閑OP

 さぁて……。


誰かいるかな、と、期待して来たものの、正直アウェイ感が半端ない。

割と最近に出来たショッピングモールで、色んな流行物の店が入っている場所だ。


とは言え、オレ自身、たまに本屋に寄るくらいにしか使ったことはない。

――その中でも、よくよく縁のない場所を歩いている。


目的が目的だから、なのだが…… 正直、失策かな、と思い始めていた。

……その時。


視界の端に、目的の人物を見つけて、これ幸いと駆け寄った。

“彼女”も、それに気付いたようで、小さく会釈してくれた。


「あら、コーチ。

 おはようございます」

「あぁ、おはよう」


「奇遇ですね――?

 こんなところで出会うなんて」

「あぁ、いや――……」


閑を探していたんだ、と言い掛けて、オレは口を噤む。

いくら部の用事とはいえ、宛てもなく、同年代の女性を探し回るその姿に、どことなく 変 態 め い た イメージが降って沸いたからだ。

結果、そうだな、と、苦笑混じりに肯定した。


彼女―― おっとりとした丁寧語の少女は、 遠峰 閑 (トオミネ シズカ)。

至宝学園女子野球部の年長者で、唯一、オレと同学年の三年部員だった。


元々、女子のソフトボールを中学校時代に嗜んでいたらしく、当時隣同士のクラスで、行われていた合同体育の際に、その実力を垣間見て、オレがスカウトに行ったのだった。


オレや閑が二年の段階で、至宝学園には現在の女子野球部はもちろん、女子ソフトボール部も存在せず、彼女自身は高校で部活に入ることは諦念していた。

だが、大学に入って再開するつもりだったらしく、練習は怠っておらず、当時から至宝女子のクリンナップを努めている。


また、唯一の上級生ということで、他の部員たちには頼られ、ともすれば、頼りないオレのフォローに回ってくれることも多い。


「今、何してるんだ?

 買い物か?」

「はい、少し、新作の秋冬物のお洋服を見に来ました」

「秋冬物――?

 まだ、こんな暑いってのに……?」


オレが怪訝そうな顔で言葉を返すと、閑は、小さく微笑んだ。

どうこういう理由があるわけではないだろうに、その威力が強すぎて、ほんの少しドギマギしてしまう。


「もう、後1ヶ月もすれば、初秋ですよ。

 3ヶ月もすれば、冬になります。

 買い物としては、遅いくらいですよ?」

「あぁ―― 確かに、そうだな……」


「 “ 私 た ち の 至 宝 女 子 野 球 部 ” 

 も、もうじき、終わりですね――……」

「――そう、だな」


噛みしめるように、愛おしむように、ポツリ、呟く。


彼女と、オレは、同じだ。


そうなってしまえば、オレと閑は、他人同士に戻るのだろうか。

そんな思案をかき消すかのように、彼女は続けた。


「――それでも、終わりのないものはないのですから。

 それに、全てが無かったことになるわけでは、ありません」

「……そうだな。

 やっぱり、閑はオトナだな――……」


オレなんて比べものにならないくらい、と、言い掛けて、口を止める。

妖艶さを携えたその人差し指が、唇に当てられた姿に、目を奪われたから、だ。


オレが沈黙したのをみて、閑は、小さく笑った。


「――私は、必死に粋がって、オトナをやっているだけなんですよ?

 コーチと変わらない―― 皆とも、一つや二つしか変わらないんですから。

 それでも、“コーチがコーチらしくあること”を望まれたように―― 私は、この場所で、“オトナである必要があった”んです」

「……望んで、望まれて、そうなろうとしなけりゃ、何にもなれない、って―― そういうことか」

「はい、その通りです」


同年代の少女の、大人びたその台詞に、小さく襟を正し直してみる。

ほんの少しの、後悔と懺悔とともに。


「――ちょうどいいや、今、時間あるか?

 部のことと―― それとは、ちょっと別件で、話さなきゃいけないこと…… 話したいこと、が、あるんだ」

「はい、構いませんよ。

 では、少し、移動しましょうか」

「あぁ、そうだな――」


そう言うと、場に不慣れなオレを先導して、ゆっくりと歩き出す――。


――……。


案内されてたどり着いた場所は、小さくコジャレた喫茶店だった。

――カフェ、と、言うべきだろうか。

オープンテラスの店内は、日除け越しにも、ほんの少しの蒸し暑さを感じさせた。

とはいえ、施設全体の空調のせいか、真夏の盛りな割には、快適でもあった。

「――こういう店、良く来るのか?」

「この店ですか?

