第15話 「コイツはクセェー!」合宿中の洗濯事情

新はこの日、クロールの練習をあまりせず、背泳の練習に費やした。


予定とは違うメニューになってしまったが、元よりこの日は休みで、何か別の練習をするのには好都合だった。


背泳の練習がクロールの速度アップにも繋がると信じて、フォームを中心に練習していく。



新は勝平と話してからあまり休憩を取らず練習に没頭していた。


それを見兼ねた龍馬に注意されて渋々休憩する始末。


自分の泳ぎの伸ばし方を知り、強い目的もあった今の新は、少しの時間さえも惜しかった。


背泳での水の捉え方、抵抗の減らし方を体に覚えこませていると、時間はあっという間に過ぎていった。




夜になって練習を切り上げると、五人は制服に着替えて部室に集まった。


新たちは疲れきっていたので夕食を期待していたが、この日も龍馬が用意したのはカレーだった。


冷蔵庫で保存していたカレーを電気コンロで温めなおし、昨晩と同じように食べている。


用意してもらったので誰も何も言わずに食べていたが、遂に宗が口を開いた。


「さすがにカレー飽きたなあ。朝も昼も食べてたし、他の料理が食べたかった」


宗はプラスチックでできたスプーンのカレーをじっと見つめている。


龍馬は飯ごうの中のカレーを掻き混ぜながら答えた。


「カレーは一晩おいた方がおいしいって言うだろう? 今日まではこれで我慢だ」


「でも見てよ、あの大食いの勝平が食うのを躊躇ってるんだぞ。それほどみんな飽きてるんだって」


宗の言うように勝平の食事はいつもよりずっとペースダウンしている。


ゆっくりとカレーを口に運び、ゆっくり咀嚼して飲み込んでは、遠い目で皿の上のカレーを見ている。


五人の誰よりも遅く、食べる量も少なかった。



それを見てさすがに動じたのか龍馬の顔が引きつる。


「悪かったよ。でも俺は一週間カレーでも飽きないんだけどなあ」


「インド人か!」


龍馬と宗の話に苦笑しつつも新と初乃は食事を進めていた。


宗たちほど残り物のカレーに頓着せず、黙々とした食事だったが、初乃が思い出したように話題を変える。


「そういえば新くん背泳やってるらしいね」


ごはんを口に入れていた新は「うん」と頷く。


「それも今日ずっと背泳やってたらしいじゃない。クロールを練習しなくてよかったの?」


「背泳を練習すればクロールも速くなると思ったんだ。まだどっちのタイムも計ってないけど、練習の手応えはあるよ」


「よく考えるとクロールと背泳って似てるところあるよね。腕は交互に搔くし、足はバタ足だし」


「だから別種目を練習するには背泳が一番合ってるよ。大会までに仕上げられるかはわからないけど」


「ふーん。……でも、本当にそれだけで背泳を練習してたの?」


初乃は何かを疑うように、目を細めて悪戯っぽく笑う。


からかっているとも取れる表情だったが、その顔に新は心臓を掴まれるかのような感覚を覚えた。


考えていること、心の奥に仕舞い込んでいるもの、すべてを見透かれているかのような感覚。


それを誤魔化ように不躾に「わからない」と答えてしまったが、新は羞恥から赤面してしまっていた。


皿のカレー勢いよく口へ掻き込む。


「夕食も済んだし、もうちょっと練習してくる。もっと背泳ぎ練習したいからさ」


新は逃げるように部室を飛び出して練習に戻っていく。


「それじゃあ私も練習しようかな」


そう言って初乃も部室を出て行く。


制服に着替えたにも関わらず、二人は着替え直しに更衣室へ行ってしまった。


残された龍馬たちは黙々とその光景を見ていた。

龍馬が飯ごうの底のカレーを皿に移し、勝平は相変わらず皿のものを眺めている。


宗は口の中のごはんを咀嚼していたが、飲み込まずにそのまま言った。


「案外さ、新って龍馬と似てるよね」


「はあ? どこがだよ。あいつは優しいけど優柔不断だし、一回落ち込んだらうじうじ悩むようなやつだ。俺とは違う」


龍馬が笑っていると、恋人からの着信で龍馬のスマホが鳴った。



