第18話 見慣れない絆創膏

次の日、龍馬の声で新は目を覚ました。


起きたばかりで寝惚けているのか、上手く頭が働かず頭痛もする。


奇妙なことに昨日のことを思い出そうとしても、記憶は靄が掛かっているように思い出せない。


体のだるさを感じながらも上体を起こすと、普段と違うことに気がついた。


「あれ、なんで裸なんだ」


「なに言ってんだ。昨晩はみんな水着で寝ることにしてただろう」


独り言を聞いていた龍馬が鏡で短い髪を整えながら答える。


思い出して新は納得したが、そう言われるともっと大事なことを忘れているように思えてくる。



何が起こったのか必死に思い出そうとしていると、ふと首元の鎖骨辺りに見慣れない絆創膏が貼ってあることに気がつく。


覚えのない怪我ならまだしも、絆創膏で処置してあるということは記憶に残らないはずがない。


どこまで自分の記憶が欠落しているのかわからず、動揺しながらも怪我を確かめるべく絆創膏を捲る。


するとその箇所だけ茹でられたように赤く腫れているだけで出血もなく大した怪我ではなかった。



新はそれが何かわからなかったが、やがてキスマークだということに至る。


瞬間、昨夜のことをリフレインして、蒸気が噴き出そうになるほど顔が赤くなった。


まるで爆発が起きるかのような勢いで照れていたのだが、その背後で龍馬が怒鳴る。


「こら宗、起きろ! 早くしないとベンチから突き落とすぞ!」


新が怒鳴られた訳でもないのに過度に反応してしまい、慌てて絆創膏を貼り直す。


あまりにも動揺してしまったので龍馬の不審を買ってしまった。


「どうしたんだ? そんな慌てるようなこと言ったか?」


「いや気にしないで。ちょっと噎せただけだから」


心を落ち着かせることもできないまま龍馬に弁解する。


絆創膏を付けられていることの意味を知り、何としてでもマークの存在を隠し通さないといけないことを理解した。



制服に着替えてから荷物をまとめ、プール館に泊まった跡が残らないよう掃除を終えると新たちは更衣室を出た。


その間の時間が経過していても心は穏やかにならず、悶々としながら部室に移動する。


胸を落ち着けながら待っていたが、初乃がやってきてまたも心が乱れた。


火を噴きそうなほど顔を赤くしてしまう。


それなのに初乃は照れつつも新の隣へやってくる。


「絆創膏は貼ったままにしててね」


耳打ち際で囁かれると新は倒れそうになるほどの眩暈に襲われた。


初乃に主導権を握られている一方であることも羞恥に拍車が掛かり、どこかに逃げ去りたい感情に駆られた。



部室を出る前に龍馬が喚起する。


「倉庫にしまった大きな荷物は、持ってきた時と同じように少しずつ運び出そう。後の部活でここに戻ってきた時は裏口の鍵を締めるのを忘れずにな」


勝平たちが頷くと、五人はプール館を裏口から出て、学校の外に出るため正門へと裏道を向かった。


「いやでも、思ったより簡単にプールに泊まれたなあ。更衣室の鍵が締まってる時は焦ったけど、それから順調だったよなあ」


宗が呑気に呟く。


「でも俺たちだけだったらきっとできないことだった。それにちゃんとした飯に有り付けたのも、俺がいたからだぞ」


龍馬が自信満々に言うと、勝平が「ずっとカレー食ってた印象なんだが」と顔を歪める。

それでもなんだかんだ無事に合宿を終えることができて、五人は笑いながら歩いていた。


「初乃、お前ら、そこで何やってたんだ?」


突然五人以外の声が聞こえて、新たちは驚いて振り向いた。


ちょうど裏道を出て校門を目の前にしたところだったのだが、プール館の玄関側に誰かが立っている。


その男は新がライバル心を燃やしている河本だった。


「せ、先輩……どうしてこんなところにいるんですか。部活の集合時間よりずっと早くないですか?」


初乃が青ざめた顔で尋ねる。


いつもの楽しそうな表情は欠片も消えていて、恐怖にも似た表情をしている。


「休みが続いたから早めにアップでもしようと来てみれば、まさか歌島の姿を見るとは」


河本の答える声にも怒りが込み上げてきている。


五人が呆然としたまま動けないでいると、河本が新の持っていた荷物を乱暴に引ったくり、中身を地面の上にぶちまける。


プール館でのゴミで膨らんだ袋や、余って持ち帰ろうとしていた食材や道具など、普段持ち歩かないようなものまで全て地面の上に放り出された。


それらを見て、河本は確信する。


「間違いない。お前ら勝手に志摩崎のプールに泊まり込んでたな!」


目や眉間をを釣り上がらせて恐ろしい剣幕を見せる河本は大声で五人を怒鳴る。


プール館に泊まった証拠の前では新たちに弁解の余地などなく、黙って怒声を聞いていることしかできない。


それを庇うべく初乃が河本の前に立つ。


「待ってください! 新くんたちを誘ったのは私なんです。練習できなくなって困ってたから、新くんたちと一緒に頑張りたいと思って合宿に誘ったんです!」


