな女性じゃないし……。

 コーチみたいに、オトナな男の人からは、恋愛対象にも見られないかな、って思って――」

「え……?」


 そ り ゃ 、 そ う だ ろ う 。

前者だけなら、確かに、10人いれば10人が肯定する、そう思う。

だけど、それは、恋愛対象から外れるとか、そういう問題か?


――そもそも、オレ自身が“オトナな男”なのかどうかについては、さておくとしても。


もちろん、人には“異性のタイプ”があるし、それにそぐわなければ一発アウトで恋愛のバッターボックスからは降ろされるのかもしれない。


だからって――……。


そう、頭の中で言い掛けて、オレは、押し黙る。


“その内容”すら、長くコイゴコロを忘れていたオレは、見失ってしまっていたから。

それ―― “異性のタイプ”、を、取り戻す、または、手に入れることさえも、今のオレへの課題だろうか。

降って沸いた問題に、軽く頭を痛める。


――ただ、今は、彼女の“思い違い”を正す方が先だろう。


「――コーチ……?」

「――あぁ。

 ゴメン、不安にさせて」

「え……?」


「キミが―― 小夏が、“ 恋 愛 対 象 と し て 見 ら れ な い ” なんて。

 ――そんなこと、あるはずもないよ」

「……っ!?」


「オレは、コーチ・監督として、だったけど―― 一年からの、たった数ヶ月ではあるけど。

 ずっと、至宝女子の一員として、小夏を見てきた。

 だから―― 知ってるよ」

「え――?」

「小夏のひたむきさも、やさしさも、真っ直ぐさも、気遣いも――……。

 良いところも、女の子らしさも―― 全部、知ってる」


オレの言葉を、小さく俯いて、ただ、聞いていた。

もし、オレがそんな風に不安にさせたなら―― それは、全力で謝って、払拭しなきゃいけない。


尽くし出した言葉は、小夏に届くだろうか。


――その様子は、何かを噛みしめているように見えた。


「璃音の提案に乗った形だけど、オレは、至宝女子全員のことを、女の子として見つめ直すって決めたんだ。

 そんなオレが、 “ 小 夏 を 恋 愛 対 象 か ら 外 す ” なんて―― あるわけがない、絶対に」

「……」


納得はしたのか、出来ずか。

小夏は、小さく、儚げに笑んで見せた。


それは―― オレの知る、どんな彼女よりも、オトナの女性だった。

どことなく気恥ずかしくなって、目を逸らす。


それからしばらくの時が流れて、彼女は、やっと平時を取り戻したようだった。

また、のんびりとした声を掛けてきた。


「ところでぇ――……」

「ん?」

「途中、よくわからないお話があったんですけど……?」


「え――……?

 何、どこの話?」

「あ、えーと、最後らへんです!

 部長先輩が、どうたらで、女の子を見つめ直す――? 

 ……って」


ん?

――何がわからないんだろう。


……あれ?

オレ――…… 


  小 夏 に 、 “ そ の 話 ” 、 し た か ?


さっき、小夏に出会ってからの一連の流れを思い出す。


――……。

――――…………。

――……。


  し  て  ね  え  ぇ  ぇ  ! ! ! ! !


 ま だ し て ね え ! ! !


切り出し方として恋について聞いて、その途上で自分の恋愛に対しての未熟さで迷って、小夏の不安を払拭するためにあっぷあっぷで――……。


そりゃ、戸惑いますわ――…… むしろ、どん引きですわ。

いきなり何言いだしてんだこの人は、ってレベルですわ……。


「あ、あの――……?」

「――いや、ゴメン。

 ホンットぉぉぉぉぅに、ゴメン!!」

「ふぇっ!?

 え、えっと、いったい、なにがおきてるんです――……?」


全力で謝るオレに、全力で戸惑う小夏。

端から見れば、かなり異様な二人だろうな。


どこか他人事の脳が、そんな呆けた感想を残していた。


「えっと、すまん……。

 ちゃんと、説明する。

 部活のこと以外に、全員にその話をしようと思って、こうして話して回ってるんだ」

「はい―― どういう話ですぅ?」


「さっきも言ったように、璃音―― 元々は部長が企んだことなんだけど。

 えーっと…… なんか、オレに、 “ 恋 と か し て み ろ ”って」

「……??

 恋、するんですか?」

「――するらしいな」


まるで自分のことではないように曖昧に返事をすると、小夏は大きく首を傾げて見せた。


もう一度、小さく、謝りの言葉を入れる。


「いや、する。

 出来るかどうかはわからないが、 “ す る ” んだ」

「――はい~」

「で、えーっと…… とりあえず、夏休み中は、今まで“コーチ・監督”と“選手”だけだった、お前たちとの関係を見直せ、って。

 ――オレは、もうすぐ“コーチ・監督”ではなくなるし」

「……」


「だから―― 悪いけど、小夏にも協力してほしいんだ」

「協力―― です?

 なつは、何ができるでしょう――……?」


拒むつもりは、とりあえずないらしく、弱気な疑問を返す。

彼女も―― オレと、似たようなものなのかな。

ぼんやりと、そんな感想を浮かべた。


「えーっと…… とりあえず、“コーチ”・“監督”以外の呼び方に変えていって欲しいんだけど。

 名字でも、名前でも、愛称でも、なんでも、好きなのでいいから」

「――好きなの、です?」

「うん」


そう、オレが返事をすると、小夏は深く唸りをあげて、考え込んだ。

その様子さえもどこか可愛らしくて、オレは笑みを浮かべた。


数秒後、思い立ったように、声を上げる。


「それじゃあ――

 お 兄 ち ゃ ん 、 っ て 、 呼 ん で い い で す か ? 」

「  何  故  に  !  ?  」


――あれだけ、恋愛対象がどうのこうの語った後で、そうなんの!?


 オ レ 、 遠 回 し に 拒 否 ら れ て る ! ?

 “ お 前 は 恋 愛 対 象 外 だ ” 的な……?


「なつが読んだマンガの中で、いちばんなつに近そうなヒロインの子が、そう呼んでたんです~。

 だから、なつにも、なれるかなって」

「あっ…… そ、そう?

 それなら―― 良いけど……」


―― い や 、 良 い の か 、 オ レ 。


いろんな意味でマズい気がする、 い ろ ん な 意 味 で 。


 そ ん な こ と が 許 さ れ る の は 二 次 元 だ け で は な か ろ う か 。


だが、当の小夏は自信満々だった。


「それじゃあ、お兄ちゃん!」

「んっ――?」

「――なつは、がんばります!

 お兄ちゃんに、振り向いてもらえるような―― 好きになってもらえるような、素敵な女の子に、きっと、なります!」


そう言って、満開の笑顔を咲かせた。

そのまま照れて駆けだした少女は、遠く、鉢植えのひまわりのようだった。


どこか、真夏の熱に浮かされたような気分のオレは、ただ、彼女の後ろ姿を見つめていた――……。


――……。

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