第20話 言葉にならない悲しみのトンネル
初乃との再会は叶えられたのだが、新は初乃との別れによって練習に手が付かないままだった。
むしろ昨日より泳ぎが悪くなっていて、タイムもフォームも格段に悪くなっていた。
龍馬たちや水泳部員に話し掛けられても、いつものように笑えず、どこか遠くを見つめている。
まるで新の精神と体が離れてしまったかのように、まさに抜け殻のように成り果ててしまっていた。
歌島水泳部員たちはその姿を見て、どうにか励ましてやりたかったが同情することしかできなかった。
ただ新が機械的に水泳の練習をしているのを見ているしかできなかったのだ。
そして遂に、新は部活を休んでしまった。
大会を目前としていても、募っていく心の辛さに堪えられなくなっていた。
今は焼けるようにひりひりと痛む胸をどうにかしたい。
少しでも気を紛らわせられるものがないか探していた時、思い付いた場所が歌島の海にある堤防だった。
以前、龍馬たちと一緒に釣った時のルアーや竿を倉庫から取り出す。
必要な釣具を自転車の荷台に載せて、防波堤を目的地に向かう。
やけに眩しい太陽の下、海岸線沿いの道を走らせた。
深い青色の海を目の前にすると、新は準備を済ませて針を沈ませる。
パイプ椅子もないので直に座って足を投げ出し、釣竿を構えたまま魚を待った。
新は浮きだけを一点に見詰めながら魚が掛かるのを待っていた。
ずっと両手で竿を構え、ロッドの尻を下腹部に当てて少しでも軽くしながらゆっくりとした時間を過ごす。
潮風で竿がしなっても全く構わずにロッドを握っていた。
十分が経った頃、ようやく浮きが海中に引き込まれた。
一匹も当たったことのなかった内港側で張っていたのだが、今日はこの場所にも魚はいるらしい。
浮きが沈んだのを見るなりリールを巻き、ロッドをしならせながら魚を釣り上げた。
針を外して魚の口に指を突っ込みながら持ち上げると、銀色に光る鱗の魚は尾ひれを動かした。
しかしどうやら魚は弱っているようで、その尾ひれの動きは弱かった。
バケツに入れてやると何事もなかったかのように泳いでいたが、やはりどこか弱々しくて生きる気力を感じない。
しかし立派な釣果には違いない。
坊主で帰ることもあるのだから短時間で一匹釣れたのは幸先が良い。
この場所にはまだ魚が集まっていそうだし、この場所で張っていればもっと釣れるはず。
まだまだ釣れそうな予感がして新はすぐに釣竿を手に取った。
しかし、再び針を沈ませようとした時、新の手は忽然と止まった。
釣竿を握っている手が固まってしまったように動かなくなってしまっている。
その手が段々と震え始め、ロッドまで震えが伝わり始め、やがて新の手からこぼれ落ちて堤防に転がった。
新は片手を自らの頬に伸ばして、自分がどんな表情をしているのか確かめた。
すると口が引きつったまま動いていないことに気が付く。
涙まで目から溢れ始め、頬へ伝わり始め、顎からどんどん落ち始めた。
「――」
誰かの耳に届くどころか、声にすらならないような言葉を口から漏らす。
膝から力なく崩れ落ちると、防波堤の地面にうずくまって、涙の勢いのまま嗚咽した。
心の中で暴れ回る感情に堪えるように歯を食い縛る。
喉を何度も震わせ、拳を握り締めて苦しみに堪える。
どのようにしても心の痛みは和らがず、目から涙が止まらず、夏のコンクリートを乾かさなかった。
嗚咽の勢い余って、足でバケツを引っくり返してしまった。
それでも新が全く気づくことはなく、一匹だけの魚がコンクリートの上を跳ねる。
元々弱っていたのでまるで藻掻いているような動きだったが、やがて堤防から落ちて暗い海へと放り込まれた。
泳ぎ始めて魚は底へと消えていったのだが、その姿は力尽きて落ちているかのようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます