第9話 ドダイが、流れてゆきます…。潮は泳ぐより速い。
約束の日になって、新たちは龍馬たちを入れたメンバーで海水浴場にやってきていた。
当初、曇るか晴れるかわからない予報だったが、実際訪れてみれば雲は少なく空はとても青い。
白い積乱雲が合成写真みたいにくっきりと浮かび、モヤみたいな雲も掛かっていて、快晴よりも良い空模様だ。
太陽もぎらぎらと光を振り射していて、思わず手をかざしたくなるほど強く照っている。
フライパンを置いて玉子を落としておけば、目玉焼きができそうなほどにコンクリートは熱く、砂浜も裸足だけでは直立できないほど熱かった。
それでも曇りの予報だったからか海水浴客は少なめだった。
新たちは場所を選ばずにビーチパラソルを砂浜に立てる。
ビニールシートも敷いて拠点を作り、持ってきた荷物をその上へ下ろした。
「どうなることかと思ったが、晴れてよかったなあ」
青い海を前に海パン姿で仁王立ちする龍馬。
「曇り空の海を撮っても映えないしなあ」
スマホのカメラで激写する宗。
「曇って寒かったらテンション下がるしなあ」
空気入れを踏んでシャチのフロートを膨らませている勝平。
その三人を見ながら、新はシートの上で体育座りしていた。
新も海を楽しみたかったが、初乃の選んでくれたブーメラン水着が恥ずかしいのだ。
新が控えめに体育座りしているのを見て、龍馬が言う。
「新……そんなに恥ずかしがることないじゃないか。男なんだから水着なんか気にすることないだろ」
「龍馬たちは普通の水着だからそんなこと言えるんだ。僕の立場になればきっと出られない」
「おいおいそんなこと言うなよ。せっかく初乃ちゃんが選んでくれたんだろう。この場に初乃ちゃんがいたらどう思うことやら」
「うっ……」
初乃はまだ龍馬の恋人と一緒に着替えていてこの場にいなかったが、確かに新が恥ずかしがると悲しむかもしれなかった。
覚悟を決めてパラソルの影から出て、堂々としていなければならない。
それに初乃にはワンショルダーも諦めてもらっているのだから。
「わかったよ……」
新は渋々ビニールシートを立って、ビーチパラソルから出る。
腰は引けているがとりあえず龍馬の言うとおり、太陽の下の元で砂浜に立った。
ところが龍馬は口の端を緩める。
口を固く閉じていたがひくひくと震え始め、やがて堪え切れなくなって吹き出して笑った。
「よく盛り上がってるぞ、股間が!」
「この……!」
からかうように笑っている龍馬に新が飛び掛ろうとしたが、同時にその後ろから声が掛かった。
初乃が龍馬に用があるようで、遠くから名前を呼んでいる。
「恋ちゃんがちょっと来てほしいって龍馬くんを呼んでるよ」
「マジで?! ちょっと行ってくる」
恋人の名前を聞いた龍馬は、話していた新のことも忘れてすぐに走り始める。
まだ何の用事なのかもわからないまま、まるでピンチに駆け付けようとするヒーローのように龍馬は消え去った。
あっという間に消えていったその背中を見て初乃は唖然として言う。
「龍馬くんって恋人のことになると人が変わるのね」
「そうなんだよ。龍馬は頼れるけど尻に敷かれてて……ってあれ、どうして上着てるの?」
初乃が水着の上に白いTシャツを着ていて、新は思わず尋ねてしまった。
先日買った、青い布地と白のフリルのビキニを着てはいるようだが、新からは見えない。
水着姿が見られなくて新ががっくりしていると、初乃は麦わら帽子のつばで顔を隠した。
「海に入る時に脱ぐからまだいいでしょ」
「いやまあ、そうだけどさ」
「あっ、初乃ちゃん水着姿いいね!」
「三人とも写真撮るからこっち向いてー」
シャチを膨らませながら親指を立てる勝平。
スマホの連写モードで音を響かせる宗。
新は初乃のビキニ姿が見られず肩を落としていたが、やがて開き直る。
「だったらすぐに海に入ろうよ」
「えっ、でも龍馬くんたち戻ってないし」
「龍馬はきっとしばらく戻ってこないから。ほら」
初乃の手を握って新は駆け出す。
初乃はその勢いに負けて、麦わら帽子も落としながら新に連られていく。
宗も勝平も待たずして、海へと駆け出した。
「おい、空気入れ終わるまで待ってよ! 思ったより大変なんだよこれ!」
「待って二人共、泳ぐ前に海に向かってジャンプしてる写真撮らせてよ! きっと『いいね!』いっぱいもらえるぞ!」
勝平と宗の声も聞かず、新は初乃を連れていく。
濡れた砂で裸足を冷やしながら走り、勢いよく海へ入っていった。
浅瀬は日光で熱せられていて、新が予想したより冷たくなかった。
この海水浴場は膝丈ほどの深さでも底が透けるほど綺麗で、その底も海藻が生えている訳でもなく砂だけが広がっていた。
さすが付近で一番人気の海水浴場だ。
「温度もちょうど良くていいね。来てよかった」
「綺麗な海でよかったよ。それで、初乃さん、上着は?」
海が腰ほどの深さに来てもTシャツを着たままの初乃に新は笑顔で詰め寄る。
その笑顔が怖くて初乃は苦笑する。
「後で脱ごうかなあ」
「僕にブーメラン水着着させといて、自分は逃げるんだね」
