第12話

「一緒に遊びませんか?」

 返事はなかったが懐中電灯と期待感を携え、茂はずんずん音楽室へ踏み込んでいく。

 探し人はすぐに見つかった。少女はピアノの足下で隠れるように小さく体育座りをしていた。

「先輩」

 少女の背に向かって茂は呟くように言う。18秒間の静寂。

「……キミってば本当にしつこいよね」

 少女も呟くように応えた。言葉こそ刺々しいがその声音に険は無い。むしろ褒め言葉だとも思う。茂はぱっと表情を緩め、

「もう逢えないかと思ってました」

 冷たい夜風が少年の火照った頬を撫ぜてゆく。

「そのつもりだったんだけどさ。いやあ、まさかこんな夜中にまで来るとはなあ……」

 諦めを含んだ笑いが少女の口から漏れた。

 どうして――

 聞きたいことは山ほどあったが、茂はそのどれをも口にはしない。言えばまた"先輩"が消えてしまう気がしたからだ。それに話せない事情があるのだとも思った。正直なにを考えているのか分からない節は多々あるが、無意味にあんなことをする人ではないと茂は信じている。

「なにするの?」

 少女が尋ねた。

 ――すまん鈴木、米沢。出汁にするのを許して欲しい。

 そう心の中で先に謝っておく。

「肝試しの続きを」


 友達を放って帰ることなど出来ない、怒られるので親にも頼れない。だから鈴木と米沢は必ずここに戻ってくる。

 それを前提とした、"肝試しの続き"。

 廊下を気持ち早足で歩きながら茂と少女は会話をする。

 ――さっきの二人はどの七不思議を知ってるの?――七個全部です――ウチの七不思議って実は9個あるんだけど――え、七不思議なのに?――うん。だから内容で教えて――えっと確か……増える階段にトイレの貞子さん、保健室のカタギリさん、家庭科室の外を落ちる人影、開かずの郷土資料室、追っかけてくる人体模型、それと音楽室のリコちゃん、だったかな――へえ……。よく調べたね。キミが?――いや僕じゃなくて米沢が。あ、米沢ってのはなんかなよっとした方で――その米沢君達はどっち通って音楽室に戻ってくると思う? 階段? それともこの廊下?――

 どちらだろうか……きっぱりと言い切ることは出来そうになかった。しかしあの2人は嫌なことを先送りにしがちな気がする。だから「階段かな」と、茂は答えた。

 間髪を入れず少女が今回の筋書きを話し始める。

 ――まず階段から昇ってきた二人をもう一度ピアノで脅かし、退路である階段を2階に隠れていた茂が人体模型で塞ぎ、更にバリケードを利用して郷土資料室かトイレに誘い込む。入った先が郷土資料室なら勝手に震え上がること請け合いだし、トイレなら水を流してやるだけで漏らすほど驚く。

 少女の策は、つまるところそんな内容だった。よく出来ている。少なくとも茂の考えていたプランを並べるような余地はもうどこにもない。しかし即興にしては出来すぎていやしないか。まるでずっと前から用意されていたような……

 そう思って尋ねてみると、先輩はこのお化け役を毎年やっているということだった。なるほど先輩が噂をなぞっているだけではなくて、逆に先輩のイタズラが噂にもなっているのだろう。道理で巷の怪談そのまんまなわけである。世の七不思議はみなこういう生い立ちなのだろうか、そんなことを茂は考える。

 目的地に着くと二人はせっせとバリケードの構築を開始した。茂には知るよしもなかったが、この机も椅子も少女が前もって用意しておいたもので、今年なんかは3階の机と椅子をほとんど全部片付けられてしまったが為にわざわざ2階から運んできている。もちろん1人で。

「先輩って、」

「いりす」

 茂の言葉が少女によって遮られた。意味の分からぬ音の羅列だった。

「いりす?」

 聞き返すと先輩は手を止め、汚れで曇った窓に文字を書く。上から、伊、莉、栖。

「そう伊莉栖。先輩じゃなくって伊莉栖。わたしの名前だよ。あ、よく間違えられるんだけどこれ苗字ね」

 茂はしばらくぽかんと突っ立っていた。あまりにも唐突であっけなかった。少し見慣れない漢字だったので忘れぬように脳内で何度も書く。伊莉栖、伊莉栖…………、伊莉栖。伊莉栖につつかれる。

