第14話

 祭りの露店は商店街とその先の川沿いにずらりと並ぶ。長さ2キロ強。これ程長くてはたこ焼きやら焼き鳥の屋台など10もありそうだが、しかし実のところそんなことはなく、地元民の出す変わり種は眺め流して面白い。

 昼の電話で鈴木に呼びされた茂は、渋々祭りに出てきていた。

 先輩はいないが、断る理由も特になかった。

「いやぁ、人の金で喰うたこ焼きは旨いっすなあ」

 鈴木がわざとらしく空に歌い上げるかのような調子で言い、ひゃっふひゃっふと熱を吐いた米沢が「そうだな」と続く。

 微妙な嫌みを右から左へ流しながら、昨日の約束をすっかり果たしたつもりの茂は、昼より明るい夕暮れを歩きながら昨夜の暗闇を脳裏に展開する。

 吹いて冷ます動作は反射のようなもので、最早たこ焼きの味など分かっておらず、祭りの太鼓も聞こえてはいない。

 あれが廃墟だというのはすぐに分かった。もしや住所を間違えたかと辺りの電柱の番号を再三見て回ったがそんなことはなかった。そこは間違いなく森井町4-17-6であり、10年や20年では利かないであろう廃墟があった。

 ――伊莉栖

 睡魔が見せた幻だったのでは、そう今でも思う。

 しかし家屋同様雨と風に晒され虫の息となった木製の表札には、確かにその名が刻まれていた。

 わからない。

 あれは一体なんだったのだろう。

 先輩はどういうつもりだったのだろう。

 もしかしてもしかすると、先輩は端から僕に名前を教える気なんかなくって、代わりに死んでしまった昔馴染みの名前でも出したのかも知れない。

 ――馬鹿を言え、20年以上前の死人とお友達なわけがあるか。先輩は中学生で、15歳を超える中学生なんていやしない。

 じゃあ秘密基地にしていたという線は? 僕だって小学校の頃は廃墟に友達と集まって遊んでたし、ああ見えてやんちゃな先輩なら似たようなことをしててもおかしくないのでは?

 ――いやそれもきっとない。踏み込んでみたが、森井中学なんかよりもずっと"それらしい"あの場所に残されていたのは遙か昔の生活痕とこそ泥が荒らしたような形跡だけで、少なくともここ五年の間に子供が遊んだ雰囲気はなかった。人が、特に子供が入った跡は案外分かる。

 なら…………、

 なら……………………、

 思い付かなかった。

 茂の中で伊莉栖の存在を肯定しうるアイデアは、それ以上出てこなかった。

 熱っ、

 無意識に口へ運んだたこ焼きの温度で、一気に現実へ引き戻される。

 あの店はアタリだった。結構タコが大きかった。

「ところで随分さっぱりしたよな頭。随分昔にうちの野球部は髪刈らなくていいからどうのこうのと言ってた気がするんだがどういう心変わりだ?」

 米沢が爪楊枝の先でくるくる円を描きながら言った。

 切り分けてちょっと冷ましたたこ焼きを口に運び、たこ焼きみたくすっかり丸くなった鈴木の頭に茂は目を向ける。

「ああ、仏門に入ろうかと思ってな。御仏に幽霊から守ってもらうんだ」

 鈴木が片手で合掌をして見せる。

 してやったりとニヤつく鈴木の表情から察するに、昨日か一昨日ぐらいから暖めていたネタだったのだろう。

「あれはホントに死ぬかと思ったしな。してやられたよ」

 米沢が追撃を仕掛けてくる。開き直ったような口振りだった。

 ……二人ともまだ根に持ってるのか。

「ごめんって」

「まあそれは冗談でさ。ほら、瑞原の奴らとの合同練習始まったんだけどあっちは皆真面目に野球部っぼくかっちり丸めてるし、人数揃って練習試合も出来るようになったし、こっちも向こうに合わせようって話にな。そんでイガグリだ」

