第2章 ゲーマー夫婦、温泉郷へ行く

第1話 夫婦喧嘩はすぐに終わるとか言うけど、彼らの場合は数分で終わる

 クヴェレへ向かう当日。

 アイル達は待ち合わせ場所で、アイナの知り合いが来るのを待っていた。


「……ねえ、クロノさん」

「何かしら、アイルファーさん」

「この距離感とその呼び方、いい加減やめて欲しいのだけど……」


 アイルとクロノの距離は約1mほど離れていた。

 普段であればお互いに手が触れ合うくらいの位置にいるのだが、数日前――具体的に言えば「アイルとクロノを送り出す会」の翌日以降――から、彼らはこんな状態だった。


「いやよ。あなたに近づいたら襲われそうだもの」

「襲うって……そんなことしないよ」

「したじゃない。それとも、お酒に酔ってて覚えてませんとでも言うつもり?」

「え、あれって襲った扱いになるの?」

「なるわよ!」

「でも、あれはクロノさんが誘ってきたんでしょう?」

「はぁ!? さ、誘ってなんかないわよ!」


 微妙な距離感で口論する二人の間に挟まれて、マオは盛大にため息をついた。


「……喧しいのう。痴話喧嘩は他所でやってくれんか?」

「痴話喧嘩じゃないわよ!」

「ああ、そうじゃったの。汝らは夫婦じゃから、これは夫婦喧嘩じゃのう。夫婦喧嘩は犬も食わないとはよく言ったものじゃ」

「馬鹿にしてるみたいだけど、私は本気で怒ってるんだから」

「怒っておるのは構わぬが、喧嘩する場所は選んだ方が良いのではないか?」


 アイル達がいる場所はプルプァの正門前。

 町の中へ出入りする人々は、彼らの様子をチラチラと伺いながら横切っていく。


「こんな人通りの多い場所で喧嘩するのは恥ずかしくないのかの?」

「うっ……確かにそうね。しょうがない、一時停戦よ」

「じゃあ、もうちょっと近づいても……」

「それはダメ」


 きっぱりと拒絶され、あからさまに肩を落とすアイル。

 その時、一台の馬車が彼らの目の前に止まった。

 その馬車は周囲の馬車と比べてもかなり豪華で、貴族が乗っていそうなものだった。


「……アイルファーさんとクロノさん、それにマオさんでお間違いありませんか?」


 帽子で顔の見えない小柄な御者がそう尋ねてきたので、彼らは頷いた。

 すると、その御者が馬車の扉を開け、中から一人の男性が現れた。


「初めまして。私はグリーク・オレガノ。アイナさんとは家族ぐるみで付き合いがありましてな。どうぞグリークと呼んでください」


 身なりの良い初老の男性は、口髭を整えながら微笑んだ。


「初めまして。私はクロノと申します。こっちの子はマオと言います」

「僕はアイルファーです。あの、どうやらお孫さんと僕が知り合いだと伺ったのですが……?」

「ああ、そうなんだよ。私の孫娘が貴方にお世話になったらしくてね。貴方達が困っていると聞いて、私に助けになって欲しいとお願いされたんだ」

「はぁ……それで、その孫娘さんはどちらに?」

「彼女は恥ずかしがり屋でね。顔は見せられないと言って今日は来ていないよ」

「そうなんですか……」

「申し訳ない。まあ、こんなところで立ち話もなんだから、馬車の中へどうぞ」


 グリークに馬車の中へ招かれた時、クロノはふと御者を見つめた。


「いかがなさいましたか?」

「いえ……随分と可愛らしい御者さんですね」

「え? あ、ああ、よくそう言われますよ。実際若いですし。ですが、腕は確かですよ」

「そうですか。でも、華奢で声も高くて、まるで女の子みたいですね」


 クロノがそう言うと、御者の肩が跳ね上がった。


「言われてみると確かに……声変わり前とかですか?」

「……はい。あまりに若くて不安ですか?」

「いいえ。ただ、不思議だなと思いまして」

「不思議、ですか」

「貴方がこれほど若い人を雇っているというのもですが……」


 クロノは御者に近づいた。

 驚いて身を固くする御者を尻目に、彼女は御者が身につけていたカバンを開けた。


「あっ、ちょっと……」


 慌てて閉めようとする御者であったが、その時カバンの中がモゾりと動いた。