「どうして志摩崎じゃなくて歌島の連中を泊まらせたんだ! 志摩崎が仕方なく休んでいるって言うのによくも歌島にプールを使わせられたもんだな!」


初乃の擁護も空しく終わり、河本は初乃の肩を掴んで突き飛ばす。


乱暴な力に女の初乃は抗えず、突き飛ばされた勢いのまま地面に尻餅をついた。



それを見て、罪悪感で黙っていた新も冷静ではなかった。


河本を止めようと腕を掴む。


「やめてください! 僕たちが悪くても、男が女の子に手を上げることないですよ!」


「それならお前らはどう責任取ってくれると言うんだ。練習できなかった志摩崎と歌島の差はどう取り返してくれるって言うんだ!」


河本も怒りのまま新の胸ぐらを掴まれる。


非のある新は河本の腕を止めていることしかできない。


「俺たち志摩崎はインターハイにも出る強豪校だ! 並の努力で練習に臨んでる訳じゃない。なのに他の学校がプールにやってきて勝手な合宿までされたら、溜まったものじゃない! これまでの努力を無為にされたも同然だ!」


河本は新の胸ぐらを掴んだままで、激しく揺すりながら怒声を浴びせている。


その主張は新も理解できない訳でもなく、黙ったまま聞いていることしかできない。


何度も胸ぐらから体を揺すぶられ、河本の怒りをぶつけられていた。



その腕の勢いによって、鎖骨に貼られている絆創膏も剥がれようとしていた。


胸ぐらを何度も揺らされることによって端から捲れていき、粘着力も弱まって剥がれていく。


絆創膏が隠していたものが露わになっていき、それが開けた胸元から河本の目に映っていった。



絆創膏が隠していた事実を河本が理解してしまうと、新は頬の衝撃と共に地面の上へと突き飛ばされた。


初乃よりも激しく飛ばされて地面の上を転がる。


そして自分が殴り飛ばされたことを理解し、痛む頬を押さえながら呆然と河本を捉えた。


「出ていけ……」


怒りに動揺が入り交じった声で河本が言う。


「出ていけー!」


堪え切れない想いを込めて今度は怒声が響き渡る。


返す言葉もない新たちは河本の言うとおり志摩崎を去るしかなかった。




学校を出て帰り道を歩き始めても、新たちは呆然としたままで何も話すことはできなかった。


志摩崎高校の初乃とは何も言葉を交わすことができず、門を出る時も遠目でしか初乃の姿を見られなかった。


他の志摩崎部員も学校に着き始めていたのでもう乱暴はされないと思うが、今頃初乃がどんな顔で河本といるのか想像もできない。


「これからどうすんの? 追い出されちゃったし、もう志摩崎高校のプールは使えない。それどころか他の学校のプールまで使えるかわからないよ?」


他人事のように言う宗に今度は勝平の怒りが込み上げる。


「どうしてお前はいつもそんなことしか言えないんだ? 俺たちに好き勝手言うだけで、お前は何もしようとしないじゃないか!」


「なんだよ、お前まで怒らなくていいじゃないか! 今までずっと一緒にいた友達じゃないか」


「何が友達だ、お前がいいように利用してるだけじゃないか!」


「なんだと! 勝平だって俺のやることなすこと全部文句言ってくるだろ!」


「二人共やめろ! 喧嘩したって仕方ないだろ!」


龍馬の声で二人の言い争いは収まる。


しかし二人は不満そうに眉間をひそめたままで軋轢が解けた訳ではない。


明らかに先程の河本との事件が二人の関係に影響していた。



二人でなくとも先程の事件に影響された者は他にもいた。


殴られた新はともかく、四人をまとめている龍馬さえも落ち込んでいるように肩を落としている。


新たち全員のチームワークが弱まっていて、事件は思わぬところまで波及していた。


「とりあえず歌島の水泳部員に今日の部活ができなくなったことを伝えないといけないな。全員に連絡するよ」


そう言って龍馬は携帯電話で画面を操作し始める。


その声が耳に届いているのかいないのか、宗と勝平の二人は何も答えずに黙り込んでいる。


新もどこか遠いところに目を向けている。


それは以前帰り道に見えていた、取り壊されると言われていたあの灯台――初乃と仲良くなる切っ掛けになった場所だ。


それを見つけようとして、ほぼ無意識に遠くを眺めてしまう。



気分の晴れることのない帰り道も近くまで来たので、その古ぼけた塔も見えるはずだったが今はもう見つけられない。


どうやっても今はもう見つけることはできず、上ってみることもできない。


灯台の取り壊し工事はもう済んでいて、たった数日でなくなってしまった。


それは新も知っているというのに眺めるのをやめられない。


それが感傷だということは新も自覚していたが頬の痛みよりもずっと迫真だった。


「おい、みんな!」


沈黙が続いていた三人に龍馬が携帯片手に声を掛けた。


「どうやらまだ俺たちのツキは残ってたらしい。明日から歌島高校のプールが使えるらしいぞ」


これでもうどこのプールも借りなくて済む。


そのはずなのに新だけはその幸運を素直に喜べなかった。

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