第9話
茂の部屋は、若松家2階の隅っこにある。小学校の頃に買ってもらった既に少しサイズの合わない勉強机は漫画と教科書と漫画に埋まっていて、窓際の壁紙はちろりと剥がれ掛かっており、天井照明のカバーには縦に線が入っている。去年野球ボールをぶつけて作った亀裂。
晩から昼前まで、その真下にて茂は死んでいた。
願わくばあと一ヶ月……せめて夏休みが終わるぐらいまでは布団の中で暮らしていたかったが、母親に補習はどうしたと叩き起こされた。
寝過ぎて頭が痛い。
もう随分と日が経っていたし、補習は昨日で終わったと言えば信じてくれたに違いない。しかし昨日も基準点一歩手前まで正答し、残りの回答欄はきっちりびっしり間違いで埋めてきたわけで、終わっていないのが事実である。お節介で気が短い林田なら今日には「風邪か? 大丈夫か?」なんて電話を掛けてくるかも知れない。そしたら一発でバレるだろう。きっと面倒くさいことになる。
体調不良という切り札を使おうにも、皮肉なほどに茂の身体は元気だった。
この身体は空気も読めないのか。
そうして朝飯か昼飯かよくわからない食事を胃袋に放り込み、筆箱だけを納めるには随分と大きい鞄を肩に掛け、家を出ようとした時。
「しげるー、ちょっと電話でといてー」
洗濯済みの衣類を山盛りにしたカゴを抱え、物干し竿にのっそりと向かう母が言った。
誰かは分からないが、既視感のある番号。受話器を取る。
「おはようございます。お忙しいところ失礼します。私は森井中学の林田と申します。若松さんのお宅で間違いありませんか」
やたらと改まった言い方に笑いが零れた。不味いと思うが堪えられない。
「あ、お前茂だな?」
「はい」
しかしなんの用事だ、と茂は思う。まだ補習の時間には少し早い。だから心配して掛けてくるにもまだ早いはずである。
「いや良かった。まだ家出てなかったんだな。もう出ちまったかと思ってた。んで本題だが、合格だ」
……合格? 合格とはなんのことだろう。その単語と繋がる符合が茂の頭には存在しない。「はあ」と生返事をする。
「やれば出来るじゃないか。50点だぞ、50点。最後の問題は結構難しく作ったつもりだったんだけどな」
「は?」
半分くらい声が裏返っていた。
「『は?』ってなんだ『は?』って」
「……いえ」
50点と言えば、補習の確認テストの満点である。
なんで、と茂は思う。
間違って正答してしまい合格となる可能性は確かにあるが、満点だけはありえない。5問もミスる可能性はゼロに等しい。
「おかしなこと言う奴だなぁ。まあそういうことだからもう来なくていいぞ。長い間お疲れさん。んじゃ俺まだ片付けせにゃならんから切――」
「ちょっと待って! ……ください」
少し驚いたような声で、林田が「なんだ?」と応える。本当に尋ねるかしばらく茂は迷い、
「あの、凄い変なこと聞くんですけど、テストっていつ回収しましたか?」
「はあ? ほんとに妙なこと聞くな……。いつってたぶん今朝の9時半くらいだが、そんなこと聞いて」
ありがとうございました、そう残して茂は受話器を戻す。
――なるほど。
階段を駆け上がり鞄を投げて、頭から布団に突っ込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます