告乃OP

 燦々と輝く真夏の太陽の下、熱を帯びたアスファルトを行く人々は実に元気だった。

行き交う人々を数え切れないほど見送ってから、オレはこの場所に来たことを後悔した。


人がたくさんいるんだから、誰か一人くらいには出会えるだろう。

そう安易に考えたのだが。

地方都市とは言え、そこそこの人並みを注視していると、人酔いを感じてしまう。


――そんな折りだった。

知っている顔があった。

……いや、実際にあったのは、“顔”ではなく“尻尾”だったが。


“彼女”のトレードマークのポニーテールを後ろ姿に見つけて、慌てて駆け寄る。

そして、人混みを少し過ぎた辺りで声をかける。


「おーい、告乃!」

「……何よ、コーチか」

「何よ、とはご挨拶だな」


彼女―― 本藤 告乃(ホンドウ ツグノ)。

至宝高校女子野球部の一年で、ポジションはショートストップ。


――それは、間違いなかったのだが。

あまりのテンションの低さに面食らう。


「はぁ~…… 何?

 何か用?」


……ゴキゲンナナメか?


まぁ、どちらかと言えば、告乃には好感を持たれている方ではないと思う。

何かにつけてダメ出しを貰ってしまう事が多い。

コーチや監督の仕事に関しては、とりあえずの信用は頂いているようだが。


「――今、あんまり、アンタと話したくないんだけど」

「えぇ…… いや、一応野球部に関係する話だし、全員と話さなきゃいけないから、聞いて欲しいんだけど」


オレが食い下がると、彼女はこれ見よがしに肩で息を吐いた。

――とりあえずは、承知してくれたらしい。


「で―― 何よ」

「あぁ、とりあえず、練習の話とか、合宿の話」

「はいはい、練習ね。

 17日の9時から、クラブハウス前集合でミーティングから、でしょ。

 合宿は、27日から二泊三日で、雲條高原のナツの実家の旅館ね。

 はい、終了、お疲れさま~!」


怒濤の勢いで、オレからするはずだった、一応の確認をまくし立てる。

その全てに正すような隙もなく、あっという間に終わってしまう。


……やっぱり、何かあったのか?


彼女は、あの試合―― 今大会を通しても、ミスらしいミスはしていない。

それは、病的な程の“遊撃手への偏愛”から、と言っても過言ではないだろう。

そして、それは、現役プロ野球選手の兄君に由来する、とまで、聞いているが。


……あ。


そういえば、いつぞやのスポーツ新聞の飛ばし記事で気になる話を見たような……。


「――もしかして、お兄さんと何かあったのか?」

「――!」


オレの問いに肩がピクリと震える。

小刻みに震える身体が、答えを如実に表していた。


確か、記事のタイトルは―― そう、

“本藤 英次 内野手、大人気局アナと秒読み ……か?”

だったな。


本藤 英次とはもちろん、本藤 告乃―― 彼女の、実兄だった。

しかし、根も葉もない噂レベルの記事だと思っていたが……。


「……お兄さん、結婚するのか?」

「……」


「――美人人気局アナと?」

「なッ―― 違うわよッ、このバカッ!!」

「……あれっ?」


そうか、違うのか。

……あれ、どこからどこまでが、違う?


「えーっと…… 結婚、までは、合ってる?」

「はぁ~――…… アンタ、ホント最低な男ね……。

 もうちょっと、思いやりとか、デリカシーとか、そういうのないわけ……?」

「すみません、鋭意実装中であります」


おどけてそう答えると、告乃は今日一番のため息を吐いた。

その後、どこか憂いを帯びた瞳で、遠くの空を見つめた。


「――結婚は、本当。

 まだ、婚約だけど……。

 4年以上―― プロに入る前からの、真面目な交際だったらしい。

 相手は、例の嘘八百新聞の記事とは全然別。

 ……ただ、アレが騒がれすぎたから、それを否定して、誠意を見せるために婚約って言う形を取ったって」


「ははぁ―― なるほど。

 プレイスタイルもそうだけど、真面目で実直なんだな、本藤選手は」

「そりゃ、そうよ!