「そうだけど、新くんはがっつきすぎ!」
ビキニ姿に執着している新から逃げようと初乃は走り出す。
新も水しぶきを上げて走り、笑う初乃に水を掛けられつつも追い掛け始めた。
勝平と宗はその光景を遠くからぼんやりと眺めていた。
一緒に来ていたはずなのに新と初乃は二人だけの世界に行ってしまったようだった。
唖然と口を開けている宗は口をひきつらせる。
「あの二人、いかにも青春っぽいことしてんな。なんか腹立ってきたからちょっと邪魔してくる」
「おい、ちょっと待てよ!」
宗は膨らませたばかりのシャチを抱えて二人へと走っていく。
勝平も既に膨らませていた浮き輪を持って宗を追った。
二人の元へ着くと、宗は新を突き飛ばながらシャチに乗り込んだ。
新は背後からの不意打ちに倒れ海水を飲む。
口の中が塩だらけになり、鼻の奥までつーんと痛んで咳き込んだ。
初乃は新に構わずシャチに感心する。
「シャチのフロートできたんだね」
「いいだろう。でもまだ乗せてやらない」
「ちょっと待て宗。俺が膨らませたのになんで我が物顔なんだよ」
「いいじゃんか。勝平は浮き輪があるだろう」
「この浮き輪小さすぎて腹が支えるんだよ」
言い争う二人の横で、新は痛む鼻を押さえながら「僕のこともちょっとは気にしてくれ」と呟いたが誰も気にしなかった。
龍馬も恋人と一緒に海へやってくると、のフロートを見るなり言った。
「思ったより大きく膨らんだな。安かったからどうせ小さいだろうと思ってたが」
フロートにしがみつく宗が答える。
「乗り心地もいいよ。可愛いから愛着もあるし」
「名前付けるならなんだ?」
龍馬の思い付きの質問だったが、この質問に意外にも初乃が我先にと名前を提案した。
「ドダイとかどう?」
ガンダムに登場する乗り物の名前を聞いて、新は再び咳き込んだ。
初乃にガンプラを作る趣味があることは知っているが、マニアックな名前が初乃の口から飛び出してくるのに新はまだ慣れない。
宗はそれが何の名前なのかわからないものの納得する。
「ドダイ……よくわからないけど呼びやすくていいな。よし、今日からお前はドダイだ!」
「俺が膨らませたのにお前が命名するなよ!」
「やめろ勝平、ドダイに触るな! 意外とバランス取るの難しいんだよ」
勝平がフロートから宗を降ろそうと揺らす。
宗の制止も空しく勝平が揺らし続けると、乗っていたフロートがひっくり返って宗は海中へと勢いよく落ちた。
すぐに顔を出したものの海水を飲んだらしく、新と同じように表情を歪める。
「しょっぺえー……」
「散々独り占めしたからだ。俺が膨らませたんだから次は俺の番だぞ」
「ちょっと乗ったくらい許してくれよ。相変わらず短気なんだから……」
「なんだと!」
勝平は宗を怒っていたが、それに気を取られてシャチのフロートのことを頭から離してしまっていた。
新たちも二人を見ていて気を取られたのか、フロートはどんどん離れていく。
初乃が不審に思って振り向いた時には随分と遠くへ流されていた。
「ドダイが流されてる!」
「えっ、ちょっとよそ見しただけなのに!」
ようやく気付いた六人は急いでフロートを追っていき、新が先頭を切って泳ぎ始めた。
普段から練習していることもあって、速いクロールでフロートとの距離を詰める。
離された距離は幾分取り返すことができ、もう少しで手が届きそうになった。
泳ぎながら手を伸ばしてフロートを掴もうとするが、強い潮風が吹く。
波が立つほどの強い風でフロートはまた流されていき、あっという間に新から離れて、ブイの向こうへと流れていってしまった。
回収を諦めざるを得なくなった新たちは空しい想いで浜に上がった。
水泳を練習していても膝を抱えるほど息を切らしてしまい、ぜえぜえと息を整える。
名前を付けるほど愛着が湧いていたシャチを水平線に探すが、もう見つからないほど遠くへ流されていた。
「思ったより潮風って速いんだなあ……」
疲労が混じりつつも、呑気な言葉を呟く宗に、勝平は空しい想いを募らせる。
「お前が独り占めするから!」
「待ってよ、ひっくり返したのは勝平じゃないか!」
「そうだけど!」
「それに無理してドダイを追い掛けて誰かが溺れたら笑い話にもならないじゃんか」
「今も笑えねえよ!」
無理矢理笑い話にしようとする宗とシャチを嘆く勝平。
新は呆れつつも苦笑していたが、その一方で初乃が濡れたTシャツを脱いでいることに気付いた。
新が思わず「あっ」と間抜けな声を出したので、初乃がTシャツで胸元を隠す。
「あんまり見ないで」
「ああ、うん……ごめん……」
あれだけ期待していた水着姿だったが、実際目の当たりにすると新はその姿が眩しく思えて真っ直ぐに見ることはできない。
初乃の水着姿は競泳水着とはまた違った魅力あって、新の期待していた通りとても綺麗だったが、それゆえに羞恥していた。
宗と勝平が喧嘩している一方で二人は静かに顔を赤らめていた。
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