第3話 熱愛!新は赤いキャップのあの子に夢中
歌島高校と志摩崎高校の水泳部が挨拶をすることになった。
水着に着替えた新たちはプールサイドに並ぶ。
向き合ってみると志摩崎水泳部は人数が多く、歌島の列はその半分の長さもない。
10人ほどの歌島に比べて志摩崎は30人もいそうだった。
加えて歌島に女子がいないのに対して志摩崎には女子がいる。
学校の差が大きく、歌島が志摩崎に唯一誇れるのは成績を出しているということだけだった。
挨拶を交わして準備体操を済ませると、新たちはウォーミングアップに移った。
歌島が志摩崎に貸してもらったのは2レーンだけだ。
場所を有効活用しなければいけない新たちはレーンごとに分かれて、入れ違うようにして泳いだ。
1レーンを分けるとさすがに狭くて、手や肩がフロートに当たって泳ぎづらいが贅沢は言えない。
泳げるだけでも有り難い新たちは黙々と泳いだ。
ウォーミングアップを終えた新は壁に寄り掛かって他の水泳部員を待った。
水の冷たさで体をクールダウンさせていると、隣のレーンで女子が泳いでいることにふと気づく。
赤のラインが入ったキャップとゴーグルで顔は見られなかったが、その女子部員が背泳ぎする姿が綺麗で、新は思わず見入ってしまった。
天井に向けて伸ばされたしなやかな腕。
水をリズミカルに蹴っている細めの足。
水面から盛り上がった小振りの胸。
それらが水の反射できらきら光って新を惹き付けていた。
凝視するのは失礼と思って、新は目を逸らした。
少しばかりの罪悪感を覚えていると、宗が新の様子を察して肩を組んできた。
「どうした新? まさか志摩崎の女子部員を見て欲情したのか?」
「ば、馬鹿。声が大きいって!」
新が宗を止めるが既に遅かった。
宗の声は隣のレーンの女子部員たちに届いていて、非難の声が上がる。
「やだ、きもーい」「茶髪ってやっぱりチャラいのね」などと声を浴びせられ、宗からは「案外ませてるんだな」と悪びれもなくはやし立てられている。
新はどうしようもなくなり眉間を押さえるしかなかった。
背泳を泳いでいた、赤いライン入りキャップの女子部員も、非難の声に気付いて体を起こした。
ゴーグルとキャップを外したので新ははっとする。
泳いでいる姿も魅力的だった彼女はゴーグルを取っても新を惹き付けた。
吊り上がり気味の目は澄んでいて、細い鼻と小さい口がスマートな輪郭の顔に乗っている。
短くて身軽そうな黒髪から水滴が、少し腹筋の浮き出たお腹へと伝っている。
筋肉で引き締まりつつも女性らしいラインを描く小さな体躯が、新にとってとても魅力的だった。
非難の声を浴びせられつつも新が彼女に見惚れていると、騒ぎを聞き付けた龍馬が慌ててやってきて言った。
「いやあすいませんね。宗は人をからかうのが好きで、新も乗せられてただけなんですよ。練習に戻りますね」
ぺこぺこと頭を下げながら龍馬は新と宗を引っ張っていく。
軽いフットワークで場を収めると、龍馬は小声で二人を戒める。
「バカ野郎、下手に騒ぎを起こすとプールを貸してもらえなくなるだろう。ここはうちの学校じゃないんだからな」
「わかった、ごめんごめん」
龍馬に謝る宗に対して、新は惚け気味に頷く。
背泳を泳いでいた女の子のことが新の頭から離れなかったが、そのまま練習に戻ることになった。
インターハイに向けて競泳を仕上げ始める前に、それぞれのタイムを計ることになった。
部員たちは得意な種目別に100メートル、100メートルのタイムを計測していく。
勝平と宗のタイムは去年のベストタイムに近いタイムが出ていた。
龍馬はベストタイムより一秒も早くなっている。
新の番が回ってきて、キャップゴーグルを着けて飛び込み台に立った。
腰を曲げて指先を台の先に付け、スタートの合図を待つ。
しかし新の目にまたも赤いライン入りキャップの女子生徒が映った。
背泳を泳ぐ姿に気を取られていると合図が聞こえ、スタートに出遅れてしまう。
慌てて台を蹴ったので飛び込むが体勢も崩れていた。
着水してからどうにか遅れを取り戻そうとするが、新はフォームも崩れていて思うように泳げない。
結局、ベストより2秒近くも遅れたタイムとなってしまった。
新がベンチで休んでいると、タイムを見た龍馬が言う。
「どうしたんだ新、調子悪いじゃないか」
「ごめん、集中できなくてさ」
「……まさか本当に女子の水着姿見てたのか?」
「ち、違うよ。龍馬までからかわないでくれよ」
新は乾いた苦笑で聞き流し、ペットボトルの水に口を付ける。
龍馬の言ったことは冗談だと新は思っていたが、龍馬は更に言った。
「もしかして赤いラインの背泳ぎの子か?」
龍馬の質問が的を射すぎていて、新は思わず水を吐き出しそうになる。
まさか気を取られていた人まで的確に指摘してくるとは思わず、新は何度か咳き込んだ。
動揺した様子から察して龍馬は笑いながら言う。
「図星だな。俺達の仲なんだし、教えてくれてもよかったじゃないか」
「待ってくれ、気になっただけで好きとかそういうのじゃないんだ」
「だとしても、ああいう女の子がタイプってのははっきりしただろ」
龍馬を否定できず新は言い淀む。