 あたしの――……」


言い掛けて、そこで止まってしまう。

いつも、自信満々笑顔満面で宣言していた台詞だというのに。


……まぁ、傍目から見ても “ 度 を 越 し て い た ” から、回り回ってこうなってしまうのも、わかる気はする。


取っかかりにくいことこの上ない。


「――じゃあ、本藤選手、今、家にいるのか?」

「……いるわけないじゃん。

 遠征の途中でちょっとだけ帰ってきてくれただけ……」

「あぁ…… そりゃ、そうか。

 オールスターも甲子園も終わって、絶賛真夏のロード真っ最中だもんな……」

せっかくの話題振りも、完全に空振りのストライクアウト。

出来てしまった沈黙の中、オレは、今年は本藤選手の所属する神阪フライングキャッツは今年は何位だろう――。

そんな、呆けた事を考えていた。


少しの合間の後、長い息を響かせながら、告乃が、チラリとこちらを覗き見た。


――?


「……なんだ?」

「……別に。

 ――まぁ、いいわ。

 他に用件があるなら、ついでに聞いとくけど?」

「あぁ―― そりゃ、助かる。

 え、えーと……」


そこで、口ごもる。


―― 一体、何と切り出せばいいのか。


他の子らならまだしも、告乃にありのままの話をしたら――

 「不潔……」「変態!」「自意識過剰」「私を巻き込まないでよね」

等という言葉とともに一刀両断されること請け合いだ。


うーん……。


「……何?

 ――ヤラしい話?

 やっぱ、そういう目的でコーチやってたの……?」

「…… イ ヤ 、 チ ガ イ マ ス カ ラ 」


しかし、今からしようとしている話を鑑みると、完全に否定し切れないのが悲しい。


「えーと…… 璃音と話した―― っていうか、璃音に言われたんだ」

「――秋山先輩に?

 何を?」


「その…… オレは、もう、この夏でコーチという職を辞するだろ?」

「……そう、ですね」


「でー、えーと…… なんか、学生生活を今からでも楽しめ、って―― コトらしい」

「……?

 意味がわからないケド」


「えーっと―― キレたりすんなよ?」

「はぁ……?

 ――内容による、かな」


「璃音が言ったんだからな、オレから言ったわけじゃないから。

 ――恋とか、恋愛とか、してみろ、ってよ」

「……」


オレが言い終えた瞬間、告乃の目が点になる。

内容が内容過ぎて、二の句が告げないようだった。


――待つこと、数秒。


「――はぁっ!?

 え、誰とっ!?」

「だから…… その、至宝女子のチームメイトと」

「――ッ!?

 そ、それって―― あたしも入ってるじゃん!?」

「……そりゃ、ま、そうだ」

「な、ななな…… 何、バカなこと――!」


「璃音には璃音なりのこだわりがあるみたいでさ……。

 もっと自分の学校生活を楽しんで、恋愛だとかそう言うのもちゃんとしろ、って。

 で、とりあえず、この夏休み中―― コーチと生徒の間である内は、チームメイトのこと、見つめ直して欲しい、ってさ」

「ふ、ふぅん……。

 部長先輩が、か――」


何か含むところがあるように、呟いて、口を閉じる。

数秒だけ考え込んで、また、口を開く。


「――じゃあ、何?

 あたしたちは、夏休みが終わるまで、アンタの変質的な視線に耐えなきゃならないわけ?」

「…… そ こ ま で の つ も り は な い で す か ら 」

「でも、そういうことなんでしょ?

 なんで――……」


「やっぱ、イヤか?」

「い、イヤ、っていうか…… その、いまさら――……。

 ――そっか、いまさら、か…… いまさら、だよね」

「?」


勝手に自分の中で討論を帰結する。

オレには、一連の“いまさら”という言葉にどういう意味があるのかもわからない。

――し、一体、何がどういう話になっているのかも理解できない。


しばらくの後、伏し目がちにこちらに視線をくれた。


「……わかった。

 まぁ、野球部コーチとしては、お世話になったのも本当だし。

 そのくらいは、我慢してあげる」

「そうか。

 よくわからんが、ありがとう」


「で―― 今、アンタが一番気になってるのは誰なのよ」

「?

 ――今、気になってるのは、告乃だけど」

「――ッ!?

 なななな―― アンタ、なに言って……」


オレが何気なく言葉を返すと、告乃の顔が見る見る内に上気していく。


……あれ、もしかして、そういう場面じゃなかったか?


オレは、また、間違えたかも知れない。

――とりあえず、フォローを入れておこう。

……どっちにしろ怒られそうだけど。


「だって、どう見ても元気ないだろ」

「……は?」

「気にすんなって方が無理だろ。

 今は、まだ、オレは半分コーチなんだからさ」

「――あ」


オレが、“後から気付いた解釈”を思い浮かべていたのか、告乃が空気が抜けたように、見る見る内に萎んでいく。


――悪いことをしたかな。


まぁいいや、すっとぼけておこう。


「アッ、アンタ、ねぇ――ッ!」

「ん?