 そして、ぴょこんと顔を出したのは――。


「ニャー」

「……黒猫?」


 一匹の黒い猫だった。

 クロノは御者がカバンに何か隠しているということはわかっていたが、まさか猫が隠れているとは思っていなかったらしく、目を丸くしていた。


「あれ、その黒猫……」

「アイル、知ってるの?」

「知ってるというか、前に依頼を受けたお家のサーベルパンサーのノワールちゃんにそっくりだなと思って」

「ニャ!」


 アイルが「ノワール」というと、その黒猫は返事をするかのように鳴き声を上げた。


「え、もしかして本当にノワールちゃんですか?」

「ニャーン」

「だとしたら、御者さんはもしや……?」


 アイル達が見つめる中、御者は観念したらしく、目深に被っていた帽子を取った。


「……お久しぶりです、アイルファーさん」


 栗色のショートヘアの彼女は、いたずらがバレた子供のように笑った。


「カーラさん!?」


 御者は、以前アイルが受けた依頼の依頼主である少女――カーラであった。


「どうしてカーラさんが御者を?」

「えへへ。アイルファーさん達を驚かせようと思いまして」

「本当に驚かされましたよ。カーラさんがここにいるということは、あのお屋敷の家主はグリークさんだったのですね」

「ああ、いや、正確にはあの屋敷の主は私の息子……カーラの父親だよ」

「そうだったのですか……って、あれ? グリークさんの息子さんがカーラさんのお父様ということは、グリークさんの仰っていた孫娘さんとはカーラさんのことだったのですか?」

「そうですよ」

「でも、初めてカーラさんに会った時、自分は使用人だって仰ってませんでしたか?」


 カーラがギクリと肩を震わせた。


「……どういうことだい、カーラ?」

「だ、だって、あんな格好で出迎えたら誰だってお嬢様だとは思わないじゃない? だったら、使用人だって言っておけば面倒なことにはならないかなーって……」

「出迎えの時にはきちんとした身なりをしていれば良かったのではないかい?」

「わざわざ着替えるのは面倒だし、何よりフリフリの服って窮屈なんだもの」


 口を尖らせるカーラを見て、グリークはため息をついた。


「全く……自然に触れさせようと幼少期を田舎で暮らさせたのが良くなかったかな」

「あら、私は楽しかったわよ。ノワールちゃんと目いっぱい遊べたもの」


 カーラが黒猫――ノワールを撫でると、喉をゴロゴロと鳴らした。


「お前は大商人の孫娘なのだから、それ相応の振る舞いをしてくれないかい?」

「嫌よ。私はおじいちゃんの操り人形じゃないのよ。私は私のやりたいようにやるわ」


 拗ねたように言うカーラに、グリークはわずかに眉をひそめた。


「……そうだね。私にカーラを縛る権利などない。だがね、『オレガノ』というだけでカーラは大商人の孫娘と言われる。異質な振る舞いは悪目立ちの要因だよ」

「平気よ。私、おじいちゃんのお友達のパーティーには参加しないもの」

「そういうことではないのだけど……」


 再びため息をつくグリークでだったが、アイル達が呆然と見つめているのに気づき、申し訳なさそうに微笑んだ。


「すみません、孫娘が失礼を」

「いえ、大丈夫ですよ。しかし、色々とグリークさん達のことを教えていただけるとありがたいのですが」

「構いませんよ。多少長い話になりますから、移動中にお話しましょう」


 グリークが馬車の中へ呼びかけると、どこかに隠れていたらしい中年男性が現れる。

 どうやらその人物が本物の御者のようで、彼と入れ違いにカーラが馬車の中へ入った。

 その後に続いて、グリークとアイル達も馬車へ乗り込んだのだった。

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もしネット婚した夫婦が思い出のMMORPGの世界に転移したら~異世界転移はロリショタ魔王を添えて~ 真兎颯也 @souya_mato

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