 クラスの友達の、アルバイト先なので―― 時々、お邪魔しますね」

「あぁ、そうなんだ――……」


何というか、意外―― ではないが、思いがけず、狼狽えてしまう。

対面にいる彼女が、いかにも、“女子高生然”としていたからだ。


いつも、優雅さを湛えて、部活に励んではいるものの、下級生に囲まれ、慕われる、その姿は、 母 、もしくは、 姉 のように見えていた。


――彼女の言うとおり、“オトナ”であろうとした結果、なのだろうか。


そして、普段の教室にも、このカフェにも。

オレの見知らぬ 遠峰 閑 がいるのだろうか。


あんなことがなければ―― 知ろうとしなければ―― そんなことも、知らずに、卒業を迎えて、疎遠になっていったのだろうか。


そんなことを考えている間に、彼女は親しげに店員にカプチーノを注文した。

その後で、考える時間も惜しいオレは、適当にアイスカフェオレを頼んだ。


ウェイトレスが注文を聞き終えて、立ち去ったのを見てから、オレは姿勢を正し直す。


「――んじゃ、とりあえず、部の話から」

「はい」


「えーと、夏休みの練習再開は17日から。

 9時、グラウンド集合で、まずミーティング」

「はい」


「……一応、三年としては主立った試合はないし、受験だしってことで、他の部では練習免除、半分引退前倒しみたいにしてるところも多いんだけど」

「いいえ、私は続けたいです。

 引退も無しでいいくらいなのですが……」

「さすがに、それは、学校側として体裁が悪いな」


喰い気味の閑の態度に、思わず苦い笑みがこぼれる。

おっとりのんびりとした性格や態度に似合わず、ずいぶん体育会系な意欲だ。


まぁ、学校側としても引退時期とはしているが、その後も参加を禁じているわけでもないのだが。


「閑は―― 合宿も参加予定だったよな。

 一応、こっちも、三年は希望者だけって形にしたけど―― 変わりないか?」

「えぇ、もちろん。

 高校生活最後の夏、受験前最後の休み―― みんなといられる、最後の夏ですもの。

 せめて、色々なことを話して、楽しんでおかないと」


当然、と、キッパリと言い切る。

これだけ部を愛してくれるのだから、設立と運営の関係者としては誇らしい。


「それじゃあ、こっちは27日から30日までの四日間。

 雲條高原の小夏の実家の旅館で予約取ってるから」

「はい。

 コーチもいらっしゃるんですよね?」

「あぁ、まぁ―― 一応、最後の大仕事、かな」

「そうですか――……」


そう言うと、何か思うところがあるのか、閑は押し黙った。

オレの方も、“簡単に伝えられる業務連絡”を終えてしまい、同じように黙り込む。


落ち着いたBGMの流れる店内に、一角の静寂が訪れる。


それを見計らったようなタイミングで、店員が注文のコーヒーを運んでくる。

これ幸い、と、オレはストローに口を付ける。

閑の方も、小さく目をつむり、ソーサーを片手に、小さなカップに唇をやっていた。


幾度か、それを繰り返した後、踏ん切りを付けて切り出す。


「――それで、だ」

「はい」

「えぇと…… ちょっと、バカな話があるんだけど、真面目に聞いてくれるか」


「バカな話――……?

  小 咄 で も 習 い 始 め た の で す か ? 」

「 い や 、 そ う い う の で は な い で す 」


言われてから、そういえばそんな語り出しだったな、と思い出す。

自分のバツの悪さから出た言葉とはいえ、どうしてそうなったのか。


「えーと、部長と話した、っていうか、部長に一方的に言われたんだけど……」

「はい……?」

「えぇと、その――……」


――  辛  い  。


年下の他のメンバーならまだ笑い話にもなるが、彼女―― 閑は同い年だ。

何なら、精神年齢はオレより上だろう。


その彼女に、例の件を切り出すのはとても勇気がいる。


「――察するに…… コーチを辞めるに当たって、という話でしょうか?」

「――え?

 あ、あぁ……」


「良い話か、悪い話か、は……?」

「……どうだろう。

 一応、オレのための話らしいんで、オレにとっては良い話かな……。

 で、お前らにとってはどうかな――…… 微妙に悪い話かもしれない」


「はぁ――……。

  性 転 換 で も な さ る の で す か ? 」

「 ゼ ン ゼ ン チ ガ イ マ ス カ ラ ! 