次の日になって、シュラフの中で目を覚ますと、新は何かの異臭に気がついた。


目を擦りながら体を起こし、何が臭っているのかと鼻を啜ってみる。


何度か嗅いで臭いの元を確かめると、自分の着ているシャツが臭いことに気がついた。


胸元を引っ張って鼻を服に入れると、顔をしかめてしまうほどに汗臭い。


むせて思わず咳き込んでしまった。


龍馬たちは既に部室へ行ったようなので、急いで新も男子更衣室を出た。


部室の扉を開けるなり龍馬に言う。


「ねえ龍馬、洗濯機を回さない? もうシャツの臭いが限界なんだよ」


フライパンで玉子を焼いていた龍馬は苦い顔をする。


「やっぱり洗濯機回さないとだめか。あんまり洗剤使ったら合宿してたのバレそうだったけど、さすがに一回は洗濯しないと限界か」


新だけでなく龍馬たちのシャツも既に汗臭くなっていた。


荷物になると言ってパジャマのような服を持参しなかったので、それが祟って清潔さを欠いている。


一日中水着を着ているからと男衆は踏んでいたようだったが、その判断は夏というこの季節ではかなり甘い憶測だった。


「初乃ちゃんは着替えどうしてる? 臭いは気にならない?」


龍馬が聞かれていると申し訳なさそうに答える。


「ごめんね。私は替えのブラウス持ってきてたの。まさか持参してないとは思わなくて」


確かにどこかに泊まるなら服は用意するよな、と新は苦笑する。


新たちは荷物を減らしすぎたのだ。


「そんなに臭いの? 新くんちょっと嗅がせてよ」


「いや、今は本当に臭いからからやめた方がいいよ」


新の話を聞いて、初乃がからかうように笑いながら近寄る。


新が後ずさりしても初乃は躊躇しない。


「本当だ。相当臭いね」


「臭いなら近寄らなくていいよね。寄る必要ないよね」


臭いが恥ずかしくて新が逃げようとするが、初乃は冷やかしたいからか、しつこく追い掛け始めた。


それを見ながら龍馬は言う。


「服は洗濯したいができるだけ洗剤は使えない。こんなことなら荷物になること覚悟で何か服を持ってくればよかったな」


「それならさ、ずっと水着で過ごせばいいんじゃないの?」


龍馬の悩みに、宗が珍妙とも言える案を提出する。


龍馬だけでなく新たち全員が沈黙して固まる。


「水着は毎日使うから二着持ってるでしょ。今日だけ水着でいれば服が間に合うじゃん」


妙な対策かもしれないが案外いいかもしれない、と新は考える。


龍馬たちもそう考えているようで、黙ったままお互いに頷き合い始めた。



その経緯があって、部室には世にも奇妙な光景が完成していた。


部室の机に五人分の食事が並び、フォークが置かれていて朝食の準備は万端であったが、その周りには水着姿の男たちが囲んでいる。


新たちだけでなく、なぜか初乃まで水着になって座っている。


料理をしていた龍馬に至っては水着の上にエプロンを着けていて、正面からは何か着ているように見えても背中は裸という姿になっていて、何も知らない者からすれば、不審者の風貌だった。


水着だけ身に着けた裸の五人は両手を合わせる。


頂きます、と声を合わせるとそれぞれ食事を始める。


しばらく黙々と料理を口に運んでいたが、やがて勝平が水着の提案者に向けて言った。


「あのね宗、寒い」


「仕方ないじゃん。服を持たすためなんだから」


今回ばかりは龍馬も宗に加担する。


「今日だけの我慢だ。それに夏だからまだ温かいだろう」


「そうだけど朝はさすがに寒いよ?」


勝平の文句も空しく、龍馬は黙々とごはんを運ぶ。


新も黙ったまま食を進める。


「でも初乃ちゃんはなんで水着着てるの? 制服の替えあるんでしょ?」


宗が尋ねる。


「一人で制服着てるのも申し訳なくて」


初乃の苦笑に宗は「ああ、そうか」と空しく答えた。


光景も異常であれば気分も上がらない朝食であった。

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