第11話
その夜、鈴木健太と米沢辰典は本気で死を覚悟した。
茂が着いて来ていないことにはずっと気付いていた。しかし足は止まらなくて、入ってきた窓から二人は逃げ出した。
一分待ってみる。
もう三分待ってみる。
茂は出てこない。
戻ろうぜ、と言い出したのは鈴木だった。
二人は更に三分待ってから再び校舎に侵入し、一階を通ってコの字の逆端、つまり理科室と音楽室の下まで詰め、階段をゆっくり忍び足で登った。三階。
誰もいなかった。
鈴木と米沢はほっと胸をなで下ろす。じわりと緊張が解けていく。そしてそこで気付いた。
逆じゃないのか。
あの人体模型が本当にただの模型であるなら、さっきの場所にそのまま突っ立ってなければいけないのではないか。茂はあのチャチな怪物に追い掛けられて今もどこかを駆けずっているのではないか。
馬鹿馬鹿しい。
しかし否定しきるだけの根拠を、彼らは持ち合わせていなかった。13年培ってきた理性は敢えなく恐怖に屈し、ここではなんの役にも立たない。
再び過大な緊張が二人の背筋を貫く。今すぐにでも逃げ出したい気持ちを踏み潰して、理科準備室の引き戸を押し開けようとした瞬間だった。
鈴木の右の爪先になにかが当たった。手に取ってみて、スイッチを点ける。茂が持っていたはずの懐中電灯。
「ヤバくね?」
何事もなかったのならば、この夜中にライトを置き忘れていくなどありえないと思う。やはり、
――ダ、ダ、ダ、ダーン
また『運命』だ。まさか音楽室を覗く気になどならなかった。すぐさま身体を捻って階段の方に走る。その先、
人体模型が、いた。
鈴木と米沢が今さっき昇ってきた階段を塞ぐように、そいつは立っていた。
トラックに跳ね飛ばされたかのように二人は跳び退き、すぐさま態勢を立て直して廊下の方に駆ける。あの階段はもう使えない。視聴覚室と生徒会室と多目的会議室が視界の右端を後方へ吹き飛んでいく。曲がり角正面の階段にライトの光が当たる。
「はァ!?」
これ以上ないぐらい裏返った声が深夜の学校を駆け巡った。
階段前に机と椅子でバリケードが作られている。鈴木が崩そうとしてその二段目に飛び掛かると三段目が雪崩れてくる。まだ奥に二層は見える。ここも通れない。
振り返ると廊下の真ん中あたりまで人体模型は来ていた。
ならば右へ。
その先にも机と椅子のバリケード。
袋の鼠だった。
米沢は鈴木の襟を掴んで目の前の戸が開いた部屋に飛び込む。叩き付けるようにドアを閉じ、やたら古めかしい段ボールの山と埃を掻き分けたその奥に腰を下ろす。乱れた息を殺そうとして頭が痛み、塵埃を吸って肺は苦しい。
「電気……っ、……消せよ」
米沢が声を絞り出した。けれども鈴木は丸っこいい指向性の光で部屋中をなぞり、一向に消す気配がない。
「……これなんの部屋だ?」
「いいから消せ」
米沢は鈴木から懐中電灯を奪い取り、スイッチをオフにする。
しかし確かに、入ったことのない部屋だった。埃の多さからしても普段は使わない場所なのだろう。さっき鈴木が照らし出した部屋の各所を米沢は思い浮かべる。日焼けした段ボール群に謎の置物、ぐるぐる巻の巨大な紙。
地図を描いた際の記憶によればこの部屋は郷土資料室に違いなかった。
森井中学七不思議が其ノ五――開かずの郷土資料室へ迷い込むと、異世界に吞まれて死ぬ。
さっき来た時には間違いなく閉まっていたのだ。
涙が出そうだった。
「逃げるぞ」
「は? おい!」
慌てた米沢は段ボールに足を取られ、袖を引っ張られていた鈴木も巻き込まれて資料の山に頭を突っ込む。やっとの思いで這いずり出ると、あの人体模型が曲がり角の柱からこちらを覗いていた。眼が合って、人体模型がピクリと動く。
逃げ込める場所は、もうトイレ以外になかった。
男子トイレ奥の個室へ駆け込み鍵を閉め、小汚いタイルの上にべったりと座り込む。