 それのどこが、“オレのため”、で、“オレにとって良い話”、で、“お前らにとって悪い話”、なんだよ!」


「なるほど、そうですね――……。

  む し ろ 、 ウ ェ ル カ ム で す 」

「  歓  迎  し  な  い  で  く  だ  さ  い  」


――いったい、どこまで本気なのか……。


このままじゃ、埒が明かないな。

むしろどんどんおかしな方向に行ってしまいそうで、覚悟を決める。


「えっと―― ヘンな風に解釈しないでくれよ?」

「?

 ――はい、わかりました」


「……恋とか、してみろって」

「――? 恋、ですか……。

   ど  ち  ら  様  と  ?  」

「  お  前  ら  全  員  。

 ――部長曰く、な」


鋭い疑問系の言葉に、勢いを付けて返してやる。

聞き終えて、閑は、小首を傾げた。


「つまり…… コーチが、“私たち至宝女子のチームメイト全員”を、“恋愛対象にする”―― と、そういうことですか?」

「そういうことになるな。

 そういう関係になるかどうかは置いといて、だけど。

 お前らの方にそういう気持ちはないかも知れないけど、まぁ、罰ゲームとでも思って――……」


オレがそう言い掛けた時、不意に、閑のまっすぐな視線とぶつかった。


その視線の意味を測りかねて、オレは言葉に詰まる。

そうこうしている間に、彼女の方が口を開いた。


「“恋愛対象にする”、ということは、コーチにとって、今までは、皆は、“そうではなかった”のですね?」

「そう、だな――……」


「……いや、ちょっと待て!

 別に、みんなが、“女じゃない”とか、“女らしくない”とか、そんな風に思ってた訳じゃないぞ!?

 ただ、コーチ監督としての任がある以上、間違っても“そう言うこと”があっちゃいけないと思って……!」

「  落  ち  着  い  て  く  だ  さ  い  」


「――別に、そのことに対して異を唱えているわけではないです。

 コーチのその考えは良く理解できますし……。

 チームを大事にして、優先してくれたこと―― それは、有り難く思っています」

「あ、あぁ、そう、か――?」


「つまり、それは――…… コーチが、変わっていく決心を付けた。

 ――そういう、ことなのですね」

「――あぁ」


重く投げかけられた言葉に、唾を飲み込む。


璃音に、そして、閑に、これまで言っては見たものの、今のオレにそこまでの覚悟が出来ているのだろうか。

ともすれば、ノリだけで終わりかねない。

自分のダメさを改めて顧みる。

そんな不毛なことをしていると、閑は、ふっと笑った。


「それならば…… 私も、お供しますわ」

「……お供?」

「はい。

 ――私も、変わらなければいけない立場ですから」


……そうか。


閑も、変わらなければいけない、という立場、だったな。

それに、今までのやりとりの中にも、彼女の“変わりたくない気持ち”は、随所に垣間見られた。


オレだって―― 変わらずにいられるなら、ずっとそうしていたい想いはある。

璃音も、他の部員だって、そうかもしれない。


「――そうだな。

 変わっていかなきゃ、ダメなんだよな…… みんな」

「はい。

 なので、私も“お供”しますわ」

「そりゃ、心強いな」


言って、苦々しく笑う。


こうも素直にかわされるとは思っても見なかったから、だ。

まるで、買い物にでも行くような気軽さで、重い荷物を背負う彼女が、ひどく奇天烈に見えた。


「それでは―― 最初に、一つ。

 まず一つ、手始めに変えてしまいましょうか」

「え?

 何を?」


「コーチ――……」

「!?」


そう、呼びかけると、じっとオレの瞳を見つめる。

逸らすのも、何故かはばかられて、オレは彼女の先の壁を見やる。


5秒、10秒と、そうした後で、言葉を続ける。


「―― お 名 前 、 何 と お っ し ゃ い  ま し た っ け ? 」

「  そ  れ  か  よ  !  !  」


 い や 、 も う 、 そ れ か よ !

事象自体は想定内なものの、タイミングここかよ!