「手が止まってるよ」

 慌てて作業に戻った。そういえば時間がなかったのだ。2人が戻ってくるまでに準備を完了してしまわなければ問答無用でこの作戦は失敗する。

「教えちゃってよかったんですか?」

 今度は手を止めないよう意識しながら聞いた。

「なにそれ」

「いや……、隠してるみたいだったから」

 ああ、と伊莉栖が笑う。溜息のような微笑が茂の耳をくすぐる。

「よくはないんだけどね。でもわたしばっかりキミのこと知ってるのはフェアじゃないかなって。だから次逢ったら言おうって決めてたんだ。もう時間もないし」

 やはり事情があるらしい。しかし名前を伏せておかねばならない理由とはなんなのだろうか。想像も付かなかった。父の好きなスパイ映画ではよくそんな人間が登場するがまさかその類ではあるまいし……まあ先輩自身がよくないというのだからそういうものなのだろう、と茂は無理矢理納得する。

 それから2人は黙々と机を積んでゆき、机の脚の隙間は椅子を刺して塞ぎ、やがて3行3列3段のバリケードが完成した。次は曲がり角の階段前。

「下の名前は?」

 随分と迷った挙げ句、茂はその問いを言葉に変えた。上を向けて廊下に立て置いた懐中電灯がぼんやりと2人を照らしている。

 伊莉栖は自身の唇に右の人差し指を添えて、

「それはまだヒミツ」

 ――まだ。

 それは裏を返せばいつかという意味に違いなかった。

 いつかっていつだろう。

「さっきなんか言おうとしてなかった?」

「さっき?」

「ほらわたしが名前の話する前」

 ああ、

「ちょっと変なこと聞こうとしてたんですけど」

「いいよ。言ってみて」

 少女から直々に許しをもらったのにも関わらず茂はしばらく躊躇っていた。よくよく考えてみれば――否深く考えずとも阿呆な質問だったのである。答えは『そんなわけないじゃん』に決まっているし、言ったら絶対笑われる。

 が、ここまで来て引っ込めるというのもなんだか情けない気がした。

「……伊莉栖先輩ってもしかして学校に住んでるんですか?」

 少女がきょとんとした顔でゆっくり振り向き、迷ったせいで真面目が張り付いていた茂の顔に正対すると可笑しさがその口と鼻から噴き出した。どうやら笑いが笑いを呼ぶらしく、先輩の声はたちまち廊下で木霊するほどに大きくなり、ひとしきりしてはっと口を抑える。たぶん鈴木や米沢に聞かれるのを気にしたんだろう。まだ肩は震えている。

 ――やっぱり笑われた。

「そんなわけないじゃん」

 台詞まで予想通りだった。

「ですよね」

「うん、学校に住んでる人なんているわけないよ。あとわたしのことは伊莉栖でいいし、中途半端な敬語……、いや丁寧語かな? まあどっちでもいいけどそれも辞めちゃっていいから。実はずっと違和感あったんだよね」