……なに、ネタが割れてしまえば大したことは無い話なのだ。階段を塞ぎ2人を追ってくる人体模型はあらかじめ2階で待機していた茂が隙を見て設置したものであるし、音楽室のピアノは先輩と呼ばれる少女の仕業で、郷土資料室の鍵は茂が開けておいただけで、わざとらしいバリケードはもちろんこのお化け役達が築いた物に他ならない。
少し考えれば分かることだろう。
深夜の学校で、来るかも分からぬクソガキをじっと待つ人間というのは少々想像しづらいやも知れないが、茂が誰かと示し合わせていた可能性には少し頭を捻れば辿り着く。そうすればこんなイタズラはちょっとだって怖くない。
しかしそんな余裕はなかった。
当の本人達は混乱と恐怖の真っ只中に縮こまっていて、その脳ミソは暴走し、今創ったばかりの百鬼夜行が頭の中の学校を闊歩している。
間もなく、壁を伝って水の流れる音が聞こえてきた。さほど大きい音ではない。女子トイレからだとすぐに気付く。巡に全ての便器を流しているようで、水音は奥から始まり入り口方面へと続いていった。
トイレの貞子さんだと二人は思う。駆け込んだのがたまたま男子トイレでよかった。これがもし女子トイレだったら――
「ひっ」
米沢が声を漏らした。男子トイレに三つある個室の内一番入り口に近いもので水が流れたのである。数秒とせぬ間に直ぐ隣の個室でドアを蹴ったようなもの凄い音がしてまた水が流される。
次はここだ。
そう思ってから優に三分が過ぎた。
さっきの騒々しさはどこへ行ったのやら男子トイレは静けさを取り戻し、なにも起きない、
……訳はない。
がんがんがんがんがん!
突然ドアを殴られ、飛び上がった二人は震えながら肩でこれを押さえる。
がんがんがんがんがん!!
回を重ねる毎に打撃は一層強くなっていく。呼応するように鈴木と米沢も加える力を増してゆき、食いしばって顎が痛む。
ギシッという異音がどこかから聞こえた。
瞬間、
「「「おわッ!」」」
ドアが限界を迎えた。
蝶番と鍵周辺のプラスチックが一挙に破壊し、勢い余ってドアごと二人は前方へぶっ飛んでいく。その軌道は向かいの小便器まで直線で、これまたもの凄い音と共に静止した。
ついさっきまでドアだったはずの板は見るも無惨、大きく三つに砕け、汚らしい床に数多の破片を散らしている。
「……ごめん。大丈夫?」
不意に茂とよく似た声の幽霊が喋った。
「大丈夫に見えるか?」
起き上がりながら米沢が応える。二、三度チラついて点いた天井の蛍光灯が、詳しく惨事を照らし出す。
「怪我は無さそうだけど」
鈴木が笑った。米沢はなおも怪訝そうな顔で、
「これ全部お前が一人でやったのか?」
「ううん、もう一人いるよ」
それから茂は背後の暗闇に向かって「イリス」を呼び、一旦外に出てから更に数度その名を叫ぶ。2人はぶっ壊れたドアの左右にもたれてその様子を眺める。
誰も、出てこない。
「いないっぽいや。気利かせてくれたのかな」
「イリスって誰だ? てか呼び捨てってマジか?」
そう言ったのは鈴木だった。
「イリスは苗字だから」
「そのイリスって人はお前の妄想とか、幽霊じゃないんだよな?」
お前ホントにびびりだなあ、と大声で笑いながら鈴木が米沢の肩をばしばし叩き、いてえやめろお前もだろと米沢が叩き返す。茂は苦笑して、
「違うよ。夏休みの間はほとんど毎日一緒に遊んでたし」
米沢が安堵の溜息を零し、その横で鈴木はハっとなにか閃いたような顔をする。
「ちなみにそれって女子か?」
しばらく間が開いた。やがて怖ず怖ずといった調子で茂が口を開き、
「……まあ」
突然鈴木が「かーーーーーーーーーーーーっ!」と今日一の声で叫んだ。米沢がびくりと肩を小さくする。
「お前今度なんか旨いもん奢れよな!」
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