第5話 倒壊寸前の灯台アオハルピカレスク

次の日、新たちは今日も志摩崎高校へ活動しに行っていた。


大会まで一ヶ月が切ろうとしていて、水泳部の活動はどんどん活発になってきている。


歌島での授業が終わってからすぐに移動し、ひたすらに何キロも泳ぎ続けた。



今日は心肺機能を上げるメニューだった。


しばらくはこのメニューで活動するらしく、今日も呼吸制限のある練習を続ける。


昨日よりも練習量が多くなっていて、活動が終わる頃には新はくたくたに疲れていた。



ところが他三人は違った。


「新、今日の帰りにカラオケに寄ろうぜ!」


「ミスチルの新曲が歌いたいんだ、一緒に付き合えよ!」


宗と勝平に詰め寄られた新は軽くふらつく。


志摩崎校の校門がぐらりと揺らいだ。


「よくカラオケに行ける体力があるね……」


「なんだよ、新は行かないのかよ」


龍馬まで行くかのような口振りに新は動揺する。


龍馬だけは新と一緒に帰路に着くと思っていたが、どうやら違ったらしい。


「ごめん、さすがに体力残ってない。今日は大人しく帰るよ」


「ちぇっ、そうか。まあ確かに今日の練習きつかったからなあ」


それなら大人しく帰ればいいのにと新は思うが、それでも宗は遊びに行くつもりらしかった。


新は呆れ半分に苦笑いを浮かべながら三人とは別の道に立つ。


手を振って別れようとすると、龍馬が呼び止めた。



「あっ、そうそう。例の“出る”って噂の灯台、覚えてるか?」


唐突な話で主旨が読めなかったが、新はかぶりを振って答える。


「もう取り壊されるらしいから近付くなって志摩崎に言われたんだ。さすがに古すぎて危なくなったんだろうな」


「えっ、底とか抜けるの?」


「見てないけど、抜けるかもな。志摩崎の忠告を無駄にするなよ?」


新は「わかったわかった」と答えて、今度こそ帰路に着く。


三人組と別れて一人で歩き始めた。




夏になって日が長くなったとは言え、空にはもう夕焼け雲が浮かんでいて、太陽が西の水平線で燃えていた。


帰り道は海岸沿いだが、ガードレール下から伸びる木々が海の景色を妨げている。


波の音が崖下から聞こえてきてはいるが、車道を走る車がそれを掻き消すように過ぎていった。



夕日を見ながら道を歩いていると、龍馬が言っていた、近い内に取り壊されるという灯台が見えてきた。


赤く揺れる太陽と同じサイズの灯台が陰るようにして建っている。



新がぼんやりと灯台を見ながら歩いていると、その灯台の上に誰かが立っているのが見えた。


女子生徒の制服を着ていることだけが見える。



しかし、使われなくなった灯台にどうして誰かが立っているのか新はわからなかった。


龍馬の話では既に立ち入り禁止にされていて、誰も入れないようになっているはず。


だとすれば、今見えている人影は、幽霊ではないのか。


新は寒気を覚えて粟立った。



それでもあの灯台は老朽化が進んで取り壊される予定があるほど危ない場所だ。


どうしてその灯台に一人で上っているのか知らないが新は心配になってくる。


お節介かもしれないが呼び戻すべきかと思って灯台へ向かった。



「おーい、そこにいると危ないぞー!」


新は灯台の入り口から、上にいるであろう人に向けて叫んだ。


ところが返ってくるのは、自分の声ばかりで頭上からの声はない。


灯台の上方は明かりも点っていないのでとても暗く、相手が声に気づいているかどうかもわからない。


見上げているというのに底を覗いているかのようだった。



一階も外にしか明かりがなく、これから螺旋階段を上るのには危険なほど暗い。


足元も見えづらいので万が一踏み外せばそのまま転げ落ちることだってあるかもしれない。


灯台は劣化もやはりずいぶんと進んでいて、外から見たときは塗装が紫外線によって粉状になっていた。


ひびも入っていて、そこから見える鉄筋も錆付いていた。


灯台の中も、石でできた階段がところどころ崩れていて、手すりもぐらぐらと揺れてしまうほどだった。



本当にこの灯台を上らなければならないのか。


新は足がすくみそうになるのを堪える。


正直、女子生徒の姿など見なかったことにしたいほど怖かったが、人助けのためだと思い、新は携帯のライトで先を照らして階段を上っていった。