 ――どうした」


「……はぁ。

 もう、いいわよ――っ」


わかりやすく、フンッ、と、そっぽを向く。


プレー中の、堅実かつ完璧な遊撃っぷりからは、想像もつかない。

確かに、オレの知らない告乃が、そこにいた。

“あんなこと”を言われなければ、オレは知らないままでいただろうか。


「まぁ、そんなわけだからさ。

 何かオレにできることがあったら言ってくれよ」

「――はいはい、せいぜい利用させて貰うわ」

「……それと、交換ってわけじゃないんだが、一つ頼みが」

「――何?

  ま た や ら し い 話 ……?」

「 ま た っ て な ん だ よ 、 ま た っ て !

 一度もそんな話してないから!」


「じょーだんよ。

 ――で?」


……一体、告乃の中でのオレのイメージは、どうなってしまっているのか。

不安になる。


とりあえず、決定稿の話を進めていく。


「まぁ、さっきも話したとおり、時期にコーチじゃなくなるから、呼び方を変えて貰っておこうかと」

「呼び方ぁ――?

 何にすんの」

「いや、それは任せる。

 名字でも、名前でも、先輩でも、何でも良いです」


「えぇ~……?

 ―― 先 輩 ?  こ  れ  が  ?」

「 大 概 、 失 礼 だ な 、 キ ミ も 」


一年の告乃からしてみれば、二年も先輩なのは確かなはずなのだが。

……本人は、「ないわー、マジないわー」等と、大げさに手を振って見せた。


「――じゃあ、名前呼びでも、名字呼びでも、さん付けでも、なんでもいいよ……」

「名前…… 名字?

 ――なんだっけ。

  大 岡 越 前 守 忠 相 みたいな感じだっけ」

「  誰  だ  よ  !  !

 勝手に歴史上の人物にしないでくれ!

 前波慶治だよ、一文字もかすってないわ」

「だって、コーチの名前なんてしらないし。

 ―― 覚 え る 気 も な い し 」


  ひ  で  ぇ  !


もしかして、璃音以外の、誰にも名前を覚えられていない程度の知名度なのだろうか。

……何か悲しくなってきた。


「はぁ―― 何でもいいよ、告乃に任せるから好きに呼んでくれ……」

「……ん?

  今 、 何 で も い い 、 っ て 、 言 っ た ? 」

「え…… 言ったけど。

  何 、 そ の 顔 。

 すごい悪巧みしてるときの顔じゃないか!?」


「よーし、じゃ、アンタに 無 理 矢 理 言 わ さ れ て る ってことにするから」

「は!?」


―― 一体、何を。


何を企んでるんだ、告乃さんは……。

そもそも、そんなことは言ってないんだが……。


「……」

「……」


「…………」

「…………」


……何故黙るし。


よほど変なあだ名でも付けようとしているのか。

激しく不安だが、言ってしまった以上今更撤回もできない。


「お……っ、……ん」

「――は?

 何て?」


「だ、だからっ――!

 っ……に、さ……」

「??

 二三が六?鬼さんこちら?」


「――に」

「……に?」


「に―― にい、さんっ!」

「――は?」


口ごもるに口どもった上で、そう吐き捨てる。


――え?


茹で蛸のように顔を紅潮させた告乃を、マジマジと見返してみる。


「は、はぁーっ!

 げ…… 限界、これが限界ッ!

 と、とんだ羞恥プレイだわ……っ!

 アンタ、ホント、変態ね……!」


「えぇっ!?

 オレ、何も言ってねーし!

 告乃が、勝手に……」

「しゃーっらっぷ!」


今にも殴りかからんとばかりに握り拳を、オレの口元に向ける。


―― 一体、何だって言うんだ……。


黙れ、と、言われて、思わず正直に黙り込む。

次の句が打てぬようで、同じように告乃も黙り込んでしまう。


「……」

「……」


「…………」

「…………」


「――じゃ、じゃあっ、そういうことだから!」

「……え?」


「お、お疲れっ!

 また、部活始まった時に!」

「え!?

 お、おい、つぐ――……」


そう自分勝手に言いきると、倒れ込まんばかりの前屈みの姿勢の全力疾走で、明後日の方向に消えていく。


……。


「えぇ~……?

 ――ホント、いったい、なんなんだ……」


オレは、今更ながら知った、“オンナゴコロ”という物の判然無さに、首を傾げるしかなかった。

そして、彼女の消えていった方向を、ただ、見つめるだけだった――……。


――……。

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