第16話

 誰が言っていたのかはよく覚えていない。胡散臭い霊能力者がラジオの電波で語っていたのか、それともちょっとアタマの変な学生が友達に言い聞かせていたのか、はたまたそれ以外のどこかだったか。

 ――世の霊が生者を殺す理由には大きく分けて二種類がある。

 ひとつ、生前の怨念のため。

 ふたつ、死後の寂然のため。

 私は間違いなく後者だ、と少女は思う。

 ……ひとりぼっちは寂しかった。

 最初の秋まで時間を戻す。

 あの頃の――死んで直ぐの私は、ただ誰かと話がしたかった。ただただ誰かと触れ合いたかった。そうして目の覚める夕暮れから校内中を彷徨き、知っているいないに関わらず目に付いた生徒と教師の全てに声を掛け、手を伸ばして回った。

 しかしそれらは無駄な努力だった。いやむしろ逆効果だったと言ってもいい。幾度と繰り返した行為は自らの孤独を一層浮き彫りにするばかりで、この手は1度として届いたことがなく、仕舞いには自分の存在すらも信じられなくなっていった。

 騒いだところで誰も私の声に気付かない。

 触れても私の存在をわかってはくれない。

 生者に霊は…………、知覚出来ない。

 そんな"独り"の時間の中で見つけたのがピアノだった。学校にある楽器の中でも一際音が大きくて、ソロで十分に曲を成せるピアノは私に打って付けだった。

 私の声には誰も気付かないが、私が奏でるピアノの音は誰にも届く。そのうちの幾らかは音楽室を覗きに来てくれて、その瞬間だけ私は私自身の存在を確信出来る。

 ――私は今ちゃんとここに在るのだ、と。

 一人目が現れたのは霊になって三年が経った後だった。

 どこにでもいそうな感じの、明るい女の子だった。

 私達はすぐに意気投合して、毎日一緒に遊んで、私が幽霊だと明かしても彼女は嫌な顔一つしないで、あっという間に二年が経った。

 二年が経って、彼女は卒業した。

 それっきり姿を見せなくなってしまった彼女を責めるつもりはい。仕方のないことだと思う。在校生ならともかく卒業した人間が、もう施錠しようかという時刻にこんなところに来るのは変だ。明らかに普通じゃない。だから仕方がなかったのだ。

 空白の数年は、死んですぐの三年よりもずっと痛かった。

 二人目も結末はほとんど変わらなかった。

 やはり責めるつもりはないが、皆身勝手だと思った。ずっと友達みたいなことを言っておきながら、時期が来れば離れていってもう会うこともないのである。当然悪気なんてものはなかったのだろう。私がひとりで期待して、ひとりで裏切られただけなのだ。ずっと一緒にいるなんて言われていないのに、もしかしたらと思ってしまったのだ。

 もちろんそんな訳にはいかない。私の時間はいつまでも止まったままだが、外の世界においてそれは淀むことなく、今も等速で流れ続けている。

 身勝手なのは私の方だった。

 そして三人目を、――私は拒絶した。

 孤独というのは確かに苦いが、しばらく舐めていればほとんど味もしなくなる。ならばずっと独りである方がマシだと思ったのだ。出逢いと別れは一揃いで、もし出逢ってしまえば楽しかった分だけ後が辛い。あんな思いをするぐらいならもう独りでいいと思った。自分にイラつくのもうんざりだった。

 四人目も五人目も六人目も私は同様にして追い返した。

 誰も彼もちょっと突き放せば存外あっさり引くもので、独りでいるのはそれほど難しいことではなかった。

 生涯よりもずっと長い時間が、いつの間にか過ぎていた。

 校舎が解体されると聞いたのは数ヶ月前の話である。その話を聞いて、私は内心ほっとした。やっと終わるんだな、そう思った。

 その矢先に、この夏の7月6日にやってきた七人目が――茂君だ。

 第一印象はずばり、”失礼でしかも変な奴”だった。

 人の顔を見るなりまるでお化けでも見たかの如く逃げ出していった様は忘れもしない……。いやまあ私は実際幽霊だったわけで、そう考えれば彼の行動は強ち間違いでもなかったのかも知れないが。

 それから彼はずっと私のことを探し回っているようだった。夕暮れより前の出来事を私は知らないが随分と頑張ってくれたらしい。それはもう解散間際の職員室でも噂になるほどに。

 だから音楽室で寝ている彼に私は声を掛けた。掛けてしまった。掛けずにはいられなかった。

 ――彼ならば、そう思ってしまったのだ。

 他人と関わることの楽しさを思い出してしまえば、そこから先は自分でも驚くほどにあっけなかった。

 なにがあったかは…………まあ語る必要もないだろう。

 しかしそんな日々もついさっき終わった。

 誰もいなくなった屋上から少女は虚空を見つめる。数分前までばかすか花火が咲いていたはずの空間はしんと黒く静まり返って、プラの空容器が風に引き摺られていく音までもがはっきりと聞こえる。

 あれでよかったのだ、と少女は思う。

 もしあれ以上「死んでもいい」なんて言われていれば、それが虚勢だと知れていても信じてしまっていたかもわからない。

 わかるのは、それが間違った結末だということだけだった。

 ……なに、元々1人のまま消えるはずだったし、そのつもりだったのである。だから失ったものなんてのは1つも無く、全てがあるべき形へ戻ったに過ぎない。

 あれで、よかったはずなのだ。

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