不安定な階段を上って先程の人影を探すと、その人は外の回廊で景色を眺めていた。


怯えながらも新は「あの、ここは危ないですよ」と声をかける。


遠くからは女子生徒が誰かなど見えなかったが、その人が振り向くと、新はすぐに誰なのかわかった。


「えっ、江崎初乃さん……?」


「あっ……君はたしか、新くん……」


新がゴーグルを貸していた志摩崎水泳部の女子部員だったが、初乃は今、新がまだ見たことのない表情をしていた。


涙が頬からこぼれるほど泣いていたのである。



泣き顔を見られたことに気づくと、初乃は決まりが悪そうに目を背けた。


「あーあ……みっともないところ、見られちゃった……」


「……ごめん」


「なんで新くんが謝るの? 新くんは邪魔しにきた訳じゃないでしょう?」


「そうだけど」


初乃が涙を拭おうとしているのを見て、新はただ見ているだけでは居たたまれない気持ちになった。


どうにか力になってあげたくて、気づけば口から言葉がもれていた。


「よかったら、どうして泣いてるのか話してくれない? 話すだけでも楽になれるかもしれない」


新は拒否されることも承知で話していた。


大して仲も良くないのに、いきなり現れて話してくれと言っても、気軽に涙の理由を話せる訳がない。


しかしそれでも初乃の気晴らしになってくれるだけでもよかった。


少なくともこのまま初乃が涙を見過ごして帰ることだけはしたくなかった。



初乃はやはり話すのを躊躇っていた。


涙を溜めている目を逸らして、震える唇を噛み締めている。


汗ばんだブラウスの裾を両手で握り締めていた。


このまま黙ったまま無視されるかもしれないなどと考えながら新が待っていると、初乃はようやく口を開いた。



「結果が出ないの」


「結果……って水泳の?」


「そう。どれだけ練習してもタイムが縮まらないの。色んなメニューで練習を続けてるんだけど、どうしても早くならなくて、このままでいいのかって不安だったの」


水泳の結果なら新も悩んでいた。


昨日計ったタイムも自己ベストよりずっと遅かったことを思い出す。


「わかるよ。僕も部活頑張ってるつもりなんだけど、あんまり早くならないんだ」


「それなのにこの前、一年生に聞いたら私より早いタイムを出してたの。タイムを聞き返されるのが恐くなって、上から目線でその子に教えてあげてたんだけど、全然教えられる立場じゃなかった」


「……僕もきっと後輩には教えられそうにないなあ」


自分の場合は最近の騒動のこともあるしなあ、と新は自虐する。


「タイムを聞かれないように教えてたんだけど、それでも一年生にタイムを聞かれたの。それで私、誤魔化そうとして、思わず持ってたガンプラを落としちゃった」


「ガンプラ?!」


「直せないぐらい壊れちゃった……私のアッガイ……」


「……急に状況が見えなくなってきたな」


初乃に意外にもガンプラを作る趣味があったことに驚きを隠し切れない新。


初乃は呟くように「中でもアッガイが一番だったのに……」と答えたが、新は話がわからなくなってきて困惑した。


話の詳細が気になったが、話の筋を戻す。


「でも、初乃さんが誤魔化したくなるのはわかるよ。タイムが縮まらない悩みもなかなか相談できないんでしょ」


「そうだね。これまで一人でやってきたし、コーチしてくれた人も見てるだけだったし……」


「それに初乃さんが抱えてるのはすぐに解決できない類の悩みだ。一人で抱えるべきじゃない。きっと誰かに話して荷を下ろしながら結局一人で解決していくものだよ」


初乃はあまり人を寄り付かせなさそうな外見をしていた。


まるで高山に一輪だけ咲いている花みたいに、孤高で可憐なイメージがあった。


志摩崎の水泳部でも誰かと話しているところはあまり見たことがないし、笑ったり怒ったりしているところも新はほとんど見たことがなかった。


そんな初乃は誰にも悩みを話せず、ずっと一人で抱えていたのだろう。


泣きたくなっても、こうして誰の目にも付かないような場所で一人で泣くしかないのだから。



「……私一人でも解決できるかな」


「こうやって悩むくらい頑張ってるからね。無責任かもしれないけど僕の手なんか借りなくていいくらいだ。ただ……もし初乃さんが良かったら、またこうして僕に悩みを話してくれないかな?」