「…… 前 波 慶 治 と 申 し ま す 」

「 こ れ は 、 こ れ は 、 ご 丁 寧 に 」


――……なんだこのやりとり。


オレら、知り合ってから 一 年 数 ヶ 月 経ってるのに。

おら、少し、悲しい。


「それでは――

  “ 前 波 く ん ”」

「えっ!?」


「……変えて、みました」

「えっ―― あ……。

 あ、あぁ、そういうことか――……」


――そういえば、そういう心づもりでいたんだった。

とはいえ、いきなり、相手から―― そして、その威力だ。

戸惑うなという方が難しい。


「しかし、いきなりだな……」

「特に、奇異な呼び方という訳ではないでしょう?

 変わる、というのは、こういう話ではないのです……?」

「いや、そうだ、そうだよ。

 実際、オレもそういうお願いはするつもりだった、うん」


「……?

 なんか、口ごもってますけど――」

「  気  の  せ  い  だ  」


踏み込まれたくない、という呈でばっさりと切り捨てる。

その意図を理解したのか、せずにか、彼女はそれ以上を追及してくることはなかった。

代わりに、思いついたように提案をかぶせてきた。


「“前波くん”も、敬称、変えますか?」

「えぇ……。

 どうすればいいんだ?

 遠峰? 遠峰さん?」

「みんなと同じように、“しずちゃん”、でも、構いませんよ?」

「 え ぇ ~ ――……」


不満で声が漏れる。

気恥ずかしいってレヴェルじゃねーぞ……。


そもそも、“男女の仲”の想定なら、今の名前呼びの方が恥ずかしいのだが。

たぶん、こちら側からアップグレードする枠は、ほぼないだろう。

逆に、ダウングレードする事がこんなに照れくさいなんて……。


いやそもそも、下げる必要って、あるか?

――いや、ない(反語)。


「いや、オレは、別に変える必要なくないか?

 別に、役職で呼んでるわけじゃないし」

「そうですね――……。

  上 手 く 逃 げ ら れ ま し た ね 」

「  ダ  メ  な  の  か  ?  」

「いえ、ちょっと、期待しただけです、お気になさらず」


……気になるって。

一体どういう期待をしていたのか―― 何にせよ、そのご期待には沿えそうにもないのでスルーするが。


誤魔化しついでに、グラスに残っていた液体を啜ってみる。

揺られた氷が、カラン、コロンと音を立てた。

彼女の方の小さなカップは、もうとっくに尽きていたようだ。


「――それじゃあ、そんなところかな」

「はい、そうですね」


「……今日は、ありがとな」

「?

 どう言った意味の、言葉でしょう?」


「いや――…… 心構え的な意味で。

 言っては見たものの、オレの覚悟って、大したことなかったな、と、痛感してさ。

 改めて、思い直せて良かったよ、ホント。

 璃音にも―― 他の皆にも…… 不誠実な態度を取るところだった、って思った」

「“前波くん”は、真面目ですね。

   ヘ  ン  な  と  こ  ろ  で  」

「  自  覚  は  し  て  る  」


――これでも、我ながら殊勝な心構えだったつもりなのだが。


オレが、考えすぎてるのかな……。

閑は、事も無げに笑い捨てて見せた。


「それでは、お互い、精進していきましょうか」

「そう、だな」


締めくくる言葉に、苦笑する。

そのままで答えた言葉に、閑は、どこか満足そうに笑った。


「では―― 今日は、 ご ち そ う さ ま で し た 」

「え?

 あれ、 オ レ が お ご り の流れ?」


――別にそれ自体は構わないけど。

まぁ、オレの都合の話だったし、と言い掛けて、口ごもる。


「はい。

 ここは、“前波さん”を 立 て て 置 こ う か と 」

「立てる?」

「コーヒー一杯くらい、奢らないのでは、乙女道を極めるのは難しいですよ?」

「 そ れ 、 オ レ が 極 め る の か ? 」


――どちらかというと、女子側のような気がする。


「それとも――……。

  私 と い る 時 間 は 、 コ ー ヒ ー 一 杯 分 の 価 値 も な い で し ょ う か ?」

「  そ  れ  は  、  と  ん  で  も  、  な  い  で  す  」


躍起になって否定すると、彼女は、「ありがとうございます」、と、おっとり微笑んだ。

……なんだか、手玉に取られている気がする。


どこかオトナを感じる閑以外のメンバーも、同じように手強い“乙女”なのだとしたら――。

彼女の言うとおり、“乙女道を極める”のは、とても骨が折れそうだ。

漠然とした不安感を覚えながら、オレは、自分の中に沸き上がる何か、別の感覚を感じていた。


そのどちらもをかき消すように、オレは立ち上がった。

そして、二人分の注文票を手にとって、歩き出した――……。

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