実際、あの女の子の外見と泳いでいる姿だけを見て、目が離せなくなっているのは事実だった。
他の女子部員もいる中で、背泳の女の子だけが頭から離れなかったのだ。
特別な意識がなければそのようなことにはならない。
途端に新は顔が熱くなるのを感じた。
背泳ぎしていた子がタイプだと意識し始めて、羞恥心を覚えていた。
「しかしああいう子が新のタイプとは意外だな。スポーツ好きのボーイッシュな人が好みとは。しかも気が強くて近寄りがたい雰囲気もある。雰囲気通りの性格だったら、口説こうと思った時に大変だぞ」
「口説こうだなんて考えてないから!」
龍馬の話に堪えられなくなって、新はベンチから飛び出してプールへと戻った。
少女の事が気になったが、新はそれを振り払うようにして練習に取り組んだ。
しばらく泳げなかった分を今日で取り返すつもりだったので休む訳にはいかない。
落ちた持久力を取り戻すために、五かきに一回の呼吸制限を設けて何周もプールを往復する。
両腕が張っているのを感じながら水を掻き分け続ける。
プールの壁が近付いてくるとターンして、できるだけ休まないように泳ぐ。
持久走やマラソンを水の中でやるみたいに、ペースを考えながら泳ぎ続けた。
切りの良いところで足を付いてみると、龍馬たちも他の水泳部員も同じように泳いでいた。
息を整えながら辺りを眺めると、先程の女の子も泳いでいる。
背泳で天井へ真っ直ぐ伸びる手が遠くに見える。
その様子を見て一息吐くと、新はまた自分の練習を再開した。
しばらくして水泳部の休憩になると、随分と時間が過ぎていた。
新はベンチに座って飲み物を手に取る。
ペットボトルを傾けていると、志摩崎も休憩になったのか、背泳の女の子が隣のベンチに座った。
それに気付いて、深めに座って足を投げ出していた新は、ベンチを座り直す。
面接をするみたいに背中を伸ばして姿勢を正した。
その一方、女子生徒は困ったようにゴーグルを凝視していた。
新が気になって見てみると、ゴーグルのゴムが切れている。
目に水が入るのを防げなくなっているようだった。
新は声を掛けようと振り向いて躊躇った。
龍馬にからかわれたことを思い出すとなかなか声が出せなかったが、人助けだからと自分に言い聞かせて、もう一度女子生徒に振り向いた。
「あの、ゴーグルが壊れたなら、うちの水泳部に予備があるけど」
女子生徒は驚いて「えっ」と新をまじまじと見た。
女子生徒が怪訝そうにしているので新は話しかけたことを後悔しそうになったが、やがて答えが返ってきた。
「借りていいの?」
「いいよ。その為の予備なんだ。今取ってくるよ」
彼女の反応を確かめず、新は更衣室へ走る。
水泳部の荷物からゴーグルを取ってくると不躾にそれを渡した。
受け取った彼女は不思議そうに新を見つめていたが、やがて「ありがとう」と言って明るくはにかんだ。
夏の木漏れ日のような笑顔に新が胸を高鳴らせていると、彼女は言った。
「ゴーグル洗って返すね。名前聞いていい?」
「えっと、八代新。君は?」
「江崎初乃。新くんって呼ぶね」
そう言って初乃は手を振ってプールへ戻っていった。
新も手を振り返して見送るが心臓の鼓動が収まらない。
人助けだったとは言え、気になった女の子に話し掛けて知り合いになってしまった。
良いことのはずだったが、改めて考えると緊張してしまう。
そわそわと足を擦っていると、プールサイドの遠くから龍馬たちに見られているのに気づいた。
一連の流れを見られていたのか、からかうような笑みを浮かべている。
変わりない三人衆の顔を遠くに見て、新は一気に脱力した。
活動が終わって帰り道になると、その三人が新を囲んだ。
何を聞こうとしているのか察して新の表情が苦くなる。
「休憩の時にあの女の子と何を話してたんだよ」と勝平が言う。
「気に入った女の子にすぐ話し掛けられるとは、意外と積極的だなあ」と宗。
「深い話はしてないよ。ゴーグルが切れたみたいだから助けてあげただけだって」
「それでも手を振られるような仲になってたじゃないか。お前も満更でもなさそうに振り返しちゃってさ」
手を振っていた時の新を真似ているのか、宗がおどけた顔してひらひらと手を動かす。
新は「そんな顔してないって」と否定する。
「ちゃんと名前聞いたんだろうな」
勝平に便乗して、宗も「どんな名前だ?」と尋ねる。
新は答えるのを躊躇ったが、観念して「江崎初乃さん」と答える。
すると二人は「おおぉー!」と感心の声を上げた。
新は付き合っていられなくなって、二人を振り払う。
「もういいだろう。勘弁してくれ」
「そうだぞ。あんまりからかったら、出たばかりの恋の芽も枯れてしまう」
先を歩いていた龍馬が振り返って、きざな振る舞いで言った。
からかっているのか、わざとらしく言葉を溜めてロマンチックに続ける。
「ちゃんと初乃ちゃんに、想いを伝えるんだぞ」
「だからまだ好きじゃないって」
龍馬にまで茶化された新は三人を置いて早歩きで帰路を行く。
三人は謝りながら新を追って帰っていった。
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