「どうして?」


「僕が初乃さんの悩みを聞いてあげたいから」



今まで誰にも頼れなかった初乃にとってそれは難しいことかもしれなかったが、新は承知の上で切り出していた。


初乃を少しでも助けたい気持ちがあったからだ。



新に頼まれた初乃はやはり躊躇していたが、やがて「わかった」と答えてくれた。


方便で言ってくれているとはわかっていても、新は口の端を緩めた。



灯台から見える水平線と彼女の横顔が重なった。


沈み始めた太陽が初乃さんの顔をオレンジ色に照らす。


新と初乃は景色に引きこまれて、穏やかで静かな雰囲気になった。


2、3羽のカラスが鳴きながら遠くに飛んでいき、崖に押し寄せる波が周期で音を立てている。


潮の香りが漂ってきて、塩素の匂いと混じって鼻を付いた。


静かな時間を過ごしていると、不意に初乃が尋ねた。


「でも、どうしてそこまで私を助けてくれるの?」


「それは、人助けだからじゃないかな」


「人助けにしては随分必死だったように見えたけど」


「……そうかな」


答えづらくなって新は渋る。


昨日、龍馬たちにからかわれたことが頭を過ぎって話せない。


新の知らず知らずのうちに耳まで紅潮していて、思わず目をそらしてしまった。


初乃はそんな新が可笑しくて控えめに笑った。



「もしかして、新くんって私に気があるの?」


「何で?!」


「だって何でもない人と話しててこんなに顔真っ赤にならないよ」


「な、なるよ。怒った時とかだって赤くなるじゃないか」


「それじゃあ新くんは私に怒ってるんだ?」


「い、いや違うけど」



初乃は新をからかうように笑っている。


さっきまで泣いていた人の顔とは思えない表情だ。



「もしかして、この灯台に来たのも私がいたから?」


「違うってば」


「じゃあどうして? この灯台は滅多に人が来ないのに」


「それは――」


そこまで話して新はようやく当初の目的を思い出した。


初乃が泣いていて思わず話し込んでしまったが、そのつもりで来た訳ではない。


「忘れてた! 本当は初乃さんを連れ戻そうとしてたんだった。この灯台は老朽化が進んでて危ないし、取り壊される予定だから立入禁止になってるらしいんだよ」


「知ってる」


あっさりと答えられて新は唖然とした。


幽霊を見たのかと思いつつも、心配して怯えながら上ってきたのに、当人はただの不法侵入者だった。


結果的には少しでも初乃の力になれたようだったが、新は骨折り損に思えて眉間を押さえる。


新の様子を見て、さすがに自分にも非があると思ったのか、初乃も苦し紛れに笑った。




新と初乃は灯台から下りる事にした。


水平線の向こうに沈んだ太陽を背にして回廊を後にする。


階段は上ってきた時よも暗くなっていて、更に下りにくくなっている。


灯台が二人の靴音を何重にも反響させ、不気味な雰囲気を漂わせていた。



不安定な階段を歩くために新が初乃に手を貸していると、初乃がその手と腕を見て言った。


「新くんって結構日焼けしてるんだね」


「屋外プールを使ってたからかな」


「男らしくていいね。手も大きくてごつごつしてる。でも思ったよりすべすべしてるんだね」


手と腕を触られて新はまた顔が紅潮しそうになる。


新は初乃に笑われまいと顔を隠すように前を進んだ。



灯台を出て帰り道が別になると、初乃が尋ねた。


「ねえ明日なんだけど、背泳のフォーム見てくれる?」


「いいけど、僕は背泳専門じゃないよ?」


「どこが崩れてるかだけでもいいからお願い」


新は「わかった」と頷く。


「それと、今日泣いてたことなんだけど、誰にも言わないでね」


「わかってる。秘密にするよ」



そう言って初乃は手を振って自分の帰り道を歩いていく。


手を振り返し、新は初乃と道を別れた。



しばらく歩き、一人になってみるとふと我に帰って、困惑した。


先程までのことが都合の良い夢のように思えて、現実との区別が付かなくなってしまっていた。


初乃さんの涙が本当に現実のものだったのか考えながら立ち尽くす。



それから、新は明日から初乃とどう接すればいいのか迷いながら帰路を歩く。


迷うばかりで解決することなく、ただ慌てるだけで足ばかりが急く。


その横をデイライトを点けた車が走り抜けた。


沈んだ太陽が空をぼんやりとだけ照らしていた。

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