「「へぇ」」

 茂と米沢は八割ぐらいどうでも良さげに返事をする。

「さぁて次はなにを奢ってもらおうかなあ」

 こっちは聞き捨てならない台詞だった。

「え、さっきので終わりじゃないの」

「あたぼうよ。俺らがあの日失ったもんは500円じゃ済まねえや」

 空になった竹皮の皿が、鈴木健太の手によりくしゃりと握り潰される。


 結局その後600円のもつ焼きを奢らされ、それで許して貰えた。

 こいつらの尊厳は1100円ぽっちなんだな、なんてことを茂は思う。

 まあでも自分の分を含めた3300円の出費は決して安くもなかったし、落としどころとしては妥当なラインだったのだろう。

 道中、浮いた金で鈴木は四度も千本引きをやって「インチキだろあれ。景品の箱干涸らびてたしな」とかぶー垂れていた。

 わかってるならやんなきゃいいのに。

 そんなこんなで、三人は屋台の群れのほとんど端っこに来ていた。

 ここまで来ると屋台同士の間隔はぐんと増し、灯りの数に比例して人は驚くほどに減り、代わりに喧騒を離れたくなったカップルの密度が明らかに高くなる。

 だからこの辺には、二本ストローの刺さったジュースやらアクセサリーやら、少々お祭りっぽくない物を扱う露店がちらほら存在する。

 ……ネオン街に迷い込んでしまったような場違い感。

 いや森井にそんな場所はないのだけれど。

「そういやさあ、今年の花火はどっから見るよ? 毎年おんなじ河川敷からってのも芸がないだろ? 場所に加えてメンツも一緒じゃ一層代わり映えせんしな」

 頭の後ろに腕を組んで鈴木が言った。

「候補があるのか?」

「うーん…………、学校の裏山とか? 部の先輩から聞いたんだけど結構イイ感じに見えるらしいぞ。あと人が全然来ないし静かだし雰囲気あるって」

 折り返していると不意に道端の露店が目に留まる。お面屋みたく棒に幾つもの造花がぶら下がっていて、横に添えられた旗には簪の一文字。祭りなのだから見やすいよう『かんざし』としておけばいいのに、わざわざ漢字で書くところがいかにも頑固らしい。

「やだよ蚊に食われるだろ。てかお前意味わかって言ってんのかそれ」

「意味?」

 華やかな店先にぽつねんと生えている枯れ木のような老人と目が合う。よくよく見れば覚えのある顔……。思い出した。あれは近所で売れない民芸品店をやっている偏屈じじいではなかったか。しかしあのしわくちゃな手でどうしてこれほど瑞々しい花を造っているのだろうか。

「わからんならわからんでいい」

 中でもあの赤い奴なんて先輩に、

「なんだよ気になるなあ。――ま、いいや。ところでマツはどう思うよ? 裏山」

「ウラヤマ?」

 言われたことの意味が分からなくて、オウムのように片言を返す。

「聞いてなかったのか? 今日の花火どっから見ようってな」

 ああ、そう言えばそんな話をしていた気がする。裏山……

「裏山から見えるってことは学校の屋上からでも見えるのかな」

 鈴木が「は?」と声をあげた。

「そりゃ見えるんじゃねえの?」

「まあ入れれば、の話だけどな。知ってるか? あそこの鍵は職員室にもないんだぞ」

 確かに、と茂は思う。近頃は鍵を拝借するこが多かったので職員室のキーボックスは幾度となく見ているが、"屋上"とかそれに類するラベルには覚えがない。

「へぇ。んじゃどこにあるんだ?」

「校長室らしい。本当かは知らんが」

「……なんでそんなとこに?」

 単なる興味で茂はそう尋ねた。

 それから一瞬だけ溜めのようなものがあって、しかし米沢はなんでもなさげな口調でぼそりと言う。

「昔屋上から人が落っこちたって俺は聞いた」

 鈴木がまた「へぇ」とだけ答えた。

 人の流れを遡り、鈴木が新生森井中学野球部の話を始め、景色がぼんやり後ろへ流れてゆく。もつ焼きの店は既に遙か彼方で、たこ焼き屋ももう通り過ぎた。

 鈴木が一息吐いたところで、茂が思い出したかの如く口を開く。

「随分前の話題に戻るんだけどさ、裏山はやめた方がいいよ。虫除けスプレーしてても滅茶苦茶蚊に刺されるし、どっかにスズメバチの巣があるっぽくてうようよしてるし。……あとごめん。僕用事思い出したから今日はこれで」

 二人の理解が追いつく前に茂は一歩を踏み出し、たちまち人混みの中へと消えていった。

「なんだったんだあれ」

「……お前は鋭いのか鈍いのかよくわからん奴だな」

「は?」

「いや、なんでもない」

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