 瞬間、茂の取り落とした椅子がコンクリートに激突して硬質な音が廊下に響く。

「え、それはちょっとむず――」

「お願い」

 別に強い言葉ではなかったし調子だって静かなものだったが、その台詞には有無を言わせぬ雰囲気があった。

「が、頑張ります」

 茂がそう言うとまた少女が微笑む。

「ほらまた」

「あ」

 2人して笑った。

「――えっとその、伊莉栖はどの辺に住んでるの?」

 なるべく顔を背けて茂は切り出す。そうしないとにやけ面を見られてしまいそうだった。

「どこって聞かれると難しいけど住所で言えば4丁目17番の6号だよ。キミは?」

 思っていたのよりずっと詳細な回答が返ってくる。住所はよくて名前は駄目なのか、と思う。先輩の情報規制はいったいどういう基準なのだろう。

「1丁目8番の21号」

 とりあえず同じ形式で返しておいた。

「そっちの方なら合併で学校近くなるよね」

「伊莉栖の方は遠くなるの?」

「普通そうなんじゃないかな。ねえ今度わたしの家に招待したげよっか。夏が終わったぐらいにさ」

 茂はまた椅子を落としそうになった。

 本当に今日の先輩はどうしてしまったというのだろう。外見と声だけがそっくりな別人なのではないかとさえ思う。それこそ幽霊に化かされていると言われても今なら信じる。しかしこの先輩をいつもの先輩だと仮定するならば、

 先輩の両親は既にこの世にいないはずで、言い換えれば伊莉栖家には他の誰もいない、ということなのだった。

 女子の家で、二人っきり――

「……あ。もしかしていまえっちなこと考えた?」

 悪戯っぽい声音で少女が言う。

「いやそんなこと考えてないです…………じゃなくて考えてない、……よ?」

「あはは、嘘っぽいなぁ」

 作戦はといえばご存知の通り大成功だった。茂と伊莉栖が配置に着いた数十秒後に例の階段から鈴木米沢ペアはやってきて、まずピアノと人体模型に絶叫し、教師に見られたら確実に呼び出されるような勢いで廊下を駆け抜けて誘導通り郷土資料室に全速力で突っ込んでいく。

 鈴木達には悪いと思ったが、他人ひとがなにかに怯える様を観るのは正直滅茶苦茶面白かった。例えるなら他人の部屋を勝手に覗くような、隠された一面を垣間見る楽しみがそこにはある。笑いを堪えるのだって難しい。さっきまではちょっと変わった趣味だなーとか思っていたが、先輩がこんな夜中に張り込んで知りもしないアホ共の肝試しを手伝うのも頷ける。

「これって明日もやるの?」

 柱の陰、闇に消え入るような小声で聞いた。

「やるよ」

「……僕も来ていい?」

「いいよ」

 そこで鈴木達が郷土資料室から飛び出してきた。自分達がいったいどこに入ってしまったのか気付いたに違いない。そしてそのまま、今度はすぐ横のトイレへ入っていく。元々郷土資料室とトイレのどっちかに入ってくれれば万々歳というプランだったのでこれには少し驚いたし、横を見れば先輩もびっくりしているようだった。やめておけばいいのに、バリケードを崩してそこから逃げればいいのに。しかしパニックの中にあってはあのバリケードを抜けるのに15秒も掛からないということが分からないのだろう。

 不意に、もしかすると自分もあっち側になってたのかもな、と茂は思う。

 いや――

 僕に限って、それはありえない。

 なぜなら、僕が先輩のピアノに気付かないわけがないのだから。

「じゃあさっき言った通りにね」

 そう言い残して伊莉栖が女子トイレに消えてゆき、二人の監視の為に茂は男子トイレへと入っていった。

 女子トイレの方で水が流れ始めると、薄っぺらいプラスチックの板越しに二人の恐怖が伝わってくる。一つまた一つとレバーハンドルが引かれる度にその畏れは色濃くなって、笑ってしまわないよう茂は深く静かに呼吸をする。

 伊莉栖が話した手筈に沿うならば女子トイレが静かになってから30数えた後に茂は男子トイレを全部流すことになっていて、その先はなかった。

 だから壁を蹴ったりドアを殴ったりというのは興が乗りすぎた茂のアドリブなのだった。

 ”お化け役”の心得として一つ、やりすぎてはいけない、というのがある。

 角に追い詰められたゴキブリみたいに、逃げ場をなくした人間もなにをしでかすか分からない。

 ドアが弾け飛んだ。

 怪我人が出なかったのはただただ運がよかっただけに違いなかった。

 そして気付けば先輩はどこにもいなくなっていた。廊下を見回しても、女子トイレを覗いてみても、いない。

 ――大丈夫だよ、明日の約束はしただろ。

 頭の中のもう一人の茂が囁く。

 それから学校から出るまでの間に、茂は20と3回振り返った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る